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放浪記
その無軌道な足跡の数々


2000.04.20 〜 第三期「関東の駅百選」スタンプラリー
【第一部 右往左往篇】(2000.04.20 〜 2000.05.13)
【第二部 丁々発止篇】
【第三部 臥薪嘗胆篇】
※ タイトルと内容は無関係です。


#1/24 後楽園(営団地下鉄)
4/20。今年も関東の駅百選スタンプラリー開幕。今の職場は後楽園で、地下鉄南北線後楽園駅は毎日使っている駅であるので、会社帰りに台帳をもらってのスタートである。地下鉄のくせに地上駅である丸の内線後楽園駅は昭和29年開業であるが、南北線後楽園駅は平成8年開業という地下鉄でもかなりの新顔。東京ドームの最寄駅であり、なにかイベントがあると、偏った客層の客で電車が込んだりする。南北線と云えば、ホームに転落防止用の扉があるのが有名だが、特筆すべきはその深さであろう。東京の地下はどこもかしこも通路だの共同溝だの下水道だのなんだのかんだので穴だらけであって、あとから穴を掘る場合にはどうしてもその下を掘らざるを得なく、いきおい最近できたばかりの南北線も深くなっている。そんな訳で、後楽園駅は特に間に何があるわけでないのに地上2F地下6Fの駅というえらく縦に長い駅となっている。土合ほどではないが。


#2/24 舞浜(JR)
4/22。昨日までの雨もあがり、ときならぬ台風一過のような青空。初夏の匂い。シャツ一枚の軽装で旧江戸川の堤防をたらたらと散歩する。この川の河口に舞浜駅はある。
東京湾の波打ち際を走り抜ける京葉線は、ほとんどがかつては海の底であった場所を通る。その開業は遅く、全区間が開通したのは平成2年。最後の開業したのは新木場〜東京の成田新幹線となる予定の線路であった。私的にあの区間をジェットコースターと呼んでいる。とまれ、舞浜駅の開業も昭和63年と比較的最近のことである。舞浜駅周辺に民家はほとんどなく、事実上東京ディズニーランド(以下TDL)専用の駅となっている。それを見越してJRとしても舞浜駅という無機質な駅名ではなく、安直かつ素直に「東京ディズニーランド前駅」と命名したかったようであるが、なんでも本国のディズニー社に蹴られたとか。誘拐団だの地下カジノだの様々な都市伝説の温床となっているTDLであるが、現在となりに現施設と同規模のディズニーシーワールドとかいうのを建設している。開業は2001年秋。先ごろの浦安市長選では浦安市とTDLとの公約がどうのこうのと騒がしかったものだ。舞浜駅からその新施設入り口まで専用のモノレールを敷設する、という冗談みたいなハナシを聞いていたが、あれ、ホントに作ってるよ。

【舞浜駅】


#3/24 御茶ノ水(JR)
4/23。御茶ノ水は、江戸時代このあたりの湧水でお茶を点てたことに由来する地名。


#4/24 神奈川(京急)
4/30。しかし小さい駅だ。県名を冠したくせに、ローカル線の無人駅のような感じだ。東海道本線、京浜東北線、京急と3複線分のレールが狭い敷地を走っているため、駅の場所を確保できなかったのだろう。なお、ホームの幅はわずか2mたらず。快速がほとんど減速することなく目の前をズドドーと走り抜けていく。はっきり云って怖い。


#5/24 横浜(JR)
4/30。日本鉄道の開闢の地。なお、現在の横浜駅は3代目。横浜駅は2回移転をしており、その変遷のいきさつをちゃんと説明しようとするとちょっとした年表が出来てしまう。
横浜駅史
1872.06.12 品川〜横浜(初代)仮開業。10.15 新橋〜横浜にて正式営業開始。
1887.07.11 横浜〜国府津開業。新橋発国府津行きは、横浜でスイッチバックをしていた。
1889 東海道本線全線開通。横浜でのスイッチバックを嫌い、横浜を通らない軍用の直通線が開通。
1898.08.01 直通線を正式な路線とする。東海道本線の直通列車は横浜を通らないことになる。
1901.10.10 横浜市議会や商工会の反対への譲歩として、直通線上に平沼駅を設置。
1914.12.20 東京〜横浜に省線電車開通。横浜側のターミナルとして高島町駅開業。
1915.08.15 高島町駅に横浜駅(2代目)を統合。初代横浜駅を桜木町と改名。平沼駅廃止。
1923.09.01 関東大震災。横浜駅焼失。横浜駅近くの踏切での混雑が問題になり横浜駅移転の気運高まる。
1928.10.15 現在の横浜駅に移転。神奈川駅廃止。
1930.01.26 省線電車が横浜駅に乗入れ。旧線廃止。横浜〜桜木町を高架化、踏切をなくす。
初代は桜木町、2代目は東急高島駅のあたりにあった。もちろん都市開発により痕跡は跡形もない。


#6/24 日吉(東急)
4/30。駅前に謎の丸いオブジェ(かなりデカい)あり。なんじゃ、こりゃ。


#7/24 ひたち野うしく(JR)
5/3。なんだか座りの悪い駅名である。常陸国の牛久市の外れに2年前に出来たばかりの新駅で、元々は1985年の筑波科学万博のときに作られた臨時駅。ところで当たり前だが、新駅は最近になって人口が増えてきて、かつ、それまで乗客の乗降が期待できなかった場所に作られる。そのため駅前もまだ発展途上でガランとしている場合が多いのだが、新しい駅の駅前には何もない、の経験則がここでも成立してしまう。改札を抜けてスタンプを押す。きれいで広いコンコースには人気もなく、ひっそりとしている。さっきまで射していた日差しもかげり、曇ってきた。遠くから春雷。真新しいホームをフレッシュひたちが減速することなく駆け抜けていく。


#8/24 天王洲アイル(東京モノレール)
5/13。羽田に来る某氏の出迎え途中。幸い飛行機が少々遅れたので迎えに間に合ったが、羽田までまだ20分かかるこの駅についた時間がちょうど某氏を乗せた飛行機が空港につく時間であったので、けっこう慌てつつスタンプを押す。


【第二部 丁々発止篇】

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