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放浪記
その無軌道な足跡の数々


2000.05.05 出雲

サンライズ出雲、という寝台列車がある。最近不人気な寝台列車の中にあって、珍しく繁盛している寝台列車であり、その名の通り島根県出雲市を目指す列車である。旧来からの寝台特急出雲も現存するが、最近ではさきにサンライズの方が座席が埋まるようである。なお、人気の秘密は、車両が新造できれいなのもあるが、のびのびシートというカーペット車両を連結している点。この車両、寝台料金は不要で特急の座席指定券と同じ金額で、準備された毛布にくるまってゴロリと横になってゆっくり眠って行けるのだ。同じ指定券のムーンライトながらのように着座のまま眠るのとは、雲泥の差である。一人分のスペースはそんなに広くはないが、全座席がつながっていて通路分のスペースがないためその分開放感があって、B寝台などよりもずっと広く感じられる。すぐ横に他人が寝ているのを気にしなければ、結構ええ感じである。雑魚寝だけあって、女性には抵抗があろう、と思ったが、案外女性グループがいたりもする。このサンライズ出雲のデビューは割と最近。姉妹品にサンライズ瀬戸がある。こちらは松山に向かう列車。サンライズ出雲とサンライズ瀬戸は連結して道中の大半を同行する。下りなら、岡山で分離し、一方は伯備線、一方は本四予讃線に向かう。上りならその逆で、出雲市、松山を出た2つの編成が岡山で併結されて東京を目指す。

今年のGWは無条件でも5連休、2日休めば9連休、となかなかカレンダー的に恵まれていた。JRのページをどうのこうのしていたら、連休中だというのに意外に指定がとれそうで、特に大した予定もなかったのでついうっかり寝台と新幹線の予約をしてしまう。結局、連休終盤の金曜の晩に出かけて、日曜の夕刻戻ってくるスジに。ん、よく考えたらGWの必然性が全くないな。


5/5。金曜日の晩である。すでにGWも後半から終盤、首都圏へのUターンラッシュは今日がピーク、とかニュースで報じているのを尻目に天邪鬼にも旅立ちである。東京駅9番ホーム。すべりこんできた車両は、新造だけあって、さすがにきれいである。なお、カーペット車両はこれが初めてではない。函館から札幌に向かうミッドナイトになぜかカーペットが連結されていたことがあったのだ。このときの乗車率は2割たらずで、どんなに派手に寝っ転がっても大丈夫なくらい広々としていたものだ。さて、サンライズはどんな具合かな、と車両の奥へと進む。あ、2階建てね。つまり天井がその分低い。まあ、道中ほとんど寝転がっていくので構わんか。ぱっと見、1階席の方が狭そうな感じだったが、切符は2階。階段を上って、早速天井に頭をぶつけてみたりしながら、上着を脱いで荷物を枕に横になり、車窓から東京駅ホームの雑踏を眺める。休みの夜遅くとはいえ、ホームにはまだまだ人影が見える。みな、これから塒にもどって眠りにつくのだろうなあ、と下界を見渡していたら、唐突にガタリと揺れて列車は東京駅をノロノロと離れる。新橋田町品川のビル群の窓の明かりを眺めつつ、寝る。


5/6。朝。起きる。姫路・・・6:00を回ったあたりか。空はカラリと晴れ渡り、外歩きにはちょうど良さそうな気配で、有難き。岡山で車両切り離しのため、しばらく停車した後、それまで12両編成だったのが6両と身軽になった列車は単身出雲市へと向かう。倉敷からは瀬戸内から外れ、伯備線に入り北進する。伯備線はこの時点で最長の未乗区間であった。この路線は倉敷から高梁川沿いに上流へとさかのぼり、分水嶺を超えて山の反対側で西川沿いに伯耆大山に向かう。川は橋が掛けられる程度で、本格的に開発されることは少ないので、大抵自然そのままの風光明媚な風景が楽しめる。倉敷をすぎてまもなく高梁川が線路と平行して走るようになったと思えば、山陽自動車道、新幹線の立派な橋梁が見える。さらに進むと、真新しい高架をくぐる。これが去年開業したばかりの井原鉄道か。井原鉄道の高架は、なぜか昔衝動的に下車して途方にくれた苦い記憶の残る清音駅に向かって伸びている。以前は馬鹿正直に高梁川の川の流れに沿って敷設されていたこの路線は、幾度が線形改良が行われ、それにより放棄された旧線跡が残っているらしい。うつらうつらしているうちに、伯備線でもっとも大きな町である新見。このあたりまでくるといよいよ山は深く、沿線から人の気配も減ってくる。新見の次の布原はかつてSLの撮影名所として有名だったらしいところ。この駅は伯備線の駅なのだが、伯備線の列車はまったく止まらないというややこしい駅。何故かこの駅には、さらに一駅先の備中神代から乗り入れてくる芸備線の列車しか止まらないのである。こちらは特急なので新見を出たら米子まですべて通過であるのだが。

うつらうつら。

何時の間にか、峠をすぎ、山を駆け下り、山陰本線に入っている。進行方向右手には日本海の入り江である中海が広がっている。大山が見えるはずですが、今日は曇って見えません、とか力の抜けるアナウンスが流れている。

さらにしばらく進むと松江。中海に変わって宍道湖が見えてくる。ここでまたもやアナウンス。日本7番目の大きさの湖で、シジミがどうたらこうたら。宍道湖の対岸には松江市の市街地が見える。今日の午後にはあそこにも行くのだ。ここから線路は宍道湖湖畔を走る。途中、複線のくせに上下線が大きく離れている。反対側の線路を目で追いかけているうちに、宍道もすぎ、宍道湖が車窓から消え、出来たばかりの新しい高架を駆け上がれば、そこが終点の出雲市である。最近建て替えられたばかりのピカピカの高架駅。改札を抜けたコンコースも広々と明るい。以前の出雲市駅を知っているわけではないが、神話の国出雲の表玄関にしては何か神秘とかそういった雰囲気に欠けて若干拍子抜け。

とりあえず出雲大社参拝でもするか、と出雲大社を目指すことにする。以前は出雲大社に向かう大社線が出雲市から伸びていたが、10年ほど前に廃止されている。替わりに使う電車は一畑電気鉄道。始発駅である電鉄出雲市駅はJRの出雲市駅のすぐ横にある。ところが、駅前の一畑百貨店は改装工事のため取り壊しの真っ最中で、おそらく百貨店の中を通っていたであろう乗り換え通路は閉鎖。替わりに、本来はトイレへの通路であった部分を無理やり外の道路に接続した裏道のような細い小路を通って駅に向かう。こちらの駅舎は隣で工事をしている関係か、窓からの明かりも暗く、まさしく古びた田舎駅の待合室の雰囲気。改札口の向こうは初夏を思わせる日差しが白く、それだけの駅舎の内側の薄暗さが目立つ。素直に切符を買ったほうが安くつくのは分かっていたが、ご祝儀ということで一日乗車券を購入する。改札を抜けて、松江温泉行きの列車に乗り込む。列車は1時間にほぼ1本。車内には同じ寝台列車でやってきたと思しき観光客らしき乗客が見える。もちろんワシのその一人。

【一畑電鉄 松江温泉行き】


ジャリリリリと無骨なベルが響いて、列車が動き出す。揺れる。しばらくはJRの高架に沿って走るが、そのうち一畑電鉄の線路は北へと進路を変える。車窓ははじめはそこそこの住宅地だったがそれも2駅も進めばあたりは田植えが終わったばかりの田んぼが広がる田園風景。のどかである。線路はひたすら真っ直ぐなのだが、これが意外に揺れる。乗り心地や沿線の雰囲気が、今は亡き蒲原鉄道を思わせる。やがて、川跡駅(難読といえば難読)に到着。一畑電鉄の路線は「て」のような形をしており、その分岐点にあたる駅である。目的地の出雲大社前駅は上の左端にあたり、ここで乗り換えて、ほとんど今やって来た方向に向かって折り返すのだ。そこらへんを考慮して、電車はほとんど同時に3方向からやってきてこの駅に停まり、乗り換えの便宜を図ったダイヤになっている。さして広くない駅構内に3編成の列車がずらりと並ぶ。出雲大社前行きの列車は結構な賑わいを見せながら、川跡駅を後にした。車窓は相変わらずののどかさ。

乗り換えて10分もしないうちに終点、出雲大社前駅である。門司港駅や青森駅、大雄山駅のように線路の突き当たりに駅舎が立ちふさがっている。出雲大社への入り口にお似合いの歴史を感じさせる風格の駅である。改札を抜け、駅を出る。ここから道路沿いに数分歩けば出雲大社の入り口である。ところでそろそろ昼時だったので、食事にする。出雲に来たなら、出雲そばしかあるまい、と駅の隣の食堂でずるずる手繰る。食堂の壁になぜか羽生竜王のあまりうまいと云いかねる文字の色紙が掛かっていた。

出雲大社は、大国主命(おおくにぬしのみこと)を奉った日本最古と云われる神社。古事記の中で素戔嗚命と大国主命がドタバタやったときに出来た神社ということになっている。縁結びの神として有名。

【出雲大社】


参道を過ぎて本殿にたどり着くと、さすがにえらい人手である。どうも、出雲大社の境内の発掘調査で何か見つかったらしく、発掘現場の一般公開をしていて、それを目当ての人間が多いようだ。発掘現場に向かって100m以上の長い行列が出来ている。最後尾には待ち時間を示したプラカードを掲げた誘導員まで控えてる。1時間待ち? よくやるよ。敷地の隅にはNHKの中継車も見える。それほどの重大な発見だったのか、それとも単なるGWの混雑取材だったのかは謎だが。発掘現場よりは少々空いているものの、当然ながら賽銭箱の辺りはひどくごった返している。賽銭を放り込んで、えーと、何礼何拍だっけか。結局、適当に済ます。その因果か、おみくじ「願い事 かなわず」放っとけ。小半時境内をうろつくが、所詮デカい神社でしかないので、飽きる。よって去る。

出雲大社を出て、そのまま真っ直ぐ進む。出雲大社前駅を過ぎる。羽田空港並の道路をまたぐ巨大な大鳥居をくぐり、さらに進む。そして、ある交差点から左を臨む。突き当たりの広場に堂々たる風格の建物が見える。大正13年の建造当時の姿を誇る旧大社線大社駅である。廃止から10年を経た今も町の文化遺産としてちゃんと保管されているのだ。

【大社線探索顛末】

2時間後。再び、出雲市駅である。昼に食べたそばはすっかりどこかに行ってしまって、空腹なので、駅舎の片隅の蕎麦屋で再び出雲そばを頼む。さっき出雲大社前の食堂で喰ったのと味かわらん。値段はこっちの方が安い、が、冷静に考えると駅の立喰いにしては割高である。まあ、そばは美味かったのでよしとする。ただ、そばは腹持ちがよくないのが難だが。そして、再び電鉄出雲市駅である。つい4時間前に初めて乗ったばかりの、車両に再度乗り込む。今度の目的地は出雲大社前とは反対側の終点である松江温泉駅である。電車の中は学生服が大量に乗り込んできて喧しい事このうえなし。GW最中であるが、今日は単なる土曜日なので学校は休みではないのか。先ほどの乗換駅、川跡を過ぎると、間もなく進行方向右手に宍道湖が現れる。この路線は今朝のってきた山陰本線の対岸の波打ち際を走っているのだ。つまり、今日一日で宍道湖をぐるりと一周することになる。途中、なぜか、一畑口駅でスイッチバック。平坦路線だから勾配を稼ぐわけでもないし、遠軽のようにかつてはスイッチバックの向こうに線路があった訳でもなさそう。はて。そんなわけで、松江温泉駅に背中向きで到着。

松江温泉駅、というくらいで、駅近辺には温泉宿が建ち並んでいる。駅から徒歩5分の場所に公営の公衆温泉があると聞いていたので、廃線歩きの汗を流すべく訪ねてみる。無常にもぶらさがるは休業の札。日祝日休業、と書いてるから、祝日でもない土曜日の今日はやっているハズなのだが。ぶつぶつ云いながら市内循環バスでJR松江駅を目指す。似たような名前ながらバスで20分かかるほど離れている。松江温泉駅も松江駅も市の中心街からちょっと外れた場所にあり、バスは必ず市街地を経由するらしく、バスだと遠回りになってしまうようだが、歩くよりはマシである。温泉を逃した腹いせに、松江駅の立喰いで三度出雲そばを啜る。出雲市駅で食べたのと、値段に味に見た目までもがまったく一緒じゃ。ついでに宍道湖名物しじみを使った駅弁を買って、浜田行き普通列車に乗り込む。今晩の逗留地は江津である。

三度、出雲市駅。ただし今回は単なる通過である。高架を降りるとすぐに左に曲がるのだが、線路の延長上にさきほど歩いた大社線の跡の遊歩道がまっすぐに伸びている。しじみの駅弁をほおばり、遠くに見え隠れする日本海をぼんやりと眺めつつ、小一時間で江津駅である。駅構内に日本有数の弩ローカル線である三江線の0キロポストが見える。長らく虫食い状態で気がかりであった山陰本線もこれですべてを乗り倒したことになる。今回の放浪の目的はほぼ完遂といったところである。駅前はええ具合に寂れていて、コンビニやデパートの類も見えない。一応、市だろうに。

結局この晩は飯を喰える店を発見できず、すきっ腹を、といってもそばに駅弁と喰い倒していたので、それほど深刻ではなかったのだが、抱えて就寝。


5/7。GWもいよいよ今日で終了である。浜田駅前から出ている広島行きの高速バスに乗るため、浜田駅を目指す。しかし、江津がこんな小さい町だと知っていたら、最初から浜田に宿をとったのだが。

浜田駅到着。浜田駅前は同じく高速バス目当ての人間ですでにごった返している。どうみてもこれだけの人数は1台では運びきれそうにみえない。帰りの新幹線の指定が無駄になる可能性に、思わず刃物振り回して、乗せろ、とか喚きたくなる衝動にかられつつも、素直に整理券を受け取って列に並ぶ。幸い、混雑を見越した臨時便がでるようで、ちゃんと乗せてもらえるようである。有難き。ただ、経路上のICが混雑しているので、一つとなりのICから高速に乗るとかで、とんでもない山の中をしばらく走る。広島までは2時間弱。

寝る。

ビルの2Fにある妙な広島バスターミナルを経由して広島駅新幹線口へ。さて、新幹線の時間までまだ3時間ほどある。その時間の新幹線の指定しか取れなかったのである。わざわざ自由席争奪を繰り広げてまで、急ぐ理由があるでなし、適当に時間潰すか。

【宇品線探索顛末】

すっきりしない廃線歩きに再挑戦を胸中に誓い、ひかりで広島を後にする。Uターンラッシュのピークは過ぎたというが、それでもさすがはGW最終日。新幹線の指定席は当然満員で、空いたと思った席もすかさず別の乗客が座るといった感じ。この調子では自由席はどんな修羅場になっているやら。

寝る。起きる。を何度か繰り返し東京。明日からはまた褻(け)の日々。

以上。出雲の旅。



今回巡った場所の薀蓄。

伯備線
倉敷〜伯耆大山。138.4km。中国の陰陽連絡線のメインルート。大正8年の伯備北線(当時)伯耆大山〜伯耆溝口の開通を皮切りに、順次開通を繰り返し、昭和3年全通。

山陰本線
京都〜幡生。673.8km。電化非電化複線単線区間が入り乱れる、明治30年から昭和5年までに40区間に分けて順次開通を繰り返している。今回乗りつぶした出雲市〜江津は非電化区間で大正2年〜大正9年にかけて開通している。

大社線(廃止)
出雲今市(出雲市)〜大社。7.5km。明治45年開業。出雲大社への参拝客のための路線。一時は東京、大阪からの直通列車が設定され、お召し列車が走ったりしていた。バスにマイカーといったモータリゼーションに押され、第3次特定交通線に指定され、JR移行後の平成2年に廃止された。

宇品線(廃止)
広島〜宇品。5.9km。明治27年開業。日清戦争の軍事輸送のため、陸軍が山陽鉄道に委託して開業させたもの。終戦後、旅客営業を開始する。これが明治30年のことである。大正8年に一旦旅客営業を停止するが、昭和5年再開。昭和41年、路線末端部の宇品〜上大河の廃止を機に、時刻表から消え、定期客に向けた運転をほそぼそとする路線となる。昭和47年旅客営業を全面廃止し、以後は貨物線となるが、それも昭和61年に廃止され、宇品線は消えた。

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