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放浪記
その無軌道な足跡の数々


1999.04.17 〜 第二期「関東の駅百選」スタンプラリー
【第一部 東奔西走篇】(1999.04.17 〜 05.29)
【第二部 櫛風沐雨篇】
【第三部 捲土重来篇】



#1/25 溜池山王(営団地下鉄)
4/17。浦安駅で電車待ちをしながら、何気にポスターをながめていたら見慣れぬポスターにスタンプラリーの文字を発見する。どうせ、地下鉄を10個所くらいのヌルい企画だろうと、さして気にも留めなかったのだが、電車が来るまでさらに時間があったので、思わずじっくりとポスターを読んでしまう。「関東の駅百選」スタンプラリー・・・20社にまたがる25駅、初めて見たときは目を疑った。過去に小田急京王全駅138駅とはいう無茶な企画もあったが、おそらくそれより大変なハズだ。去年スタンプラリーをいくつか押してみたものの、どれもお手軽すぎて達成感が薄かったので、難易度の高いスタンプラリーを求めていたのでちょうどいい。早々に用事を済ますと、近くのスタンプ設置駅である溜池山王に向かい、台帳をもらう。はじめの一歩。


4/18。情処の試験の帰り、ちょっと遠回りして両国駅へ。・・・「スタンプは4/22ころ届きます」。4/15にはじまったばかりの企画で、しかも企画しているのがJRでないのでこういったマヌケな事態になるのであろう。うー。


#2/25 那珂湊(茨城交通)
4/24。前日は仙台出張。東京からは日帰り圏であるが、なにかととせわしなくなるので仙台泊。実は真の目的は秋保電気軌道跡探索であったが、あいにくの雨。廃線は大抵朽ちるに任せてあるので雨の日は状態が悪くとても歩けたものではない。ので、あきらめて東京に向かう。野岩鉄道は帰省のときに廻ることにして、遠出したついでに北関東の駅を目指す。常磐線をスーパーひたちで仙台から水戸へ向かう。水戸駅でいつものごとく納豆蕎麦を食し、途中下車して勝田まで一駅戻って茨城交通に乗り換えて那珂湊駅を目指す。もちろん切符は別に要る。茨城交通は田畑の合間をゆっくり走るローカル線である。途中、駅舎もロクに無いような無人駅が続いて不安になるが、幸い那珂湊駅はちゃんとした駅舎の有人駅であった。駅舎は古びた木造平屋で、まるで昭和40年代のような感じで風情がある。改札の傍らには鉄道の部品と張り紙がしてある動輪や信号機が無造作に転がっている。近くを走っていた廃止済みの水浜線の残骸だろうか。ところで、肝心のスタンプが見当たらない。駅員に尋ねると、事務所内部に保管してあるという。「持って行く人いるんだよ」と、初老の駅員が笑いながら事務所に招き入れてくれた。帰りはバスで水戸まで戻る。水戸から上野行に乗り込んで寝る。

【茨城交通 那珂湊駅 なんと時刻表にURL掲載】


#3/25 流山(総武流山鉄道)
目が覚めたら我孫子だった。近いはずなので、流山駅を目指す。なのだが、接続駅すら知らない有り様で困る。確か新松戸駅前に踏み切りがあったから少なくとも新松戸で連絡してるだろう、と、とりあえず松戸で降りて新松戸に向かう。浦安と新浦安ほどではないが、松戸と新松戸は遠い。幸いアナウンスにしたがって馬橋で乗り換えることができた。流山鉄道は茨城交通に負けずにローカルな感じ。一応通勤路線として活躍しているハズであるが、単線だし営業距離も短い。常磐新線ができた暁にはどうなることやら。・・・流山駅までは10分足らず。図らずも流山鉄道完乗。それにしても雨がひどい。終着駅の流山駅はこれまた那珂湊駅といい勝負の古ぼけた感じの木造平屋の小さい駅舎。近くに流山市役所がある市街地の駅とはとても思えん。こちらの駅のスタンプはチェーンで縛られて待合室の片隅に安置されていた。もう訪れる事もそうそうあるまい、とそこらへんを適当にカメラに収める。ホームの水捌けが悪いのか、若い駅員がモップでせっせとホームから水を掃き出している。車両にカメラを向けたら、気がついてわざわざフレームの外にどいてくれた。

【総武流山電鉄 流山駅】



#4/25 都庁前駅(都営12号線)
5/2。所要で新宿に出たついでに都庁前駅を目指す。いずれ地下環状線としてメジャーになる予定の都営12号線であるが、いまいちなじみが薄い。地下鉄の口径が小さくて掘る量が少ないので従来工法より安上がり、との触れ込みであったが、浜松町のあたりで掘り過ぎたのか地上の新幹線の陥没の恐れありとかで大騒ぎになったりもした。当時の新聞報道によると、新幹線の臨時迂回ルートを作って、その間に新幹線の路盤強化を行うとか云っていたが、それからどうなのだろう。いい天気であったので、白亜のタックスタワーを見上げながら一駅分歩く。20分ほど歩いて都庁前駅への入り口を探り当てたら、これが階段ではなくてエレベータ。それも階段の補助ではなくて、エレベータのみ。銀行のATMかと思った。地下2Fまで潜ってペタリ。官公庁もGW、構内はガランと静まり返っている。初めて乗った都営12号線の車両は本当に小さかった。


#5/25 両国(JR)
5/22。秋葉のついで。今後はちゃんとあった。が、ここも改札の中の机の中。駅のポスターに青函スタンプラリーと云う企画を見つけて結構本気で悩む。ふーん、奥尻島にまでスタンプ置いてあるのか。って、ハードル高くないか。


#6/25 鎌ヶ谷大仏(新京成)
5/23。浦安から鎌ヶ谷大仏への最短ルートは、浦安〜(営団・東葉高速鉄道)〜北習志野〜(新京成)〜鎌ヶ谷大仏なのであるが、この東葉高速鉄道は素直に料金を納めるのが腹立たしいほど高い。ので、東葉高速線を使わずに、津田沼から新津田沼に乗り換えて鎌ヶ谷大仏に向かう。なお、鎌ヶ谷大仏は、駅前に大仏(といっても2mたらず)が鎮座することからついた名前。江戸時代の富豪大黒屋文右衛門が先祖を奉るために建立したのだというから結構由緒正しい。無事にスタンプを捺すと改札を抜けて、駅前の大仏を拝む。そのまま駅に再入場するのもなんなので、散歩がてらフラフラと線路沿いにとなりの初富駅を目指すことにする。

#7/25 印西牧の原(北総公団)
道路案内板に次に乗る路線である北総公団線の西白井駅への案内があった。即興で予定変更してそちらに曲がる。歩く。ひたすら。いつしか市街地を抜けてあたりは畑が広がるのどかな風景。5キロほど歩いて西白井駅。思ったより遠かったな。なんか、はるか以前に終電で酔いつぶれてこの駅で目覚めて途方に暮れたことがあるような。しかし、改めて眺めるとなんか妙な感じがする路線だ。丘を削り取った切り通しの底の真ん中に北総公団線の複線のレール、それを挟んで空き地、さらにその両側に国道464号線が片車線ずつと、綺麗に左右対称に並んでいる。気になるのが線路の両側に延々と連なる空き地。まるでなにかの確保済み用地・・・あ。成田新幹線の残骸か!
政治家の思い付きと酷評された成田新幹線。昭和47年に認可された成田新幹線の計画は、東京地下(現京葉線ホーム)〜越中島(現京葉線、地上へ)〜砂町(東西線に沿う)〜西船橋(トンネルで武蔵野線を超える)〜中山競馬場付近(再度地上へ)〜現北総公団小室駅(北総公団線に沿う)〜印西牧の原〜印西松虫(北総公団線計画駅)〜成田(一部着工)〜ターミナル地下駅。東京〜成田を30分で結ぶ予定だったという。駅の出来ない江戸川区、浦安町(当時)などの地元からの猛反対にあい、工事は難航。それでも、現在、北総公団線となっているあたりは用地買収がなされたのだが、オイルショックの影響もあって用地確保すらままならぬうちに計画は頓挫。成田付近に新幹線のために作ったが現在使われていない高架があると云うが、それ以外はほとんど工事はなされなかった。最近、荒川で工事中の道路橋が成田新幹線の計画ルートに奇しくも一致し、まるで成田新幹線の亡霊のようである。
列車は人工的な切り通しを突き進み、すぐに終点の印西牧の原駅へ。2面4線のホームには2線にフェンスがかかってあって未使用。終点ではあるが、進行方向には真新しいバラストとレールが視界の果てまで延びている。延長工事か。各駅で、成田乗入れの早期実現を、という立看板を見かけたが、果たして印旛沼を越える事が出来るのだろうか。しかし北総公団線も料金が高い。浦安〜鎌ヶ谷大仏の3社にまたがる料金より、西白井〜印西牧の原の料金が高い。西白井〜印西牧の原のほうが距離も短いというのに、何事だ。業腹なので帰りは印西牧の原駅で折り返さずに、最寄りのJRの駅を経由する事にして、駅を出る。驚く。何も無い。新十津川や三厩や(中略)伊勢奥津や志布志より何もない。あたりには腰まである下草が鬱蒼と生い茂る未分譲地が延々と広がっているのみ。とても都心に乗り換え無しで行ける駅とは思えない。本当に首都圏か。あたりの景色に不釣り合いに立派なバブルの名残のマンション達が遠くに陽炎のごとく霞んで見える。雲雀が騒がしい。ところで何も考えずに歩き出したのだが、最寄りのJR駅である木下駅(これも難読)までは8キロあったのであった。ふう。


【印西牧の原駅 あたりは草ぼうぼう】



#8/25 三軒茶屋(東京急行)
5/29。TOEICの試験で広尾まで出掛けたついでに渋谷経由にて新玉川線で三軒茶屋に至る。新玉川線というからには新のつかない玉川線もある、というか、かつてはあった。昭和44年に地上を走っていた玉川本線は廃止。地下化された新玉川線に切り替えられている。いまでこそ中途半端な感じでキャロットタワーの一階で途切れている世田谷線も、その玉川本線が地上を走っていた頃は玉川本線まで線路が延びていたという。三軒茶屋駅の上には最近出来たばかりの小奇麗なショッピングモールが華やいだ感じだが、駅の中には首都圏には珍しい単線のレールが延びており、時代に取り残されたようなのんびりとした佇まいを見せている。


【キャロットタワー内 世田谷線三軒茶屋】



#9/25 お台場海浜公園(ゆりかもめ)
ゆりかもめってTOMYのプラレールみたいだ。なお、台場とは砲台の意。江戸末期に海防の拠点としてあのあたりに砲台を設置したのだ。うちの一つはなにかの記念史跡に指定されており、旧来のまま壊されずに海上に残っている。いまやすっかり洒落た場所としてのイメージが定着したお台場だが、そもそもの名前の由来からして血腥い場所であり、その手のウワサにも事欠かないと云う。


【旧汐留貨物駅の空き地 電波系なテントとシェルター】

【第二部 櫛風沐雨篇】

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