3/19(土)〜3/20(日)
青森 新大阪 博多 新飯塚 田川後藤寺 田川伊田 行橋 宮崎空港 宮崎
16:44 7:04 日本海2号
7:34 10:10 のぞみ33号
10:34 11:14
11:16 11:37
11:41 11:45
12:28 13:17
13:41 18:34 にちりん13号
18:52 18:54

3月吉日。突発的に九州へ行くことに決定。目的は当然未乗区間の乗り潰しである。どうせならといつものごとくを誘う。案の定二つ返事でOK。当然のごとく、冷静に計画を練りあげるのが面倒なんで、3/20の夜に宮崎に集合ということだけを決める。(なんだかなぁ)

ということで、さっそく周遊券でアタック。周遊券だと片道JRということで日本海→博多のスジにし、北九州の未乗区間をできるだけ潰していくルートにすることにした。

日本海2号は青森16:44発でちょっと早いが、今後のことを考え弁当をゲット。実はこれが青森にて生まれて始めて買った駅弁だったりする。地元の駅では以外と食料を買わないものである。メシ喰って、酔い止めを飲んでとっとと寝ようとしたが、2時間で目が覚める。でもって逆に目が冴えて眠れなかったり。なんだかなぁ(笑)。というわけで、ロクに寝ずに新大阪に到着。猛烈に眠いッス。

新大阪でのぞみに乗ったが最後、目をあけたらもう九州だった。寝台車より座席車のほうが寝やすい体になってしまったのか?というわけで何度目かカウントするのも嫌になるくらい上陸した九州に、またまた上陸する。

ここからは篠栗線で新飯塚を目指す。今じゃすっかり通勤路線にもなっている篠栗線だが、その昔は御他聞に漏れず、元は石炭輸送のために作られた線らしい。もちろん現在石炭の鉄道輸送なんて殆どない(つーか、もう無いのでは?)。そういう歴史ある路線を、赤い快速にのり新飯塚を目指す。
 
赤い快速。 JR九州の列車の塗装はある意味イカしてる。余談だが、「RED EXPRESS」と塗装された特急「みどり」はどうにも許せないという人が多いようだ。

吉塚をすぎると鹿児島本線と分かれ桂川方面へ。電化工事をやっていることに気がつく。博多から桂川経由で折尾方面まで電化するのだろうか?となると日本にわずかしか残っていない複線非電化路線がまた一つなくなることになる。ファンとしては淋しいが、これも時代の流れなんだろうか?

などと言っている間に快速だけあって、あっと言う間に新飯塚に。ここで後藤寺線に乗り換える。後藤寺線もこれまた石炭輸送のためにあったような路線で、ここかしこにでかい作業用のヤード後とかがある。 下鴨生からは漆生線というのが分岐していたらしいが、昭和61年に廃止となった。よく見るとそれらしき後がある。船尾駅には石灰岩の採取場がまだあるが、鉄道輸送はもうしてないようだ。
 
新飯塚駅にてキハ40。だからどうしたというわけじゃないが。

田川後藤寺からは一駅だけ日田彦山線で。ちなみに後藤寺駅では学生服をきこんだ高校生集団が跨線橋でたむろしてタバコを吸っていた。20歳越えても学生服来てるとは思えないので地元高校生だろう。まぁ、今時列車(しかもローカル線)を使って旅するやつなぞ小数派だから問題ないのかもしれないが、一気に街のイメージダウンである。などと思いながら接続列車に乗り継ぎ、一駅だけ日田彦山線を乗った。

田川伊田で時間があったので駅前を散策。結構にぎやかな駅である。とりあえず朝からメシを喰ってないので、駅前のパン屋で食料を確保。続いてちょっと行くと、うどん屋があったので、しばし麺に興じる。さすが西の麺だけあって、つゆが薄口である。余談だが、沼田は根っからの東北人なのだが、薄口のだしは結構好みである。だいたいこのあたりのだしは高血圧でぶっ倒れるくらいアジが濃い。これくらいでちょうど良いのでは?となんとなく思った。
 
 
田川伊田駅。なんか洋風な感じある。
田川伊田駅校内。写真だとただっぴろい様子がわからなくて残念。ちなみに、この直後鳩に襲われ、カメラを落しかける。

腹も膨れたので田川伊田駅のホームに乗り込んだら、鳩も昼食らしい。つーか、いやについてまわる。ひょっとして駅前のパン屋で買ったパンのにおいにつられているのか?しかも人間が餌をくれることを知っているらしく、手を動かすだけで反応してくる。構内の写真を撮ろうと思ったら、それだけで鳩に飛びつかれてしまった。その後他の客が餌をやりはじめたので、鳩はそちらに移動。事無きを得た。が、その近くにいた女子高生グループらしき3人組みが今度は被害を受けていた。

田川市役所よ。あの鳩は撤去したほうが良いのではないか?街のイメージ悪いぞ。

平成筑豊鉄道田川線は旧名もJR田川線。89年に現在の形となった。繁栄は過去のことで、今は小粋なワンマンカーが運転しているだけである。それでも駅のヤード跡は雄大で今でも当時の賑やかぐあいが想像できる。40分ほどで行橋駅に到着。どうも高架工事が終了したばっかりで綺麗になっていた。が、寒い。暖房入れてくれー(笑)。
 
勾金駅校内。ボロボロの駅名表示板がイイ感じに見えてしまう。
行橋駅。元の駅は廃虚のように地上にマダ存在中。どうでもいいことが、JR九州は高架事業に積極的ですね。私としては地上にある駅が好きなんですが、これも時代の流れなんで、しょうがないんでしょうね。

行橋からは、ひたすら特急で宮崎空港へ。特急だから早いだろうとタカくくってたら、大分から遠い、遠い。一眠りして目をさましてもまだ大分県である。単線で完全な山の中でスピードが全然出ない。横を走っている軽自動車にもラクラクと抜かれていた。体感距離長いところベスト1とあいなった。ちなみにベスト2は松山-宇和島間である。人間不思議なもので住んでいる場所から遠くなればなるほど距離感が無くローレンツ収縮のようにイメージ距離がちじまっているのである。松山も宮崎も青森から十分遠い。この辺の人間にとってその距離は恐ろしくちじまっているので、現地に行くとびっくりするのだ。

そう言えば前回も電車でやってきて、なかなか着かないので、次からは絶対飛行機と心に決めていたはずだった。学習していたのにすっかり忘れているとは、さすがオレ様である。

なお、青森-盛岡もそれなりに遠いので九州の人も覚悟を決めてやってきて欲しい。などと意味不明のことを考えていたらやっと延岡に到着した。
 
 
延岡にて、すれちがいの「にちりん」。テーマソングは当然ダイターン3。 

延岡を過ぎると、さすがに山間部を終了しただけあって、全力で宮崎へ向う。途中リニアのモト実験線などを眺めながら、ぼうっとしているとあっという間に宮崎であった。南宮崎で漢と合流。そのまま宮崎空港へ。やっと念願の宮崎空港線を完乗することができた。時間にして4分。そこに行くまでの時間を考えると本当にあっさりしている。だが、これで、南九州に未練なし。漢は未練があるようだが、そんなこと知ったことじゃない。あとは鹿児島空港線が出来ないことを祈るだけである。
 
ホームの幅が狭く、記念撮影できる余裕なしなんで、こんな写真しか撮れず。

その日は宮崎にホテルを予約していたので、さっそく酒を飲みに街へ繰り出す。繁華街の場所は大体知ってたので記憶で到達する。テキトーに酒のんで、気がついたらワンダースワンとグンペイを買っていた。旅先でゲームを買うというのがオシャレらしい。なんだかなー。

ちなみにホテルは駅前徒歩5分くらいなのだが、劇安。なんでも土曜日は割安になるらしい。ビジネスホテルだけに利用が少ないのか?しかも当然のごとくちゃんとしたホテルだ。ホテルの名前は宮崎オリエンタルホテル。次回も機会があったら利用しよう。

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