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放浪記
その無軌道な足跡の数々


1999.12.18 12月の旅 II

某氏との間でいつものプロトコルで、九州行き決定。今回の目的は、いまやJRでは唯一の某氏と私の共通の未乗区間とである博多南線。某氏はJR完乗目前で、博多南線と津軽線を残すのみ。なんでも、大晦日に津軽線を潰してミレニアムとかなんとかか叫びたいらしく、是非とも年内に博多南を、と以前から騒いでいたのにつきあう形になった。内田百けん(門がまえに月)に引き回されるヒマラヤ山系のようである。内田百けんは放浪癖があったらしく、放浪記録とでも呼ぶべき名随筆、阿房列車を残している。この随筆の中で、突然どこかに行きたくなった内田先生に閑潰しの相手としてしばしばつきあわされている若者のアダナがヒマラヤ山系である。一般には文豪夏目漱石の門下生として有名かもしれない。

前の週に休みを使って四国にいったばかりだったので、今週は休まずに土日だけでなんとかすることに。春よりずいぶんと値上がりしてしまった特割航空券を使った周遊券を春同様こさえる。最近、航空券予約はインターネットから簡単に出来るのだが、ANAのシステムのチケット予約番号とJRのマルスのチケット予約番号の突き合わせ処理がどうのこうで、みどりの窓口やらびゅうプラザやらをタライ回し。ええい、システム接続して呉れい。


12/18。地下鉄東西線の始発で、のぞみ1号東京6:00発をめざす。これがのぞみ初乗車にして500系初乗車、ついでに東京〜博多を通しでの乗車も初と初めてづくしである。閑潰しの小説に耽っていて、結局一睡もしないまま博多着。

今回の放浪における唯一の決定事項は「博多14番ホームに15:30集合」。あいかわらず大雑把であることよ。のぞみ1号が博多に着くのは10:49。幸い福岡県内には心残りがあるので、時間までに未乗路線を試乗することにする。

博多の近くにある篠栗線と香椎線。ともに未乗車。これに博多を通る鹿児島本線の3路線は「女」の字の鏡像のように接続しており、篠栗線も香椎線も路線の距離は大してないのだが全部乗るのは結構面倒である。今後の憂いを消すためこの2路線を乗る。

まずは篠栗線。この路線は博多からの直通が多いので乗りやすい。博多に直通する路線であるから、沿線はベッドタウンとして栄えている、と思いきやそれほどでもない。少し行くとあたりは人気のない山の中。単線非電化ののんびりとした線路が続く。ところで、鹿児島本線と篠栗線の分岐駅である吉塚からは、かつては勝田線が延びていた。

この一帯は筑豊炭田と呼ばれ、以前は多くの炭坑があり、石炭を運搬するための路線や支線が冗談のように大量にあった。例えば、筑豊線には貨物の支線が20以上あった。今ではずいぶんとすっきりしてしまったが、国鉄時代は全国で最も路線図を覚えにくい地域として有名であったという。時代が変わり、エネルギー源が石炭から石油にうつり、また海外から安価な石炭がジャンジャン輸入されるようになって国内の炭坑が次々に閉鎖に追い込まれた。これら石炭を運ぶために存在していた支線や路線もその存在価値をなくし、炭坑とともに廃止されていった。勝田線もその一つ。少々変わっているのが、勝田線の途中駅、志免駅前に国鉄志免炭坑があったこと。そう、国鉄はその昔、炭坑経営していたのだ。現在、志免駅跡は駅を模した公園として整備されているという。

そんなこんなで、桂川到着。篠栗線完乗。到着ホームの向かい側に止まっている博多行きに飛び乗り、今来たばかりの篠栗線を長者原まで戻る。長者原が篠栗線と香椎線の交差駅である。同じ路線を行ったり来たり端から見れば阿呆らしいかもしれんが、そんな些細なことを気にしてはいけない。

長者原。香椎線は篠栗線の上を交差している。1面しかない篠栗線のホームを降りて、ホームを博多側に端まで進み、階段をのぼり、長い連絡通路を過ぎると、そこが香椎線のホーム。向かって右下に篠栗線のレールが覗ける。香椎線のホームは線路が交差する関係上けっこう高い場所にあるのだが、風よけが完備されていなくて、吹きっ晒しで風通しがよろしすぎる。早い話が、寒い。九州とタカを括っていたのが仇となった。この日の九州はこの冬一番の冷え込みがなんたらで、薄着に冷たい風が染みる。先週の四国と同じ格好なのだけどなあ。

遠くにボタ山を背に志免炭坑の立坑跡が見える。

昼過ぎ、大量の高校生に揉まれながら、宇美着。香椎線はここで終りである。今はただの道路となっているが、宇美駅の前には勝田線の宇美駅が離れて建っていて、ここからさらに筑前勝田まで線路が延びていたと云う。ところで、宇美駅で折り返すまでおよそ40分の時間があった。40分で勝田線全線を歩くのは無理だが、勝田線下宇美駅跡は宇美駅から1kmほどの場所にホームが残っているという。ロクな地図もないのだが、勢いで歩き出す。廃線跡を転用したらしい小路を辿る。廃線を歩くVIによると、下宇美駅は下宇美停留所の裏手にあるとあったので、バス停や走り過ぎるバスを目印に初めての町を歩く。15分後、下宇美停留所は意外と分かりやすい場所にあった。ところがバス停の裏は整地された空地が広がるのみで、駅を思わせるものは何も見当たらない。さてはすでに取り壊されたか、と哀しい気分であたりを見回す。40分で1kmを往復するので、ここには5分と滞在できない。仕方なく諦めて今来たばかりの道を引き返そうとして振り返って、向こうに見えた段差。これだ。バス停から50mほど離れた場所にある自転車置場とホームの跡、その向こうに横たわる真新しい遊歩道。・・・このあたりも意外と賑やかである。あるいは博多への通勤路線として勝田線は存続可能だったのかも知れない。

【勝田線下宇美駅ホーム跡】


今度は宇美から香椎線の反対側の終点、西戸崎を目指す。途中の長者原で篠栗線を跨ぐため、その付近だけは築堤となっているが、ほとんど地ベタを走る。しばらく進み、進行方向左側から近寄る鹿児島本線と合流し、やがて香椎駅へ。鹿児島本線との交差駅である。あらかた乗客は入れ替わるようだが、こちらは続けて乗車するので、そのまま通過。香椎駅を出た香椎線はしばらく鹿児島本線と併走するが、やがて右側に大きく逸れ、ゆるゆると築堤で高度を稼ぎ、やがて進路を左に転じ、鹿児島本線をオーバクロスし、海を目指す。鹿児島本線を越えると、沿線が途端に寂れだす。海沿いの砂浜を眺めつつ列車は進む。西戸崎は海の近くの小さな駅であった。駅前はガランとしており、利用客も少ない。それとも人気がないのは、休日だからだろうか。0kmポストの向こうにも錆ついたレールが草ムラに延びていた。

西戸崎から香椎に戻り、博多に戻る。結局、この2路線を潰して博多に戻ると、ちょうど集合時間であった。ホームにて某氏と合流する。

さて、博多南線である。乗り場は新幹線ホーム、線路は高架、車両は300系(全席自由席)、料金は特急料金、と、どうみても新幹線なのであるが、れっきとした在来線。博多南には新幹線の車両基地があるのだが、その地元からの「せっかくだから博多まで回送する列車に乗せろ」との声を受けて営業を開始した区間である。博多からも引き続き高架を走り、博多南まではおよそ10分である。博多南線の高架の隣に、使われていない高架が博多南駅の手前まで延びている。九州新幹線への接続予定高架なのだろうか。博多南駅は1面しかホームがなかった。新幹線車両の基地であるので、広い敷地には500系やら300系やらが並んでいる。その広い構内の一番北側のレールの北側にのみ取って付けたような短いホームがある(まさしくとってつけた駅なのだが)。ホームの奥行きも狭く、連絡通路もなく、ローカル線の無人駅のような雰囲気である。改札を抜けると、一応待合室のあるまだ新しい駅舎があるが、それも小さい。1000km以上向こうの東京まで繋がる新幹線の端の駅にしては、ずいぶんと控えめである。乗ってきた車両はしばらく到着ホームに鎮座して、再び博多、さらにそこからは新大阪まで再び旅立つ。博多南線は1時間に一往復程度の運転間隔である。折り返しの列車が出るまで駅前をぶらついたりして時間を潰す。相変わらず風は冷たい。折り返しの博多行きは結構込み合っていた。

【今回のメイン 博多南駅】


で、例によって、この10分足らずの乗車に使った費用、二人とも数万円である。日本経済に貢献しとるなあ。

その後、九州在住のリーダと合流し、天神で河豚や長浜ラーメンを喰う。3月に続き、リーダ宅にお邪魔する。


翌朝。事前の綿密な計画によると、リーダ宅を6:40に出発する予定だったのだが、寒い、眠い、もうどうでもいい、と三拍子揃ってしまい、ぐーぐー寝倒し、結局目が醒めたら、8:30。今後の予定は適当になんとかするとして、とりあえず某氏と二人でリーダ宅を後にする。やけに寒いと思ったら、雪だ。

今宿からとりあえず博多へ向かう。この時点で二人とも今日の予定は未定。JR全線制覇の次は3セクの旅を企画しているらしい某氏は、くま川鉄道がどうのこうのとブツブツつぶやいている。そうこうしているうちに、博多駅。改札の寸前まで来て、某氏は「やっぱ、青森に帰ります」と云い残して、さっさと地下鉄に引き返してしまった。放浪の予定は勢いと思い付きで変わるからのう。別れの挨拶もそこそこに、といってもどうせすぐにまた会うんだろうけど、別行動へ。今回は珍しく事前に綿密な計画を立ててあったので、時刻表を携帯していなかった。博多のみどりの窓口の片隅で今後の予定を即興ででっちあげる。当初の予定であった漆生線跡探索をキャンセルして、かわりに甘木鉄道を追加することにする。

まずは、鹿児島本線を南下する。適当に乗り込んだ有明は、甘木鉄道への分岐駅の基山を通過。鳥栖で降りて各駅で二駅戻って、基山。タッチの差で甘木鉄道の列車が出たばかりであった。あらら。JRの4番ホーム相当の場所に一面一線のこじんまりとした甘木鉄道のホームがある。30分後、単行の列車は基山を出るとすぐに鹿児島本線を離れ、東へ向かう。曇天模様の空の下、収穫を終えた田畑の中を列車はコトコト行く。終点、甘木までは25分ほど。途中の大刀洗にはかつて陸軍飛行場があって、そもそも甘木鉄道の前身、国鉄甘木線はその飛行場への物資を輸送するために敷設された鉄路なのであるが、今となっては沿線もそんなに賑わっているように見えない。さて、甘木から素直に甘木鉄道を基山まで戻ると、次の特急ゆふ3号に間に合わない。そこで、甘木からは西鉄で久留米を目指すことにする。西鉄甘木駅は甘木鉄道の甘木駅から200mほどの場所にある。どちらの甘木駅も駅独特の雰囲気に薄く、一見、駅のように見えず、少々戸惑ったりもした。

とは、云ったものの本当に間に合うのか知らん。西鉄甘木を12:05に出発した電車が西鉄久留米につくのは12:43。特急ふゆ3号は博多12:20発。特急は博多〜久留米を30分で駆け抜けたと思ったが、時刻表が手元にないので確認できない。多分おそらく何となくギリギリ間に合うハズ、と胸算用したのだけど、結構微妙なタイミング。この日の予定は特急ゆふが律速であり、この便を逃すとこれ以降の予定がすべてお流れになってしまうので、結構うろたえる。そのうろたえ振りに拍車をかけることに、西鉄久留米とJR久留米はとんでもなく離れているのであった。!?。西鉄久留米駅前で数秒凍る。

結局、ふゆ3号が久留米に到着するのは12:58、タクシーで西鉄久留米からJR久留米までは7分といったところ。久留米のホームで丸天うどんを手繰れるくらいの余裕でもってJR久留米に到着し、無事、乗車。

特急ゆふは久留米から久大本線に入る。1時間程で日田である。ここで乗り換え、日田彦山線に入る。うお、吹雪じゃ。

日田彦山線に入ると、じきにエラい勾配で上り、峠を目指す。4000mを越えるトンネルを抜けると彦山駅。交換待ちでしばらく留まるらしいので、ホームに出て飲物を買ったり。吹雪は止んだものの、みぞれ混じりの冷たい雨が落ちている。

田川後藤寺。後藤寺線、平成筑豊鉄道糸田線との乗り換え駅である。ここから後藤寺線を往復する。後藤寺線は駅をでるとすぐに西に離れて行くが、付近に建物が少ないため、分岐した日田彦山線の築堤がしばらく見え続ける。後藤寺の次の駅、船尾駅周辺は石灰石の採取場やセメント工場が立ち並んでいる、というより、セメント工場の中に迷い混んでしまったような駅。この路線の一部はこのセメント工場の有する産業セメント鉄道であったらしい。どの駅もかつての貨物ヤードの名残が無闇に広い空き地が残っている。下鴨生からは昭和61年廃止の漆生線が延びていたらしいが、確認できず。雪が降っていなければ、ここで降りて軽く探索をする予定だった。炭鉱の象徴、ボタ山が見える。やがて、新飯塚着。そのまま、同じ車両で折り返す。意外にも、2両編成の列車は乗車率ほぼ100%で新飯塚を後にしたのであった。かつて、このあたりには上山田線だの漆生線だの添田線だの油須原線だのなんだのかんだの路線が短いくせにほとんど列車の走らない路線が多く、乗り潰しには苦労したという。

再び田川後藤寺に戻ると、引続き日田彦山線に乗る。途中にある変わった名前の駅、採銅所。1200年前に宇佐神宮に奉納する神鏡を鋳造した銅を採取した場所の意、だとか。

その後、小倉、博多、福岡空港、羽田空港経由で浦安の部屋にたどり着いたのは、日付が変わってからであった。ふう。



薀蓄
※括弧内は現在の駅名。

篠栗線
吉塚〜桂川。25.1km。明治37年、九州鉄道が吉塚〜篠栗を開業。昭和43年、篠栗〜桂川の開業により全通。

香椎線
西戸崎〜宇美。25.4km。明治37年、博多湾鉄道が西戸崎〜須恵を開業。翌年、新原、宇美と部分開業を繰り返し全通。

博多南線
博多〜博多南。8.5km。昭和50年、新幹線の博多延伸をうけて回送線として開業。国鉄民営化後、那珂川町、福岡市、春日市の「新幹線回送列車有料乗車実現期成会」での検討を経て、平成2年旅客営業開始。

日田彦山線
城野〜夜明。68.7km。開業の経緯は非常にややこしい。これでも端折った説明。
1) 明治29年、豊州鉄道が伊田(田川伊田)〜後藤寺(田川後藤寺)を開業。
2) 明治32年、豊州鉄道が後藤寺〜川崎(豊前川崎)を開業。
3) 明治34年、豊州鉄道が九州鉄道に合併。
4) 明治36年、九州鉄道が川崎〜添田(西添田)を開業。
5) 明治40年、九州鉄道が国有化。
6) 昭和17年、添田〜彦山が開業。
7) 大正4年、小倉鉄道が東小倉〜上添田(添田)を開業(これは後藤寺を通らない。後の添田線(廃止)である)。
8) 昭和18年、小倉鉄道が国有化。
9) 昭和12年、夜明〜宝珠山が開業。
10) 昭和21年、宝珠山〜大行司が開業。
11) 昭和31年、彦山〜大行司が開業。城野〜夜明全通。
12) 昭和35年、線路名称変更により日田彦山線となる。

後藤寺線
新飯塚〜田川後藤寺。13.3km。明治30年、豊州鉄道が後藤寺〜起行(廃止)を開業。明治34年に九州鉄道に合併された後の明治35年、芳雄(新飯塚)〜山野(廃止)を開業。産業セメント鉄道が大正11年に起行〜船尾を、大正15年に船尾〜赤坂(下鴨生)を開業。

甘木鉄道
基山〜甘木。14.0km。国鉄甘木線。昭和14年開業。旧陸軍太刀洗飛行場への貨物輸送のための路線。なお、晩年の太刀洗飛行場は特攻隊基地として有名。戦時中は一日1万人以上の利用客があったという。現在、飛行場跡はビール工場になっている。昭和61年に廃止、第3セクタ化。

勝田線(廃止)
吉塚〜筑前勝田。13.8km。大正7年開業。石炭輸送と宇美八幡宮への参拝客を目的とした路線。昭和56年、廃止対象路線に。かつては大宰府天満宮への延伸計画もあったという。昭和60年廃止。

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