【放浪記Topへ】
放浪記
その無軌道な足跡の数々


1999.11.27 伊東線

伊東線。昭和10年に熱海〜網代、昭和13年に網代〜伊東が開業している。駅数6、距離16.9km。

この日はTOEIC職場団体受験で、麻布に召集(遅刻したけど)されていた。試験は昼頃には終わったので、JR東最後の心残りである伊東線を目指すことにする。

スーパーホリディパスを握り締めて、品川から湘南色の熱海行きに乗りこむ。18きっぷでの東海道本線を移動するときの定番列車でもあり、学生時代から散々乗っている。よって委細省略。

14:14熱海着。伊東線の伊豆急下田行きの普通列車はホーム地下の連絡通路を経由した1番線。なのはいいが、連絡時間1分は結構ツラい。ホームは観光客でごった返していて、改札前には長蛇の列。邪魔であることよ。もっとも、伊東線の列車は東海道下り列車からの連絡を想定しているらしく、ギリギリまで出発を粘って乗り換えの救済をしているようだ。あまり旅慣れているように見えないおばちゃん連中がドデドデと走り廻って椅子取りゲームのごとき座席確保をした挙句に連れが見当たらんとか泣きそうな顔をして大騒ぎしているのを尻目に列車は出発する。しばらく東海道本線と平走した伊東線はそのうちトンネルをくぐって南へと大きく進路を変える。たったの17kmたらずの路線、時間にして20分ほどである。たいしたことあるまい、と、さした期待もしないで外を眺めていたのだが、列車は海岸に近い高台を右へ左へと思いのほかダイナミックに走る。湾内が一望できたり、遠くに岬の突端が見えたりと、どこか懐かしいような風景が見える。海沿いに迫る山々はいまだ紅葉しきっていない。初冬の鈍い日差しにのたりのたりと光る海。思いのほか堪能。特に伊豆多賀のあたりの風景がいい。

14:37伊東着。JRはここまでで、この先は伊豆急行の線路となる。伊豆急の終点の地、伊豆急下田まではさらに50kmほどあり、そこまで行くと時間的に差し支えるので(この日の夜に都内で呑む約束をしていた)、伊東で居り返すべく下車する。なお、この瞬間、JR東7417.2km('99/11/27時点)完全乗車である。うっし、と誰も祝ってくれないので一人気炎を上げる。さて、温泉街として有名な伊東は、降りる客がむやみやたら多い。心底多い。都心部のラッシュアワーを思わせるほどの混雑の駅構内をようやく抜ければ、駅前には地元の旅館が上りを掲げて、泊り客の誘致に忙しい。おまけになぜか、サルまで居る。

【伊東駅】

【上の写真の「伊」の下あたりで猿回しが営業していた】


いわゆる観光名所には目もくれず、地元の人達が通っているような鄙びた温泉銭湯を見つけて、つかる。料金170円は今までの最安値。って、あちあち。なんでも伊東一古い温泉浴場だとか。その割に全然格式ばった所がない。本当にただの銭湯にしかみえない。まだ陽も高いのに、地元と思しき人達で結構にぎわっている。風呂上りにタラタラ歩いていると、近くの公園ではフリーマーケットなどやっているが、駅の混雑とは裏腹に閑散とした雰囲気。駅から少し離れたアーケードはシャッターのおりた店も多く、人もまばら。肉屋の店先に今しがた仕留めたばかりといった風体のイノシシが血抜きのためか無造作にだらりとぶら下がっていたりして、魂消る。


ということで、ようやくJR東、72線区7417.2kmをすべて乗り切ったわけであるが、一週間後の12/4に山形新幹線の延伸開業(山形〜新庄)するため、またもや未乗区間が出来てしまう。これに限らず、JR私鉄三セクまであわせて考えると、鉄道は常にどこかしらで路線や駅の廃止新設変更改良がされている。たとえば、国鉄のレールがもっとも長かった時期はたったの1ヶ月しかなかった。すべてを乗り潰しの更新は結構面倒な道楽であるのであるが、まあ、すきでしている苦労だから一向に構わんけどね。

【放浪記Topへ】