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放浪記
その無軌道な足跡の数々


1999.08.21 砂見物

8月6日夜。新宿のとある居酒屋で某氏との間でいつものプロトコルで会話がなされ、若桜に行くことになった。一瞬、若狭かと思ったがどっちにしろ近くは無い。

案の定、8月20日のムーンライトながらは一杯。まぁ、金が無い訳で無し、始発の新幹線でいいか、と鷹揚に構えていたつもりだったが、臨時大垣夜行があるなあ、と思ったら、体が勝手に動いて8月20日21時前には品川7番ホームの行列に並んでいたのであった。長年の習慣というやつか。列車が入線するころには後ろの行列はとぐろを巻いてどこが最後尾が分からないような状態。乗車してみれば通路にもびっしりと人が並ぶ混雑ぶり。久々の大垣鈍行はいまいち寝つけず、あまりすっきりせずに朝。

臨時列車の終点の大垣での米原行き列車への乗り換えダッシュに参加する元気はなかったので、岡崎で降りて、岡崎始発に乗り換えることにする。あまり知られていないが、18きっぷで大垣夜行を使って岡山以遠を目指す場合は、岡崎始発の列車に乗り換えた方が、後々の展開がラクになる。岡崎で乗り換えしない場合に比べて、姫路に15分遅れるが姫路〜岡山が1時間に1本なので、結局同じ列車になる。と、云う事を知って岡崎で降りた人間はそんなにいないようだった。

寝たり起きたり乗り換えたり、だらだらと10時過ぎに姫路。さて、久々の姫路である。ということで、久々に姫路の駅そばを喰う。姫路の駅そばは独特で、そば粉で打った黒い麺ではなく、カンスイでつないだ黄色い麺が出汁汁に入って仕出されるのだ。味は好みの分かれるところ。あれ、昔より旨くなってる。つーか、喰える。

岡山。このあたりは伯備だの姫新だの芸備だの未乗路線が多いので遠からず再訪すること必至。なお、岡山県内には一部の人間が思わず過剰反応を示してしまう駅名がいくつかあることで知られている。例えば清音駅などであるが。閑話休題。昼飯に冷やしぶっかけうどんを手繰ってホームに出れば、さっきまであれだけ暑かったのが、いつしか怪しげな雲行きである。曇天の空の下、津山行きに乗り換える

津山線に入ると間もなく大粒の雨がバタバタと窓を叩きだす。というより、ひどい大雨である。

青森から出張ってきている某氏もすでに岡山県に入って、最近開通した井原鉄道やらなにやらを堪能している筈で、お互い近くをうろうろしているのであるが、未だ遭遇せず。ま、若桜に集合、としか決めてなかったからなあ。その後、i-modeメイルが飛び交い、夕刻の郡家で互いの予定が交差する事が判明する。

津山線は典型的な山線。ときおり車両構造限界に紛れ込んだ成長激しい蔓草が列車に弾き飛ばされる音が聞こえる。かつては終点であった名残か、やけに広いヤードを持つ津山駅でホーム向かい側に待つ智頭行きに乗り換えれば、そこからは因美線である(正確には因美線は東津山から。津山〜東津山は姫新線であるが、元々は因美南線として開通した区間)。こちらも山線。津山線と因美線は併せて、智頭急行が出来るまで東京〜鳥取の最短ルートとして活躍した由緒ある中国地方の陰陽連絡線であった。その歴史的経緯のためか、他の路線なら無人でおかしくない小さな駅にも未だに駅員が配置されている。どの駅舎も古びて風格がある。ふりしきる雨の中、合羽に身を包み、過ぎる列車に敬礼する凛とした駅員さんの姿はやはり絵になる。智頭までは今日日珍しいタブレット閉塞である。豪快に走行中のタブレット授受を行っていた急行砂丘が廃止されたのが随分前の事のようにも思える。

しかし、因美線になってからやけにのんびりしているような。駅間距離とダイヤとを照らし合わせたら、平均してかろうじて時速30km。中には時速17kmなんて区間まである。

一時は雷を伴った雨もようやく小降りになってきた。

智頭。平成6年開通の智頭急行の終点駅でもある。1番ホームの隅に智頭急行の控えめな駅舎がある。智頭急行はほくほく線のように国鉄末期に作りかけだった未成線を高規格で作り直した路線で、最初から急行線として作られた訳ではなかった。工事は智頭側からすすめられたため、智頭付近は設備もそれほど新しくもない上、高速列車が走れるような高規格でもなくて、単なるローカル線が分岐しているようにしか見えない。

次の列車まで少々時間があったので、昨夜東京駅で改札を抜けてからおよそ20時間振りくらいに改札の外側に出る。この智頭から若桜鉄道の始点の郡家までは30分ほどの道行きである。

今回のメインイベント(なのか?)、若桜鉄道。昭和5年、国鉄若桜線として開業。昭和56年、第一次特定地方交通線に指定。昭和61年、若桜線特定地方交通線対策協議会にて第3セクタ化が決定。そして、昭和62年10月14日に第3セクタの若桜鉄道が誕生している。白糠線の廃止を皮切りに始まった第一次廃止対象路線の整理としては最後の転換路線であった。終点の若桜駅以外はすべて無人駅であるが、地元の子供たちが掃除をしているため、綺麗な駅として評判なのだそうだ。

郡家には連絡橋がない。ホームから路盤まで降りて線路を踏みしめて、改札へ向かう。・・・分岐駅のくせに駅前寂れとるのう。駅前をぶらぶらして見つけたゲーム屋に昔懐かしいゲームが定価でならべられていたりして目眩を誘う。

やがて薄暮の迫る時間になって、智頭急行から直通でやってきた各駅停車の列車が停まり、某氏が降りてきた。上郡で雨にざんざん降られたとか。そのうち、派手なイラストをほどこした若桜鉄道の車両がやってきた。ややこしいことに鳥取へ向かう上り列車と鳥取からやってきた下り列車がほぼ同時に島式ホームの両側に停まる。おまけに列車左側通行の原則を無視した並びで、まぎらわしいことこの上ない。あやうく目的と反対の列車にのるところであった。正しく乗り込んだ若桜行きの列車は鳥取からの直通列車のせいか、意外と混雑していた。第3セクタは、その昔、国鉄が採算が取れないとして切り捨てた路線であるからして、どこも閑古鳥が鳴いているようなイメージが強かったのだが。ところで、一駅目の八頭高校前は最近できた駅らしく、手持ちの資料に記述がなかった。

【若桜駅】


若桜鉄道はいわゆる盲腸線。終点まで行ったら、同じ経路を戻ってくるしかない。若桜の古びた駅舎を眺めて、この駅も二度と来ることもあるまい、と思った駅に限ってまた来たりするのだがそれはまあおいといて、先ほど乗ってきた車両でそのまま郡家に引き返す。そして今夜の宿のある鳥取へ。せっかくだから晩飯に鳥取名物でも喰うか、と息巻いたものの、梨しか思い付かなかったので、駅前の繁華街で適当に晩飯。


翌朝。昨日の雨の影響も無く、いい天気である。今日中に東京まで戻ればいい私はともかく、青森まで戻らなくてはならない某氏の(アテにならないこともある)綿密な計画に従い、6:30にホテルを出る。

駅前のバスターミナルから始発の砂丘に向かうバスに乗って、砂丘を目指す。バスはずーっとありきたりな市街地を走っているが、街を外れて小さな山のトンネルを超えると突然、広々とした砂地が目に入る。下車。まだ朝焼けも抜けきらぬ、7時過ぎである。軒を連ねている土産屋は当然ことごとく開店前。駐車場もガランとしている。朝一番だと砂丘が踏み荒されておらず、風紋が見れたりすると聞いていたのだが、ところが、この時間帯でも砂丘には結構人が歩いている。物好きが多いのう、とボヤく我々もその一部分。道路から砂地へと踏み入ると、朝っぱらだというのに砂が暑い。100mほど分け入るが、向うに見える砂丘が一向に近づかない。斜面を登っている人間の大きさからすると、結構な高さのようだ。が、所詮、砂は砂。ここも、向うの砂丘の天辺も然して変わるまい、と二人して日和る。そもそも、砂地は歩き難い。そこいらを適当にデジカメに納めるが、それも10分とせずに飽きる。じゃ、帰りますか。帰る。以上。

【日本最大の砂場 鳥取砂丘 暑い〜】



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