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放浪記
その無軌道な足跡の数々


1999.07.31 蒲原鉄道 および 幻の野岩羽

新潟県最後の私鉄である蒲原鉄道が廃止の決定を下してからずいぶん経つ。廃止は決定したものの、地元自治体との調整は難航しているそうだ。一説には3月だとも、GWだとも、9月だとも云われていたが、いまだ正式な廃止日は未定だという。そんな宙ぶらりんの状態の蒲原鉄道を再度訪れた。

蒲原鉄道。大正11年五泉〜村松開業。昭和5年村松〜加茂開業。昭和60年村松〜加茂17.7km廃止。五泉〜村松4.2kmは遠からず廃止予定。

いつもの如く、ムーンライトえちごで23:09の新宿を発つ。

新津下車。一つ手前の加茂で下車して、そのまま村松まで去年歩いた蒲原鉄道跡を逆に歩くと云うのも考えたが、今後の予定を考えて思い止まる。朝っぱらからそんなに馬力出んわ。しかし、梅雨明けの空が眩しい。今日も暑くなるな。ホームでのんびりと磐越西線の始発を待つ。ふわあ。

五泉。蒲原鉄道の車庫は村松にあるので、始発列車は村松から五泉の向きになる。去年訪れたときは10分ほとで始発がやってきて、その折り返しに乗ったのだけれど・・・。去年の暮れに廃止を睨んだおそらく最後となるダイヤ改正が行われたようだ。去年のった便は休日運休。列車がここにやってくるまでまだ1時間以上ある。試しに線路沿いを歩いてみることにする。なに、ほんの4.2kmだ。

五泉駅を出ると線路はすぐに大きく西に曲がる。線路は民家の隙間をすりぬけ、ほどなく県道に沿う。あとは終点村松駅まで一直線である。線路は道路の脇を農道のように這っている。ある辻の隅にコンクリートブロックがある。何かの建物の土台跡か、と思えばそれが今泉駅。片面のホームに小さな待合室があるだけの質素さ。駅なのに敷地が線路からほとんどはみ出していない。呆れたことにこの駅から終点のある村松駅のあたりが線路の消失点に霞んで見える。ほんとに真っ直ぐなのだ。

今泉駅から道沿いに真っ直ぐ進むこと3km。線路で区切られているため、道路のこちら側とあちら側の様子が結構違う。道路側には住宅や店舗が軒を連ねているが、反対側の線路の向こう側には青々とした田んぼばかりで建築物が少ない。確かに出入りするたびに踏み切りを越えるのは面倒だろう。途中、五泉に向かう始発列車とすれ違う。日曜だというのに学生を結構乗せている。やがて、村松駅に辿りつく。あたりまえだが去年のまんまである。唯一違うのは待合室に蒲原鉄道の写真パネルが展示されていることか。窓口では記念乗車券やらサボがなおざりに売られている。思わず、スジ表と通票のセットを買い求めてしまう。待合室では1時間後の次の列車を待つジイ様バア様たちが世間話に花を咲かせている。やっぱり鉄道が無くなるのは寂しいねえ、みたいなことが聞こえてくる。

【かつての高松駅】


【いまの高松駅跡付近 カーブの右側にホームの跡が見える】


再び五泉。このわずか8分の乗車が最後の乗車となるのだろうと思い、五泉駅の外れの小さな蒲原鉄道のホームを振り返る。20人ほどいた乗客はみなすぐにやってくる新潟行きに急いでいる。誰も振り返らない。

新潟から私鉄が消える。






明治の終わりごろ、日光の今市から会津若松を経て米沢に至る鉄道の計画が存在した。野岩羽構想である。現在の第3セクタの野岩鉄道、会津鉄道がその計画の忘れ形見である。今日、東武伊勢崎線、東武日光線、野岩鉄道、会津鉄道、JR只見線を介して浅草から会津若松まで一本に繋がっている。そしてかつてはそこから米沢を目指す鉄道があった。喜多方から熱塩までの日中線、11.2kmである。朝晩に一日3往復(6時、16時、18時・・・三江線並じゃ)しか列車が走らず、日中は走らぬ日中線と揶揄されてと云う。なお、日中とは終点熱塩からさらに北にある地名である。この日中を越えて米沢を目指す予定でありながら、その日中までの延伸を果たすこともなく、第一次廃止対象路線となり敢え無く廃止となっている。昭和59年3月31日のことである。同時期に東北地方で廃止された国鉄路線は10を超えるが、日中線以外は第3セクタや私鉄が営業を引き継いでおり、本当に無くなったのは日中線だけであった。

ラーメンと蔵の町、喜多方。駅前には客引きに余念のないラーメン屋の呼びこみと、菅笠をかぶった馬が馬車に繋がれて立っている。喜多方駅の西の外れに、すでに使われなくなって久しい草生した朽ちた0番線のホームがある。その傍らにはSLのための給水塔も錆び付いて残っている。そこからさらに西には道路を中途半端な角度で横切って新しい遊歩道がゆるいカーブを描いて伸びている。これが日中線跡である。

【日中線跡の遊歩道】


1時間に1本のみの熱塩温泉行きバスに乗りこみ、かつての終点の地、熱塩を目指す。日中線は喜多方駅付近は遊歩道に転用されているが、それ以外の場所はほとんど国道の拡幅に使われてその跡を追うのが難しいらしい。そんな中、終着駅の熱塩駅だけは駅舎が保存されていると云うからだ。バス路線は日中線の走った経路を大きく外れているため、バスからその跡を探すこともできそうにない。もともと少なかった乗客も市街地を抜けると居なくなり、喜多方市を抜けるころには貸切状態。いつしか眼前には深い山々が広がっている。

30分ほどで、熱塩駅記念館というバス停に着く。その名につられて降りてみる。バスが走り去ると、あたりからはセミの声しか聞こえてこない。絵に描いたような田舎の昼下がりである。こういったところで余所者は非常に目立つ。おまけにこちらは廃線跡を探索する、といったまだ世間にあまり認知されていない道楽を実践しようと来ているのだ。どうか怪しまれませんように、だ。

バス停の路地をちょっと見上げると、探すまでも無く熱塩駅があった。駅は道路から一段高くなった場所にあり、そこまでなだらかなスロープが続いている。駅のあたりはちょっとした林になっており、駅の雰囲気が茂市駅(山田線)に感じが似ている。駅に入る。狭い。奥行きが全然ない。入り口からすぐに木の柵があるだけの改札口、改札を抜けると数歩で片面1線のホームも終わる。左に見える待合室には何かの展示がされているが、施錠されていて覗けなかった。張り紙がしてあって、事前に**商店に申し出てください、とのこと。卯原内(湧網線)か。この駅の晩期の荒れ方は語り草になるほどだったというが、今は利用客も絶えて、きれいなものである。もちろん構内からレールやバラストは撤去されているが、ちょっと奥には除雪車と客車が屋根の下に静態保存されている。反対側のヤード跡はゲートボール場になっている。おりしも近所の人々が一勝負していたところであった。狭い駅構内の隅にはノートが置いてあって、訪れた人々の想いが綴られていた。ペラペラとめくってみれば、ほぼ毎日誰かしらがここに訪れているようだ。構内をひとしきりうろつき、在りし日の鉄道の雰囲気を感じた後は、近くの熱塩温泉で一汗流すことにする。すれ違いにバイクで駅にやってくるライダーが居た。

【熱塩駅】


【熱塩駅】


風呂で一汗流した後、再び熱塩駅周辺へと舞い戻る。レールが敷かれることはなかったが、熱塩から日中に向かう路盤も一部築かれたと聞いてたので、それを探してみる。道路と平行に一筋の農道が伸びている。おそらくこれだ。延長線上に熱塩駅のホームも重なる。見たところ、1キロくらい埃っぽい平坦な砂利道が真っ直ぐに伸びている。その先は山が構えている。聞けば、この延長上にはトンネルもあってちゃんと開通しているいう。尤もすでに自動車道に転用済みらしいが。熱塩駅を保存したためか、この駅周辺だけは線路跡は転用されずに農道などとして残っているというので、逆に喜多方方面へと少し辿ってみる。駅を出てすぐのところに錆びた踏み切りが所在無さげに立っている。警報機には、利用されていません、との注意書きがある。駅を出た線路跡は舗装されて遊歩道になっているが、すぐに川に突き当たり幾らなんでも列車は曲がれまいといった急カーブを経て、明後日の方向に伸びている。川辺は茂みで水面も見えない。仕方なく一旦道路に戻って川を越えて対岸を探すが、それらしい橋台の跡も見当たらず、結局線路跡は見出せなかった。それらしい小径はあったのだが。

【日中線 未成区間】


喜多方駅前で真夏だというのに喜多方ラーメンを喰って汗だくになる。温泉台無しである。

熱塩駅を起点に幻の野岩羽線を乗り継いでみる。
熱塩駅跡から喜多方へ。
喜多方から会津若松へ。
会津若松から会津田島へ。
会津田島から浅草へ(途中、上三依塩原で呆然とすること1時間)。


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