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放浪記
その無軌道な足跡の数々


1999.03.20 3月の旅 II

某氏:「じゃ、今度の三連休は宮崎空港集合ってことで」
ワシ:「ふぇい」
いつものプロトコルでなんとなく九州行きが決定したのは3月の初めのことだった。


木曜日。ところがその三連休前はちっとも仕事が捌けず、3/13に改正された時刻表を買い求める閑もなし。そんなわけで、九州行きの計画を立て始めたのは木曜日の深夜になってからであった。道中の予定はいつも通り動的計画法でなんとかするとして、とりあえず往復の足だけは事前に用意しとくか、なんといっても三連休だし、とANAのWebページで特割座席確保。さて、九州内をうろつくには周遊ゾーン券が妥当なところ。周遊ゾーン券を作るには片道はJRにしないといけない。朝一の700系のぞみで東京から博多まで、というのも捨てがたいが、これだと博多に着くのは昼過ぎで、これだとその日のうちに宮崎に届かない。なら、寝台だ、最近の寝台夜行は閑古鳥だから三連休前でも余裕だろう。とタカをくくって木曜日が終わる。


金曜日。あいにくの雨で。朝、プッシュホン照会ではやぶさのB寝台の空きを確認して、出社途中にみどりの窓口で申込書をやたら書かされてようやく切符を手に入れる。これで準備万端播但線。でも、はやぶさよりもう少し出発の遅いあさかぜにすべきだったかなあ、とも思ったが、終業時間からはやぶさの出発まで42分。職場から東京駅までは丸の内線で12分の道のりだ。よもや、遅れまい。

遅れた。夕刻に会議に呼ばれたとき、厭な予感はしたが。(以下私憤省略)

19:15。東京。さて、ブツブツ文句を云いながら東京駅に着いたはいいが、はやぶさは疾うの昔に出発してしまい、今ごろは静岡である。こう云うときこそTrainスキルの使いどころ。って、考えるまでもなく、途中まで新幹線で先回りすればいいだけの話だが。しかし、週末の東海道新幹線ホームは仕事帰りのスーツ姿やら気の早い行楽客やらでエラい混雑である。ネオンが霧雨に煙る。

22:00。名古屋。相変わらず駅舎のそこかしこが工事中で、相変わらずコンコースが狭い。雨は止んだようだ。新幹線は速いもので、追い抜いたはやぶさが到着するまでまだ小一時間ある。立喰いきしめんでも啜ろうと思ったが、店は閉店済み。こんなこともあろうかと、新幹線内で弁当を喰っていたので然して困らず。ていうか、まだ喰う気か。とかなんとか駅構内をうろついているうちにはやぶさ入線。編成長し。さて、私の寝台は、と・・・。うわ。向かいの上段はあられもない格好で高鼾の兄ちゃん。カーテンくらい閉めんかい。隣から聞こえる鼾にムカムカしながら、寝台を設えて明日の行動を練る。・・・(2時間経過)・・・。うーむ、はやぶさに乗った時点で翌日いくら頑張っても肥薩線と吉都線と宮崎空港線を一日で全部潰せんことが判明する。途方に暮れて、不貞寝。とほほ。


明けて土曜日。6:30。下松。能天気なPHS目覚ましの音に目覚める。向かいの寝台では依然エラい格好が高鼾である。無視する。本当は小郡で降りたかったのだがはやぶさは小郡に停車しない。のでその手前の徳山で下車して、ここからは新幹線で九州を目指す。ちなみに徳山〜博多も小郡〜博多も特急券は同額なので問題なし。なお、これは東京を出発して泊まらずに博多に朝に到着する方法である。徳山の新幹線ホームから外を眺めると、すぐそこに瀬戸内海がのぞける。雨は降っていないが、空は今にも泣き出しそうなどんよりした感じ。新幹線にのりこむと窓をぱたぱたと雨が叩き出した。あれ、厚狭っていつの間に開業したんだ?

8:25。博多。山陽新幹線完乗。ついでに博多南を往復したいところだが叶わず。肥薩線の吉松〜人吉はローカル線にはありがちなことに泣けるほど汽車が走っておらず、この区間にあわせて予定を組まざるを得ないのだ。そんなわけで、博多から吉松(正確にははやぶさから吉松まで)までスジは完全にユニーク。ホームで朝飯の饂飩を啜って腹を満たしたところで、熊本行き有明3号へ向かう。電光案内板の表示に惑わされる。有明3号と有明5号は同じホームから出発するのだが、そのホームの電光案内板には10時すぎ出発の有明5号が表示されている。へ?と首を傾げていたら有明3号がやってきた。どういう案内じゃ。しかし、いつ見てもJR九州の車両のセンスは秀逸である。原色系の鮮やかな塗装の車両が多く、眺めているだけで楽しい。特急有明も地方の特急には似合わないメタリックなボディの車両。変身でもして空なんか飛びそうな感じ。派手な外見に違わず内装もカラフルなシートで洒落ていて非常によろしい。これで速けりゃ最高なのだが(笑)。

10:20。熊本。小雨の中、駅前をちょっと歩く。うっかり熊本電鉄の路面電車に吸い込まれそうになる。熊本電鉄の末端の廃線区間もいつか歩いてやる。駅ビルの店をふらついてから入場する。なんかホームに取って付けたような団子屋があって失笑する。いや、商魂逞しいと称えるべきか。昼飯の駅弁に駅前のパン屋で特売していたのでつい買いすぎたパン(なんちゃらセールで1個20円だった)を抱えて急行えびのを待つ。いまや急行列車は全国的に絶滅寸前である。過去に愛用していた急行津軽も廃止されて久しい。尤も、追加料金なしで急行に乗れた周遊券が廃止されてしまった今となっては急行の存在意義はほとんど無くなったに等しいが。・・・急行という言葉には旅愁を感じる。都市間を遮二無二突っ走る特急、地元に密着してひたすらのんびりと走る普通列車、通勤通学のイメージが強い快速、にはそんな語感が感じられない。昔の花形列車でありながら特急になりきれない泥臭いイメージがそのように思わせるのだろうか。

【急行えびの3号 熊本〜宮崎】


11:00。熊本。青に統一されたえびの3号はほぼ満席で鹿児島本線を南下する。考えてみれば、鹿児島本線を昼間通るのは初めてである。以前九州にやってきた時は体力に任せて車中連泊で金を浮かしていて、ドリームつばめを宿代わりにしたので鹿児島本線は一応完乗済み。なのだが、夜に寝ながら通過しただけで乗ったと云えるのか。乗り潰しの公式ルールがある訳ではないので、ここらへんは個人の納得の問題である。ある区間が運休していてとりあえず代替バスで通過したものの納得できん、いつか列車で通過してやる、と鼻息を荒くしている人間もいれば、運休区間の線路の上を歩いて良しとする人間もいる。過去に聞いたことのある究極の拘りは「全駅で下車して改札の外に出る」である。ちなみにJRの駅はおよそ4600。エラいことだ。さて、八代を過ぎれば右手に球磨川がみえてくる。丁寧に車掌がアナウンスで知らせてくれる。鹿児島本線が左に分かれ、こちらの線路をオーバクロスして球磨川を橋で越えていくのを眺めつつ、肥薩線に入る。これは鹿児島本線が肥薩線の跡に出来た証拠で、事実肥薩線は元々八代〜国分(現隼人)〜鹿児島を結ぶ鹿児島本線として建設されたのである。肥薩線は球磨川の河岸をくねりながら上流を目指す。たまにある駅以外ではほとんど民家を見かけない。川の対岸に立派な道路(R219)が見えるが走っているのは長距離トラックのみといった感じ。しばらくすると肥薩線と国道は仲良く同時に川を越えて入れ替わり、やはりお互い川岸を走る。降りたら途方に暮れれそうな駅が続く。後で地図を調べたらやっぱり肥薩線と国道以外なにもない。誰が使うんじゃ、こんな駅。単線非電化路線なのでしょっちゅう交換待ちで、すっかり普通列車のような雰囲気である。

12:37。人吉。雨はあがり、たまに雲間から陽射しが差す。ひさしぶりに人里が見えたと思えば、人吉駅である。な。駅弁の立ち売りだ! てっきり絶滅したと思っていたが。数年前、日出谷で見て以来だ。早速弁当を、と思ったが熊本で買いこんだパンですでにたらふく。とりあえず写真でも撮っとく。ここから3セクのくま川鉄道がさらに球磨川沿いに山奥へ続くが、肥薩線はここから南に転回する。いよいよ県境の山越えが待つ。やがて列車は人吉を出ると、すぐに車窓から人気が途絶え、いきなり山山山が始まる。座っていても上り坂であるのが露骨に分かるほどの勾配を列車は駆け上がる。ディーゼルの唸りが激しい。

【駅弁の立ち売り 今となってはかなり珍しい光景】


12:52。大畑。トンネルを抜けてちょっと平坦な場所に出たと思えば、そこが大畑駅である。日本で最初に出来たスイッチバック駅であり、難読で有名な駅である。かつては有人駅だったというが、駅前には見事に何もない。見渡す限り何もない。進行方向の果てでは線路も無くなっている。スイッチバックの折り返し地点であるからだけど。ここは日本で唯一のスイッチバックとプール線の複合した区間でもある。スイッチバックもループ線も普通には列車が登れないような急勾配をなんとかして這い登るための苦肉の策であるのだが、そんなことをしなくても登れるようなルートを取る場合が殆どなので、どちらも日本には数えるほどしかない。なお、スイッチバックは階段のごとく葛折に進行方向を切り返して短い区間を往復して高度を稼ぐ方式。ループ線は円周上を登りながら一回転して戻ってきて高度を稼ぐ方式。今日、方向転換に時間がかかるスイッチバックは次々と姿を消している。福島〜山形の峠駅付近はかつてスイッチバックの駅が連続することで有名な場所だったが、山形新幹線開業時にすべて廃止されている。峠駅の力餅は健在らしいが。利便化とは切り捨てることか。

大畑駅で列車はしばし停車して方向転換に備える。またもや車掌から車窓アナウンスが入る。ここがループ線で有名な云々。アナウンスに踊らされてバタバタ走り回って写真を撮り出す人有り、黙然としている人も有り。肥薩線といったら大畑ループと相場が決まっているのに、予備知識無しの人が結構いたのには驚く。いや、寧ろそれが普通か。軽い衝撃があって、列車は後退を始める。先ほどやってきた人吉方面から大畑駅に向かうレールを右下に眺める。左手にはループへ連なるレールが円弧を描いて視界の外へ延びている。後退が終わる。ディーゼルの唸りが一際激しくなる。列車は勢いをつけてループ線に突入する。右下方で大畑駅が見えたと思う間もなくカーブの彼方に消える。ループ線の半径は300m。鉄道としてはとんでもない急カーブであるのだが、喘ぐように進む汽車は全く速度が上がらず、横Gはほとんどない。ループをぐるりとめぐり、三度アナウンス。大畑ループの最高点に達したとのこと。左手の枯草の藪の向こうに先ほど過ぎてきた大畑駅が見えるとのことだが、良く見えず。線路脇には大畑ループ最高地点を示す柱がポツリと立っている。

【大畑駅からループに向かう】


13:34。吉松。大畑の次の矢岳から始まる一駅毎に所在県が変わる珍しい並び(熊本→宮崎→鹿児島)の3つの駅の最後が吉松。えびのはここでさらにスイッチバックをして吉都線に入る。急行が走っているくらいだからしばらく廃止にはなるまい、とかいいながら実は国鉄再建法に引っかかった路線だって急行がバシバシ走っていたのだが、ともかく吉松で下車して隼人を目指し、肥薩線を潰すことにする。ここで1時間待ちである。30分待ちなら吉都線にも乗れたのになあ・・・と未練がましくえびのを見送る。駅前のSL公園、という立派な名前の空き地で呆ける。この駅は今でこそローカル線が分岐する小さな駅でしかないが、かつては鹿児島本線(現肥薩線)と日豊本線(現吉都線)の分岐駅として賑わったのだそうだ。このだだっ広い公園は機関区跡なのだそうだ。

【吉松駅のかつての機関区跡にて】


14:26。吉松。すでに線路は峠は越え、あたりは長閑な田園風景である。山がところどころ白っぽくなっていると思えば、梅。先週の函館と比べると、つくづく日本は南北に長い。途中、栗野で山野線跡を探すつもりが、うたた寝していて見逃す。まあいい、どうせ吉都線にまた来る。

15:17。隼人。そろそろ某氏と合流の手筈でも整えるか、などと考え事をしていたら、特急きりしまがやってきた。これで宮崎入りしても、次の特急で宮崎入りしてもあまり違いはないので、適当に見送る。これで1時間半待ち確定。放浪の旅ではよくあることだ。さて、駅前で時間を潰そうにも、これまた何もない。仕方なく駅前銀玉銀行に吸い込まれ、懐かしさに目眩を感じる。一体いつの台だあ。

16:47。隼人。きりしまに乗車する。国分を過ぎたあたりから車窓が一面黄色に染まる。菜の花だ。
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
かすかなるむぎぶえ
いちめんのなのはな

【きりしま】


都城って昔から高架だっけか。JR九州は高架化に熱心なことよ。

18:18。南宮崎。某氏より電話。「にちりんの4号車っす」

18:30。南宮崎。某氏をのせたにちりんが滑り込んできた。某氏との合流を果たし、お互い最南端の心残りを堪能する。所要時間わずかに4分。この4分のために二人とも数万の交通費を使っている。笑わば笑え。これがあ〜漢の生〜きる路♪(植木等)。

18:34。宮崎空港。浮間舟渡のような1面2線の弓なりにカーブしたホーム。狭い。ホームの端の改札を抜けるとすぐに階段で地上へ。狭い。二人してあちこち撮影して自己満足をする。あたりがそろそろ暮れてきたので、後から見たら写真は露出不足で真っ暗。さっぱりな。二人とも数分で飽きて、今晩の宿のある宮崎に引き返す。

【今回の放浪最遠点 宮崎空港駅にて】


ホテルは宮崎駅徒歩5分。ところが、宮崎駅前は県庁所在地とは思えん寂れ振り。なんじゃあ、と思ったが真の繁華街は駅からしばらく歩いたあたり。盛岡みたいだ。


明けて日曜日、6:01。宮崎。西に位置する宮崎の夜明けは遅い。東京ならとっくに明けているこの時間帯でもまだ薄暗い。にちりんで延岡を目指す。今日のスジは某氏に乗っかり。お、リニア実験線の跡だ。これも廃線か?

7:18。延岡。今日も天気はよくない。小雨模様。ここからは高千穂鉄道へ。これも3セク。高千穂鉄道の改札で、豪快な駅員に周遊ゾーン券を回収されそうになる。待てい。しかし九州は海岸線から一歩内陸に踏み込めばどこも山といった感じで、ご多分にもれず高千穂鉄道も見事な山線である。延岡を出て二駅も進めば、またもや川沿いを線路が走る。昨日の肥薩線みたいだ、と思えばそうでもない。肥薩線は川沿いだったが、高千穂線は渓谷沿いだ。線路の左は急激に川の水面に向けて落ち込んでいる。ある交換駅の停車時間に外を眺めると、線路の向かう先は結構な山々が聳えている。進むたびに山が深くなる。駅はみな岸壁にへばりついたような感じで、中にはいわゆる駅前がなくてホームの端から真下に階段が伸びている駅もある。ホームの背中は覆い被さるような急峻な崖がそそり立っている。進む。たまに山が途切れたと思えば、今度は呆れるくらい深い谷が口をあけている。谷を橋梁で越えるとまた山。東洋一高い鉄道橋をもつ路線だけのことはある、というより、よくこんな場所に鉄道を通したものだ。

【東洋一の高さを誇る高千穂橋梁より 水面までは実に105m】


8:58。高千穂。やがて終点の高千穂駅に到着する。谷間に無理やり押し込んだような駅で、駅前がやたら狭い。駅前の広場自体が擂り鉢の底のような感じである。駅前の階段を登るとようやく道路が現れ、そこが本当の駅前のような体裁で路線バスも通っている。さて、某氏による綿密な計画によるとここから高森まではバスで向かうのであるが、そのバスはバスターミナルから出ているようだ。で、どこがバスターミナルなのだ? たまたまやってきた路線バスの運転手に教えてもらって、そのバスに乗り込み、神懸り的な連携で発車寸前のバスになんとか滑り込む。この日の律速はこのバスであるので、あと1分高千穂駅に留まっていたら絶対バスターミナルを探し当てることも出来ず、間に合いもしなかったはずだ。駅からバスターミナルまでバスで数分かかった。次の高森行きバスは3時間後。

9:05。高千穂。しかし、あらためて見ると高千穂町は坂だらけだ。道路という道路がすべて坂道といった感じ。酔うぞ。ところで、国鉄の高千穂線は未成区間を持っている。高森線(現南阿蘇鉄道)との接続を目指し、結構な区間が完成していたという。未成線になった経緯が少々変わっている。高森近くでトンネルを掘っていた最中に地下水脈を切断、異常出水に見舞われた。毎分36tの出水だったという。50mプールが1時間で溢れる勢いであるが、問題は異常出水よりむしろ地下水脈の切断の方であった。その地下水脈は実は高森町の水源であったため、高森町の水源が枯れてしまったのだ。鉄道整備公団と高森町の間で裁判騒ぎになったと云う。当然、工事は凍結。そして時は流れて国鉄再建法。高森線、高千穂線ともに廃止対象路線に挙げられ、工事は再開されることなく、南九州の陰陽連絡線の夢は潰えたのであった。現在、未成線部分は公園になったり、打ち棄てられりしている。問題の出水のあったトンネルは名水なんとか公園として観光施設となって高森町の財源となっているとか。バスの走る道路の上の方にそれらしい跡がチラチラと見え隠れするような気がする。なんだか動輪があったような気もするし、橋脚のようなものがあったような気もするし、竣工碑があったような気もする。走るバスの窓からの一瞥ではどうにも。霞で視界も悪いし。ここも歩いてやるキュー行き。あたりは霞がかかって非常に幻想的な雰囲気。なのはいいが、景色が全然見えん。

10:15。高森。駅前にC12が静態保存されている。腕木信号付き。高森駅のホームで気がついたのだが、どんな辺鄙な駅でも必ず有ると思っていた駅名看板が見当たらない。はて? まあよい。さて、南阿蘇鉄道といったら、見るべきはこれだ。「南阿蘇水の生まれる里白水高原」駅、である。なんとも大人気無いネーミングであることよ。

【長い】


11:00。立野。三段スイッチバックのある九州一の難所といわれる場所でもある。豊肥本線は完乗したので、このスイッチバックも経験済みのはずだが、記憶に全く無い。さぞやよく寝ていたのだろう。ここで九州在住のリーダと合流。遅い朝飯を済まし、以降は専ら車で移動することになる。・・・5年前のことだ。リーダが仮免練習中、友人とともに私の会社まで迎えにきてそのまま幕張からはるばる成田空港まで、仮免練習中とかかれたダンボールをぶら下げた車でドライブした、と云うかさせられたことがある。もちろん成田の検問では揉めに揉めた(笑)。

14:30。由布院。車で阿蘇の外輪山を乗り越える。残念ながら阿蘇は全く見えず。温泉の街ゆふいんはリーダお勧めの鄙びた温泉宿の外湯へ連れていってもらう。お、露天風呂だ。道中ぱらついていた雨は辛うじてあがったものの、寒い。うー。大きな道路は車でびっしりで、交差点のすり抜けは車庫入れなみの難度という大盛況振りなのだが、ここは穴場なのか静かなものである。遠くからタタンタタンと汽車の音。風呂を済ますと、地ビールを求めてあちこちうろうろするが、結局探し当てられず、面倒になってなんとなくリーダ宅へ戻る。途中、なんとなく南由布駅へ。今年の18きっぷのポスターはこの辺りで撮影されたらしい。途中、12系客車がDD51の重連に牽かれているのを見かけて、私と某氏は大興奮。呆れるリーダ。こいつは絶滅危険種(おそらく遠からず絶滅するはず)だからなあ。乗っとくんだった。

夕刻。今宿。リーダ宅近くのダイエーは7:00〜25:00営業だとか。以前は5:00開店だったというから、まるで魚河岸の食堂だ。さすが、福岡。


さらに明けて月曜日。夜も明けやらぬ暗いうちに、某氏がゴソゴソやって出かける。唐津線を潰すとか。寝ぼけ眼で見送り、やがて私もゴソゴソやって出かける。恩にきますヨ、リーダ。

7:05。今宿。筑肥線はこれが始めて。最近複線化工事が行われているとかで、あちこちでガタガタやっている。やがて姪浜から地下へ潜って地下鉄1号線となる。今は姪浜で終わっている筑肥線であるが、昔は博多まで繋がっていた。地上の混雑緩和のために博多寄りの区間が地下鉄化された。路線は殆ど変更されず、地下鉄の路線の真上に旧筑肥線があったという。もちろんここも廃線。などということは東京に帰ってきてから気がついたこと。実際は、ぐう、と寝て起きたら福岡空港であった。

8:20。福岡空港。往路14時間が復路1時間半。

11:00。羽田。

11:40。春日。出社して金曜日の後始末。はあ。


大畑は「おこば」と読む。「おおはた」と読めば青森県下北交通の駅。


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