【放浪記Topへ】
放浪記
その無軌道な足跡の数々


1998.07.25 新潟交通 乗車および探索

新 宿 新 潟 東関屋 月 潟  燕  東三条 長 岡 水 上 渋 川 大 前 新前橋 上 野
2309 506
徒歩
640 720
徒歩
1205 1216
1225 1252
1341 1545
1555 1633
1703 1821
1837 2010
2047 2241

モータリゼーションに圧されて経営の苦しい新潟交通が廃止やむなし、の判断を下したのは6月初旬のことだった。

金曜日の晩は新宿で呑みがあった。時間ギリギリまで呑んでから、いつものごとくえちごに乗り込む。普段なら、ここで明日のプランを即興で組み立てるのだが、連日の疲れに酒が入ったものだから、どうにもならない。明日の予定を放ったらかしで、発車前に熟睡してしまう。ぐー。気が付いたら新潟県だった。さてどうするかな。

新潟交通。昭和8年県庁前〜燕開業。平成4年白山前〜東関屋2.6km廃止。平成5年月潟〜燕11.9km廃止。東関屋〜月潟21.6kmは現存するも平成11年廃止予定。

加茂駅を過ぎてから間もなく車窓からこの間歩いた蒲原鉄道の高架跡を見やる。寝起きの惚けた頭でぼーっとしているうちに新潟駅着。とにかく下車する。3月に来たときは真っ暗だったが、この時期、すでに夜は完全に明けている。空は雲一つ見えぬ抜けるような紺碧の青。午前5時にしてすでに汗ばむ熱気。蝉の声。焦げ付く日差し。今日は暑くなりそうだ。

まずは新潟交通の現存区間に乗るべく東関屋を目指す。新潟側の廃止区間はほんの数年前に廃止されたばかりだが、すでに再利用されているだろうということでノーチェック。鉄道廃線跡を歩くVでもこの区間にはあまり言及がない。まだ5時すぎということで、駅前は閑散としていてタクシーも見えず。廃止された白山前〜東関屋は2.6km。歩きなら30分と云うところか。初めての土地で地図なしなので、駅前の案内板をカメラに収めてそれを頼りにする。デジカメのディスプレイをのぞきつつ、適当に西に向かう。ところが一向に東関屋駅にたどり着かない。見えもしない。30分かかってようやく信濃川の河原へ降り立つ。上流はるかに越後線の鉄橋が見える。東関屋はその鉄橋のさらに向こう、ここから川沿いに2kmほど溯った場所にあるらしい。は? とここで気づいたのだが、白山前駅跡は新潟駅から2kmほどの場所にあったのだった。つまり新潟駅から東関屋駅まではおよそ4km。改めて地図をみると、越後線で2駅分以上あるではないかい。新潟交通の始発は6:17。こりゃ始発までは着かんわ。

信濃川の河岸は朝も早よから、ランニングだの犬の散歩だのボートだので結構な賑わい。まだ6時前なのに皆様お元気で。越後線をくぐりしばらく歩くと楔のような細長い駐車場に新潟交通のバスが止まっている。東関屋駅である。

【東関屋駅ターミナル】


【東関屋駅改札口】


駅舎は小奇麗な真新しい建物で、コンビニが併設されている。いずれは完全にバスターミナルとなるのだろう。以前はここから駅舎の前の道路に電車が出ていたのだろうが、その面影はない。知らなければ、そんなことには絶対気づかないだろうなあ。駅の周りをうろうろしているうちに始発の電車が出ていった。

始発が出てから15分もすると次の便だ。時刻表をよく見ると結構な周期でダイヤが組まれている。1時間に2ないし3本。それだけ需要があるなら大した物だ、と思っていたが、掲示板には7/27よりダイヤ変更のお知らせが貼ってある。それによると現行の半分程度に運転を間引くようだ。敗戦処理に入ったということなのだろう。隅には月潟〜燕の廃止に伴う株主優待乗車券の案内が煤けて残っていた。

【発車をまつ月潟行】


トコトコと単行の電車は月潟を目指す。乗り心地は素晴らしくひどい。南部縦貫線のレールバスといい勝負の揺れっぷり。座席で尻が跳ねる。線路は信濃川の支流である中口川の堤防の内側を右へ左へと大きくうねり場末のジェットコースターのような感じで伸びている。たまに曲がった先が全く見えないブラインドカーブもある。カーブで車体が振られる度に車両はミシミシと軋む。大丈夫かいな、とかなり本気で心配したくなる普請だ。ちなみに乗客は3人。そのうち2人は降りてしまった。あきれるほどこまめに駅に停まっていくが、誰も乗り込んでこない。結局途中からは貸切りになってしまった。停まる駅はどこも開業当時そのままの古びた木造の建物ばかり。例外は新興住宅地の住民の嘆願でつい去年出来たばかりのときめき駅くらい。去年できたばかりのこの駅も来年には廃止。恐ろしく短命な駅となりそうだ。ときめき駅は簡単なホームが片面あるだけの小さな駅である。まちがってもこの地に新潟交通のメモリアル記念館は建ちそうにない。残念(笑)。ちなみにときめき駅の1つ手前は寺地(てらじ)。ニヤリ。

【ときめき】


白根駅が実質的に現存区間の終端ターミナル駅のようだ。駅舎も立派で、ヤードも広く交換設備もある。本当の終点はこの隣の月潟なのだが、月潟駅は小さな無人駅。ホームは一応向かい合わせに2面あるものの、片面はすでにレールが撤去され使われていない。車両はここまで来ると10分ほど停車し、ほとんど無人もまま折り返していった。月潟駅前はかろうじて商店が1軒あるだけで、本当に何もない。ここにくらべれば様似駅前なんて大都会である。家々の合間から上越新幹線の高架が見える。

【月潟駅の外れにて 右側にはレールが無い】


この写真のすぐ後ろで線路は途切れていた。

【月潟駅の外れにて】


上着を脱ぎタンクトップ一丁になり歩く体勢を整えて、車止めを超えて歩き出す。しばらくは川沿いに堤防の内側を歩くことになる。廃止されてから間も無いことに加え、わざわざ堤防沿いの細長い土地を使わなくてもいくらでも土地が有るような長閑な土地柄か、枕木とレールがあればすぐにでも営業できそうなくらい路盤の状態が良い。近所の住民の青空駐車場や、物干し場や物置としては利用されているようだが、拡幅して道路に転用とか気合いの入った再利用はされていないようだった。まあ、堤防の上にちゃんとした道路があるのでそんな酔狂なことをする訳がないか。鉄道の遺物が現役さながらでほとんど無傷で残っている。おお、キロポストだ。ガーター橋じゃ、と初めのうちは喜んでカメラに収めていたが、キロホストは燕駅にいたるまでほぼすべてが現存、ガーター橋も全く撤去されておらず、そのうちカメラに収めるのが阿呆らしくなったほどである。

【月潟駅ちかくのキロポスト】


【六部駅跡ちかくのガーター橋】


月潟駅の隣の六部駅跡は住宅地に転用されていた。立ち並ぶ農協倉庫が駅前の名残をかすかにとどめている。さて、廃線跡なので当然誰も手入れをしない。夏である。六部駅をすぎたあたりから、路盤跡に下草がボウボウと生い茂り、ほとんど腰まで届くくらい繁茂している。最初はヤケクソで絡まる草を蹴散らしラッセルしつつ進んでいったのだが、そのうち全身草に埋もれて遭難しかけたので素直に堤防を這い上がり、堤防の上の舗装された道路を歩くことにした。緩やかに蛇行する川に併せ、堤防と廃線跡もゆるやかに曲がる。しかし車走っとらんのう。小一時間ほど歩き、久しぶりに商店があると思ったら、そこが新飯田駅跡。ホームは埋めもどされ雑草が蔓延り自然に還りつつある。

【雑草に埋もれる新飯田駅跡のホーム】


新飯田駅跡を過ぎると廃線は堤防を離れ、西に曲がる。バラストの残る砂利道がここから実に4kmも真っ直ぐ西に伸びている。はるか、2kmほど向こうに新幹線の高架をアンダークロスしているのが見えるのみで、あたりには民家は全く見えない。私の実家の裏手の奥羽本線もこんな感じだなあ、とか思いながら歩く。用水路に架かる橋はすべて健在。上越新幹線の高架下をくぐる。高架の下っ腹に架線をささえた碍子が見える。なぜかこのあたりから架線柱がポツリポツリと、もちろん電線はすべて断ち切られているものの、現役そのままの風体で放置されている。鉄道廃線後を歩くVには、1本だけポツリと残っているような書かれ方をしているが、これも一々撮影するのが面倒なくらい、ここから2kmほどの間に20本ほど残っている。廃線区間に残されたこれらの架線柱はすべてコンクリート柱。一方現役区間である東関屋〜月潟の架線柱はすべて木柱でかなりガタがきていて傾いでいた。後から開業したが不採算で廃止になったため廃線区間の方が設備がちゃんとしていることになるのは、未成線や国鉄再建法で廃線になった路線ではおなじみの話だ。

【なぜか残る架線柱 上越新幹線の高架下より燕方面を望む】


上越新幹線をくぐると、今度は上越自動車道。新潟から燕までのんびりと1時間もかかっていたこの路線に引導を渡したのはこの新幹線とこの高速道路であると思うと皮肉なものだ。どちらも新潟〜燕を30分ほどでつないでしまう。レールが残っている橋を見つけて、おお、と喜んでカメラにおさめたが、このあとの区間にはやっぱりレールの残る橋がゴロゴロしているのであった。踏切跡にいたっては、踏切の線路と道路の交差部分を枕木ごと引っぺがして、無造作に廃線跡に積み上げてあるだけ。おおらかな事後処理だ。さたに進むと今度は倒壊した信号機がこれまた無造作に朽ちている。きわめておおらかな事後処理である。

【レールつきの橋】 【朽ちつつある信号機】

しかし暑い。なんか体がジャリジャリすると思ったら、汗がかわいて塩となっている。黒いシャツはまだらに灰色に染まっている。道すがら駅の跡では、というより駅の跡以外には商店も自販機もないから買い求めることが出来ないのだが、350mlのジュースを1本づつ飲んでいる。貨物用のホームの残る今回の踏破区間最大の跡地を晒す灰方駅跡で本日6本目のジュースである。ふと気が付くと今日はまだトイレにいっていない。つまり2l以上の水分はすべて汗となって流れたことになる。ぶふー。灰方駅の跡地の広さと裏腹に元駅前はひっそりとしている。近くの学校の部活の声がかすかに聞こえるのみ。ここから廃線は大きく左にカーブし、3kmほどの半円を描いて弥彦線に合流する。あたりは相変らず昭和40年代を思わせるようなのんびりとした田園風景である。

【雑草に埋もれる灰方駅跡のホーム】


たまに忘れられたように佇む架線柱。鉄錆に赤茶けたバラスト。無造作に外され雨曝しになっている踏切の跡・・・。いつしか廃線は民家の裏手をすりぬけるようにして走っていた。終点の地、燕市街地だ。道路の脇の細長い空き地は突然ぷっつりと途絶え、道路の向こうに細い小路となって現れた。一応転用されたようだ。この小径も100m足らずで弥彦線ぞいの金網にぶつかり唐突に終わる。そこから弥彦線に寄り沿い、燕駅を目指していたのだろう。単線の弥彦線の隣に使われなくなった空き地が伸びている。頭上の架線も1本しか張られていない。燕駅の傍らの鉄橋から燕駅を眺めると、南側に呆れるくらい広大な空き地が残っている。貨物のヤードであったのだろう。燕駅前の案内板には色褪せた新潟交通線の線路のマークがまだ残っていた。

【燕市内にて 道路に転用済みの線路跡】


燕駅に着く頃には息も絶え絶えで、ほくほく線でも乗ろうかと思っていたのだけど、素直に帰ることにした。が、新清水トンネルのあたりで体力が回復したので、ちょいと吾妻線に寄り道したのであった。しかし、大前駅も月潟駅に負けずに何もない駅であった。

【おまけ 大前駅】



【放浪記Topへ】