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放浪記
その無軌道な足跡の数々


1998.01.04 弘南鉄道黒石線

今年は元日から車両故障で不穏なこまち。盆正月の帰省シーズンの混雑はものすごい。始発駅の秋田駅以外では乗れるか乗れないかといった朝の総武線のような様相を呈している。いまだ上りのこまちには座れたことがなく(いつも混んでてデッキより奥に行けない)、いつも盛岡でやまびこにのりかえているので、上りに関してはたざわとあまり変わらなかったりする。そんな殺気だった新幹線を敬遠して今回はぶらぶらのんびり帰京しよう、ということで秋田から青森経由で上野を目指す。しかし本当の目的は黒石線。

黒石線。黒石〜前田屋敷〜川部、6.6km。第一次廃止対象路線。1984.10.31廃止。私鉄、弘南鉄道へ経営移管されるが、1998.04をもって廃止予定。


途中、矢立峠で奥羽本線旧線道床跡が雪に埋もれているのに車中からはっきりと認識できた。いつか歩いてやる。

弘前でいなほを降り、駅舎から一番遠いホームに向かう。弘南鉄道、弘南線である。いかにも地方のローカル線であるが、市と市をつなぐ鉄道だけあって運転本数が多い。30分間隔は少なくても羽後交通バス横手線より多い。ともかく、ロングの座席がちょうど埋まるくらいの混雑で弘前を発つ。

その日は雪。今年は雪が少ないのだけど、それでも弘前のあたりまでくるとあたりは一面銀世界である。北国における鉄道への信頼度は篤い。雪でバスが遅れるなんていつものことだが、雪で列車が運休となると、これは本当の大雪だ、と思うほどである。高校時代を雪深い横手で過ごしたが、列車が雪で運休になったことはなかったが。

尻が燃えそうな暖房にもめげずにウトウトしていたら、黒石到着。

【黒石駅にて 左が弘南線 右が黒石線】


黒石駅は駅舎から垂直にホームが櫛形に伸びている。駅の構造としては青森駅のような複数の路線が合流して終わる末端駅である。青森駅は背後が海なので末端でいいが、黒石駅のような内陸部の駅でこのような構造になっているということは、黒石駅のむこうに延伸する予定がなかったということだろう。海に向かって伸びる盲腸線はともかく、内陸にむかって伸びる盲腸線は山脈を貫いたむこうにある街を目指して計画され、そして敷設半ばに力尽きた路線が多い(たとえば岩泉線、由利高原鉄道、名松線、越美北線、可部線など)と思っていたのでちょっと意外だった。

北国特有の「発車間際まで入場できない」により待合室をうろうろする。

折り返し、今度は黒石線で奥羽本線に戻る。黒石線のホームは弘南線のすぐとなり。乗り込んで車両の荒れぶりに驚いた。車両自体が弘南線より古く、それに加えてそこらへん中落書きの傷だらけ。私が陣取ったボックスに至っては割れた窓をアルミテープで補修してある始末。時間帯のせいもあろうが、弘南線に比べ乗客数はかなり少ない。

列車は寒風吹き荒む中を黙々と進む。あたりは住宅も少なく、おそらく田圃のどまんなかを突っ切っている。道路は弘南線の方に消えていく。途中駅が1つしかないが、利用客はなかった。駅といいながら実態は無人の停車場。降りても付近にはなにもないように見える。唯一の途中駅をでるとすぐに奥羽本線にならびしばらく並走する。川部駅だ。

【川部駅にて】


川部駅は五能線の列車を待つ人で賑わっていたが、黒石線に乗り込む人間はほどんと見当たらない。しばらく停車していたキハ21はほとんど無人のまま黒石に折り返したようだ。

人気のない川部駅のこのホームも廃止の日には別れを惜しむ人間でごった返すのだろうか。

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