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放浪記
その無軌道な足跡の数々


1997.08.30 JR東西線 他
沼田氏より電話。
沼:「今度の週末、JR東西線乗りに行かんスか」
粟:「じゃあ、金曜の21:00に品川で待ち合わせってコトで」(原文のまま)
と二つ返事で、意味も無く西を目指す二人となるハズであったが・・・。
8月29日再び沼田氏より電話。
「思いっきり風邪引きました。大垣夜行乗れる状態じゃないッス」ってアンタ。

大垣夜行で座るには最低2時間前には並ぶべし、と云うのは私の近傍一名における常識である。途中の大量下車の望めない大垣夜行に始発で座れなければエラいことになり翌日は放浪どころでなくなるからだ。そんな訳で品川駅で2時間ほどボーッとして過ごす。義理堅いことに沼田氏はホームまで見送りにきてくれた。が、よく見れば見慣れたいつもの放浪時のいでたち。体調がよくなったらうっかりそのまま大垣に行ける体勢だ。さすが、漢である。結局、体調は復活せず自宅に帰ったけど。

列車が入線すると進行方向窓側の座席を確保。ボックスの残り3席には3人グループが陣取った、と思ったらすぐに連れ立って何か買いにいってしまった。車内は大変な混雑で、通路にも人が一杯。ボックスにただ一人残された私はしばらく「ここ空いてますか?」攻撃に悩まされたのであった。

翌朝。名古屋で乗り換え、近鉄大阪線で大阪を目指すことにする。名張〜松阪となるはずの名松線が名張まで延伸できなかったのは近鉄のこの路線との競合をさけるためと聞いていたので、どんな路線なのか気になっていたのだ。結構山深いところを走る路線で、なかなか。

適当に桜井で降りて、駅前をぶらぶらして朝飯を買って桜井のホームでパクつく。その後、桜井線、和歌山線とまわって和歌山へ。桜井線を中途半端に乗り残すが、今後の理由になるとか訳の分からん理屈をつけてあきらめる。五条駅付近に有る筈の五新線(未成線)の分岐点を車内から探すが良く分からず。やっぱり降りないと駄目かな。和歌山にいったついでに、和歌山市まで足を伸ばす。そういえば、この先の加太から四国へ新幹線を渡すなんて豪快な計画もあったなぁ。ついでに東羽衣、JR難波へ。枝線をそのまま折り返すのが癪なので、心斎橋まで歩いて地下鉄で京橋を目指す。たまたま長堀鶴見緑地線が延長開業した日だったらしく、あちこち賑やかである。

今回のメインのJR東西線へ。JRでJRがつく路線はここしかないが、帝都高速度営団東西線に遠慮したのかね。札幌の地下にだって東西線はあるが。で、肝心の車窓であるが、いきなり地下に潜って尼崎まで潜りっぱなし。京葉線の東京付近みたいだ。詰まらん。とはいえ混雑する大阪駅でよっこいしょ、と乗り換えしなくても東海道本線に出れるのはラクではある。尼崎まで行ったついでに兵庫まで行く。山陽本線最後の未乗部分の和田岬を目指す。

兵庫駅では和田岬行きのホームまで結構歩かされる。どこにも接続していないレールが高架から一段下がったところにひっそりとある。

【兵庫駅にて】


和田岬支線はホームを離れて大きくカーブしたかと思えばもう到着といった感じの短い区間だ。私が乗った土曜の夕方は車内はガラガラ。典型的なローカル線の枝線かと思えば、平日の和田岬駅は一日1万人が利用しているらしい。一ノ関とかのちょっとマイナーな新幹線駅並だ。見かけにはよらんものだ。

大垣でいつものごとく東京行きに乗り込む。大垣から戻ってくるといつも思うのだが、東京の東西線は始発が遅くて困る。いつも東京で1時間も潰さなきゃならん。いつもなら山手線一周するんだけど、なぜか血迷って奥多摩を目指してしまう。我ながら何を考えたのさっぱり分からん。おそらく寝惚けていたんだろう。

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