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放浪記
その無軌道な足跡の数々


1997.08.12(および03.29) 羽後交通横荘線跡

高校時代3年間通った横手にかつては私鉄があった。その会社は高校時代通学に利用していたバスの羽後交通。鉄道やってたなんて最近まで知らなかった。その路線は母の実家の近くを走っており、母は乗ったことがあるとか。盆に帰省したついでに出掛けてみた。

羽後交通横荘線。横手と本荘をつなぐ計画で大正7年間から昭和5年までかけて横手〜老方が開通。が、資金難から昭和12年全通計画が頓挫。本荘側は国鉄矢島線を経て由利高原鉄道として残るが、横手側は部分廃止を繰り返し、昭和46年についに全廃となる。車両は同社の雄勝線に編入されるが、こちらも間もなく廃線となり、以後羽後交通は純然たるバス会社となる。

横手盆地は水田地帯である。横手駅付近の鉄道の遺構は区画整理のためほとんど水田に消えていた。対照的に老方側は廃止が早かったこともあって、軌道跡は県道に転用されている。終点の老方駅跡は東由利町役場となっているらしい。そんな訳で終点側の老方駅跡を目指すことにする。

実は3月末にも横荘線跡を訪ねている。そのときは苦労した。地図として「鉄道廃線跡を歩くII」のp35のみと云う状態だったので、目眩がするほど迷った。道路標識に振り回されつつ、50kmほど余計に走ってようやく東由利町役場に到着。ところが老方駅付近だけは区画整理で線路跡が消えていて、また迷う。結局、東由利町役場に泣き付き、役場の方に丁寧に教えてもらい、地図までもらって、やっと線路跡の県道に辿り着いた。

【道路が横荘線線路跡】


【東由利町と大森町の境界のトンネルにて 愚弟よ邪魔だ】


この県道は東由利町役場から約7kmほど、いかにも単線跡らしい切通しや突堤やトンネルとともに伸びているが、付近に民家はほとんどない。こんな山深い土地に終点をもつ鉄道はいずれ消える運命だったのかもしれない。本荘まで全通していれば、あるいは・・・とか云い出すと川島令三みたいなので止める。

3月末のときは除雪していないため(トンネルの写真の手前は雪だらけだった)行けなかった区間があったので今回はそこらへんを目指す。行って除雪されない訳を納得。単なる山道だ。しかし雪で冬期通行止めになるような区間をよく営業運転していられたものだ。除雪代が馬鹿にならないはずだ。このあたりはかなりの豪雪地帯である。

【単なる山道】


3kmほど進んで平地にたどり着けば、路盤跡は森へと消えている。仕方なく森を迂回すれば、そこはバイパス工事の最中でどこがどこやら。とにかく探す。どうも昭和20年代に廃止された区間は線形が悪いのか、終点付近以外は舗装道路への転用もされなかったらしい。立派なバイパスを何度も横切って、かつてSLが走ったとは思えない小道を辿る。平野部まで進むと、線路跡は拡幅されてバイパスと化している。それも雄物川付近で分からなくなる。川を越えればその向こうは区画整理された水田が広がる。かつてここに鉄道があったなんて夢のようだ。

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