【放浪記Topへ】
放浪記
その無軌道な足跡の数々


1997.05.03 三江線 その他

日本は山国である。山を迂回して行き来するのは大変な時間のロスであり、出来ることなら山を乗り越えたり、くり貫いたりして最短経路を作りたいというのはごく自然な発想だ。そんな訳で各地の山脈には必ずといっていいほどその山を貫く線路がある。広島県三次市と島根県江津市をむすぶ三江線もその一つ。つい20年ほど前に全通した新しい路線で路盤は特急が走れるほどの規格でありながら、いまだ優等列車は走ったことはなく、車に客をとられ中国陰陽連絡路としての本来の機能をはたせずにいる。早い話、すんげー赤字路線でいつ潰れてもおかしくない路線と云える。もちろん根拠のない私的な所感であるが。

いつものごとく、沼田氏からお誘い。と云うか、酔った勢いでGWに三江線を目指すことに合意。なんでそうなったかはよく分からないが、お互い漢度が高いため、そういった些細なことにはこだわらないのである。

5/3。何も考えずにとりあえず、新幹線で西を目指す。三江線はあきれるくらい列車が走っておらず、直通列車は1日わずかに3往復しかない。路線の中間あたりの駅は朝9時に列車が出てしまうと、7時間上下とも列車が全くこない。直通の列車に乗るためには始発駅の三次に朝一番に居る必要があるので、三次に泊まることにする。ローカル線での放浪は手詰まりになることがあるから、さすがにそれぐらいは考える。宿を取った後、晩飯を喰おうとしたら、三次市内の店が軒並み休業で閉口する。おまけにやっと入った呑み屋では高卒社会人が無茶な呑み方をしてゲロゲロやっていたりしていてさらに閉口する。

翌朝早朝、三次駅へ。曇天模様に朝早いのもあって靄が出ていて少々肌寒い。長距離バスが三次駅に横付けされる。見れば東京からの夜行バス。何、と色めきたってデカい時刻表をひっぱりだす男約2名。んー、東京〜広島の夜行バスって三次を経由するのか。それもちょうど始発に連絡する時間に。三江線の始発列車に意外な接続があることを見落としていて悔しがる男約2名。

【一日三便しかない江津行き】


とにかく乗る。GWの最中の始発列車だけあって他に乗客はいない。列車は空しく無人のホームにすべりこみ、誰も乗せず降ろさず進む。典型的なローカルな山線なのだが、トンネルや橋梁がしっかりしていて、ほとんど揺れることもなく、乗り心地は悪くない。国鉄末期になってようやく手がつけられたローカル線ほど設備が立派だというローカル線のジレンマを体現している。途中から線路は江津川を何回も真新しい鉄橋でまたいで、河岸を走る。そのうち、雲も晴れて日が照ってきた。連休だというのに部活だろうか、たまに中学生が乗ってきては、降りていく。

そろそろ二人で今後の身の振り方を考えるとする。この時点ではどこで昼飯を食うかも未定。なんとなく西を目指そう程度の共通認識しかなかったりする。どうしても江津と浜田の接続が悪くて、その後の乗り継ぎがうまく行かない。単行のキハ120の車内で時刻表と格闘すること、30分あまり。寝台特急出雲を使うと結構スマートに西に向かえることが判明したので、そうする。江津から浜田までの1駅だけ出雲に乗車する。大型連休真っ最中だと云うのに寝台は使われた痕跡が少ない。やっぱり、今時寝台なんて流行らないのか。以下、動的計画法で西へ西へと向かい、昼すぎに幡生まで到達する。勢いあまった二人はそのまま九州をめざすことにした。

今回の放浪に利用したのは山陰ワイド周遊券。乗車経路に山陰本線、山陽本線が含まれているので、追加料金なしで幡生を経由できる(帰りの経路を山陰本線の長門市〜幡生と山陽本線の幡生〜神戸とする)。そんなわけで幡生で途中下車。単なる周遊地からの復路での途中下車だったのだが・・・。
「乗り越しになります」とか幡生の駅員が寝言を云い出す。
「はぁ?」JTBの時刻表を取り出し、あーだこーだと押し問答20分。未だ納得しきれていない若い駅員をなんとか説き伏せ、晴れて途中下車をする。憮然とする駅員だが、なぜに客が職員に周遊券の説明をせにゃぁならんのだあ、とこちらのストレスも最高潮である。本当は幡生で博多までの乗車券を買って、再入場する予定だったが、幡生からすぐにでも離れたい気分だったので、駅前でタクシーを捕まえて下関を目指す。いや、因縁の下関人道(1993.3.17未明に下関人道を歩こうとするも、人道が夜間閉鎖だと知らなかったため未踏破)を目指す。

幡生で足止めを食らったせいで、接続が美しいのだけが取り柄の予定が狂いそうになる。予定完遂のためには門司港に15:45につく必要があった。下関人道入り口到着が15:00。人道が全長1.5km、門司側出口から門司港駅まで推定2km。おまけに門司港駅までの道を二人とも正確にはしらない。いやはや、なんともエラいシチュエーションになったものだ、と笑えたのはなんとか門司港で電車に飛び乗ってからの話であった。

【エレベータ待ちの時間に撮影】


しかし、追いつめられれば、って予定を崩せばいいだけだが、そこはそれ、道楽の世界なのでそんな安易な解決策は眼中になかったが、なんとかなるもので、路線バスの停留所の看板から地理情報を仕入れつつ、なんとか定刻までに門司港に駆け込む。それもこれも幡生の駅員が悪い(これから道中都合が悪いことはすべて幡生の駅員のせいとされた)。

【撮影者は息も絶え絶え】


折尾で筑豊線に乗り換える。かつて20以上の支線をもっていた筑豊線もいまや単線のローカル線となり凋落著しい。複線の線路跡は片面を剥がされている。以前は複線をささえていた古めかしい石積みの橋脚はアンバランスな外見で単線をささえている。暮れつつある日差しの中、なにか廃線跡のような雰囲気を醸し出している。しかし、どの駅もヤードがやたら広い。おそらく石炭山盛りの貨物で溢れていたのだろう。道中、直方で久しぶりに50系客車を見かけた。斜陽の路線にお似合いかも知れない。

【直方駅にて】


原田を経由して博多へ。どんたくでエラく混雑しているが、ムーンライトはスカスカだった。この日は車中泊。

大阪まで戻った勢いで何故か今度は関空をめざす。もちろん飛行機に用はない。放浪の旅において、往復にいくらかかるとかそういった細かいことを気にしてはいけないのだ。

【関西空港駅にて】


実はこの旅行自体意味がないのだが、意味もなく関空を往復して、ジェットコースターのような関空への橋を堪能して、ようやく帰路につく。聞けば、GW中、秋田新幹線は乗車率200%とかスゴいことになっていたらしいが、さしたるラッシュにも遭わず、放浪は終わった。東京で別れた沼田氏が渋谷のコミックセンターで長谷川某のサイン会に参加して、ええわ〜と叫んでいたなんてのは、また別の話。

【放浪記Topへ】