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放浪記
その無軌道な足跡の数々


1993.01.17 放浪、北へ

承前

From: Shinkou Awatsu <awa@aso.ecei.tohoku.ac.jp>
Message-Id: <9301141703.AA29523@chameleon.aso.ecei.tohoku.ac.jp>
X-Original-To: kippu18@taiko.jaist-east.ac.jp
Subject: HouRou
X-Mailinglist-Id: 356

18きっぷ期限切れを目前に、余ったきっぷの処理のため、みなさん北へ南へと奔走しているようですね。かく云う私も、この間の只見線オフミの日に18きっぷを5枚買ったので、まだ3枚もあったりするので、日夜研究もせんと時刻表を眺めております。

結局、今回は、函館の夜景観賞 & いかめし、ついでに札幌(でなくてもいいけど)の観光、というところになりそうです。快速ミッドナイトの利用は必至なので、それにあわせた予定を組めばいいのですが、結構選択肢が多く、いまだ日程は確定しておりません。函館−仙台は簡単なんだけどね。ま、いざとなれば、いつもどおり、とりあえず出発して、電車の中で次の予定を組む(通称 動的計画法)つもりだけど※1。
※1 この頃は律義に出発前に予定を組んでいたらしい。
(後略)


背景
例の只見線オフミ(1/10)の日に18きっぷを5枚買ってしまったため、3枚も残っていた。かといってまたホテル大垣夜行(今年すでに上下とも利用済み)使って中部地方にいくのも芸がないなぁ。てなわけで、よし、北海道だ!と決心してミッドナイトの指定を取ったのが釧路沖地震の僅か2時間前。間の悪いはなしである。えぇーい、買っちまったもんはしょうがない、行くぞ。


本題
18日。いきなり寝坊。日程変更が出来ないので、イカん!と半ばパニックにおちいりながら、荷物を袋に放りこみ仙台駅に走る。なんとか655の一ノ関行に間にあう。車中意識不明で一ノ関、体感時間にして5分足らず。便利な体質である。朝飯がわりに蕎麦をすする。毎度のことながら、一ノ関の立ち喰い蕎麦はマズい。で、赤い客車※2に揺られて、気がつけば盛岡である。ちょうど、冬型の気圧配置がなんちゃらしていた時期だったので、天気がいい割に結構冷える。一ノ関の口直しにまた蕎麦を喰う。さて、花輪線が東北本線からそれていくのを眺めながら、車両は青森を目指す。岩手山が綺麗である。燃えそうなシートにも敗けず、何度か意識不明になったのち青森。さらに、今時珍しいやんきぃな高校生がデッキにたむろする海峡に乗り込む。買物帰りのおばちゃんがぞろぞろ乗ってくるため、自由席はほぼ満席。さすがは某管理人の故郷、侮れん。とか思ってたら蟹田でいきなり空いた。いつしか日のとっぷり暮れ、青函トンネルにいつ入ったが気付かんうちに、竜飛海底、吉岡海底。トンネルの壁のCMとやらは見つけれなかった。どうも反対側だったらしい。吉岡から、ぼーっとすること1時間ちょいで函館である。早速函館山を目指す。途中の坂道がガチガチに路面凍結していて難儀する。滑って全然登れん。駅から30分ほど歩いてやっと山麓駅。平日の夜だけあってガラガラ、従業員の方が多い(笑)。で、ロープウェイに乗ってものの3分で山頂駅であるが、いまいち風情に欠ける。いつか自分の足で登りたいものである。世界一の夜景を1時間ほど拝んでから※3晩飯を求めて街をうろつく。駅前でハズれの店に入ってしまう。くそー、旨くない。あとはミッドナイトのカーペットの上で寝るだけ。とか思っていたら、ミッドナイトにはお座敷列車が繋げてあった。乗車率が低いので(せいぜい2割)下手な寝台より居心地がよい。300円で畳の上に寝れるのは拾いモンである。横になると、すぐに熟睡。我ながらよく寝るのう。
※2 東北本線で50系客車が現役だったころの話である。
※3 今まで訪れた観光地でもっとも居心地が悪い場所であった。一人でいくところじゃないもの。

19日。起きたら、私以外みんな起きていた。630札幌。外は猛吹雪である。半ば寝呆けながら今日の日程を組む。さて、御存知の通り、北海道は18きっぷでの乗り潰しに向かない。普通列車が少ないからである。結局、将来、北海道にワイド周遊券で来ることを想定して※4、普通列車しか走ってない路線を狙うことにする。朝飯に釜飯を買って、何も考えずに札沼線にとびのる。朝日でも眺めながら釜飯をつつくつもりであったが、石狩当別にスキー場があるらしく、板をかついだ高校生がどんどん乗り込んできてそれどころでなくなってしまう。もっとも、石狩当別で乗り換えてからは地元のおばちゃんくらいしかいなかったが。終点の新十津川は見事なくらい何もなかった※5。駅前に自販機すらない。あるのは積もりまくった雪だけ。しょうかないので車両の中でぼーっとしてる。いつもなら駅の待合い室でぼーっとしてるのだが、いかんせん寒い。駅舎にストーブくらい欲しいもんである。ちなみに、この後1時間ほど車両は貸し切り状態。札幌に戻るとちょうど昼どき。ところが目星を付けておいた店が定休日。どうも今回、喰い物で悲しい思いをすることが多い。結局、時計台に一番近いラーメン屋で済ます。ついでに時計台にも吸い込まれる。なんでも近々大々的な修復作業が予定されているとか。2時間ほどウロウロしてから、今度は日高本線を目指す。日高本線なのに地方交通線なのは、これいかに※6。海を見たかったので、進行方向にむかって右側に陣どりたかったが、ボックスはすでに満席(というか全ボックスに1人ずつ)。左側の景色が悪いわけでもなかったので、まぁよしとしよう。一人がけだけど。この時は、様似で晩飯調達の予定であったが、様似はまどりのみどぐちのない駅。新十津川みたいなとこだったらどうしよう、と不安になる。それにダメを押すかのように、列車は苫小牧から3駅くらいは民家が全く見えないような寒風吹きすさむ原野を進む。大丈夫か知らん? そのうち静内を過ぎ、予定変更不可能となる。陽は暮れるは、天気は荒れるわ、腹は減るわ、溜らん状態である。が、案ずるより産むが易し、で、様似はそこそこの街であった。とりあえず晩飯調達。たまたま入った食堂がなかなかの当り、いい晩飯である。二度といかんだろうけど。小一時間ほど閑があったので、そこらへんをうろつくが、店らしい店もない。なにより寒い。そこで、何を血迷ったか全国に点在する銀玉銀行に吸い込まれる。なぜか奇跡的に勝つ(っても\2000)。思わぬ収入である。もっともすぐに特急券に化けてしまったが。というのも、様似から苫小牧に戻って、すでにpm 10:00。すでに普通列車は終っているので、特急エアポートを利用したのである。しかし、苫小牧を通過するミッドナイトに乗るために、苫小牧からヒーコラ云って札幌まで戻らなければならんのはおマヌケである。疲れ果ててミッドナイトに乗りこむと、これまたお座敷列車。よく見りゃ今朝、私が寝てきた車両である。今朝と同じあたりに転がると、となりにテツがいた。色々下らん話で盛り上がる。
※4 1994.3.10に実現。
※5 当時はまだ勉強不足で新十津川〜石狩沼田が廃止されたことを知らず。もちろん滝川まで歩ける距離だなんてのも知らず。
※6 富内線の存在を知らなかった。

20日。朝飯は函館駅前の朝市の食堂街を狙っていたが、函館での連絡時間は僅かに30分。しかし、ここを逃すと半日は飯にありつけないことが分っていたので、迷わずダッシュする。定食屋に駆け込み、いくら丼を喰う。駅に戻って6:55、なかなかいいタイミングである。荷物をかついで、江差行きに飛び乗る。江差線は雪深い山あいを走り、江差の辺りで日本海に出る。変化があって、車窓の景色は飽きさせない。江差は寒かった。待合室で震えてると、硬券入場券有ります、の貼り紙。脊髄反射的に購入※7。悲しい性である。そのまま同じ経路を戻ってきて木古内駅で海峡#6の連絡待ち。木古内駅は駅舎が線路の真上にある。こういった駅は初めて見る※8。どこに駅長室があるか知らないけど、1番線はどっちから数えるのか知らん? 海峡の指定席車両は先頭で(12号車、1号車、2号車…となる)入線してくるのだが、間違えてホームの反対の端で待っていたため、12両分走る。おマヌケである。12号車の指定はパックの客で5分の入り。しかし、竜飛海底の降車客は1名。うーむ、時期外れとは思っていたが、まさか貸し切りで竜飛海底を見学するとは思わなんだ。おかげで、案内役の木古内駅の渡辺さんとすっかり懇意になってしまった(「JRに就職したら」とまで云われてしまった(笑)) 普段、見学者が多いときは収拾つかなくなるので公開していない、地上への非常階段なんかも見せてもらう。さらに万券しか持ってなくて自販機を使えないで途方に暮れていたら、両替までしてもらった。これからは木古内に足向けて寝れんなぁ(笑)。ふと、見学コースにおいてある見学者記帳簿を見ると、今日の日付がない。実は竜飛海底見学者、1/20の第1号だったりする。一人なものだから、かなりの強行軍で見学をする。さいごはホームまで渡辺さんとダッシュ。無茶するのう。海峡の指定席は後乗り、前降りだが、一人なので特別に前から乗せてもらう。何か得した気分である。ちなみに海峡#8の降車客は0。指定の車両に乗っているのは二人。こんな調子ではこの日の見学者は私一人ではなかろうか? そういえば、トンネル内にあるという広告は帰りも見れなかった。はて?(後日、下りで右側、上りで左側ばっかり見ていたためと判明する(笑)) しょうがないので、今度は吉岡海底を見に行かねば。本州へ戻ると、青森もエラい雪である。あとは一路仙台に向けて東北本線をズルズル南下するだけである。何も考えずに、来た車両、来た車両、と乗り継いだため、あちこち(浅虫温泉とか八戸とか北上とか)で閑ができる。動的計画法な旅ではよくあることである。で、予定通り、一ノ関で力尽きて(日が変わって21日、もはや18きっぷは使えん)、あとはお決まりの八甲田。こんなことしなくても実家(大曲)に一泊という手もあったが、これが一番安上がりである。ぐうと寝込んで目が覚めれば仙台駅の5番ホームである。降車客またもや1名。寝呆けながら部屋に戻る。寝る。ま、こんなもんであろう。
※7 自分で読んで驚く。そんなのどこやったっけ。
※8 橋上駅を始めてというあたり、経験不足を露呈している。


収穫
釜飯のカラ 1つ
18きっぷのビラ北海道バージョン
江差駅の硬券入場券
風邪

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