Libretto手に入れて書き始めたのは、1998年1月4日なのですが、事の顛末の始まりは12月21日なんで、その日から思い出しながら書こうかと思います。けっこう時間があいているので忘れかけている部分もあるけれど、メモを頼りに思い出していきたいと思います。
1997/12/21(日)
その泊まっていた友人も今日は水道橋で用事があるというので、二つ返事でOK!都内まで車で来るのはさすがにちょっとというので厚木に向かう。で、友人の車で厚木から箱根にいき、露天風呂を堪能、帰り道は友人お勧めのワインディングロード経由で帰ってくることとなった。
が、久しぶりに車に乗ったせいか、途中で気分が悪くなってくる。カーブもきついし車酔いだろうか?気分はどんどん悪くなり国道246号線に出てからさらに気分は悪化。路肩に車を止めてもらいゲロしてしまう。
一回吐いてしまうと結構気が楽になるのだが、ムカムカしたきもちは治まらず、急速のためデニーズに入ることにする。入るなり、トイレに向かい横隔膜が破裂しそうなくらいの勢いで嘔吐。嘔吐。嘔吐。全部吐いてしまって気分が結構和らいだような気がした。
が、次に強烈に肩が痛くなり、肋骨のあたりが締め付けられるような気がした。一時はデニーズの椅子に横になったりもしたが次第に食事ができるくらいまで回復。とりあえず食事を平らげた。どうにも気分が完璧といえるまで回復しないので、適当な頃合いを見計らって店を出が、店を出た瞬間に今食ったものを嘔吐してしまう。
さらに、しばらく車で走ったところでまた気分が悪くなり、また嘔吐。こうなってくると、さすがに車酔いではないような気がするので、友人に無理いって高速でアパートのある高井戸まで送ってもらうよう頼み込んだ。途中、高速のサービスエリアで停車したが、そこでも嘔吐。我ながらよくまだ吐くものがあるものである。
気分は最悪の状態でウトウトしていたらいつのまにか東京インター。環八も渋滞しておらずなんとか家の前に着き、友人に礼を言って車を降りる。足元がふらふらであった。
ベッドがロフトなのをこれほど悔やんだ日はない。ついてしばらくしてまた嘔吐。吐いたものは昼に食った駅の蕎麦であった。さらに下痢。発熱。吐くものがなくなっても胃液を吐く。前の日の飲み会で食った生牡蠣による食中毒というセンが濃くなる(しかし、この思い込みが原因究明を遅らすことになる)前に牡蠣で食中毒やったときもこんな感じだったし。
とりあえず、猛烈に苦しいけど便所との往復をしつつもなんと兼ねることで体調が戻るとこの時は思っていた。と言うわけで寝る。明日は前から有給をとっているしゆっくり休もう。
朝八時、薬局が開いていることを祈りつつ家を出る。ちょっと、歩くだけでも胃に響いてきつい。望みむなしく薬局は開いていないが、シャッターが半開きである。ラッキーとばかりに店のおやじに無理いって胃薬と昨日食ったものは全部吐いてしまったので栄養ドリンクを売ってもらう。ついでに、この近くにある医者を教えてもらい、朝九時開院と同時に医者にいき、整腸薬やら抗生物質やらをもらってくる。
で、薬を飲んだらなんとなく気分も落ち着いたような気がするし、明日には直るとよいなと思いつつとりあえず寝た。が、呼吸をするたびに腹に痛みが走るようになったり、ひいたりの繰り返しとなる。腹の痛みが引かないので、もう年末だし有休でもとって早目に実家の青森にでも帰るか?と思い実家に電話するが、それはいいとして、まず今晩のこともあるから一回病院で見てもらえとのこと。もっともである。
が、夜にやっている近所の救急病院など知らないので、今までこれっぽっちも役立たなかった杉並区の生活手帳をめくり東京都に問い合わせる。その結果、永福病院というところが救急をやっているらしいことが判明。さっそく電話をかけ、100mくらい離れた環八の高井戸駅にあるタクシー乗り場まで前かがみで腹を押さえつつ歩く。
タクシーはすぐに捕まったのでさっそく永福病院まで行ってくれと頼む。が、この病院の場所がまた分かりにくく、都合タクシーで三回行ったが一度も一発で行ったことがないか、場所を知らないかのどちらかであった。東京都は恐ろしい町である。
永福病院で病状を話す。ここで胸が苦しいとか、息苦しいとか言えば正確な診断が早かったのだろうが、自分は食中毒だと信じきってたし、胸が苦しかったことなどとうに忘れていたので話さなかった。また、午前中にもらった薬も持っていかなかったので、その場では点滴をするだけで終わってしまった。
親が念のために弟を永福病院にまわしてくれたので、弟に送ってもらってとりあえず家に帰り、様子を見てだめなようなら明日の朝一番の飛行機で帰ることになった。飛行場まで送るため、弟はそのまま家に一泊することとなったわけだが、兄が苦しんでいる横で深夜までプレイステーションで遊び、しかも途中でテレビを点けたまま意識を失うという失態。この兄にしてこの弟ありという感じである。まあいろいろと買い物をしてくれたりもしてたすかったりもしたのだが…
というわけで、たびたびの腹痛で目が覚めるもとりあえず次の日の朝を無事迎えることができた。
救急車のサイレンがやんだと同時に自分で歩いてアパートの前まで。昨日見てくれた医者が永福病院から帰ったというのを聞き。救急車は永福病院ではなく、久我山病院に向かった。冷静に考えれば、別の担当医が永福病院にいるはずなのだが、この時はそこまで頭が回らなかった。
久我山病院で注射を討ってもらうと痛みが若干和らいだので、薬をもらってとりあえず腹を押さえながら自分でタクシーを呼び、自分で帰ることになる。非常に情けない。
薬を飲むと痛みが和らぎ眠くなったのでとりあえず一眠りする。電話があり、わざわざ青森から母親が様子を見にきてくれるらしい。ずいぶん気分がよくなったので、わざわざきてくれるのも気が引けるのだがありがたいことである。
三時くらいに親がきて、案の定、独身一人暮らしの男性の部屋部屋の惨状に呆れかえる、とりあえず部屋のかたずけである。夜になって医者をやっている叔父叔母がやってきて体を診てもらった。とりあえず、急性の内臓疾患ではなさそうだから安静にしていればいいだろうのことである。ただし、熱が引かないときは要注意だから病院で診てもらえとのことである。なんにしても体調も上向きだしよかったよかった。親も仕事があるから帰り、自分も寝ることとする。
アパートに帰ると部屋が乾燥しきっていてつらいので会社の今仲氏に加湿器を買ってきて暮れとたのみこむ。業務が終了してから来るとのことだが、九時を過ぎてもなかなかこない。家の前の薬屋で買い物とかを頼みたかったし、病人だから早く寝たいのだが、一体どこをうろといているのやら…。まぁ、非常識な会社に勤めているんだからしょうがないか(笑)。
でもって九時過ぎにやっと加湿器をもって登場。なんでも家の場所が分からなかったとのこと。まぁ、それでもとりあえず加湿器を手に入れたので、その日は薬を飲んで寝ることにした。
駒込病院までは結構遠いのだが電車に乗る気力がないので、タクシーで行くことにする。年末で道は混んでてメーターはすぐにあがるのだが、もはやお金はどうでもいい。体が心配である。実際かかったお金は8000円くらい。安いと思ったのは言うまでもない。
駒込病院で簡単な診断を受けた後、即入院となった。これで、たいした病気じゃなかったら恥ずかしいなと思いつつレントゲン、採血と自分の足で歩いて回る。もちろん病棟までも歩いていった。
さっそく内臓の超音波診断装置による検査(エコー)である。その結果脾臓がかなり腫れており、肝臓も若干腫れているとのことである。ウィルス性のなんちゃら(病名失念)ではないか?と言われる。駒込病院と意馬感染症の治療で有名だから、コリャ渡りに船かな?と少し安心する。
さっそく叔母さんがパジャパなど当面の必要な入院グッズを持ってきてくれる。入院というのは本人だけでなく、周りの人の協力がないとできない。本当に大変な一代イヴェントである。
ちなみに、このとき主治医には絶食を命じられたのだが、これがキツイ。飯時などとなりのベッドのジジイがうまそうに飯を食いやがり、はぁ〜食った食ったの声。こういう嫌味でもなんでもないせりふが一番腹に響くツライ。まぁ、食欲があるのは回復した証拠であると、それはそれで安心して床に就く。熟睡した。
心電図の部屋で横になってさっそく心電図を計測する。今まで心電図は正常だったので何も気にせず心電図を計測した。が、撮り終えた瞬間、技師の顔色が変化する。息苦しさはないか?とかここまでどうやってきましたか?さらにカーテンの向こうでゴソゴソと話し声。だれだれ先生を急いで呼んでくれ!とか。なんか異常でもあったのか?まぁ、どっちにしても、そういう話は患者に聞こえないようにやってくれよ!と思いつつ。帰りは車椅子で帰るように命じられ、ベッドで安静にしているように言われる。
さっそく心臓の専門家らしき医者がやってきて、今度は心臓のエコー装置で診断を始める。の結果、冠動脈の一部が梗塞を起こしている事が判明。いわゆる心筋梗塞らしい。というわけで、心臓の一部が動いていないらしい。こういう場合急速に心機能が低下するので、内臓にいろいろな障害が出るらしいのだ。これでいままでの病状が奇麗に説明できた。たいした病気じゃなかったらどうしよう?と思っていた事が裏切られた事を大きく悔やむ。
さらに、駒込病院では何か合った時に開胸手術などができないので、そういう事ができるような病院への転院が決定される。場所は駒込病院に近い日本医科大学。というわけで、駒込病院はたったの一日の入院という事になる。
日本医科大に運ばれ、集中治療室で処置を受ける。大学の付属病院だけあって、成りたての医者がぐるりとベッドを囲む。胸の鼓動など三人くらいの医者に診られた。自分も元教育者だから、こういうのはあまり気にならないからいいのだが…
ベッドでは安静を命じられる。ベッドから出るのは論外で、自分で起き上がるのもだめらしい。トイレもベッドの上。かなり屈辱である。一通り検査を終え、明日カテーテルを行うといわれる。心の準備をする暇もない。カテーテルというのは、足の付け根の動脈から細い管を入れ、造影剤を入れて血管の詳細を撮影したり、バルーンという小さな風船を膨らませて、血管を広げ、梗塞を取り除く処置である。足の付け根から管を入れるのでアソコの毛をそる事となる。これまた屈辱的行為である。
午後から親父がきてくれた。親が来ると安心するものだが、会社はどうするだの、家賃はどうするだの、終始事務的な会話をするのみであった。励ましの言葉くらい書けてくれてもいいと思うのだが、こういう時に男は役に立たない事を改めて実感した次第である。
手術室に運ばれ下半身素っ裸で手術台へ。まな板の上の鯉状態である。麻酔をチョイ討たれるともう痛みは感じない。局部麻酔の進歩に感謝である。手術室はテレビドラマで見たまさにあれである。
局麻で患者にしっかり意識がある上、モニタの角度の関係から患者に心電図やカテーテル用のモニタまで見え、非常に精神衛生上よくない。
いくつかの検査の結果、やはり冠動脈の一部が詰まっていたので、風船で取り除く事にする。途中血栓が別のほうに入り込み詰まったらしく気分が悪くなると、心拍数があがり、血圧が低下したらしく手術室のピーピーという音のスピードがアップする。医師たちも一瞬あわただしく動き回り、その様子が手に取るように分かるのでこれまた精神衛生上よくない。結局手術は5時間くらいに及び、肉体的、精神的に非常に疲れた。麻酔の進歩を怨むところである。
手術が終わってもなかなか眠らさせてくれない。左右の動脈、静脈に入れた管を検査装置らしき装置につなぐ作業があるらしい。これで、完全にベッドの上から動く事ができなくなってしまった。いわゆる寝たきり状態。集中治療室の看護婦さんはホンと細かいところまで世話してくれるから困りはしないのだが、やはり寝たきりはつらい。速く動けるようになりたいものである。
結局全ての作業が終わったのは夜の九時過ぎである。疲れた。甘いジュースが飲みたかったがそんなものないので水を飲ませてもらって寝る事にする。
今日は、宮下氏と粟津氏がポケモンとゲームボーイを手土産にお見舞いにきてくれた。とは行っても集中治療室ではさすがに遊べないので、しばらく封印となる。コミック誌のガンガンなど実にくだらなすぎてほかには頼めないものなども持ってきてもらう。さらに粟津氏にはは土曜日から喉が渇いたとき猛烈にオレンジジュースが飲みたかったので、わざわざ病院の外で買ってきてもらった。まるで使いっぱしりだ。(笑)
途中弟がきた。同じ有名電器メーカーN社と言う事で宮下氏と名刺交換。人材交流にも一役買ったらしい。
あと、久しぶりにおふくろに会う。おふくろに会うと安心感が出てくるから不思議だ。それと、この日あまりに便が出ないので屈辱の浣腸をお願いする。浣腸したら、でるわでるわ。これでおなかもすっきりした。さて、きょうから安眠だ。と、思いきやカーテン一つ隔てた向こうの患者の様態が急変したらしい。夜遅くなっても医師や、看護婦が激しく動き回り、心電図の音がうるさい。
一時復活するも、テレビドラマのように、心電図の音がピーとなりっぱなしになり人の動きが静かになった。どうもご臨終らしい。医師が家族を呼ぶようにという言葉が聞こえ、防腐剤の匂いが漂ってくる。家族がきたらしく、意志が死因を述べている。遺族の泣き崩れる声が聞こえる。意志がはっきりしているだけにかなり精神的に参ってしまった。結局ほとんど眠れなかった。
正月だが、午後から一般病棟に移れるらしく、正月返上でおふくろ、叔父、叔母、あたりがばたばたと片づけをしている。入院とは回りを巻き込み大変なものであることをつくづく痛感する。
一般病棟は四人部屋。が、これがまた狭い。本来二人部屋くらいの部屋に、四つベッドを置いている。カーテンで仕切ると、圧迫感ありまくり。精神的にあまりよくない。それにベッドが堅いの何のって。未だ、安静を命じられているもののみには非常にきつい。これじゃ、先に腰が参ってしまいそうだ。
とりあえず、一段落ついて親も帰ったので、ゲームボーイを取り出しポケモンのセッティングをする。ポケモンは新品なのだが、これを箱から出して、ゲームボーイに差せる状態にするのに一苦労。寝たきりではこんな単純な作業も重労働なのである。こんなことなら、最初からすぐに遊べるようにしておいてもらえばよかった。
さて、箱から出してゲームボーイに差し込もうと最初から差し込んであった風来のシレンを取り出そうとする。が、すでにこの状態でゲームボーイの電源が入っている事を発見。おそるおそるポケモンを入れてみるが、やはりバッテリーが空っぽで、ちょっと遊ぶとすぐに切れてしまう。
無人島で遭難しているときに流れ着いた缶詰のようなものである。みやした〜〜〜と心の中で叫ぶも、どうにもならないのでゲームボーイはしばらくお預けである。
午後から、おふくろと弟がきたので、さっそく乾電池の発注をし、大量の単四アルカリ電池を手に入れることに成功する。電池さえ手に入れてしまえばこっちのものである。あとはひたすらポケモン(緑)三昧。こんなに暇でいいんだろうか?
まぁ、今日やっと主治医が決まり、明日から本格治療だというのがありがたい。
気分的にはまったく元気だのだが、正月は病院が進まないらしく、最後に出された指示が永遠継続されるというのが悲しい。腹が減るので三度の食事は全部平らげているのだが、食事は相変わらずおかゆである。銀シャリが食いたいのお。
今日も、母親と弟が見舞いにきてくれた。まぁ、どちらも明日から仕事だからしばらく会うことはないのだが、正月返上で会いにきてくれるというのはありがたいものである。
とりあえず、午後に歩く練習をする。ほんの二週間くらい寝たきりになっていただけで、足の筋肉がかなり落ちていることを実感する。軽く部屋の中を歩いてみて検査をした結果OKが出たので、とりあえずトイレくらいは自分でできるように許可が出た。これだけでも精神的にかなり楽である。
そういえば、今日は教授回診なるものがあった。といっても、教授は声をかけ、患者を安心させるわけでもなく、ひたすら主治医の事実を確認するのみであった。まぁ、ここの病院でも人によるのだろうけど、せめて大丈夫ですか?の声くらいはほしいと思ったのは私だけであろうか?
午後になってレントゲンの検査があるというので、初めて車椅子で冒険をする。病院の間取りを一通り見た後、売店に向かい、ミネラルウォーターとメロンシャーベットを購入。ひさしぶりに食ったメロンシャーベットはこの世のものとはおもえないほどの味であった。
三時くらいになって、会社の今仲氏と堤本部長が見舞いに来てくれた。お花とバームクーヘンを手土産に来てくれたのだが、花はそのうち腐るし、バームクーヘンも食事制限があるしと、実はもらって困ったりもしたのだが。(笑)
というわけで、お見舞いに来てくれた人日記(多分最初だけだろう)にならないことを祈りつつ、ポケモンも着々とレベルが上がってるし、今日ものんびりとした一日であった。
余談だが今日の東京は大雪である。
作るには原子炉やサイクロトロンが必要なはずだし、あっというまに崩壊してしまうので貯蔵も効かない。そんなものを注射するなんていかにも高そうな検査である。Tcだったら放射性同位体じゃなく放射性元素なんじゃないの?とも思ったが、こんなところで揚げ足を取ってもしょうがないのでとるのは止める事にする。
話変わって、ポケモンだが最後が見えてきた。が、コレクター魂のせいかポケモンの赤の必要性を強く感じる今日この頃である。まさかこんなに早く進むとは思わなかったので弟に赤は来週の土曜日でいいといっておいたが、明日にでも持ってきてもらいたい気持ちで一杯である。
午後レントゲンの検査が会って、車椅子でレントゲン室まで行く用事があったので、ついでに看護婦さんに頼んで宮下氏に電話をかける。内容はガンガンとギャク王とポケモンの赤の発注である。ついでに大運動会のビデオ予約もたのむ。ひょっとして、気を利かせて昨日の分と録画してくれてるかな?とほのかな期待をしていたが、やはりそんなことはなかった。散々呆れられたが、電話もかけれない環境に長らくいたので、久しぶりの馬鹿電話はストレス発散になる。
三時くらいに東北時代の友人である田中氏、渡辺氏、三浦氏の三人がお見舞いに来てくれる。四人揃ったのはひさしぶりなので、ついつい長話をしてしまう。長話するだけの体力がついたという事か?お土産は官能小説に、ちょっとエッチなヘアヌードの雑誌である。友達は選ぶべきだとつくづく痛感した。(笑)
三人が帰った後は、ポケモン三昧である。最後のライバルを倒すところまで行ったが、そこでバッテリーが切れ悲しい思いをする。くそー!また四天王から倒さねば。しょうがないので、ゲームクリアは後回しにしてモンスター集めとレベルアップをする事にする。それにしてもラッキーの捕まらない事よ。
みやした〜〜〜と心の中で叫ぶもどうしようもないので、いつでも交換できるようちょっとだけプレイして封印する。トホホ。それにしても、ケンタロスの捕まらない事よ。
というわけで、とくにネタも無いので病院食のことでも書く事にする。病院食だか、いくつかの制限を受けているらしく、おかずも少ないし、味っ気も無い。まぁ、基本的にベッドの上でウダウダしているだけだから、このくらいがちょうどよいのかもしれない。前回入院したときは運動不足で10キロも太ってまいってしまったし。
うれしいことに食事のバリエーションを指定できる。例えば朝はパンにしてくれとか、昼うどんにしてくれとか、デザートをつけてくれとか。青森県立病院のときは、メシがジジイの好みにあわせてあって、非常につらかった記憶があるが、ここのメシはそれなりに堪能できる。病院にしてはレベルはきわめて高いほうだと思う。
また、病室から自由に外に出る事はできないのだが、昼に牛乳屋さんが院内を巡回しており、簡単な飲み物などを購入できる。といっても、飲み物は1日1000mlに制限されているので、買っても一気に飲めなかったりするのだが、この牛乳屋さんはとてもありがたい存在である。
東京は今日も雪である。
ところで、情けない事に毎日50メートル歩くというリハビリをやってるのだが、午前中は低血圧のため中止となってしまった。たった50メートルでこれなのだから、普通に歩けるのはいつになる事やらである。
午後は延食で、放射性同位体の検査。今回はタリウムを注射したと言ってたが、さすがにこんな元素まではチェックしていない。後で調べよう。検査から戻ってくると、朝の人が引っ越した後にさっそく新しい患者が入っていた。これが、正真正銘のボケ老人で、もうどうにも手がつけられない。こういう患者が自分のベッドから一番近いところで寝ているので、気が気でならない。もっとも前回入院した神経内科も結構ひどかったが…。とにかく、かなりボケがひどいので、個室にでも入れたほうがいいのでは?と思うのだが、まぁ色々な都合があるのだろう。
今日は低血圧のせいか頭もぼーっとしている。晩飯も久しぶりに残したし、明日はもうちょっと血圧が高い事を祈ろう。
明日は大雪らしい。ゲームボーイをもって妹は来てくれるんだろうか?1/11が悔やまれる。みやした〜〜〜。
朝からの大雪であんのじょう親から、今日は行かんの伝言。妹も来る予定だったが、やっぱり来なかった。ひょっとして、親からの伝言は妹も行かないというの含まれていたのだろうか?わかりやすく、端的にまとめる事ができない親をちょっと怨む。
というわけで、いつまでたってもゲームボーイが来ない。こんなことなら、11日に粟津に2万くらい握らせて、タクシーで秋葉に行って買ってきてもらえばよかった。それくらい悔やんでいる。何をそんなことと言われるかもしれないが、隔離された環境では、些細な銭で解決できる事ならまよわずゴーである。
終末もまた雪らしい。今週末もゲームボーイ手に入らないんだろうか?かといって、有給使って持ってこいとも言えないし…。エルニーニョが悪いのか、運が悪いのかは知らないが、みやした〜〜〜〜〜〜〜と一番鬱憤をぶつけやすい具体的な対象を選択し、鬱憤を晴らす事にする。何人もお見舞いに来ているのにゲームボーイ一つ持ってきてもらえないとは,入院とは兎角しんどいものである。
どうでもいいが、隣のジジイはかなりキている。何をしでかすかわからないので、気が気でならない。完全に何を言っているのか分からず、うわ言もうるさい。看護婦さん泣かせである。点滴引き千切ってかってにトイレに行こうとするので、二回ほどナースコールを押した。患者が押すのもなんだが、隣にいる以上しょうがない。
今日は雪のせいかジジイの家族も会いに来ない。素人が言うのもなんだが、完全なボケ老人でどうやっても回復の見込みはないと思う。家族の負担はかなりのものになるはずだ。よくボケ老人になってまで生きたくないという人がいるが、ボケ老人にはなりたくてなる人はいない。そして不幸にしてなってしまった場合の現実が目の前にある。いったいなんで人間は生きなければ行けないのか?医療とは何か?というのを切々と感じさせる今日このごろである。
今日はわざわざ仕事を休んで、親父が青森から病状を主治医の先生に聞きにきてくれた。この日記をあまり暗い話で書くというのもなんだが、病気に対する自分の思いを親父に打ち明け、久しぶりに泣いた。そういや、親父と真剣に話をした事なんて無かったな、今まで。普段はどうでもいい存在なのだが、ここ一番になると親父の存在は絶大である。
全然関係ないが、リブレットの「t」のキーがおかしい。多用するキーなので壊れないでほしいものだ。
ポケモンついでに妹にニコリを買ってきてもらったし、これでしばらく暇つぶしには困らないだろう。
午後になって、たびたび話題になっている宮下氏が見舞いに来る。とりあえず、お互いにポケモンの補完をした後しばし談笑する。我ながらいい年こいて何やってるんだか。しかも、二匹あるというので手土産にミューをもらった。散々みやした〜と叫んでいたが、ミューくれたから撤回しよう(笑)。ついでに、毎月買っているLDの発注もする。備えあれば憂いなし。これで、安心である。
話し込んだせいか血圧が随分上がり、話しすぎてちょっと気分が悪くなった。まだ、娑婆での生活は無理そうである。
午後は洗髪してもらい、ひさしぶりにフケ地獄から開放される。検査も無かったので、ゴロゴロしながら、ニコリとポケモン三昧。あるいみ非常に充実した一日であった。どうでもいいことだが、ティッシュペーパーがなくなってもうた。売店に行く前に無くなりゃいいのに、マーフィーの法則か?しばらく面会もないだろうから、また、看護婦さんに連れていってもらうしかない。まったく、面倒だ。
夕方、リハビリの歩行距離が80mになった。ささやかながら、一歩前進といったところか?
余談だが、顎が痛いのも自然治癒した。どうも、心臓の機能が落ち込んでいるので、筋肉もどんどん落ちるらしい。顎の筋肉も落ちているのだろうか?兎にも角にも心配である。
午後から、かのときめきメモリアルのプログラマーの永山氏が見舞いに来たので病状を説明。早くて二月の最初の週。おそくても三月までには退院可能ととりあえず言っておいた。真実になる事を祈ろう。ついでだから、ティッシュペーパーの補充を頼む。まったくタイミングがよい。ついでのついでに、アイスシャーベットも頼んだ。あいかわらず死ぬほどうまい。
今回の、お土産はゲームボーイのACアダプタと、会社に置いてあったCDプレイヤーである。どのようなお土産が患者(いや、自分という一個人か?)に喜ばれるかは後日ネタの無い日に書きたいと思うが、今回はかなり的を射たお土産であった。まぁ、どちらにしても朝から晩まで、ショパンとリストを聞きまくる事が可能になった。めでたい。
ひさしぶりに、病室の様子を書こう。隣に最近入った人は、白髪に白髭の紳士で、大学教授らしい。教授らしく落ち着いていて、言う事も筋がとおっている。
前からいるオヤジはいかにも下町のオヤジである。巨人ファンで、自民党派で、銀行や官僚の不始末には文句を言い、相撲を見て喜ぶ。あまりに型にはまっているので、とてもすがすがしい。
もう一人のジイさんは若干ボケが入っている。たまにいろいろ話しかけられるが。。。
夕刻田中氏がエッチな本を持ってきてくれた。エッチな本は読むのはいいのだが、色々なモノの処理に困る。病院だしなぁ。
それにしてもポケモン、ストライクが掴まらない。
とはいえ、入院していてそんなに面白い話題があるわけでもない。が、なくても探さなくては行けない。というわけで、今日は以前にちょっと書いた、うれしいお見舞い品と言うテーマで書こうと思う。
まず、もらって困るのは、「花」である。そもそも自分には花をめでる習慣が無い。しかも花はすぐ枯れてしまう。枯れたら捨てるしかない。気分も安らがないし、何の役にも立たない。うちの会社の連中は二回も花をくれた。一回目は偉い人だったので、喜ぶ振りをして受け取ったが、二回目は同僚だったのでいらんといっておいた。(笑)
次に、もらって困るのは高級菓子詰め合わせである。入院すると豪華なものが食えるというのは昔からの定番である。が、入院しているのだから食事制限があるので、こんなものもらっても何の役にも立たない。しょうがないのでお見舞いに来た別の人などに上げている。
では、何がいいのか?実はその辺でうっている合成着色料ばりばりのお菓子がうれしいのである。何しろ病院は軟禁状態なので、そういうツマラナイものがうれしいのである。部屋が暑いのでアイスクリームとか、暇なときに気が紛れるガムとかが最高である。
もう一つありがたいのは、見舞いに来てくれること。何も要らないから、とにかく、話し相手になってくれるのが一番うれしい。入院患者には最高の薬である。で、そのお見舞いだが、今日は叔母さんがお見舞いに来て、洗濯をしていってくれた。しばらく洗濯の間隔が開いていたので、これで一安心である。
でも、冷静に考えるとわざわざお見舞いに来てくれて、お見舞い品に文句を言うのも罰当たりな話だよなぁ。
お見舞い品といえば、今日渡辺氏が大量の電池を買ってきてくれた。すでにゲームボーイのACアダプタを手に入れてしまった今では無用の長物となってしまった。これまたうまくいかないものである。
三人がお見舞いに来たときに弟が乱入。昨日洗濯物は全て片付いてしまったので、とくに用事も無い。とりあえず、そのまま帰すのも何なんで爪切りだけ買ってきてもらったが、一体何のために来たのやら。
今日久しぶりに粟津氏が、ガンガンファンタジーとガンガンを買ってきてくれた。って本当は買って来てくれって頼んだんだけど。何でも仕事が忙しいらしく、見舞いに来るのもかなり大変らしい。大変らしいのに、葉書を買ってきて暮れとコンビニまでひとっ走り頼んでもうた。文句一つで実行。あたりまえか(笑)。ついでに、アフタヌーンも買ってきてくれた。
これで、しばらくは退屈がしのげると思いきや、あっという間に読んでしまった。邪魔なので即ごみ箱生きである。なんだかなぁ…。
そうそう、粟津氏が来る前に、職場の絵描きの次藤氏がやってきた。職場の連中はとにかく花が好きである。また、何の役にも立たない花を買ってきてくれた。なんともはやである。アイスクリームが食べたいといったら、ついでにキューピー人形を買ってきてくれた。このあたり、感性がよくわからないところである。
しかし、私もよく人の愚痴を聞かされる。愚痴を話したくなるような顔でもしてるんだろうか?(笑)
それは、さておき今日はリハビリの距離が200mとなった。実生活ではたいした距離ではないのだが、久しぶりの200mは疲れる。それと、ボチボチシャワーを浴びてもいいそうだ。自分的には、シャワーを浴びるのはちょっと不安なのだが、看護婦さんつきとはいえ、やっとタオルで体拭きから開放されるのかと思うとそれはそれで嬉しいものである。倒れないことを祈ろう。
そういえば、私も叔母さんにガムと歯磨き粉を買ってきてくれと言ったら、全部キシリトール入りのものを買ってきてくれた。やはり根底に身の門他がいるのだろうか?しかし、どんなに体にいいものでも食べ過ぎは毒だろうし、体に良いといってもどの程度いいのか全然分からない。焦げた魚に発癌物質があるというのは有名な話だが、あれも尋常ならざる量を食わなければガンにならないらしい。つまり、発癌性が0でないというだけのことらしい。
あほらしい。
しかし、みのもんたも偉大である。彼は今日本で一番影響力のある人物かもしれない。なにしろヒトラー並みのカリスマ性である。日本のオバチャンは彼にメロメロだ。彼の言うことなら全て妄信的に信じてしまう。橋本首相もウカウカしてられないだろう。いや、ひょっとして既に日本は彼の手に落ちているのかもしれない。そうなったら、きっと日本は世界一健康的な国になるはずだ。もっとも健康的とは健康とは違う。健康のためなら進でもいいという国民であふれかえるということである。
なお、そういう国が幸せかどうかは私にはよく分からない。
どうでもいいが、Libのfキーが調子悪い。
朝、7時くらいに目が覚める。眠い床で血圧を測られる。8時くらいまでオハスタなどを見ながらウダウダし飯を食う。飯を食ったら、することがないのでポケモンやニコリをやる。とりあえず、サファリパークでストライクをねらうのが日課である。ポケモンやニコリに飽きたあたりで、午前中のリハビリのために担当看護婦が来るので、リハビリをする。リハビリといっても、血圧と脈拍を測って200m歩き変化を調べるだけである。
リハビリが終わるとまたウダウダし、ウダウダしているうちに昼飯となる。昼飯を食うとまた暇だから、ポケモンアンドニコリ三昧。体を拭いて、足を洗って、同じリハビリをやって、昼寝をして、晩飯を食う。本当にウダウダである。晩飯を食ったら、日記を書いて、歯を磨いて、寝るだけである。
いや、本当にシンプルな1日である。ひたすらこれの繰り返しである。(笑)
リハビリの後しばらくして担当の看護婦さんに売店に連れていってもらう約束をしておいたのだが、すっかりわすれていたらしい。なかなか来ないので6時ちょっと前に催促をした。結局、売店に連れていってもらったのだが、あきらかに看護婦さんの押す力に力が無かった。無理も無い。朝から働き詰めで、本来なら4時半には終わるはずの仕事である。なんだか罪悪感に包まれてしまった。
早く自力で売店にいけるようになりたいものである。
洗濯をしてもらっている途中、意表をついて、会社の花である女性二人、小林さんと福富さんがやってきた。しばし談笑の後、売店で土産を買ってきてくれるというので、好意に甘えることにする。お見舞なら何でも嬉しいと言ったのが運の尽きである。官能小説を三冊買ってきてくれた。うちの会社の連中の性格をすっかり忘れていたのも敗因である。(笑)
叔母さんに見せたら、かなりどっきりしたらしい。まぁ、女性があんな物を買ってくるとは想像つかなかったのだろう(笑)。看護婦さんにも見つかってしまい、築きあげてきたイメージががらがらと音を立てて崩れたのは言うまでもない。って、もとからたいしたイメージはないんだけどね。
しかし、この手の本、心臓にはよくないんでないかい?
そういえば、今日はキューティハニーの最終回らしい。とりあえず最終回だけは見てやろうということで、隠れながら見る。うーん、ハニーちゃんはいつのまに子持ちになったのだろう?(笑)。当然の事ながら話はよく分からない。まぁ、ただ一つ言えるのは、あまり盛り上がらない最終回だったということである。
「競馬で3倍と5倍の馬がいる。このどちらかが来るとして両方に賭けて1000円儲けるにはどのように賭ければいいのか?」
なんでも、紙で一生懸命シミュレーションしたらしいけど、答えが分からなかったらしい。無駄な労力である。そんなもん、連立方程式一発やんけ。とあっさり解いてやったら感動されてしまった。感動するほどのことでもないと思うんだけど、数学なんてみんな暗記でやってるから、こういう具体的な問題にであっても何を適用すればいいのか思い出せないんだろうな。これも受験数学が蔓延していることの弊害か?
別に競馬で儲けようとしているわけでなく、投資かなんかの話らしいが、傍目に不安である。大丈夫だろうか?
ところで、結局彼は何をしにこの病院に来たのだろう?
後は相変わらずやることが無いので、ぐだぐだと1日を過ごす。本当に暇である。暇だと思ってたら、JAISTの阿部先生から宅急便が届く。中を見てみたら、理科年表だった。とりあえず、ちょっとは退屈凌ぎになったがすぐ読み飽きてもうた。やっぱり退屈である。
そういうわけで、カテに向けて、検査検査が始まりそうな予感である。案の定、今朝は大量の採血があった。コリャ明日から大変だ。
というわけで、さっそく電話をかけに行く。第一報は入院費をふりこんでおいてくれとの親への電話だった。このあたりいかにも俗っぽい。
それと、来週から看護学校の生徒がつくらしい。つまり、それほど重病じゃないってことだ。まぁ、自分もモト教育者だし、自分の体で一人看護婦が巣立つなら、いくらでもやってこいって感じだ。カワイイ子がやってくることを祈ろう。
というわけで、明日は日記を書けそうにない。ということは、明日何かが起きるとこれが最後の日記となるわけである。遺言でも書いておこうか知らん。
今日はオリンピックの開会式である。以前の冬のオリンピックも病院で見たような気がする。よほど冬季オリンピックに縁があるらしい。しかし、伊藤みどりの衣装および演出には参った。小林幸子じゃあるまいし、見ているほうが赤面した。トホホな感じである。
午後からは、妹がお見舞にきて、新たなニコリをおいていってくれる。が、2/10には次のニコリが出るというから、タイミング最悪である。ちなみに、次からは月間になるらしい。ニコリも出世したものである。
でもって、今日は会社から二人の人間がやってきた。一人は人事の深尾氏、もう一人は前にも来たことがある永山氏である。入院が長引いたということで人事の深尾氏は見舞金を持ってきてくれた。一方永山氏は頼んでおいた某ギャルゲーのセンチメンタルグラフィティを持ってきてくれた。ここにゲームを持ってこられてもどうしようもないのだが、入院中に買って暮れと頼んでおいたので、むげに持って帰らすことも出来ない。しょうがないので、とりあえず受け取っておいた。
なお、立替えてもらった代金を支払ったのだが、会社からの見舞金で済ましてしまったのはここだけの秘密である。
ところで、今日はジャンプで舟木が金、原田が銅、スピードスケート1000mで清水が銅を手にした。しかし、一番カッコよかったのは、12位に沈んだ堀井だと思う。試合後の会見でその無念さが伝わってきてじーんとしてきた。