放浪の旅

 

その遍歴の歴史

気がついてみりゃ、日本全国沖縄を除き全て制覇、JRにいたっては乗っていない路線の方が少ないという事実をしっかりと受け止め、自分は何故こんなになってしまったのかと振り返ってみる今日この頃である。


定義1(粟津氏による)

  1. 移動することが目的である。
  2. 体力にモノを云わせた計画を組む。
  3. 移動中に動的に以降の計画を組む。
  4. 上記の計画の結果を後悔しない。
出発時点では本人にすら目的地や経路がはっきりしないあたりが放浪の 放浪たる所以である。


やむをえずの時代(Level 1)

話の発端はそもそも、仙台で学生をしていたころ、沼田はよくある学生のように貧乏であったという事実がある。というわけで実家に帰省するには生協でバラ売りしている「青春18きっぷ」が非常に重宝していた。

最初はもちろん、青森に帰省するのだから東北本線経由で、仙台から何も考えずにダイレクトで帰省していた。しかし、そのうち同じルートでは飽きが来て、違うルートで帰ってみよかと時刻表を購入、真剣に検討し、奥羽本線経由、三陸鉄道経由などで帰ったりしはじめた。が、だいたいに置いて鈍行など連絡が悪いので、青森まで帰れるルートなどタカが知れていた。というわけで、可能なルートは全て制してもうた(笑)。

それに、この頃は計画性が高かった。しっかりルートと予定を決め、予定からはずれた行為は一切しなかったものである。人間変われば変わるものですなぁ。

このやむを得ない事情でシブシブ使っていた18きっぷがのちのち自ら進んで使うようになるキッカケである。

この後車を購入。帰省もすっかり車で(しかも一般道だけで)するようになってもうた。これが次の車時代への突入を促すとは夢にも思わなかった。


車時代(Level 2)

仙台は学生でも結構楽に車を所有できる環境にある。んでもって上のような性格なので、車を手に入れたのちあちこちに旅行をした。まぁ、これはさすがに 一人では行かなかったけど。そうこうしているウチに4年間で車により北海道、九州、四国も旅した。金をケチるためユースホステルに泊まりまくり、高速は 極力乗らず、車中泊はもちろん、野宿も行った。九州まで一般道で行くのはさすがにつらかったなぁ…。ドライバー二人だったし。

んでも、最初はやはり、ちゃんと計画性があったのである。それが、何故狂いはじめたか?どうも、すべての現況はタバ値にあるらしいというのが最近分かってきた。ここで、タバ値について説明せねばなるまい。

タバ値とは某研究室で毎晩執り行われていたコーヒー入れじゃんけんのことである。たかが、じゃんけんである。たかがじゃんけんであるのだが、これが実にオクが深い(といっても誰も信じてくれないけど)。

じゃんけんの結果はすべてワークステーション上でデータベース化されており、 歴代のタバチストたちの成績はもちろん、決まり手(何を出して負けたか)、何を入れたか(コーヒー、紅茶etc…)が一目で分かるようになっている。国民の血税でこのようなことが行われているとは、橋本首相もおそらく気がついていないだろう。

継続は力なりと言ったもので、今日現在(97/12/10)すでに5000回を超えている。まったくもって暇人である。ちなみに、沼田は最初は何も考えずに出していたが、決まり手を詳しく調べることにより個人の癖を見抜き、どん底から這い上がったという実績を持つ。じゃんけんは運ではない。研究することにより、勝率がアップするという理論を組み上げた。

話がそれた。このタバ値というものは負けると、猛烈に悔しいのである。どの程度かと言えば、ワールドカップ予選の試合で勝てば本戦に行けるという試合でロスタイム中に同点ゴールを決められるくらい悔しい。なお、悔しいからこそ、データの解析が進められたという実績もある。負けることにより人間は昇華するという見本のようなものか。(笑)

と、いうわけで悔しいので、負けると旅に出たくなるのである。深夜に車で、ずどーんと放浪のたびにでかけるのである。でもって、こういうのを繰り返すうちに、距離感が人と狂いはじめた。

そのうち、負けてもいないのに、日帰りで富山とかをよくやるようになった。 我ながらよくやったものである。てなわけけで仙台から半径500Kは思いたったら行った。しかもただ行くだけ。何度も同じところに意味もなく。(笑)


鉄道時代(Level 3)

鉄道による移動に目覚める。いいかげん25を過ぎるとさすがに疲れるからとか、つきあってくれる友人が皆会心したからってのがキッカケで、鹿児島とか、稚内とか行きやすいところに足をのばした。で、そうなって乗車した路線が増えてくると、こんどは端々が気になりはじめる。ってなわけで、こんどは行き止まりの路線とか行きにくいところに積極的に行くようになった。で気がついてみりゃ、JR四国は完乗、JR西日本は東西線を除いて完乗、JR東日本は 津軽線を除いて完乗である。最近は私鉄も手を出しはじめている。今年こそは JR北海道の未乗区間を…と思っている今日このごろである。

 

定義2

  1. 行きやすいところとは、稚内から鹿児島まで至る幹線上にある場所であり、距離に依存しない。
  2. 行きにくいところとは、そこに行く言い訳がない、もしくはあまりに近すぎて行く気の起きない場所であることが多いが希に本当に交通の便が悪いとか、幹線から外れること遠すぎるというものもある。
 

以上の考察から、クモハ12のなくなった大川支線やあまりに近いところにあった東北本線利府とかはとてつもなく行きにくい路線であることが分かる。なお、上記二路線は東京都内に住むことになったとたん立場が逆転し、大川支線はついでの用事に、利府線は気合いを入れて乗り潰してきたことは言うまでもない。


徒歩時代?(Level 4か?)

最近では乗ることが普通になってきたので、変ったことをしようとウッカリ軽井沢から横川まで徒歩で歩いてもうた。詳しいレポートはこちらを参考にしてもらうとして、なんかこれから時代が変るような予感がしている。嫌なモノである。

実は歩くと言うのは今に始まったことではない。その昔仙台から青森まで歩いて帰ろうと思い立ったとき、ためしにどのくらい歩けるものか試してみたことがある。ちなみに仙台から松島を目指して、東塩釜で挫折しました(笑)。帰りは電車で料金は310円くらいだった記憶が…。あと、広瀬川をひたすら海目指して、仙台空港に向かったこともあったなぁ。いずれにしても青森まで歩くと言うのは思い立たなくて正解であったと思う今日このごろである。

 

他にも、今は亡き、大嶺支線で大峰から南大嶺まで歩くとか、幡生でいやな目にあったので、関門トンネル歩いて門司港までダッシュするとか、細かい歩きは数知れない。これが今後主流になったらまったくどうしましょう?


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