第三セクターの旅

8月某日。なんとなく現実逃避がしたくなり、かねてからの野望であった大阪はJR東西線の乗り潰しを挙行することを突発的に決定する。とはいえたかが10数キロのために大阪くんだりまで行くのもあほらしいので、あらたなる野望の第三セクターの鉄道乗り潰しに挑戦することにする。

というわけで8/20大阪に向けて寝台特急日本海2号に乗り込んだ。寝台と言っても青森を出るのは16:44。寝る時間にはほど遠い。とりあえず時刻表でも見て今後の人生でも検討でもしていれば夜になるだろうと考えていたのだが時刻表を持ってくるのを忘れていたことに気がつく。なんたる失態。しょうがないのでビールと睡眠薬を飲んでぐっすり寝ることに。おかげさまで夜中の2時に目が覚めた。(笑)

大阪に到着したのは定刻の7:10。そういや青森から大阪まで行くのはこれが始めてか。日本海の他にも白鳥というバカみたいに長い距離を走る特急も未だあるので是非いつか完乗したいものである。ちなみに新大阪や京都まで行ったことは何度かある。大阪到着後環状線ホームへ行き京橋を目指す。

大阪環状線は東京の山の手線を想像しているとえらい目にある。まず、ホームに番線という概念がない。たんなる内回りと外回り。さらに同じところをぐるぐる回っているのではなく一周して飛び出すとか、わけわからん行き先が多すぎである。

さらに環状線ホームにも先発、次発の概念があったりしてややこしい。とにかく来た列車に乗ればいいという者ではないことは間違いない。余談だが関西人は関東の「つぎ」と「こんど」はどちらが先なのかわからんとよく言うが、「先発」も「次発」も「さき」と「つぎ」なのでさして関東と違いがあるとも思えないのは私だけか?

ちなみに今回は京橋をめざすので外回りに乗るのが正しい。列車は基本的に自動車と同じく左側通行と覚えておけば間違いない。京橋のKIOSKでポケット時刻表を購入。これで今後の人生を考察できるようになった。(笑)

京橋から片町線ホームへ。もっとも今は学研都市線と呼ばれているらしい。その昔(ついこの前)はここから一駅だけ環状線の内側に片町駅があってそこが片町線の終点であった。故に片町線と呼ばれる。京橋駅の片町線ホームは昔とあまり変わっていなかった。未だに地上駅でいい味が出ている。最近は都市部では地上駅ホームは珍しい。道路事情の問題から大抵高架または地下になってしまった。こういう場所はいつまでも残しておいて欲しいものだ。

などと物思いにふけっていたらあっさりと電車が入線。とりあえず乗り込み時刻表片手に今後の人生について検討する。

検討してみてわかったのだが第三セクターの乗り潰しは恐ろしく大変である。くまがわ鉄道なんてどうやっていけばいいんだい?オリーブって感じである。が一度建ててた決意。コツコツと処理していけばいつかは!と今回の目標である、井原鉄道、智頭急行、若桜鉄道だけは乗り潰そうと強く決心する。

強く決心しているといつのまにか尼崎だった。JR東西線はほとんど地下鉄。景色も何もあったもんじゃない。こうしてわずか数十分で当初の目的は果たしてしまった(笑)。これでJRは残すところ三厩と博多南のみ。博多南が大変なのは言うまでもない。

尼崎では東海道線の快速にあっさりと接続。ちんたらと西をめざす。ちなみに東海道線は東京から神戸まで。さらに臨時の新快速にこれまたスムーズに接続。忠臣蔵レジャー号というやつだった。そういやそういう大河ドラマやってたか。

で、あっさりと姫路に到着。相生で乗りかえるよりはここで乗り換えたほうが始発でいいのでとりあえず時間もあることだし名物の立ち食いそばを食う。昔18きっぷMLのFAQで、ここのそばはまずいと書いてかなり顰蹙をかったので、あらためてアジを吟味する。が、普通だった。あの独特のアジは何処へ行ったのか?多いに不満の残る立ち食いそばであった。

腹も癒えたことだし、もういちど通過するであろう上郡をスルーし、一路岡山へ。そこで快速に乗り換え、福山を目指す。福山の駅前で軽く朝食を済まし福塩線で神辺という井原鉄道の始発駅をめざす。

神辺駅の駅舎(写真左)はこぎれいな作りだった。最近はJRにしろ私鉄にしろ乗り換えがとてつもなくスムーズで回りの景色を見ている余裕がない。ここも乗り換え時間がなく、写真を一枚撮るのが精一杯だった。

ちなみに、井原鉄道は1999年1月11日に営業開始をした比較的新しい鉄道路線。もっとも計画はもっと古くからあったらしい。

調べてみると昔は井笠鉄道というのがあり、神辺〜井原〜笠岡を結んでいたらしい。笠岡はJR山陽線の駅でいまでも井笠鉄道バスがバス運行をしている模様である。ちなみに井笠鉄道は1971年3月31日に鉄道営業を打ち切っている。井原鉄道はその廃線跡を一部利用した鉄道らしい。

井原鉄道は全線高架で踏み切りなし。近代的な作りである。のどかな田園風景の中を抜け、高梁川を渡ると清音駅であった。清音で先ほど通過したばっかりの岡山をめざす。なおナイスガイに清音の入場券を買ってこいといわれていたので、しゃーないから下車して切符の自販機で一番安い切符を購入する。

岡山からちんたらと鈍行を乗り継いで上郡をめざす。途中和気で片上鉄道の廃線跡を目撃。まだ橋脚のペイントが新しかった。ちなみに廃線は1991年というからついこの前のことである。片上駅は赤穂線西片上付近。ここから和気を通り、柵原というところまであった鉱山路線である。

ちなみに片上鉄道の車両は動体保存しており今でも日曜日に運転しているようである。詳しくはこちらを参照のこと。

上郡についたら突然のにわか雨でのどしゃ降り。とはいえ列車は雨宿りしている間待っててくれない。JRホームから智頭急行のホームまでの50mは雨除けがない。ボニー&クライドのようにダッシュで駆け抜けたがずぶ濡れとなった。車内のエアコンで水滴がマイルドな感じに蒸発しとてつもなく気持ち悪かった。

智頭急行も誕生してはや5年。早いものである。昔は津山線、因美線経由の急行でちんたら行ったものだが、いまじゃ大阪から鳥取まで最短2時間半で行くらしい。そのかわり日本に最後まで残っていた急行列車のタブレット交換が見れなくなってしまった。その昔タブレット交換を見るためにこの列車に乗ったのを思い出す。これも時代の流れであろうか?

ちなみに智頭急行では現在5周年記念として一日乗り放題切符を発売している。値段は1000円。特急に乗るには別途乗車券が必要となる18きっぷルールではあるが、智頭急行線を端から端まで乗ると1260円だそうだから、普通に乗車券を買うより安い。

智頭急行も全線高架の路線。佐用付近で姫新線と交差するあたりで踏み切りがあるが、まあそれは御愛敬であろう。宮本武蔵等面白い名前の駅も沿線にあるのだがあいにくのどしゃ降りのため特に何をするわけでもなかった。

智頭をすぎて因美線に突入すると揺れが増加。年期の違いといったところか?などとガタコトと揺られること約1時間30分、郡家に到着。ここで漢と待ち合わせ、若桜方面へ向かう。

しばらくは因美線が見えていたが徐々に離れ終点の若桜へ向かう。若桜鉄道はもとJR若桜線。1987年に現在の第三セクターという形態になった。因美線も揺れが激しいのだが若桜鉄道も負けず劣らず車両の揺れが激しい。

車内で今後の人生の相談(=乗り潰し計画)をしていると30分ほどで終着の若桜に到着した。あっという間の出来事。これでJR東西線、井原鉄道、智頭急行、若桜鉄道と一気に4社4路線を乗り潰したことになる。

終点の若桜駅(写真左)は古風なつくり。駅前にはスーパーがあり思いのほか栄えていた。最初は宿を若桜にと思っていたのだが、電話をかけた宿屋のおばちゃんの方言がきつくて何を言っているのかわからなかった。(笑)

というわけで宿は鳥取のビジネスホテル。というわけで来たばっかりの若桜鉄道をスタコラサッサと戻る。駅の古風な切符売り場で鳥取までの切符を購入したら硬券の切符でちょっと感動した。ちょっと前なら何処の駅でも見掛けた光景だが。

鳥取でチェックインを済ませ、メシを食い、明日の砂丘行きの時刻をチェック。と言うのも、実は今でこそただ列車に乗るだけということをしているが、それなりに日本の観光地は観光してきたという実績もさりげなくあったりする。が、鳥取砂丘というのは実は一度も行ったことがない。単に砂があるだけだろうと、見送られてきたのが最大の原因なのだが、せっかくだからこれを機会に行くことが計画に盛り込まれていたのである。

「はくと」があるから適当に観光してもあっさり青森に帰れるだろうと思っていたのが、どうも砂丘を観光すると、伊丹発の飛行機にどうやっても間に合わないような予感である。バス、鳥取空港、いろいろ検討するがどうにも時間が合わない。そうこうしているうちに疲れ面倒なんでとりあえず朝イチで砂丘見てから考えることに決定。決定後ホテルにて爆陲。起きたらやっぱり夜の二時だった。(笑)

朝眠い目をこすり漢とロビーで待ち合わせ、その後コンビニで餌を仕入れ砂丘行きのバスへ。今日もすこぶる良い天気である。

砂丘は昼になると足跡ばかりでイマイチという情報を仕入れていたので朝一番のバスにしたのだが、到着してみるとすでに足跡だらけだった。夕べ風が吹かなかったのだろうか?

ま、それでも人も少なくひろびろとした砂丘は結構眺めがよかった。二人とも年甲斐もない無茶な長旅でヘロヘロなので海のほうまで歩くのはパス。朝なのにむちゃくちゃ暑いし、途中までいってとっとと撤収。

バス停ではすぐバスが来た。さらに運のいいことに5分ほど早く鳥取駅に到着。これはギリギリ列車に間に合うかも!ということで二人してダッシュ。時間がないので180円の切符をとりあえず買い、岡山行きの特急「いなば」に滑り込んだ。

私は車内で新大阪までの切符、漢は東京までという豪快な買い方をし、私はその後伊丹空港までバスで行き、飛行機でとっとと青森まで帰ってしまった。いつもながら飛行機は早い。たったの90分である。納得いかん。