雑記 【雑記topへ】
1999.10.31
こまち#24。東京は暑い。
「最後の伝令」読了。
1999.10.30
にょ?
こまち#17。田舎は寒い。
「星界の戦旗I」読了。
1999.10.29
「陰陽師」読了。
1999.10.28
22000hit。気が付けば和ジオで始めた頁もなんとなく丸2年を経過している。この駄文雑記もすでに積み重なること700余回。
「私と月につきあって」読了。読め。3篇まとめて、オネアミスのノリでガイナが映像化せんかね。
1999.10.27
「天使は結果オーライ」読了。読め。
すっかり忘れていたが、第2期関東の駅百選スタンプラリー全駅踏破記念とどく。望外に立派で驚く。
1999.10.26
「ロケットガール」読了。読め。
1999.10.25
「永遠の島」読了。
マグナム#12。forget-me-not落ちてら(#11には予告有り)。
1999.10.24
1024 = 2^10 は計算機をいじっていれば一度ならず見かける数字である。10^3 に近いため、計算機業界では1024をキロと呼んだりして、混乱を招いていたりする。累乗数同士が接近しているのは珍しい現象らしい。例えば、x^s - y^t = 1(x,yは1以上、s,tは2以上の整数)という方程式は1つしか解を持たない。
ふらりと交通博物館見物。みどりの窓口で入場券を買うと50円引き。
昨日一昨日の読書メモに過剰反応有り。で、嫌がらせ電話か。くそ、DVDよこせ。
業務連絡。てきぱ#1#2確保。
1999.10.23
「星界の紋章II」読了。
「星界の紋章III」読了。
1999.10.22
「星界の紋章I」読了。
1999.10.21
「なで肩の狐」読了。
1999.10.20
古傷じくり。
「笑う萬月」読了。
1999.10.19
REFERのログからこの頁の伝播具合が知れる。相変わらずといえば相変わらず。
「アナベル・クレセントムーン」読了。読むんじゃなかった。
1999.10.18
情処の余波で大寝坊。試験の朝はちゃんと起きれたから、気合が(出社)<(試験)ということか。
「時計館の殺人」読了。
1999.10.17
ほとんど寝ずに、躁。途中退室を活用、6時間の試験を4時間で切り上げる。久々の手書きで手が痛い。
某氏上京。アレ系アレ系って失敬な。
DDRのように套路を踏むゲーム、は有りか。って少林寺木人拳か。眠すぎて思考混濁気味。寝れ。あ、散打散打レボリューションはどうだ。寝なさい。
1999.10.16
春の情処の失敗を反省し、ちょっとは準備にしてみる。・・・ずるずると夜更かし中。そろそろ日の出。試験中に寝入ったりするような。
1999.10.15
さすがにそろそろ半袖は涼しすぎるか。
OA仕事は汚れ仕事なことよ。
1999.10.14
調べてみたら、かつて計画されたことのある新幹線というのは実に20近い。北海道新幹線や九州新幹線はまだかわいげがあるが、中には羽越新幹線といった儲かるかどうかかなり怪しげな計画もあった。これらの計画が法制化されたのは、いざなぎ景気のころで、今から見れば現実味の薄い、強気な計画が通ってしまったという。当時開通したばかりの東海道新幹線が予想以上の好調だったのも、強気の一因だったようだ。新幹線の予定路線は時の首相が扇子片手にヨッシャと日本地図に赤鉛筆ですらすらと5分ほどで描きいれたものだ、というウワサもあった。それほどお手軽に計画化されていった感があったという。結局、これらは昭和52年のオイルショックで白紙撤回されている。その後の国鉄の資料によると、長野新幹線は長らく未成線扱いであった。新幹線に限らず、鉄道の新線計画は兎角大風呂敷になりがちである。とのいうのも政治の道具として使われたりしたからであるのだが。現在走っている鉄道も、当初の壮大な計画の一部分でしかなかったりする場合がある。東海道新幹線も、日本鉄道史上最大の壮大なる計画の副産物であったりする。東京〜北京の弾丸列車構想である。さらに北京からシルクロード沿いにヨーロッパに達する夢物語まで視野にあったというから恐れ入る。
あれ、謎のアンドロイドは?
1999.10.13
ところで、アメリカの鉄道は斜陽である。あのだだっ広い国土が幸いしてか災いしてか鉄道整備より先に航空網にハイウェイ網が完備してしまったため、鉄道需要が低いのだという。アメリカは日本の25倍の面積に日本のたった3倍程度の鉄道しか存在しないのである。おまけに、スピードも遅く、鉄道は暇人の道楽の乗り物と云われる始末である。だからといって無くなっても困るので、大手私鉄17社を国が買い上げて併合したのが、現在のアメリカの国鉄、アムトラックである。これが30年ほど前のハナシ。もちろん併合したからいきなり経営が良くなる訳も無く、赤字は相変わらず。毎年とんでもない金を国から廻してもらってなんとか凌いでいる状況だったのだが、ついに連邦政府が音を上げた。国からの援助が数年以内に打ち切られることとなった。これが数年前のハナシ。なんだか日本の国鉄の歴史をなぞっているようだが。ちなみに国鉄再建法が成立したのは20年前。窮地に立たされたアムトラックは、航空機から客を巻き取ろうと、鼻息荒くアメリカ版新幹線計画(実体はミニ新幹線みたいだったけど)をブチ上げ、この年末から晴れて運行の予定だったのだが・・・。技術的障壁により半年延期になったと云う。尤も、鉄道の高速化は車両だけの問題じゃないので、今世紀中は無理じゃなかろか。
1999.10.12
たん清にて冷麺。珍しく友人おらず。
最近鉄道の不穏なニュースが続く。と思った矢先に西武新宿線で衝突事故である。ああ、乗ったことのある区間だ。
P.JACKにビームを当てると元気になる。始末が悪い。
1999.10.11
たらたらりとFFTで無為に休みを擂り潰していると、突然友人らがやってくる。駄弁り、結局近所の呑み屋に雪崩れ込み、ああこりゃこりゃ。
1999.10.10
スタンプラリー認定証授受@横浜。
電波特番。構成、というか仕込みは相変わらず。Tプロデューサー曰く「テレビに仕込みが無いと思っているから、見ている側なんだよ」だとかなんとか。
1999.10.09
夕刻、友人がSCSIカードとMOドライブを担いでやってくる。2Gほどダメっぽいデータ交換会。その後、呑みに出掛けて、和民で適当な座席に押し込まれて、頭にくる。ジョッキ一杯で河岸をかえる。・・・その晩は酩酊し
深夜、ナに電話。六本松=吉田説を提唱して、嫌がらせる。
1999.10.08
その晩は酩酊しうめいたりした。(漫玉日記1)
1999.10.07
「嗤う伊右衛門」読了。
どこぞの中学入試問題だそうだ。「A、B、Cがウォーキング大会に出た。Aは時速3km、Bは時速4km、Cは時速5kmで歩く。コースの脇には1kmおきにゴールまでのキロ数が表示されている。Aは残りキロ数が歩いた時間とが等しくなった場所があったという。BとCもそのような場所があったという。このウォーキング大会の最短のコース長を求めよ」・・・ハードな大会だこと。
始まる。へっぽこ実験。あまりそれに頼ってはいかん。
1999.10.06
さっきBOW上のmuleをいじっていたら唐突にリブート。ため息まじりの諦観。あれ。BIOSが存在しないHDDを発見したりして起動しない。FDから起動して、FDISKかけてみても、トチ狂ったジオメトリを返してくる。うわ、HDDイカれたかと、慌てる。こういうときに最もアテにならないのは動転している自分自身である。過去に慌てふためいて傷口に広げたことが多々あるので、とりあえず、落ち着けー。落ち着く。蓋開けてIDEのケーブルを挿し直したらなおったけど。大山鳴動ネズミ1匹。
1999.10.05
21000hit。
やたら眠い。
「殺人ダイヤルを捜せ」読了。ゆうづるだの赤電話だの時代を感じさせる。
1999.10.04
史上最高に暑かったらしい9月が終わった下半期初頭は異動の時期でもあって、私が今いるプロジェクトは、向う2年は入ってくる人間はいても出ていく人間はおるまい、というブラックホールのごときプロジェクトであり、案の定転入者が何人かいて、当方OA何でも屋であるので、バタバタすることよ。
1999.10.03
蒲原鉄道。
大正12年10月20日。五泉〜松村開業。
昭和5年7月22日。松村〜東加茂開業。
昭和5年10月20日。東加茂〜加茂開業。
昭和7年11月20日。冬鳥越駅、駒岡駅開業。
昭和60年4月1日。松村〜加茂廃止。
平成11年10月3日限りで、五泉〜村松廃止。新潟から私鉄が消える日。
1999.10.02
夜中友人から部屋に来る(幼児つき)と電話があって、泡喰って部屋の掃除を済ましてみれば、再び電話。渋滞してるから止めた、だと。結局、捨てるつもりのガンガンを再び三和土と框に積み上げてしまう。
そういえば、数学者兼SF作家のルーディ・ラッカーにプルトニウムの固まり2つを人力でぶつけて核爆発、というバカSFがあったなあ。いくら安全と叫ぼうが、総理が納豆を喰うパフォーマンスをしようが(多分そのうちやると思うんだが)、穢れは簡単には落ちまい。単なる汚れとは訳が違う。
1999.10.01
「人形館の殺人」読了。
10年振りに見た言葉。チェレンコフ放射。先日終えたばかりの関東の駅百選スタンプラリーの経由地のひとつ、那珂湊駅は例の10km区域からちょっと外れたあたりにある。目下、水戸〜日立のJRが停まっているので鉄道では到達不能。なお、スタンプラリーの期限は来週一杯。微妙なトコロ。
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