雑記 【雑記topへ】
1998.10.31
1を1031個ならべた数字は素数。背理。
リーチがかかるたび懸命に台をドツいているオバちゃんを見かける。こっちはスーパーリーチに発展するまでは盤面無視してDQMとかやってたりする。こっちが先に当たりを引き当ててふとオバちゃんと目が合う。剣呑な目付き。何もしてないって(尤も、何もしてないのが気に障るのだろうが)。以下は聞いたハナシである。保留玉でかかったリーチを放ったらかして両替に立ちあがったところで大当たりを引いた兄ちゃんがいた。それを見ていたオバちゃん連中、何を思ったかリーチがかかるたびに席を立ちあがっては物陰から盤面をじーっと見つめていたという。なんとも微笑ましくも阿呆なハナシだ。
ちょっと更新停滞予定。
1998.10.30
「まどろみ消去」読了。
ゼナでパブロンを流し込むも、やっぱ今一つ。頭動かん。
3500円で押え込みリーチからノーマル。その後、順調に出玉を吸われる。最後の保留でスローリーチ。当たるわきゃあるめい、と眺めていたらやっぱり外れ。と思ったら再始動でノーマル、さらに再抽選で時短柄に。慌てて玉を借りてアタフタ。時短中に再度時短。時短中にノーマル。ノーマルの30回時短終了直後に全回転からノーマル。さらに単発。100回廻して終了。(ここらへん、理解できなくて正常です)
1998.10.29
風邪。「ふうじゃ」と書いて風邪、というのは初耳。午後は意識うつろ、ウツロ、イロイッカイ。風邪は栄養つけて寝るしかないので、食欲はないが無理矢理飯を詰め込む。GBCを握って布団に潜り込むも、結局昏睡。
1998.10.28
通勤に使っている路線に1号線こと浅草線がある。両端で相互乗り入れをしていて、さらにその先で違う会社と相互乗り入れしていたりして、単一の電車で北総公団・京成・都営・京急と4つの会社を縦断できたりする。つまり、酩酊だの惰睡だので人事不省に陥るとどこまで連れて行かれるか分かったものではないのである。つーことで豪い時間のかかった今日の復路であった。ともあれ無事帰宅できただけで善しとすべきか。しかし、世の中上には上がいるもので、友人でしこたま酩酊して品川から9485Mに乗って気がついたら浜松(浜松町にあらず)ってツワモノもいたが。
GBC購入。ホントに買っただけで見もせず。ネル。んごー。
1998.10.27
「匣の中」読了。なんじゃこりゃ。
組み合わせと云えば、ルービックキューブだのテンビリオンだの組み合わせモノのパズルが流行ったのは20年ほど前だろうか。ルービックキューブには嵌まった。酷使しすぎて疲労分解したくらいである。もっとも当時は無知な小学生、50円のアンチョコを丸暗記するのが精一杯だった。一面を揃える→側面同士の縁を揃える→上面に十字をつくる→上面の四隅を交換して位置を揃える→上面の四隅を回転させて色を揃える→最後に側面を揃える・・・といった当時もっともメジャーだったアルゴリズムである。今思えば、これは理解しやすいが、無駄が多い。結局、このアルゴリズムによる自己ベストタイムは1分10秒くらい。若気の至りでキュービスト大会に参加したりもしたが、問題外の予選落ちだった。優勝者は20秒台だった記憶があるので、もっと効率のよいアルゴリズムを開発していたのだろうなあ。いまなら経験と知識と数値シミュレーションでバキバキに最適化されたアルゴリズムを組み上げれそうな気がする。するだけ。
1998.10.26
昨日の方陣の組み合わせのように、まともに普通の方法で解こうとするとどんな高性能の計算機を使っても時間がかかりすぎて全く解ききれない問題がある。例えば、セールスマンがいくつかの都市をすべて廻るとき移動距離が最短となる経路を求めよ、という問題がある。簡単そうに見えるが、実は考えられるルート(都市数nに対しn!通り)をしらみつぶしに計算していく以上に効率の良い一般的な方法は発見されていない。効率のよい一般的な方法が存在するのかしないのかの証明は、NP問題と呼ばれる今の数学界の最大の難問なのだとかなんとか。
あ、お祭りだ。しかし、胴上げ回数をトトカルチョに使われたからって、監督を10回も放り上げんでも(笑)。
1998.10.25
魔法陣と云えばグルグルであるが、普通は魔方陣であろう。ある本に「1から290までのいくつかの数字を使って、どの行も列も和が848、積が580480783344000となる9次の方陣が存在する」という記述があった。いきなり魔方陣を求めるのは手に余るので、とりあえず1から290の間から異なる9つの数字を取り出し、和が848で積が580480783344000となる組をすべて検索するプログラムを走らしてみる。わ、262574通りもあるのか。これを方陣に組み立てる組み合わせは16347182247925784147932753058211157557637514通りある。って、調べきれるかい(笑)。しかし、我ながら閑なことしとるのう。
1998.10.24
部屋に入ってすぐのところに貼ってある18きっぷののポスター(畳よりデカい)が外出中に剥がれおちて入り口をすっぽり塞いでいた。部屋に戻って電気をつけてから、状況把握するまで暫時。
あれ、日本シリーズだ。じゃあ、どこに。
その昔、消費税が0%から3%になったとき、3%より2.4%のほうがキリがよい、という意見を聞いた覚えがある。1024‰ = 2の10乗パーミルだからだとか。
1998.10.23
YoungAnimal発売。「名物たびてつ友の会」という極めて鉄分の濃いマンガが連載されている。ツボを衝いていて非常によろしい。そういえば、来年のNHKの朝連ドラは鉄道モノだとか。NHKといえば、Monty Pythonsの後釜のRed Dwarfを惰性で見続けていたりする。意外と面白い。
とあるウェブページで私の価値を金額に換算してみた。「一日三食、ずっと肉まん(88円)を食べるとすると329461日間(902年と231日)生きていられそうです」だそうだ。
1998.10.22
忘れた。(全文削除)
1998.10.21
GBP小破。カラーを買えとの天啓か。
酩酊するとよく使うフレーズ。「くたばってしまえ、二葉亭四迷」。ネル。んがー。
1998.10.20
9000hit。
夕刻、ナイスガイよりメイル。お互いSubjectを変更せんので1月ほど同じSubjectのメイルが行き交っていたりする。つーことで突発的に秋葉経由で帰宅することになる。どーしてこう目の前の誘惑に弱いんだろうあたしは〜〜〜っ
新マグナム増刊発売日。おお、鶴謙がちゃんと載ってるではないか。
1998.10.19
でしクトップ。
学生のとき大学生協で買った「悪魔の機械」(FT128)は今では入手困難なのだそうである。古本屋にもなかなか出回らんのだとか。古本屋で\400で買った「Spirit of Wonder」(旧版)は、秋葉の某古本屋のショウケースに\16000つー値札とともに鎮座している。嗜好品は油断しているとすぐ入手困難になる。鉄則は「見たら買え」・・・業が深いことだ。
1998.10.18
気がつけばENIXにいいように転がされているような。
しかし、鉄火場に行くと合理的思考ができなくなるなあ。最近は面倒なんで後悔もしていないが。
1998.10.17
大学のサークル呑み。古傷が。
続き。ドラクエメイリングリストの始まりは、ドラクエVが発売されて、fjで盛り上がったときに、同好の士を募って立ち上げたのがきっかけである。ところが、実は先行して1992年2月にロマンシングサガが発売された直後に似た経緯で、後のDQMLの初期メンバーとなる面々でメイルが飛び交っている。これは割合すぐに鎮火し、メイリングリスト云々まではハナシは発展しなかった。このとき私もそのメンバーに組み込まれていたようだが、恥ずかしいことに端末を触り出してしばらくたつのにE-Mailの存在を知らなかったため、リアルタイムでは参加していなかった。ちょうど、卒論でドタンバタンしていた時期で、結局そのメイル群をスプールから読み出したのは春になってからだった。ともかく、そのような下地が有ったため、DQMLは比較的すんなりと立ち上がった。つまり最初はロマサガのメイルを廻したメンツを強制的にCcに放り込んでメイルの往来が始まったのである。当初、Ccで廻していたメイルもまもなく某氏ハンドメイドのメイリングリストツールを介して流れるようになった。その影響で152番以前のメイルはこの世に存在しない。ドラクエVの直後に真・女神転生、さらにFFVと情報を集めたくなるゲームが相次いだこともあり、一気に会員も増え、とんでもない勢いでメイルが飛び交うことになったのであった。メイリングリストのサーバマシンのLUNAでは山ほどsendmailが立ち上がり、常時アップアップしていたと云う。
1998.10.16
ドラクエモンスターズ、ドラクエ世代には溜まらんものがある。
すでに無くなって久しいが、かつてドラクエメイリングリスト、通称DQMLと云うのがあった。スタートしたのはドラクエV発売直後の1992/10初旬。大学か企業の研究所でなければE-Mailを使えない当時としてはかなりの大所帯で、毎日数十通のメイルが飛び交っていた。ドラクエといいながら結局スーファミのゲーム全般を扱っていた。当時は攻略本がさほど出回っておらず、ネットワークを介してやりとりする情報は貴重であった。ビッグタイトルも少なく、みんながみんな同じゲームばかりしていたので話題もばらけず、今思えばいい時代だった。それからまもなくゲーム発売と同時に詳細なデータ付きの攻略本が売られるようになってしまったため、ネットワーク越しにデータを集めることが無意味になってしまった。さらにその後、SATURNやPlayStatationが発売されたりして、スーファミの時代も終わりつつあった頃、メイリングリスト管理者の某氏が大学を離れたのをきっかけにDQMLも終わることになった。1996/10頃のハナシである。私はDQMLの初期会員であった、と云うか参加させて呉れと頼む前に強制参加させられており、いきなり[DQML]ほげほげ、というSubjectのメイルがジャンスカ舞い込み面喰らった記憶がある。(続く)
1998.10.15
昨日の無茶と云うか無茶苦茶が祟って、あちこち軋む。厠に立ち上がるのも面倒なくらい。ででで。
あ、アレの支払いはアレの#2で。
1998.10.14
鉄道の日。明治5年(1872)9月12日、新橋〜横浜に日本で初めての鉄道が開通した。前夜までの雨もあがり青空の広がる新橋駅に明治天皇など当時の要人が臨席し、華やかな開業式を迎えたと云う。残念ながら当時の新橋駅は現存しない。かつて汐留貨物駅として新橋の隣にあったのだが、今では単なる更地となっている。国鉄清算がどうのこうのと騒がしかった場所でもある。ちなみに現在の新橋駅は後に出来る烏森信号所のなれの果て。また当時の横浜駅は現在の桜木町駅の場所にあった。列車は28.9kmを53分で駆け抜けたという。駅は新橋、品川、川崎、鶴見、神奈川(廃止)、横浜しかなかったが、ルートは今の東海道線(桜木町駅は以前は東海道本線だった)と同じである。太陰暦の9月12日を太陽暦に直すと10月14日である。平成6年から鉄道の日と定められたが、不思議なことに祝日ではない。
と云うことで自主休業をして、当時を忍んでみる。
放浪の記録。10:30桜木町駅を徒歩で出発→16:45蒲田にて日没により挫折。踏破距離18km。ポケチュウ34429歩。しょうがないので残る蒲田〜新橋は来年歩くとしよう。ぜぇぜぇ。
1998.10.13
自分でも驚くくらい記憶がはっきりせんのです。昨日のこともその前日のことも、いやうっかりすると数時間前のことすら忘れていることがあったり、いつどこで誰と逢い何をしたのか・・・。つー訳ではないが特記事項なし。仕事が閑になったらこの有り様。有り難き。
責任とってね、などと云う怪しげなメイルに、久々にうる星2鑑賞。台詞はほとんど諳んじてるんだけどね(笑)。あ、はれぶたってバクだったのか。
おいおい、STORIKEってなんだ > Let'sぬぷぬぷ。
1998.10.12
夜行列車の座席で眠るのにも慣れた。パチンコであっという間にン万スるのにも慣れた。仕事で土日がないのにも慣れた。だから、これにも慣れる。
1998.10.11
艦長、あなたは間違っている。
つまらんこだわりに「普段使わない駅のみどりの窓口を利用する」と云うのがある。旅行中に二段ロケットよろしく次の旅行の切符を手配したりするのである。ところがJRの決め事に「払い戻しは切符を発行した駅でのみ扱う」と云うのがある。つーことで、自ら要らん面倒を背負い込んでいたりする。バカタール。
1998.10.10
とある番組を録画し損ねた気がしてパニくりかけるが、ああ来週からだ、と安堵。
溜まったゲームやりつつ、午睡。
ルネッサンス期のヨーロッパは毒薬の全盛期でもあった。16世紀、もっともメジャーな毒薬が砒素であった。ボルジア家が愛用した毒「カンタレラ」の主成分は亜砒酸と伝えられている。なんでも「相手を一日で殺すことも、一月で殺すことも、あるいは一年がかりで殺すこともできる」のだとか。ちなみに、裏切り暗殺権謀術策を能くしたチェザーレ・ボルジアはカンタレラで死に掛け、そこからボルジア家は没落していく。この時代、権力に憧れ砒素をあやつった人間は五万といたようである。調べたらボロボロ出てきやがる。
1998.10.09
損失補填休暇。
溜まったビデオ見つつ、午睡。
1998.10.08
「屍鬼(下巻)」読了。破滅を約束された物語は救いがない。
久々に上海のバージョンをあげる。表からは違いを観測できない程度の改良。ところが、おそらくPalmのソフトのレビューをしているページからだろうが、アーカイブに直にリンクを張っているようで、新しいバージョンはじぇんじぇん参照されてなかったりする。ま、道楽で開いているページなので自助努力せん輩にまで周知するような面倒はしないが。
1998.10.07
仕事なんかすこポーんと忘れちゃいたいですねー。意味なんかないプー。
しかし、屍鬼は分厚くて持ち運ぶのが面倒じゃ。
1998.10.06
出社するも、仕事が一山こえたんで閑もてあまし、ひねもすのたくた。
ポヤッチオは夏休み追憶RPG。長電話していたら、アイスが色甘水になってしまった。
ながらの指定と鉄道の日記念乗り放題切符を手配していたのだが、突然わたわたと予定が差し込まれてしまう。払い戻すか・・・くそ。
1998.10.05
損失補填休暇。ひねもすのたくた。
1998.10.04
「屍鬼(上巻)」読了。
散髪。髪結いの亭主はジョルジュ・シムノンだったか。
ちょっとした性格判断を受ける。入力として本名と生年月日と血液型しか渡していなのだが、これがかなり当を得て、的を射ている。無邪気に受け止めずに、当たったような気分になる仕組みを考えてしまうあたり天邪鬼である。この手の性格判断モノの基本はパタンマッチングによるクラス分類であろう。統計処理で弾き出した最大公約数的性格をさらに多義的に解釈できるようなぼやけた文章で書いておく。性格判断は当たる、といった予断を持っていれば、無意識のうちに自分の性格に合致するような解釈をしてしまうので、当たったような気分が味わえる。外れた部分は印象に残らないものだ。生身の人間はのっぺりとしたゲームのNPCのような一元的な単純な性格をしているわけではなく、体調よろしく時と場合によって色々な性格の側面が現れる。天気予報の晴のち曇一時雨、のようなワイルドカードな判断を出しておけば、読む人間が勝手に当たったと思うような仕組みになっている。・・・しかし、と云うほど暈けた文章じゃないんだよなあ。弱肉強食。
1998.10.03
実は未だにHTML言語の詳細仕様を知らず。HTMLに限らず、大抵のコンピュータ言語は人のソースやツールの吐き出すコードで覚えていたもので。HTML言語のリファレンスをつらつらと眺めてみる。案の定、誤解だらけ。工学屋的解決法(仕組みはともかく動けばよし)を採用し、特にここの頁の修正はしないが。
1998.10.02
同期呑み。酩酊。
ところで、実はMonty Pythonsは先週で終了していたのだった。後釜もBBCのか・・・わはは、馬鹿ドラマだ(褒め言葉)。
1998.10.01
巷間では内定式だったりするらしい。二股かけている人間を他社の内定式に出席させないために、新卒予定者をこの日一日軟禁する企業があるとか何とか。知りあいで富士急ハイランドに押し込まれて内定を貰っておきながら、見事に卒業できなかったという豪のモノもいるが。
ワルキューレの冒険・アレンジ、解く。
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