雑記 【雑記topへ】
1997.11.30
二日酔いどころか三日目まで引きずる。前々から行こう行こうと思っていた散髪にようやくでかけたのだけれど、洗髪で下を向いた拍子に熱いものが込み上げてきて大変なことになるところだった。
今回のは過去最悪だ。禁酒する。
1997.11.29
完全な二日酔い。夜になっても回復せず。
1997.11.28
派手に呑む。
1997.11.27
集団で何かを作っているとき、技術的に難しい部分をある人間が彼にしか理解できない方法で作ってしまったとする。誰も彼のその方法を理解できなければ、彼抜きでは何人集まろうと同じ物はつくれない。それどころか、それが次々により高性能高機能なものへと絶えず改良が加え続けられるような物ならば、かえって彼の仕事は邪魔になる。かくして彼は自分の作ったものの唯一の理解者として、いつまでも彼にとっては大したことのない生産物のお守りをしなければならなくなる。以後、埋没した彼の才能がなにか優れたものを作り出すことはない。集団作業の現場において、独創をもって成果をあげることは利口なことではないのかも知れない。たとえその独創抜きではまともな物が完成しないと分かっていても。馬鹿な話だ。
1997.11.26
何も考えずに場当たり的にプログラムを組むと、動くには動くが実行に寝てしまうくらい時間がかかるなんて話はよくあることだ。そんな訳で機能面が充たされた後には、性能面の改良、すなわち最適化がまっている。要はプログラムを同じ動作をし、かつ速く動くコードに差し替えていく作業である。
さて、5分かかるプログラムをこれでは遅くて使えんので、1分にして欲しいと頼まれたとする。1割速くするのなら既存のコードを見直していけばなんとかなるかも知れないが、5倍となると現状の延長ではまず無理だ。そんなに簡単に5倍も高速化できるようなコードを書く人間はアホだ。とにかく、数倍とかいったレベルで高速化を図るなら基本設計から見直さないといけない。つまり、全くの白紙からしかも既存のアルゴリズムは使わずに、同じ動作をするプログラムを作ることになる。苦労する割に報われない仕事だ。プログラムの動作はいっしょなので部外者からは新たにモノをつくったように見えない。高速化をしたらしたで出来るなら最初からやれよ、などど嫌味を云われる。遅いなら速いマシン使えばいいじゃん、なんて意見もよく聞く。たしかに最近のマシンパワーは一昔前の数百倍、プログラムをいじって頭で1割稼ぐより、P5-200をP5-233にして力で1割稼ぐ方が賢明かもしれない。昔、1byteを惜しんで LD A, OH の代わりに XOR A を使っていた人間からしてみればいい時代になったモンである。もっともマシンが高速になっても、プログラムの高速化のパズル的側面が気に入っているので、最適化をして遊ぶことは辞めないだろうけど。
1997.11.25
ありがちな話であるが、仕事が一山越えてしまったら、なんか腑抜けてしまった。なんか何をするのもおっくうでどうにもならん。もちろん、ちゃんと次なる仕事も積まれているのだけど。
先日ストレス解消のため碓井峠を歩いたが、その話を書く。私は歩くことが苦でない。10km程度ならぜんぜん平気。無計画な旅行では自分の足ってのはかなり有用な移動手段であるので、旅行プランに歩きを組み込むことも多い。私は方向感覚がそこそこ優れているようで、初めての土地で地図なしでも滅多に迷わない。もっとも迷う、迷わないなんて主観的な区別でしかないので、迷ったと認めなければ迷ってないことになるのだが。そんないい加減な調子なので、たまに火傷もする。例えば以前、高山で合掌造りの里とかいう駅から5kmほど離れた観光地を廻った帰り、バス時間が折り合わないので道路標識をたよりに徒歩で駅まで戻ろうとして道を間違えてものすごい遠回りをした挙げ句、乗ろうとしていた列車に乗れず、その後の計画がわちゃくちゃになったことがある。普通なら旅行の予定が崩れるというのは大変なことなのだろうが、私にとっては、そういったトラブルの拘束条件下でいかに上手く移動することができるか、と云う新たなパズルを解くだけのことである。まぁ、無計画な放浪の旅とは云いながら、無意識のうちに代替ルートをいくつか用意しておくので本当に手詰まりになったことは1回しかない。唯一の手詰まりのときは3月にシュラフなしで野宿をした。凍死するかと思った。
1997.11.24
案の定、昨日の後遺症であちこち痛くて身動きが取れない。でも筋肉痛が翌日出ないで翌々日出たりするよりマシなので善しとしておこう。
しばらく仕事に追い立てられていたため部屋が荒れているのでゴミを出す。雑誌も一山捨てる。ついでに髪を切ろうとおもったら、いきつけの散髪屋は月曜日が定休日なので、またしばらくは伸びた頭ですごすことになる。溜まったビデオと洗濯物を処理しつつ先日かってきたアザーライフ〜をやる。やっぱ、Rogue系詰め将棋みたいにちゃんと考えて行動しないとぜんぜんダメゲームと相性が悪いような気がする。でも来月のチョコボの不思議なダンジョンも買うんだろう。
ほったらかしになっていたPilotのゲームを少しつくってみるが、いまいち面白くない。パソコンいじりのついでにホームページの整理をしてみるが、これもいまいち。
体がだるくて何をしてもパッとしない。たしかに昨日の放浪は無茶だったかもしれんが、後悔はしない。現状は何も変わらんから。
1997.11.23
ストレス発散のため、碓氷峠を歩く。軽井沢駅から横川駅まで17km。詳細はそのうち放浪記に。
鉄道の乗り潰しは極まってくると、乗る時代から歩く時代へと変化するらしい。次回案として旧新橋駅跡〜旧横浜駅跡なんてのを考えたが、26kmを一日で歩く自信がないので保留。代案としていたってノーマルに東海道53次53回払いで歩くなんてのを考えたが、やるのかホントに。ともかく体がヘロヘロなので今日はここまで。寝る。
1997.11.22
今月はもう休めないと思っていたが、意外にすんなり仕事がかたづいたので、久しぶりの休日。とか思っていたら私の作ったところでバグが出たとの電話。結局休めず。自業自得か? 実は設定を1つミスっていただけ。
腹いせにアザーライフアザードリーム購入。要するにRogueである。Rogue系ゲームの頂点といえば、NetHack(いや、TNGだ、omegaだとの声もあろうが)。移植作業でソースを熟読したのにいまだに解けない。もっとも私のゲームプレイポリシーは「力でゴリ押し」なので、ちょっとしたミスが命取りなRogue系は向いていないのかもしれないが。で、NetHackであるが、これがおそろしく濃い。アメリカ製なのにナウシカだのセラムンなどからもネタを拾っている。負けじと移植スタッフも濃いネタを盛り込んでたりするが。混乱したときのメッセージに注目するべし。そんなどうでもいいことに体力を注いだスタッフはゲーム中店主として登場する。とはいえオリジナル版のスタッフだけでも数十人もいるのでなかなか競争率が高く、日本人名の店主は何千分の1でしか出てこないが。私も雑貨屋店主として出てくるはずなのだけど、自分でいまだ見たことがない。私の卒業後、研究室でJNetHackが流行り、ついにはホームページを立ち上げるほどの盛り上がりだったらしい。研究しろ(笑)。噂によると、どんな会心のプレイ中でも私が店主になっている場合は、店主に殴り掛かってランキングに記録を残さなくてはならないとか。

***は運命の大迷宮の地下4階にて粟津という名の店主に殺された.
1997.11.21
目がさめたら8:15でぶったまげる。なんか強烈なデジャブを感じるのは気のせいだろう。
ゲームの思い出話の続き。
初めて自分で買ったパソコンは、今思えば血迷ったことにPC-6601。歌うパソコンと宣伝されていたP6シリーズの末期のマシンである。末期だけあってソフトの本数も少なかった。それでも、当時は業界標準アーキテクチャが確立されてなかったため大抵は数機種のプラットフォームに対応していたので、現在のX68kのように全くソフトがないということはなかったが。P6シリーズは入門機種だったのでそれなりにゲームも出ていた。最初に買ったのはアドベンチャーゲームのデゼニランド。コマンドはすべてキーボードから「move can」だの「open coffine」だの打つのであるが、もちろんすべてノーヒント。aproachだのpolishを思い浮かべるのにどれほどの時間がかかったことか。結局解くまで丸1月はかかったと思う。そのうちのほとんどが思い付く限りの英単語を打ち込んでは「コマンドガチガイマス」を見るだけの時間。たしか最初の売店で浮き袋とヘルメットを買い損ねるとハマると分かるまで3回くらいやり直したような気がする。アドベンチャーゲームとは面倒くさいものだと思ったが、それでもみんな結構喜んでいたもんである。その後アスキーから出る「オホーツクに消ゆ」まで、アドベンチャーゲーム = 単語探しゲームだったのだ。「サラダの国のトマト姫」しかり「ポートピア殺人事件」しかり「コロニーオデッセイ・前編」しかり。そういえばコロニーオデッセイの後編を遊んだ人は本当にいるのだろうか? 私にはあの内容に14800円出して後編を遊ぶ勇気はなかった。誰か後編がどうなっているのか教えてください。肝心のPC6601はとっくに廃棄しちゃったんで、ディスクは要らないです。
1997.11.20
という訳でPILOTで書く雑記、第2回である。何とか仕事のメドがついて、めずらしく9時前に退社して、地下鉄の中でスタイラス片手にこれを文字通り書いているのたが、ちょうど良い暇つぶしになり、いい梅塩である。
さて、昨日の書こうと思ったことを書く。
しかし昔のゲームはなんと気の長かったことか。今日日1年も同じゲームにつきあう人間はポケモンコレクター位であるが、かつてはそれが当たり前の時代があったのである。パソコンといえば8bitのことを指していた頃、12、3年程前の話である。私が初めてパソコンでやったゲームはブラックオニキス、国産RPG第1号という触れ込みだったと思う。今思えば無茶苦茶ストイックなゲームで、ストーリーや謎解きはほとんどなく、延々と地下迷宮をさまよい歩いては戦闘を繰り返すゲームだった。一応エンディングらしきものもあったが、終盤のプレッシャーに耐え切れずとうとう正攻法ではクリアできなかった記憶がある。当時は攻略本なんて便利なものはなかったし、大体その手の雑誌がほとんど出版されていなかった。せいぜいログイン、ポプコム、テクノポリス、ベーマガくらい。とにかくすべて自力で攻略しないとゲームを遊ぶことができなかったのだ。そんなゲームでも5千円とかしていたので、貧乏な高校生はあきもせずストイックなゲームに付き合っていたのだ。最近CMで世界は3つとか云ってるXanadu/Y's/DragonSlayerは(Y'sはともかく)パソコン黎明期のとにかく戦って戦って戦うRPGの代表作で100時間で解ければ早いほう、一回もハマらずやり直し無しでクリアできたら運がいい、なんて今ならクソゲー扱い間違いなしのゲームなのである。それでも当時はハマった。徹夜をした。マップを書いた。攻略法でノートを何冊もつぶした。ああ青春の無駄遣い(笑え)。しかし、今いくら閑と体力があってもさすがに同じ真似はできない。目が肥えてしまっているからだ。
思うに、ゲームの面白さはそれ単体ではなく、その時の時代背景やプレイヤーの経験などで大きく変わってしまう、極めて主観的な尺度なのであろう。流行歌といっしょである。ハイテクなイメージのコンピュータゲームと云えども風俗の一形態ということなのだろう。
# 結局PILOTで書いたのは最初の7文章だけ。入力デバイスとしてキーボードは偉大だ。
1997.11.19
毎晩毎晩、遅く帰ってからポリポリ雑記を書くのはちょっとつらくなってきたので、暇を見つけてPILOTで書くことにする。
今日は所用で幕張へ。久しぶりにビル正面の出口から会社をでる。いつもはとっくに鍵がかかっていて、裏口からでないとでれなかったのだ。移動中は熟睡。疲れとるなぁ。肝心の用事はあっけなく終わり。なのはいいが、終了時間が中途半端で往生する。会社に帰るとちょうど終業といった時間なので、帰るのもあほらしいし、かといって帰宅するには早い。結局幕張に居る知り合いを訪ね歩きウダウダやって過ごす。午後は仕事にならず。このしわよせがどうせ明日にくるのがわかっているのでなんともユウウツ(うまく変換出来ん)になる。
と、ここまで打つというか、書くのに10分。PILOTでドキュメントを書くのも悪くないかも。
以下PC。
上まで書いたところで休憩コーナーでうたた寝していまい、気がつくととっくに終業時間。友人と晩飯を喰う約束の時間も過ぎており慌てて待ち合わせ場所へ。なんとか落ち合い二人で呑みつつ飯を喰っていたら、後ろにさらに何人か知り合いが入ってきたのでそちらに合流して呑んで喰ってゲーセンで財布を軽くして帰宅。
なんかもうちょっと書くネタを思い付いたような気もするが、連日の疲れに酒が入ったので眠くて眠くてしょうがない。先週の水曜日の深夜枠の録画は時間がずれて悲しかったので、今週はリアルタイムでチェックとか思ったけどだめだ。寝る。覚えていたら続きは明日。
1997.11.18
ゲームの話の続き。
今のメインのコンシューマ機はPlayStationである。それもDTL-H3000、黒ステである。ねっとやろうぜに申し込んですでに1年半になるが、開発はおろか他人の作ったソフトをプレイするなんてことすらせず、12万円のゲーム機としてPCの箱の上に鎮座している。開発にせよ何にせよ、とにかく閑がない。最近のゲームはより長く遊べるようにいろいろ小細工がしくまれているが、とても1つのソフトに50時間も付き合っていられないのが実状だ。解く、もしくは納得の行くまで上達する前に次の琴線ガツンなソフトがでる。なまじ小金はもっているのでとりあえず買う。その前のソフトはサスペンドされるが、以後おなじ調子でどんどん新しいソフトに手を出していくので、いつしか中断したソフトの存在すら忘れ、非常に中途半端なゲーム生活となる。これではイカンと、今年の初頭、ゲームを途中でなげない宣言をしたが、やっぱり上手くは行かないものだ。
今年の戦歴
SFCのテイルズオフファンタジア / はやりモンのFFVI / ヴァンダルハーツ / 血迷ってロマンシング・サガ2 / トゥームレイダースは泣きそうになりながらクリア(アクションは苦手)/ アランドラは切れそうになりながらなんとかクリア(アクションは苦手)/ マリーのアトリエ / サガフロンティア、エミリア編を解いたのみ / 虹色町の奇跡 / トバル2 ダンジョン途中 / FFT、稼ぎに専念するあまりストーリをすっかり忘れる。未完了。 / ダービースタリオン 30年分 / 同級生2 PC版と変わらないので1回で放棄 / ナムコミュージアム アンコール Rompers全面クリアのみ / ネバーランド 5年分 / マイエンジェル
過去の実績からみると、土日もなく忙しい時はあとから理解に苦しむほどゲームを買い込んでいるので、これからの衝動買いがおそろしい。自分の意志で押さえ切れるならそれは衝動買いではない。
1997.11.17
どうでもいい話だけど、私の頭の中では「ななみ」の第一候補が「名波」ではないので、今日のニュースはなんとも妙な気分になった。
しかし、毎度毎度の終電コースでゲームなんぞやる閑なんかあるかい、と思いきや、これがあるんだな。忙しいほど余暇にも気合が入るってのは、あれ一昨日書いたな。とにかく、毎晩コツコツと経験を稼いだりしている。考えてみれば、私とTVゲームの付き合いは呆れるほど長い。インベーダ(のデッドコピー)の頃から20年近く衣食住ゲームってな生活をしている。一番強烈に嵌まっていたのは高校の頃だ。通学路上にゲーセンどころか、普通の店すらほとんどなかった田舎だったので、ゲームをするには高校から家と反対方向に5kmほど離れた市街地まで毎日のように自転車をこいで通っていた。そんなに小遣いがあったとも思えんが、片道15kmの帰り道を手前で10kmも延長してまでよくやったもんだ。その後パチンコ屋通いでしばらくゲームから遠ざかった時期があるものの、ゲーセンでバイトを始めたため再びはまる。第二期である。その後は戦いの場をゲーセン、スーファミ、PC98、プレイステーションと転々としながらほぼ切れ目なくゲームに嵌まっている。ちょっとPSの所有タイトル数を数えてみる・・・少なく見積もって120本。って年収の2割だぞ。
で、そのゲームの経験が何の役に立っているかと云うと、もちろん何の役にもたっていない。
1997.11.16
休日出勤の届けを出しておきながら、目が覚めたらまたもや10時でぶったまげる。やっぱり娘をそだててる場合ではなかったか。少しは学習しろよ。
P5のバグ話。ある4命令をCPUを喰わすとどんなOSからでもフリーズするというやつ。どれどれと某所からバグを叩くソースを引っ張ってきてみて走らしてみると、見事にフリーズ。CPUは論理演算回路の化け物であって、論理演算は云ってしまえば原始的なプログラムである。プログラムには必ずバグが存在する。ゆえにCPUにバグがあるのはそんなに不思議なことではないが、CPUはハードウェアなのでパッチをあてるとかいった逃げ道がない。ハード交換以外に根本的な解決はできない。応急処置でOSレベルでそういった命令列にガードをかけるらしいが、ハードウェアの欠陥をソフトでカバーするのは大変だぞ。まぁ、普通に使ってる分にはまず起こり得ない事象らしいので、気にしないことにする。アプレットやActiveXとかに組み込んでネットワークごしに相手のマシンを落とすなんてことも不可能ではないのだろうけど、普通ハングしたらMSのOSのせいだと思うよなぁ(笑)。
1997.11.15
休日出勤の届けを出しておきながら、目が覚めたら10時でぶったまげる。で、結局その分仕事が押して、またもや終電コース。やっぱり娘をそだててる場合ではなかったか。しかし、人間やることが溜まりに溜まると、すべておっ放り出して逃避行動に走ることはよくあることだ。さしずめ、今ならJNetHackがあがれるくらい忙しいと云うところか。JNetHackと云えば、移植プロジェクトに勝手にエントリーさせられ私も一部翻訳を担当した。あのときも修論で煮詰まりに詰まっていた。当初は論文をかきつつ合間にモンスター辞典の翻訳をしていたのが、論文の〆切の頃にはほとんどJNHにかかりきりで、神統記や幻獣辞典まで買い込みたいした気合のいれようだった。つーことで、かえってページの更新や私的プログラムの製造に身が入ったりするかも。つまり、歴史は繰り返す(違うぞ)。とかいいながらしばらくは娘をそだてるのに忙しいだろうけど。
1997.11.14
今日は云わずと知れたパチンコの日。お客様感謝デーなんて言葉につられて出掛けると、さらにパチンコ屋から感謝されてしまう日である。閑な学生時代にはパチンコの稼ぎで生きてた時期もあったけど、その後馬だの自転車だのに手を出して、時間給があまりにもよくないことに気付き最近はバクチは見るだけにしている。バクチで負けない方法はやらないことだ。もっともバクチ打ちは死んでも懲りないのでなにかきっかけがあればまたぞろ閑と金をつぎ込むのだろうけど。
実は今月はもう休めないことが判明したので、腹いせにゲームを買って帰宅。その名も子育てクイズマイエンジェル。クイズに答えて娘を育てると云うゲーセンに出回り始めたときはナムコが壊れたと一部で話題だったイカすゲームである。そのあとのダンシングアイでやっぱり壊れていたことを証明。さすが去年の経常利益業界トップの会社、懐が深い。
そういえば、最近のCR機にピストル大名なんてのがあるが、あれはナムコのピストル大名の冒険というゲームのキャラで、さらに元々は名作ベラボーマンの敵キャラだったのである。ゲーセンでバイトしてるから知っているが、ピストル大名は恐ろしいほどインカムが上がらず、わずか1週間で撤去されたナムコらしからぬクソゲーである。どこの誰が探し出したのか知らんけど、そんなキャラを使おうと云うのだから大した英断である。こちらも元々はアイレムのアクションゲームの主人公だった大工の源さんを越えるヒットになるか? もっともパチンコはキャラが受けるわけではないが。
1997.11.13
またもや終電コースなり。ぐう。
1997.11.12
なんか腹立日記の様相を呈しているので、たまには仕事以外のことを書く。
気がつけば、冬である。部屋ではいまだにTシャツで暮らしていたりするが。豪雪の田舎を離れて10余年だというのに、つくづく寒冷地仕様な体である。と云うことで連れ立っておでんを喰いにいく。しかし馬鹿話ができるコミュニティの存在は有り難いものだ。銀座とは云いながら、思いのほか美味かったし、安かったのでなんか理由をつけてまた同じ店に招集することにしよう。
ところでおでんで思い出したが、母校ではこの時期になると研究室対抗駅伝大会を行っていて、何故かどこの研究室でも反省会として研究室でおでんをつくっては呑む風習があった。今思えば妙な風習である。研究室はちょっとした山のてっぺんにあったため駅伝コースは非常に起伏に富んだコースで、普段は研究室に篭ってゴソゴソやってるような学生が練習抜きでは完走もあやしいコースであり、練習は必須だった。8月くらいになると11月の本番に向けて練習を開始し、本番まで毎日4kmとか走る。本番では教授や助手にも走ってもらい、それこそ研究室をあげてのお祭り騒ぎとなる。3ヶ月も練習してくれば自ずと気合も入る。本番の日は駅伝以外のことは何もしないほどである(普段から何もしないと云う話もあるが)。よっておでんは前の晩に作っていた。20人くらいで突つくことになるので、業務用の大鍋に山ほどの具を放り込みグツグツやるのである。これをアチコチの研究室で一斉にやるため、大学の近所のスーパーのおでんネタはこの日完全に消える。そして、駅伝本番の日は研究棟全体がおでんの匂いで充満していた。そんな訳でこの時期におでんの匂いを嗅ぐとなんだか走らなければならないような妙な感覚に襲われたりするのであった。パブロフのおでんか(笑)。
1997.11.11
数式を評価するプログラムをVBでこさえる。ロジック自体は大学で習っていたのだけどそんな昔のコードを覚えているわけもなく、再発見的にソフトを組むのはなんともイライラするものだ。以前たしかに同じ物を組んだ筈、ということばかり思い出されて嫌な気分になる、ってのはなんか普段からよく感じているなぁ。と思ったら、あれだ、ドキュメントを書いてる最中に頼みもしないのにセーブ前のドキュメントごと勝手に異常終了して、しょうがないから同じ物を一から書くときに感じるぶつけどころのない嫌な気分と同じものだな。試験走行で試験対象アプリがコけると、それをコントロールしている筈のVBの統合環境ごとコけるなんて信じがたい事象も手伝って、同じコードを何回か書かされたので、結構満足できる出来のモジュールになった。昔の8bitマシンのBasicもアセンブラで同じ処理をしていたのかと思うと、目眩にも似た感動を禁じ得ない。不定形な数式の解析なんて情報処理の基礎だとおもっていたのだけど、廻りの人間は誰も知らないし、なかなか理解してもらえない。これが分からなければ、電卓の動作原理すら理解できないのに。そういえば、このロジックを教えられた講義の単位取得者は全体の1/3程度だった。ということはSEと云えども手前の使っているコンピュータが本当はどうやって動いているかを知っているのも、そんなもの・・・そんなにいるわけないか。これで飯食ってるんだから、少しは知れ。
1997.11.10
最近よく見るCMに漫画家や小説家やゲームクリエイターになるための学校というやつがある。なんて月曜日深夜に書くと何を見てるかバレバレだ(笑)。漫画とか小説とかゲームをつくるのはいわゆる創造的な仕事というやつでセンスオブワンダーが大事である。人が思いつくようなことをやっては商売にならない。さて、どんなに良い教官の揃っている学校あろうと、人が思いつかないようなことを教えてくれるだろうか? もちろん断じて否である。こういった学校に入って素晴らしい漫画とか小説をかけたとすれば、それはその人間に才能があっただけの話。学校に通った程度で売れるなら学校なんぞ作らずに自らクリエーターになっている筈ではないか。つーことであの手の学校は競馬場の表で怒鳴っている予想屋といっしょで失敗したときの自分に対する言訳の理由程度のもんでしかないと思う。通うのは自由だけど、その学校で教えてもらったこと以上のことができないようでは成功は覚束ないし、教えてもらったことを元に色々やれるようであれば、別に学校にいかなくても成功する人間だということだ。たいだい創造的な仕事をしたいからそのための学校で勉強するなんてありきたりの発想でどうやって人の意表をつくのつもりだ。
まぁ、その手の学校に行けばその手の業界の周辺業務に滑り込める可能性があるんだろうけど。しかし、その程度の志ではぶら下がられるほうは溜まったモンじゃないよなぁ。
1997.11.09
溜まったビデオを消化しながら、髪を切りたいなぁとか思いつつ寝間着でVBをゴソゴソいじっていたら、不覚にも嵌まってしまい、日が暮れる。半日いじっただけでアプリをかける気になるから、そんなに悪くない処理系なのかもしれない。VBと云う名前に騙されたが、ちっともBasicじゃないじゃないか。ところでVBをインストールしてからどうもマシンの挙動があやしい。なんでもDLLを一部勝手に書き換えてくれるのでその関係で不安定になるとかなんとか。ソフトのインストールをしながら、こっそり影でサービスパックと云えば聞こえはいいが単なるバグフィックスパッチをあてると云うのは、やっぱり不誠実だ。こういった不具合を直しました、なんて説明は多くのユーザは理解できないからこっそり直しちゃうなんてのは、大人のすることじゃないと思うんだけど。そういえば最近話題のIE4も影でOSをパッチあてしてるとか。IE4をインストールしてついでにOSにパッチをあててもらって、信用できないIE4をアンインストールして、OSをバージョンアップ、なんて冗談みたいな話もよく聞く。なんとも本末転倒だよなぁ。私はネスケから乗り換えることは絶対ないと思う。まぁ、普通のエンジニアならMSに善い感情は抱かんだろうけど。
1997.11.08
休日出勤。Java使いの経験をまったく積まないうちにVisualBasic使いに転職することになったので、これまた急遽経験値稼ぎに奔走。しかしBasicなんて10年ぶりくらいだ。最近はUnixのコマンドラインでの開発ばかりだったので、GUIなコーディングというのはどうもなじめない。Xやpalm-pilotだったらGUI廻りも結局自前でコードで書かないといけなかったので、その名残とでも云うべきか。しかし、あと10日でVBを覚えてAPを1本仕上げなければならないという無茶な計画を押し付けられてしまったので、しばらくここのページには愚痴やらなにやらが並ぶ可能性大。gccでCUIだったら3日で組めるのになぁ。
1997.11.07
某氏が「皿を割りたい」とか云い出すので、五反田にある皿を割れる呑み屋を案内する。なんか知らんがストレスが溜まっているようだ。その皿を割ってもよい店であるが、なんでもかんでも割れるわけではなく、割るための専用の素焼きの皿が1枚100円で売られていて、さらに店の中に安全に割るための金網張りのブースがあるのである。しかし、故意に皿を割るなんてことは日常ではそうそう経験できるもんではないから、素面ではなかなか割れないような気がする。そのためかどうか、その店は大抵できあがってる人間が酔いにまかせてガシャガシャやってることが多いような。そのうち、割ったらいけない什器を割ったり、破片で怪我したり、隣の客とけんかを始めたりと大変にぎやかなことになる。何故かこの店に寄るとしばしば武勇談が出来上がる。過去の実績では、終電で派手に乗り過ごして13km歩いて帰った、カバンを無くした、成田まで行った、終電で乗り過ごし駅前の派出所に潜り込んで寝ていたら職質された、そもそも店に行ったことをまったく覚えていないなどなど。破壊活動という非日常的シチュエーションで興奮して血の巡りがよくなって、ついでに酒もいい具合に巡り、体によくない酔い方をするようだ。
最近転勤してからはその店にいけなくなった。ありがたいことだ。
p.s.上記の武勇談はほとんど同行者のものです。
1997.11.06
一日12時間の会議ってなんなんだ。帰宅AM1:00。も、寝る。
1997.11.05
Torteにかかりきりで、次のゲームの実装をほっからかしにしていたら、海外で私のアイデアとほとんど同じソリテアが発表されてしまった。口惜しい。
さて、月初めなので色々雑誌が出る。YoungKingOurs!は創刊号から毎号買ってる数少ない雑誌。エクセルサーガも捨て難いが、目当てはGEOBREEDERS。今月号はニヤニヤしながら読んでしまった。何の間違いか(雑誌自体がかなりマイナーだから、間違いに違いない)がOVAになるらしい。ベル☆スター強盗団の頃から無茶苦茶なアクションが気に入って追いかけているんだけど、気に入ってる作品がメジャーになるのは嬉しくもあり、反面マイナーな雰囲気がなくなるのを悲しんだりしてなんとも身勝手なもんである。まぁ、OVAになったくらいでメジャーにはならんだろうけど(笑)。しかし、マンガ雑誌と云うのはエラいいきおいで溜まる。降り積もる。振りかえれば50cmほどの山が3つに、玄関に2年分のガンガンとアニマル。雑誌は読んだら捨てるのが基本なのだけど単行本化されずに消えていく話をとっておきたいと思うと、どうしても捨てられないのもある。単行本と雑誌を見比べて、おお加筆されているとかほくそえむなんて下らん楽しみもあるし。そんなわけで、もう10年は単行本の出そうにない鶴謙の載っていた4号で廃刊になったジャパンダをいまだに捨てられずにいる。
1997.11.04
仕事で逆ボーランド記法を使うことになるとは思わなんだ。しかし開発の人間ならLRパーサを知っていろとは云わないけど、せめて数式の評価くらい常識であってほしいんだけど。こんなんでも業界ン番目の大会社の開発部隊。いいのか。お決まりの業務ソフトの開発はマンパワーで何とかなる、と云うかしているが、コンパイラみたいなソフトの開発はいったいどんな体制でやってるんだろう。人海戦術で何とかなるとも思えん。帆場暎一みたいなのが一人でガリガリ書き上げるんだろうか? まぁ、会社というものは1割の人間が9割の稼ぎを出しているものだから、案外そんなものかもしれない。
1997.11.03
結局朝までガタガタやっていたので、起きたら昼過ぎ。なんか風邪気味で頭が重い。無茶な夜更かしなんてするモンじゃないな。昨日買ってきた笠原某のCDを聞きながら、Javaをいじったり、Torteをいじったりして一日寝て暮らすが、あんまり回復しない。
1997.11.02
Torteのバージョンアップ作業にとりくむ。が、難航する。フリーな環境だから、泣き付く先がないのがツラい。あーだこーだやっているうちにこんがらがってきたので放り出して、秋葉に出かける。石丸で2万円散財。
帰宅後、Torteの改造の続き。やっぱりよく分からん。あちこちいじってはみたけどエンバグしまくり。Palm-pilotのコーディングは独学で覚えたモンだからどうも変な癖がついているみたいだ。全部イベントハンドルで処理するように改造する、・・・というか結局キれてほとんどスクラッチで書き直す。とかやってたら夜が明けた。
1997.11.01
昨日買ったナムコミュージアム#6とワールドネバーランドをやる。ナムコミュージアムは店で頼みもしないのに限定のデカい箱をくれたので過去の5枚も格納してみる。壮観。そもそも私はXeviousとかMappyの頃からのナムコファン(同時にセガファンでもコナミファンでもあったが)なので、こういうのは狙われているのを承知でそろえてしまう。踊る阿呆というやつだが、楽しんで踊っているから善しとしよう。しかし、大半のゲームは昔を思い出して懐かしむ以上のものではないね。それもゲームそのものに対する懐かしさではなくて、ああこのゲームが流行った頃自分はこういうことをしていたんだなぁ、というゲームから連想される懐かしさだ。むかしを思い出して懐かしがる分にはいいが、要らんことまで思い出しては胸を掻き毟りたくなったりして、なにやら自家中毒のようだ。ワールドネバーランドはアートディンクのルナティクドーンを彷彿とさせる自由度の高いゲーム。詳細はリバーヒルソフトのページを参照されたし。ゲーム内時間で2年ほどあそんでみた。プレイヤーに似て赤貧な生活をしている。しかしなんだ、生きるってのは大変だ。

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