雑記 【雑記topへ】
2005.07.31
今座ってる場所から花火が見える(2割くらい)。

ウェブサイトはある程度の更新頻度がないと面白くない。耳が痛いのは気のせい。とはいうものの、日々面白おかしい事件に巻き込まれるドラマの主人公のごとき特異体質はともかく、凡人はそうそう面白い事件に出くわさない。しかたなく、日常の些細な出来事を引き伸ばしてネタにすることが多くなる。これがblogの実態なのかもしれない。とはいえ、これもワンパタンだと飽きるのでそれなりに技がいる。なんにせよ毎日それなりのネタを提供し続けることは大変である。これに対し、自分からは情報を提供せずに、外部コンテンツを取りまとめるタイプのサイトがある。ある分野に特化したニュースを専門に集めて紹介するウォッチサイトである。自分自身に語るべき事件がなくても更新のネタに困らないため一見楽そうに見えるが、サイトに載せるための情報収集にかなり手間がかかるため、相当の覚悟が必要だと思われる。実際、個人では情報を扱いきれなくなって消えたサイトも多い。ネタ集めに疲れた管理人が架空のサイトの架空のニュースを孫引きして情報を捏造する、なんてこともあるのかもしれない。もちろんサイト名は「完全な真空」。
2005.07.30
初花火。

携帯電話のカメラで書籍を撮影することをデジタル万引きという。やはり書籍の本質はその掲載情報にあるわけで、本という物体は媒体でしかない。物体を持ち去らなくても、情報を持ち去ることは窃盗に近い。が、現在これを違法として取り締まる法令は存在せず、つまるところ客のマナーに頼るしかない状態なのだという。ところで、サヴァン症候群というのがある。知能障害を持ちながら、特定の分野に突出した記憶力を発揮する人間をさす。一目見た風景を写真のように忠実に再現できたり、一回聞いただけのピアノ曲を間違いなく演奏できたりする。こういった人間にとっては単なる立ち読みもデジタル万引きになってしまう。人間の視覚情報を脳から直接記録できるようになったら、立ち読みも有料になってしまうのかも知れん。
2005.07.29
今日も一日かかってコードを1行修正。全く何のイヤガラセだ。

確信犯というのは、道徳的、宗教的、政治的な確信に基づいて、違法行為を正しいと信じて成される犯罪のことである。ドイツ語の法律用語、Uberzugungsverbrechenの訳語である。Uberzeugungs:確信、verbrechen:犯罪。この言葉、誤用が絶えない。悪いと認識しながら成される犯罪という意味で使われることがほとんどである。意味的には確信犯より信念犯あたりのほうが適切なのかも知れない。しかし、すべての人が誤用をしている状態だとしたら、その言葉によって伝達される情報は正しいことになる。多くの人が誤用している言葉をいちいち挙げ足を取って正すのと自分もその誤用に迎合するのとでは、情報伝達効率の観点からはどちらが有利なのだろうか。
2005.07.28
土用に動揺。

有名なコンピュータ系寓話。ある技術者がコンピュータの修理を依頼された。技術者は筐体の前でしばらく悩んでからチョークで箱に印を書きつけてこう云った。ここのケーブルを5cm切りなさい。見事コンピュータは復調する。後日、1万ドルの請求書がやってきて依頼者が驚く。どうしてそんなにかかるのかと。技術者いわく、5セントはチョーク代で、のこりはどこが悪いか調べた代金。プロがひーこら云って直したトラブルが素人目にはひどく簡単に見えてしまうというのはよくある話かもしれない。・・・今日の作業。再現環境のサーバを構築、スニファーをかけてパケットの解析、デバッガでステップ実行、オープンソースのライブラリのコードを追跡、一日がかりでトラブルの根幹を押さえたが、最終的な修正はわずか1行。疲れた。
2005.07.27
無茶苦茶暑い。

名前がケンで始まる男性の仇名は大体が苗字の一部+ケンとなる。苗字の一部は苗字の先頭2音節が使われるが、ワタナベだけは例外的にナベケンとなる。マツケンサンバ。・・・最近出来た知り合いにケンイチ君がいるのだが、彼の苗字が垂井(タルイ)。間違いなくタルケンと呼ばれることになるのだろうが、実際に彼がそう呼ばれるころにこのゼビ軍50点みたいな名前に反応を示す人間が彼の周りに存在しないだろうことが、実に惜しい。いや惜しくないか。このタルケン君、このほど1才の誕生日を迎えた。
2005.07.26
台風につきとっとと帰れ命令発令。

職場に回って来た避難勧告メイルは遠距離通勤者から順次速やかに帰宅せよ。長い時間電車に乗る人間に気を使って交通網が麻痺する前に帰れということだったのだろうが、これが間の悪いことに荒れる台風に向かって進んでいるような感じだったわけで、実は帰った時間帯が一番荒れていた罠。結局自宅最寄駅から傘使わんかったり。
2005.07.25
大地に立つ。

ホンダのアシモやどこぞの鉄工所が試作した二足歩行レイバーがニュースに上るようになって久しい。ロボットの歩行には静的歩行と動的歩行がある。静的歩行は重心が足の裏にあるように歩行を制御する。動きを止めても転ばない代わりに動きがぎこちない。人間の歩き方は重心が一時的に足の裏からはみ出る動的な歩行で、左右の足でバランスをとる。ロボット業界に大きなインパクトを与えたホンダのP2は後者の方法で歩いているのだが、それほど画期的な技術が投入された訳ではない。足の各関節の角度やらスピードやらの多くのパラメータの組み合わせから、転ばない解を試行錯誤のチューニングにより得たという。こういった試行回数に頼った力技なアプローチは、技術的な新規性がないため研究では回避される傾向があり、そのため大学の研究室からあのようなタイプのロボットは出現し得なかったと云われている。今も景気がよかったらレイバーが東京湾を埋め立てたのだろうか。
2005.07.24
古本42冊処分。

プレイマットを買った。ジグソーパズルのピース状になっているウレタン製のパネルが12枚入っていて、それを連結して床に広げる。マットには模様を印刷するかわりに、動物の絵がはめ込まれている。別の色のマットからくりぬかれた同じ形がはめ込まれているのである。数ピースで動物の形を作っているのだが、12枚がそれぞれ違う動物になっている。・・・広げて1分でほとんどすべての動物が解体されてしまった。全部で100ピースほどのちょっとしたパズルになってしまった。直す傍から解体している息子を尻目に、仕方なくすべてのマットを裏からガムテープで貼り付けて解体不能としたのであった。解体できなくても楽しいのか、ズドドドと物凄い勢いでマットの上を行ったり来たりしているのだが。
2005.07.23
地震に気が付かなかったよ派。

地震があったとき、車で信号待ちをしていた。停車したところ妙に車が揺れる。サスペンションが莫迦になったのかと思ったり、いやいや何かの拍子で車体が共振して派手に揺れるような感じがするだけと思い直してみたり、そういやもうすぐ車検だし修理とかだったらまた散財じゃのう、と思ったりとなんとも世知辛い方向に想いをめぐらせてみたり。ラジオに速報でようやく地震に気が付いたのだが、都内の交通機関麻痺を対岸の火事のように聞きながら、スーパーのフードコートでタコヤキなんぞを喰っていたりしたのだが。パチンコ屋とかはさぞや面白い事態になっていたのだろうなあ、というのは人的被害が少なかったから云える冗談か。
2005.07.22
暑い。

試行回数の多いパチンコは運より確率が支配的で、期待値の高い台を長く回すと短期的には勝ったり負けたりするが、長期的には安定して勝てる、らしい。ボーダー理論とか云う。延べ稼働時間が増えれば増えるほど有利になるので、バイトを雇ってそいつにもパチンコをしてもらって遊戯時間を稼ぐ、なんてことをしているパチプロもいるのだとか。この場合、雇われたほうは、勝とうが負けようが自給いくらでパチンコを打つことになる。この勝ち負けに関係なく固定給でパチンコを打つ稼業を打ち子と云う。最近spamでもよく見る。なんだか、もはやギャンブルというより法人のようだ。この商売の欠点は、雇われたバイトが大勝ちするとその金を持って逃げてしまうことがあるのだとか。まあ、確かに。
2005.07.21
乱高下。

約数の和から自分自身を引いた値が自分自身と等しくなる数を完全数と呼ぶ。偶数の完全数はメルセンヌ素数と対応することが証明されており、メルセンヌ素数と同じ個数だけしか発見されていない。奇数の完全数は少なくとも10300より大きいことは分かっているが、存在するかどうかは未解決。完全数の拡張版に友愛数というのがある。約数の和から自分自身を引いた値が、互いに他方と等しくなるような数字のペアである。さらにこれを拡張したのが社交数。約数の和から自分自身を引いた値、がいくつか連鎖して最終的には同じ数に戻ってくる数字のセットのことである。周期3の社交数は未発見。数論は小学生でも理解できる未解決問題が多い分野なのである。・・・私用メイルを会社に転送していたのを忘れて、夏休みに自宅から会社のメイルを読もうとして会社メイルを私用アドレスに転送するように設定して、会社のメイルサーバにDoS攻撃を仕掛けてしまった阿呆が社内で晒し物にされていたのを見てこんなことを思い出した。
2005.07.20
地図を買う。

思想犯の犯行声明は新聞社やTV局に送られるのが普通だと思っていたが、最近はインターネットのウェブサイトで後悔されることが多いようだ。送りつけられてくる情報と違って、公開が開始された情報というのは見に来てもらわんことには情報が伝わらない。もしかしたら、ある犯罪に対して声明をネット上で発表したものの、全然注目されずに声明がマスコミに認知されなかったりしたら結構間抜けというかもの悲しい。仕方なく2chあたりでこんな情報あったけど、と煽ろうとして偽造認定されてしまったりしたらもっと悲しい。まあ、声明文を新聞社やTV局に送りつける時代にも、そういう悲しい無視のされかたをしたことがあったものか知れんけど。
2005.07.19
覗き込めない画面があればサボりやすいような。

デュアルビュー液晶というのが発表された。同じ液晶が見る方向によって違う画像になるというやつである。液晶を鏡に映すと鏡像の画像が異なって見えるデモをやっていた。これを応用するとモニタと鏡を組み合わせて物理的にはモニタ一枚だけど、擬似デュアルモニタ環境が構築できる、と思ったがモニタと同じ大きさの鏡が要るのであまりスペースの節約にならん。そもそも鏡が邪魔で正面から覗き込めん。左右と正面の3方向から違う画像が見える液晶ならばこの問題も解決。三面鏡のごとく液晶モニタの左右に鏡を立てた仮想トリプルモニタ環境が。って、ダライアス専用液晶モニタか。BGMはおさかな天国で。
2005.07.18
焦げる。

裏稼業に役者というのがある。偽造身分証明書を持たされて携帯電話を契約したり、口座を開設したりする。他人の振りをするところから役者ということらしい。こうやって作られた偽造名義の携帯電話や口座は転売されてオレオレ詐欺に使われたりする。契約が虚偽なので調べられてもアシがつきにくい。この役者は日給いくらかで雇われる。最近はブログで人員募集が行われていたりして、裏稼業はITの波には目敏い。普通の日雇いに比べて数倍の報酬が得られるが、もちろん不法行為なので捕まる可能性がある、というか早晩捕まる。もちろんトカゲの尻尾であるので役者が捕まっても指示を出した人間まで捕まることはない。捕まると有印私文書偽造、および行使、詐欺と色々付いて、初犯でも実刑は間違いないという。休眠口座をどう処分したものやらと思ったときにこんな情報が目に入った。
2005.07.17
カピバラを見た。

動物が平気に二足歩行して日本語をしゃべり、あまつさえ火とかも普通に使ってしまう動物マンガ。行動原理が人間そのままだったり、さまざまな特殊能力を持っていたりと何でもありな世界観を持つ場合がほとんどだが、猿漫によるとそんな何でもありな動物マンガでも食事のシーンだけはタブーなのだと云う。たしかに肉食動物が草食動物と食卓を並べるなんてかなりブラックである。忍ペンまんまるというマンガもそういった動物マンガだが、そのなかで自己パロディとして動物を数コマだけ写実的に描いていた。主人公のペンギンの師匠はツキノワグマは猟師に撃たれそうな感じのコマになっていた。ところで、ネズミ系の有名キャラクターといえば、海外では浦安の黒鼠で、国内なら任天堂の電気鼠であろう。どちらも鼠あるまじき大きさだが、世界最大の鼠であるカピバラは大型犬くらいあってこれら虚構の鼠に匹敵する大きさである。カピバラが実はディズニーがポケモンのネズミだ、なんてことになったら子供達が泣いて怒りそうだが。カピバラはあまり可愛くない。
2005.07.16
マーチングの練習を見た。

昔住んでいた部屋の最寄の書店は、携帯ショップ程度ほどの広さしかなく客の3人も入れば、身動きが取れんような店だった。おいてある本もちょっとした本好きの蔵書程度しかなかったが、ワシの買う雑誌がコンスタントに売れ残るため重宝していた。近かったし。この店の出入り口の自動ドアの感度が悪かった。入るときはいいのだが、出るときにマットを踏んでも中々反応しない。ドアの前でタップダンスのごとくドカドカとマットを踏みつけないとドアが開かないのである。店主がカウンターから身を乗り出し、ドアが反応する場所を踏みつけてくれるので、客は無事開放されるのだが。買い物しないと出してもらえない店だったら、なんだか入りやすく出にくい食虫動物のトラップのようである。買わないと返さない、ってのは催眠商法の一種かもしれない。
2005.07.15
予定がずれた。

何も考えずインターネット経由懸賞に応募しては個人情報をダダ漏れ状態にしていた時期があったせいか知らんが、SPAMが多い。メイラが勝手にSPAMは捨てるようにしてあるのだが、それでも日々新しいアドレスから頭の痛くなるようなメイルがやって来る。今日はこんなのが来た。「相談にのって欲しくてメイルしました。彼氏の事でいま悩んでて。男の人に相談するのが一番いいかなと思ってメールしました。」。フィッシュサイトやワンクリックページに誘導されるわけではなかったが、胡散臭すぎる。というか彼氏と相談してください。検索したらあちこちの掲示板に全く同一の内容が貼られた痕跡があったので、もしかしたら復讐を狙ったウイルスなのかも知れない。それでも1%くらいは本当かも、と思ってしまったあたりが男の悲しさ。
2005.07.14
老けても眠い。年寄りは代謝が落ちて睡眠が減るというのは嘘か。

去年の海の日、お祭りで神輿を担いでいて転んだ。膝小僧をはでにすりむいたのだが、一年以上たった今でも傷跡が生傷になって残っている。やはり新陳代謝が落ちていると見える。大学2年のときにバイクで転んで手の甲をちょっとすりむいたことがある。この怪我も随分と直らなかった。すっかりよくなるまで三ヶ月くらいかかった。今思えば、学食で安かったのでほとんど主食だった毎日カレー的な栄養を度外視した食事のため、栄養が足りていなかったせいだと思われる。
2005.07.13
生誕日 棺桶までの 一里塚 まだ半分あたりと 自己暗示

100円コーナーに未読のシリーズ物がバラで並んでいると、とりあえず全部買ってしまうのだが、これを繰り返していると在庫管理がいい加減になって面白いように本がダブる。未読本棚に同じ本が4冊もならんでいるのは我ながらどうかと思う。そしてここしばらく古本屋に本を捨てに行っていない。気がつけば本棚はおろか押入れ、PC机の下の箱、PCの周りの空間と順次本が堆積し、最近はプリンタの上にジェンガのごとく微妙なバランスの本の塔が出来つつある。インク交換のパネルが開けん。場所に困って地べたに本を積み上げると留守中にエラいことになる(例:喰われる)ので上へ上へと積み上げざるを得ないのである。され竜6冊、星界6冊、ロケットガール3冊がすでに天に召されていたりする。
2005.07.12
眠い。

ウェブがそろそろメジャーになるころ、職場で雨後の筍のごとく猫も杓子もサイトを立ち上げていたときのこと。メイルサーバに戯れでhttpで繋いだみたところ、あるプロジェクトのサイトが妙なことになっていた。非公式な実験サイトのようだったが、誰かが変に張り切って妙な方向のスキルを発揮したらしく、どういうわけか萌え絵が大量に含まれたかなりいや〜んなサイトであった。そこはそういった遊びの余地の全くないガチガチのレガシーなシステム開発部門である。批判が相次いだのか、結局公式サイトは文字が主体のオーソドックスな職場紹介サイトに落ち着いていたが、サイトの隅っこにサイト構築者が、この会社の連中はオタクに理解がないぜそんなソフト会社は先がないぜ、という感じの心の叫びが残されていたのが印象深い。
2005.07.11
調べ物をしている。

調べ物に検索エンジンを使うようになって久しい。ところが、調べたいキーワードが一般名詞だったりすると要らんページが山ほど引っかかって困ることがある。流行りの技術にウェブサービスというのがある。こいつのプロトコルはSOAPという。これで検索をかけると風俗店が大量にヒットして、会社の有害サイト監視システムに引っかかりまくってしまったり。そういった流行りのキーワードを脈絡もなく大量にページに散りばめておいて、検索エンジン経由で客を誘い込むという技もある。ところでこのページ、雑多な話題をだらだら書き散らしている副作用で実に無節操なキーワードに引っかかる。たとえば、桜玉吉のなげやりに「うずら」「農家」「MEN」を検索してそこを取材するハナシがあるのだが、その当時にヒットしたらしいサイトは今はない。そのかわり、そのことを雑記に書いたワシのページが引っかかる。そういえば、仕事で使ったマイナーなキーワードのことをここで愚痴ったところ、同じ調べ物をしていた職場の人間がワシのサイトを掘り当てた、なんて迂闊な事態もあったり。検索エンジンの目を避ける技術なんてのもやっぱりどこかで研究されているのだろうなあ。
2005.07.10
暑くね。

誰かが亡くなるとその人の関連グッズがぞろりとヤフオクに出品される。瞬間的な話題性を狙って一儲けしようというのだろうが、人の生き死にで金稼ぎとはなんだか世知辛い。ほとんどのブツは高騰することもなく回転寿司状態なあたりがより哀れだが。ところで、ワシの爺様はどこからかガラクタを拾ってくるのが得意だった。実家の物置には農具に混じって、祖父の遺品にして戦利品がいまだにいくつか転がっている。なまじ家が広いもの考え物である。故買屋に下取りに出しても二束三文、下手すりゃリサイクル料を請求されそうな代物なので、そのうち捨てられるのだろう。遺品が本なら古本屋に、古美術なら骨董屋に引き取ってもらって処分するのが普通だろうが、これからは不要な遺品はそうと銘打たれることもなくヤフオクに流される時代なのかもしれない。
2005.07.09
カキ氷を喰った。

宗教には奇跡が付き物である。難病が治ったり海が割れたりする奴である。新興宗教ではこの手の奇跡は必須で、どの宗教にも何かしらの超常的なイベントが存在する。実は手品だったりもするが。そんな奇跡を真に受けた人間がその宗教にすがり、入信する。奇跡によって宗教にハマった人間は、奇跡によってしか足抜けすることができない。理屈ではないのである。胡散臭い新興宗教に熱心な信者がいつまでも残っているのにはそういうカラクリがある。奇跡を信じて熱を上げる、という構造は実はギャンブルに通ずるものがある。冷静に考えれば商売でやっているギャンブルで客が勝てる訳がない。ないのだが、大勝ちを体験してしまうと、少しくらいの負けは当たれば取り戻せると考えてしまい、なかなか足を洗えないのである。布施のごとく金が巻き上げられてしまうあたりも似ている。日常を生きるのに忙しい下駄履きの生活者にはそんなものにハマる閑も金もないので、ギャンブルや宗教にハマれるのは余裕がある証拠だったりするのだろうか。
2005.07.08
キングスクロス駅は2001.07.09に訪問。

4年前の今日、ワシはロンドンに居た。いつもの放浪ノリで予定をいいかげんに組んで揉めたり、日本の日本語サイトに申し込んだ観光ツアーのガイドが全部英語で泣きそうになったり、飛行機の中でワンピースの映画ばかり見ていていい年してと怒られたり、フィッシュアンドチップスが意外と上手かったけどすぐ飽きたりとか色々あった。一番面食らったのは日照時間。高緯度の関係で夏は夜9時くらいまで明るいので、どうにも時間感覚が慣れなかったものだ。まあ一番思うのは、あの頃全力でポンド買っとけば4年で+20%くらいになっていたなあ、とかだったりするが。
2005.07.07
牛タンを喰った。

しかし、地元にいると名産は口にしないもので仙台在住中は牛タンを喰ったことがなかった。牛タンの歴史は意外と浅い。戦後の混乱期に仙台駅前のある焼き鳥屋が経営難に始めた牛タン焼きがその始まりである。昭和初期に仙台に駐留していた米軍の食べ残しの舌の有効活用との説もあるが、こちらは本国で解体済みの牛を持ち込んでいたので食べない舌はそもそも輸入されていなかったとかで、俗説らしい。ちなみに牛一頭から取れる牛タンは25枚程度なので、数人で食べ尽くしてしまうことになる。最初は仕入れが追いつかず苦労したとかいう逸話が残っている。なお、その焼き鳥屋の名前は一心太助、後の太助である。
2005.07.06
衛星にピース、って酢藤玉金だっけか。

Google Mapsというサービスが始まっている。衛星からの写真を使ったリアルな世界地図で、シームレスにズームや移動ができる。思わず通勤経路や帰省ルートをズルズルと移動してみたり。撮影時期がやや古いようで、ザウスがあったり(去年解体)、近所のバイパスが工事中(一昨年開通)だったりする。うちの田舎のあたりは水田が延々と広がるのだが、その格子模様を見ているとゲシュタルト崩壊を起こしそうになったり。データ量の関係からか細かい縮尺の写真は都心部しかないのだが、最大拡大だと建造物が完全に識別できる。というか、人物の識別も出来そう。衛星軌道から地表を出歯亀できる時代なのである。ところである技術には対抗技術が出現してくる。はるか上空からの覗きを避けるためのステルス技術がどこかで開発されているのかも知れない。でっかい空き地の柄の風呂敷とか。
2005.07.05
プログラミングと呪術は似ている、かも知れない。

伝奇小説にたまに出てくる技に、相手の髪の毛を仕込んだ人形をどうにかして相手を弱らせるというのがある。身代わり信仰の形代(かたしろ)の類縁と思われる。これは体を人形で撫でて自分の罪や禍や穢れを人形に移し、これを川に流して自分の体を清めるというというもので、流し雛などがこれに相当する。人形が人間の代理であるという考え方を元にしている。ところで、小説の小道具でこういうものが登場する場合、非常に効果が分かりやすくなっている。人形に針を刺すと相手の同じ場所で原因不明の痛みが出たり、ひどいのになると人形を操ると相手がその動きをトレースする操り人形状態のものまで出てくる。この術に失敗して人形経由で相手を操るつもりが、人形が相手に操られてしまって、しかもその相手が知らないうちに術者がひどい目にあうような呑気な話があってもよさそうだが、残念ながらそういった話にはまだ当たったことがない。ありそうだが。
2005.07.04
先月買った本(マンガ雑誌除く)、新旧とりまぜて77冊は自己新。

物語の原型の一つに異人来訪譚というのがある。遠くからなんだか変わった者がやってきてその変わり具合ゆえに平凡な日常を送る世界に色々騒動を起こすといったタイプの話である。遠くは、外国であったり未来であったり宇宙であったり異次元であったりする。この方の物語はいちいちあげつらうのが阿呆らしいほど多い。世に溢れる多くの小説マンガアニメドラマゲームはもとより古くは竹取物語などのおとぎ話もこのパタンをなぞっていたりする。ところで、ほとんどの場合語り手の視点は日常の生活者たるこちら側で、異能の闖入者から語った物語は意外と少ない。異世界に単身乗り込んで平気でいられる図太い人間側の視点は共感しにくいのかも知れない。日常の生活者が異世界に迷い込みカルチャーショックの毎日を戦々恐々と過ごす物語、というのはさらに少なさそうだが、つまりそれはあまり面白い物語にならないということなのかも知れない。ゆうきまさみが今度はそういうマンガを描きたいとどこかで云っていたようだが。
2005.07.03
網戸は機能的には復旧。見てくれは悪い。

横着をしてシールを貼らずに生ビデオテープをローテートして録画をしていた。複数の番組がシーケンシャルに記録されている上、識別子のないテープが山積み状態だったので、いざ視聴しようにもどこにいつごろの録画が格納されているのかが絶望的にワヤクチャだった。結局、記録点と視聴点だけを明確にして、ひたすら順番に消化する方式に落ち着いた。そのうち記録点と視聴点の間が離れ、ついには丸一年分くらい録画が溜まった。なんだか阿呆らしくなってすべての録画テープを廃棄処分したことがある。最近のHDDレコーダはそんな無茶苦茶な録画スタイルのワシでもなんとか録画を消化できそう。媒体を交換せずにランダムアクセスできるメディアというのは在り難い。ところで、ワシのPCの中身もかなりグチャグチャなのだが、デスクトップ検索ソフトを使うとあまり整理しなくても目的のファイルに簡単にアクセスできる。技術革新が人力によるファイル整理の手間を軽減したことになる。この技術が現実世界にフィードバックされて、とっ散らかった部屋でも苦労せずに目的のブツにアクセスできる技術の実用化を、ってなんかダメすぎ。
2005.07.02
窓を開けられない夜。

生まれて初めて網戸を張り替えしたわけですわ。正直最初は網戸の張替えって簡単だと思ってたのよ。ホームセンタとかで普通に部品売ってるからさ。あのね、ワシが間違ってた。あれは素人がやるもんじゃない。プロだね、プロがやるものだよ。最初に網戸を外すときさ、めちゃめちゃびびってそろ〜ってネジ緩めてそろ〜っと網戸外したのよ。小一時間くらいかけてさ。でなんか怖くなって止めちゃったりしてさ。そしたら家族が「さっさと張り替えしてよ」とか云うの。同じ過ちは二度と繰り返さないのがワシよ。だから、網戸を外したのよ。えぇ、そりゃもう外しましたとも。全てを忘れて外したよ。部品の確認とか作業場所の確保とか色々忘れてね。だって外せって云ったからね。そしたらエラいことになった。網戸を止める金具がどっかにふっ飛んでいった。夜なのにベランダの外の草むらに。慌てて草むらに飛び込んで懐中電灯と鎌振り回して金具探してんの。それで家の中から家族がすごい勢いでワシのこと見てんの。ホントごめんなさい。正直「男なら自分の家の修理ぐらい自分で!」なんて見栄張らずに素直に店に頼めばよかったと思ったよ。心の底から自分で何とかしようとしたことを後悔したね。ホント俺ってダメ人間。誰か助けて下さい。
2005.07.01
牛タンを喰った。

学生のころ隣町に自称東日本最大の古本屋があった。公称在庫は10万冊、ちょっとした図書館並みの売り場は確かにかなり広かったが、この手の宣伝文句は云った者勝ちみたいなものだから本当かどうかは眉唾、というか検証しても益がない。ここはワシの生活圏から10キロほど離れていて、偶然見つけれるほど目立つ場所でもなくどうやって最初に辿りついたのか今となっては謎だが、原チャリでえっちらおっちら毎週この店に通っていた。当時から古本屋に通うことには妙なパワーを発揮している。しかし足繁く通うものだから欲しい本がいつもそんなにある訳でもない。今考えたら、古本を買ったことによる利潤より原チャリのガス代の方がよっぽど高くついていた罠。やはり古本屋は交通費のかからん所に限る。
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