雑記 【雑記topへ】
2003.09.30
読む本を忘れた。

品川の新幹線ホームは明日開業。通りがかったついでに途中下車して新幹線乗換え口への連絡通路を眺めてみた。まだ開業前なので通路は閉鎖されているが、フェンスの隙間から向こうに新幹線の券売機やらが見える。この10年で品川駅はずいぶん変わった。裏口じみていた港南口もデッキが出来てすっかり垢抜けてしまった。今はCD屋や呑み屋が立ち並ぶ小奇麗で明るいコンコースも以前は薄暗くてガランとしており、大垣夜行を待つ時間の潰しようがなくて閉口したものだ。それまで何もない場所に通路が作られ、その先には全然違う空間が広がる。まるでウツロの町だ。続編の舞台へつながる扉がいくつか準備されていたのだが、テンプル以外の扉、アリーナやムーンゲートはいまだに開かれていない。そして未来永劫閉まりっぱなしだろう。
2003.09.29
定期を買う。

随分前の話だが、ワシの実家と隣の家は共同電話だった。今も現存するサービスなのか知らんが、これは2軒の家で1回線の電話線を使うというもの。親子電話が2軒にまたがって置かれているようなもので、片方の家で通話中だと隣の家では電話が使えない。このサービスは安いのが取り柄だったが、弊害があった。隣の家と無茶苦茶混線しやすいのである。受話器をとったところ、いきなり隣の家の娘さんの彼氏からのラブラブな会話に割り込んでしまって、お互いえらく慌てたことがある。隣の家にかかった通話に混線してしまい、しかもその相手が知り合いだったため、おかしいと思いつつ会話が成立してなんだか首をかしげたこともあった。ワシの近所一体は同時期に電話を申し込んだらしく、家の並びの順に電話番号が1番づつ違う。しかもほとんど同姓なので、間違い電話に気づくのが遅れることがある。こういう環境こそ、オレオレ詐欺の餌食くさいが、ワシの実家に標準語で電話をかける息子はおらんので、まあ引っかかる心配はないだろう。多分。
2003.09.28
彼岸花と馬を見た。

その存在は囁かれるのに、誰も実物を見たことがない機械、視聴率調査装置。なんでも全国に数百台しかないらしく、そのうちの一人を買収するだけで視聴率が0.3%くらい変動してしまうので、その装置の存在は人に教えてはいけないのだそうだ。調査の公平性を保証するため、第三者にどういった外見をしているかを知られるのもダメということで、どういった装置を使うのかも調査会社は公開していない。誰も外見を知らないということは、適当なジャンク基盤をつめた箱をそれらしくテレビと繋げておけば、だまされる人間がいるのかも知れない。だましてどうするかは知らんが。昔どこかの深夜番組の馬鹿企画で、放送終了後のNHK教育の砂嵐の視聴率を上げよう、というのがあった。後日調べたところ、本当に砂嵐の視聴率がある時間帯だけ上昇していたらしい。
2003.09.27
ぎぼぢわるい。

スクーターを買って間もないころに友人にツーリングに誘われた。そいつは普通の中型バイク乗り。何も考えずに了解して一緒に出かけたが、そもそもバイクの馬力が違うのであっという間に置いてけ堀を喰らった。片道3時間ほどの道中を一人寂しく追いかけた。終着地点は蔵王の山頂付近。空気が薄いのかエンジンがまったく噴けあがらずアクセル全開でも斜面を時速20キロ程度でしか登れず、いっそバイクから降りて走ったほうが速いのでは、と思ったものだ。二人で山頂で名物の玉コンニャクを齧って帰ってきた。薄情なことに帰りもぶっちぎられて置いていかれたのだが、途中からガス欠ランプがつきっぱなしとなった。山の中でのことで、もちろんあたりに給油できる場所はない。斜面をなるべくエンジンをふかさないように惰性でそろそろと降りてきたものだ。それでも懲りずにそいつと一緒に何度か蔵王に登った。これをツーリングと呼んでいいかは謎である。
2003.09.26
京葉線1往復半(酩酊)。

過去にゲーセン通いをしていたある時期、コインゲームにハマったことがある。機械割が100%を超えるスロットを見つけてコツコツと預かりコインを増やすことに心血を注いでいたりした。もちろんこのコインは遊戯以外に使えないので、パチンコのように金銭が儲かるわけでもなく、コインをせっせと溜め込んでも自己満足以外にならないのであった。ある日なんか飽きて、崩して落とす系マシンに気狂いのようにコインを注ぎ込んで清算したのであった。旅先で1000枚クラスの大当たりを当てて処分に困り同じようなことをしたこともあった。そういえば、最近年をとるにつれて新しいゲームを覚えるのが億劫になって、ゲーセンではいつも同じようなゲームばかりするようになった。ゲーセンでバイトをしていた学生時代は、どれも大して代わり映えのない脱衣マージャンがどうしてあれだけ流行るのか理解できなかったものだが、今からなんとなく分かる。
2003.09.25
人に見せるといきなりバグる罠。

実家にいたころ、大曲駅の改造に関するアンケートというのが回ってきたことがある。秋田〜盛岡間の高速化にあたり大曲駅を改造するとしたらどのような形式が望ましいですか、というもの。秋田から盛岡に抜ける列車は大曲で方向転換しなければならないため、これが時間のロスになっていたためである。1.ループ線を設けスイッチバックせずに方向転換する。2.スイッチバックのない短絡線を作って大曲駅を移設する。3.現状維持。地元商工会の運動もあってか3.に落ち着いた。今思えば、あれが秋田新幹線の予兆だったのだろう。そんなわけで、大曲は日本で唯一の新幹線がスイッチバックする駅である。スイッチバックは地形の都合で通り抜けができないような狭い駅に設けられるのが普通だが、北海道の遠軽駅は例外だ。この駅は二つの路線が合流するジャンクションだったのが、一部路線が廃止されてしまい残った線路がスイッチバックの形になってしまったというもの。確か一畑電鉄にも意味もなくスイッチバックする駅があった。ここは、南阿蘇水の生まれる里白水高原駅を抜いた日本一長い駅名、ルイス・C・ティファニー庭園美術館前駅がある路線でもある。長い。
2003.09.24
レポート〆切最終通牒来たる。でもいまだ白紙。

ワシが小さいころの最寄の投票所は何故か隣の家だった。別に家族に市職員などがいたわけではないただの民家である。隣の家は昔ちょっとした地主で、収穫作業を行うための三和土がべらぼうに広かったためだと思われる。いわゆる旧家だったのだろう。小さいころ雨の日に遊ぶのに都合がよかったような記憶がある。その三和土は昼でも薄暗く、他人の家だけあって隅々までよく見たこともなかったので、隅の暗がりには何か得体の知れないものが潜んでいるのだと想像をたくましくしていたものだ。そういえば、ワシの母の実家も古かった。階段を封鎖して老朽化の進んだ2階を立ち入り禁止にしていた。埃っぽいその空間に何がいると思っていたのか、よく探検したりしていた。どちらの家もずいぶん前に建て直され、ごく普通の住宅となってしまい、かつての何かが潜んでいそうな雰囲気はすっかりなくなってしまった。今の子供たちはこういった明るい近代的な家にそういう何かの気配を感じたりするのだろうか。
2003.09.23
なんだか寒いな。

テツ用語で終点がほかの路線につながっていない路線を俗に盲腸線と呼ぶ。東北本線の仙台付近に盲腸線がある。岩切から利府の間である。今でこそ盲腸線の格好をしているが、もともとはこっちの盲腸線の方が本線で、この盲腸線の延長上には廃線跡が探せたりする。ワシにとってこの区間が東北本線で一番最後に乗った区間となった。仙台と利府を往復するだけでは近すぎてあまり芸がないので、片道は徒歩で行くことにした。ちなみに仙台〜利府は15キロくらい。地元とタカをくくって地図も持たずに出かけたところ結構迷い、4時間ほどかけて利府駅についたころにはすっかり夜になってしまっていたものだ。われながら閑なことしとると思ったが、上手がいる。某氏は学生時代、仙台から実家の青森まで徒歩で帰省するという電波少年みたいなことを企画していたことがあったらしいのだが、その予備実験として一日にどれくらい歩けるかを試して仙台から東塩釜まで歩いたことがあったという。仙台から青森まではこの距離の20倍はあることに気がつき断念したとのこと。
2003.09.22
神つく全巻一気読み。

部屋の片隅に鎮座するベンジャミン。去年枯れたユッカの後釜としてヤフオク経由で我が家へやってきたこの植木鉢だが、今年は冷夏だったせいかいまいち元気がない。春から夏にかけて確かに新芽は芽吹いたが、芽吹く以上に葉が散るため、いつしかすっかり植木は丸坊主である。こりゃいかんと泥縄で液肥を与えてみたがどうなることやら。去年枯れたユッカや1月足らずで駄目になったテーブルパームと云い、植物が上手く育たん部屋である。隣の部屋のベランダには緑がわしゃわしゃと繁っているので条件が悪いとも思えんのだが。ところで、植物に感情があるという説がある。芝刈りをした人間が近寄ると植物が電気的に反応するだの、野菜に音楽を聞かせると育ちがいいだとかというハナシがあるらしい。ということは、深夜にワシの娯楽PCから漏れるゲーム音楽が植物に悪影響を及ぼしているということか。意外な結論にワシも驚愕である。
2003.09.21
ビデオ消化。

大学合格の一報は高校からの電話だった。その大学に通っている高校OBが合格発表に出向いて当落を確認して高校に連絡、それが個人に配信されるというなんとも呑気なシステムだった。合格速報電報サービスみたいなものは使っていなかったのである。有料だし当落には影響しないし。滑り止めの大学はさらに呑気で、電報もなければOB経由の電話もなし。発表があった翌日の新聞に載っていたのが第一報だった。田舎なので県内の大学合格者は全部新聞に載るのである。これも良し悪しで、合格したのは分かっても落ちたのは分からないので、友人に合格おめでとうと電話したところ、本命をいくつも落ちて最後の滑り止めだけが新聞に載ったんだよ、と暗い声が帰ってきたなんてやぶ蛇なこともあったが。なお、合格が決まって最初にしたことは、パチンコであった。その日の午後、近くのパチンコ屋に自転車で出かけて1000円ほど勝ったと思う。
2003.09.20
昼飯はバイキング。英語ではビュッフェが正しい。

昼ごろの地震は千葉東沖が震源で都内で震度4。やや大きめの地震ではあるが、まあそれほど大騒ぎするほどの地震ではない。が、ちょうどそのときサンシャインの58Fで飯を喰っていたのである。高層ビルは揺れることによりエネルギーを分散させてビル自体が壊れないようにある程度揺れやすいように出来ていたりするのだが、なんにせよ高い場所での地震は落ち着かん。剛体の単振動は端点が振動の谷になるので、あまり揺れないはずなのだが。なんにせよ地震経験高度最高記録更新である。これを敗れそうな場所は東京タワーの特別展望室あたりか。ビルが壊れるくらいの大地震なら、少しくらい耐ショック体勢をとろうが余裕で死にそうだから、机の下にもぐりこみもせず揺れながら飯喰ってたけど。階段で逃げようとしたら体力不足で途中で力尽きてかえって危なさそうだ。
2003.09.19
一日サーバルームにいたら洟が止まらん。寒い。

数学に巡回セールスマン問題というのがある。いくつか都市があるとき、これらすべての都市を最短で回る経路を求めよ、というものでグラフ理論の言葉で云えば最短のハミルトン経路を求める問題である。Traveling Salesman Problem、略してTSPとも呼ぶ。一見簡単そうに見えるが、実は考えられる経路、都市数Nに対してN!/2通りすべてを虱潰しに調べるより効率の良い一般的な解法は見つかっていない。虱潰しより効率の良い一般的な解法が存在するのかしないのかはNP問題と呼ばれ、現代数学における最難問のひとつと考えられている。これに似てあまり有名でない問題ですべての都市と都市を結ぶ経路を全部通る最短の経路を求めるという問題もある。グラフ理論の言葉で最短のオイラー経路を求める問題であるが、これは俗に中国人郵便配達問題と呼ばれる。中国人数学者が郵便配達をしながら思いついた問題なのだそうだ。ホントか。なお、どうでもいいが今日はハーマイオニーの誕生日。
2003.09.18
今日は京葉線が乱れてる。

先日、娯楽PCの調子が悪くなった。メディアプレイヤをアップデートしたか何かのタイミングで音が変になった。以後、何を鳴らしても高音はこもり雑音が乗ってとにかく聞くに堪えない。関係しそうなソフトを片っ端にアンインストールしてみたり、掲示板で事例検索してみたり、サウンドドライバの更新してみたりと久々におおはまりを演じる。OSからインストールかなあと半ば諦めつつあった明け方、どこをどういじったかは覚えていないが、なぜか不具合は突然復旧した。結局何が悪かったかは不明。そして今日もまた音が同じようにおかしくなった。ここ1週は全くPCに触っていなくて、うっかり今週の録画を忘れていたくらいであるのに、これである。もう何が悪いかさっぱり分からん。むきーと思わずPCをひっぱたいたら音が直った。はて。・・・実はPCが不調だったのではなくヘッドホンのプラグの接触不良だったという、ただそれだけのハナシである。
2003.09.17
〆切催促を無視続行中。

漫画の〆切はゴムひものように伸びる、といったのはとりみき。引っ張れば引っ張るほど伸びるが、引っ張りすぎるとパチンと千切れてしまうあたりが、なんだか生々しい。〆切に原稿が間に合わない状態を落ちる、と呼ぶが大抵の雑誌では落ちた場合にそなえて代理原稿を準備している。表紙や目次は先行して印刷するため、落ちた場合でも表紙には名前が載っていることが多い。ある意味羊頭狗肉なわけで、雑誌の沽券にかかわると見えて落とした作家に対する風当たりはキツい。14年前のバスタード打ち切りは笑ったが。そういえば、タモリだかが責任編集したある雑誌では落とした原稿部分を丸々白紙で出版するという反則技をやっていたような。
2003.09.16
西武池袋線が事故で全線不通。帰れん。

当時金沢在住だった某氏に正月早々、仙台から金沢までのドライブに付き合わされたことがある。道中のハナシ相手に急遽抜擢されたのだった。もちろんワシにそんなつもりは毛頭なく、そもそもその晩に田舎から戻ってきたばかりで、自分の部屋の年賀状すら見ていない状態だった。徹夜のドライブのあと松任の某氏宅に一泊した後、勝手に帰れと放り出された。ひどい話である。まっすぐ帰るのも芸がないので適当にぶらぶらしながら仙台を目指した。金沢から富山で富山港線を軽く往復した後、高山線で飛騨観光をして大垣夜行に車中泊。翌日、京葉線内房線外房線と無意味に房総半島を一周して常磐線から水郡線へと乗り継いで東北本線で仙台に着く予定だったのだが・・・。水郡線が福島に入ったあたりで、列車はドガンとエラい衝撃で急停車。踏切で軽トラとぶつかったらしい。線路端の水路にひっくり返ったトラックが見えた。復旧するまでそのままそこに2時間も立ち往生した。あたりに店はおろか民家もろくろくないような山の中で、腹は減るは、郡山からの電車がなくなって新幹線を使う羽目になるは、振り替え輸送の救済はないはと、かなり悲しい気分になったものだ。これが唯一のワシの乗っていた車両の事故経験。直後の皇太子御成婚のニュースで押し流され、事故はまったくニュースにならなかった。
2003.09.15
太った。

六甲おろしは六甲山から吹き降ろす風のことだが、六甲はもともと「ろっこう」ではなく「むこ」と読み、武庫と書いた。兵庫県を流れる川に武庫川というのがあるが、この武庫である。ちなみに15年ほど前に線路の付け替えで破棄された武庫川沿いを走る福知山線は、SLの撮影ポイントとして有名だった。現在廃線跡はハイキングコースとなっている。そんなわけで事前の再三の勧告にもかかわらず道頓堀はどこかの海水浴場のように大量の人間が飛び込んでいたようだが、本当に祝っているのか騒ぎたいだけじゃないのか、と小一時間。警備がおっつかんとニュースになっていたが、いっそのこと水面に浮き輪をつけて一面を埋め尽くすように浮かんで警備してみたらどうだろう。それでも人が降ってきてさらなる惨事か。
2003.09.14
写真撮影100枚。

ワシの実家の近くにはラブホテルがある。あたり一面田んぼの中にぽつんとあるラブホテルなので入り口もワシの実家を含む付近から丸見え。露悪趣味の物好きはそんなにいないと見えて、昼間はあまり繁盛しているようには見えない。ところで、その隣には高い塀に囲まれた建設会社がある。この会社、何を考えているのか夜になると看板を紫のライトでライトアップしている。あたりに光源のない田舎のことだけあって、これがかなり目立つ。隣のラブホテルの看板以上に目立つ。紫の光や目隠しの塀がそれっぽいと見えて、たまに鼻息の荒いカップルの車が隣のホテルと間違えて夜の無人の建設会社に入っていく。まるで誘蛾灯のごとし。
2003.09.13
犬洗い。

ドラフト会議で指名がかち合った場合、順位の低かったチームからクジを引くことになっている。弱いチームほど有利にしてやるという温情らしいが、実はこれは全く意味がない。残り物には福がある、というのはそれまでに当たりが出ていなければその通りなのだが、それまでに当たりが出てしまう確率と相殺されてしまって、結局いつクジを引いても確率は一緒なのである。昔、どこかのカジノでルーレットの黒が連続して40回だか続いたということがあったという。最後のほうで、これだけ黒が続けば次は赤が出るに違いない、と思い込んで負ける人間が続出したらしい。冷静に考えれば分かるが、ルーレットの黒の確率は常に1/2(厳密には18/38)であり、過去の出目には全く影響されない。こういった思い込みを、ギャンブラーの錯誤と呼ぶ。「このパチンコ台の大当たり確率は1/400。もう300回は回したからあと100回であたるな」。こうやって人は鴨られる。ネギ喰えネギ。
2003.09.12
何で今頃熱帯夜。

筒井康隆に小説の書き方というエッセイがあるのだが、これによると原稿というものはギリギリまで手をつけてはならないのだと云う。もちろん構想は準備しておくのだが、原稿用紙への清書は土壇場の〆切の日までしない。当然、〆切が迫るにつれ落ち着かなくなってくる。原稿が真っ白だから当たり前だが。それでも、書き出さない。実際には書けないとなると、いきおい頭の中で色々捏ねくり回すこととなる。いざ書き出したらああ書こうこう書こうと練るうち文章が熟成されて、それがいい小説につながるのだという。あとは〆切直前にあまり悩むことなく一気に書くだけ、という具合である。やや極端な感じもするが、あたっていると思う。今日が〆切なのに全く白紙のレポートを見ながらつくづくそう思う。ちなみにレポートの存在自体忘れてたんでネタはない。また勧進帳か。
2003.09.11
朝飯に口取り菓子。

x^2+x+41という2次式はxが0から39の間ですべて素数になる。発見者の名前をとってオイラーの多項式と云う。ちなみに40を代入すると1681となって、これは41*41である。しつこくxを100万程度まで引っ張るとそのうち3割程度が素数になることが知られている。これは偶然ではなく、この2次式の判別式が-163であることとe^(√163π)が整数に非常に近いことに関係するらしいが、よく分からん。こういった素数を生成する多項式はいくつか知られているが、素数だけを吐き出す多項式も存在する。21変数21次多項式らしいが、よくこんなの見つけ出したものだ。多項式でなければ、累乗とガウス記号を組み合わせたシンプルな素数を吐き出す式の存在が知られている。確かこんなの。|m^3^n|(nは整数)。ただし、mは整数でないこと以外は何も分かっていない。その存在だけが証明されているらしい。
2003.09.10
ゴーヤを喰う。ちゃんぷるー。

勉強法のひとつにカンニングペーパーを作る、というのがある。座った椅子の股の間に隠したり、袖の中に仕込んだり、消しゴムや筆箱に仕込んだり、ティッシュにまぎれこますのが常套手段のようだが、どこに隠すにせよたいした面積は取れない。となると重要そうな公式だの年表だけを書くことになるのだが、重要かどうかを判定する段階で十分頭に入ってしまう。逆に、何を持ち込んでも良い、という気風の良い試験が大学あたりでたまにある。これはこれでどこに何が書いてあるかを事前にある程度把握しておく必要があるため、結局そんなに楽ではなかった。闇雲に大量の本を持ち込んでも検索コストが馬鹿にならんのである。ワシが受けた試験で極めつけは、隣人とディスカッション可の試験。賑やかでした。
2003.09.09
終日サーバ室(気温18℃)作業してたら洟がとまらん。

コンビニのレジには購入者の年齢を入力するためのボタンがある。時間帯による客層の違いや年齢層によって売れる商品などの分析に使われる。ワシが打っていたレジだと、12(小学生以下)18(高校生)20(20代)30(30代)40(40代)50(50代以上)のボタンが性別とあわせて12個並んでいた。店員が金を受け取って最後に押すボタンがそれである。もちろん客に年齢を尋ねるわけではなく、店員の独断と偏見で押される。注意深く見ていると自分が店員からどれくらいに見られたのかが分かる。とはいえ、コンビニのレジを打っているバイトは高校生くらいで、そういった若者は年上が途方もなく年寄りに見えるので、あんまり真面目に受け止める必要もない。ワシも、ムカつく客は思いっきり年寄りに打ち込んでちょっとだけ溜飲を下げたりしていたものだし。
2003.09.08
今回は犬洗いの閑なし。

大船駅の北側には湘南モノレールが走っているが、南側にもモノレールがあった。首都圏には珍しく廃線が30年にもわたって放置されて続けているモノレールドリームランド線である。山がちな戸塚地区を越えて大船駅から数キロ離れたドリームランドという遊園地を結ぶための路線である、というか路線であった。このドリームランド自体が2年ほど前に廃園となっているが、宅地造成が進んだため人口は多い。それなりに需要はありそうである。こういった都市部にある鉄道が廃止になるのは珍しいのだが、廃止になったいきさつがなかなかに間抜け。線路完成→傾斜がきつくて上れない場所がある→車両を改造して馬力をあげてみた→車両が重くなった→線路を補強せずに営業→線路が耐え切れずに壊れた→お上から営業停止命令。開業してからわずか1年ほどで休止、そのままずーっと放置されることとなった。バブルの頃はこの跡を利用して新交通システムを作るなどといっていたのだが、経営母体のダイエーの業績悪化に伴い完全廃止が決定したのは去年のこと。年内にも取り壊される予定だという。そういえば、ちほく銀河線や可部線末端や東横桜木町付近もじきに廃止だ。
2003.09.07
5:20起床。

夕刻、親戚の家で宴会を始めたところ、いきなり停電となった。台所の調理器でブレーカが落ちたと思いきや、異常があったのは屋外の電柱架線で電力会社を呼ぶ騒ぎに。なぜか不思議なことに台所やトイレの電源系統は生きていたため、真っ暗でも宴会するのにはあまり困らなかったり。というか、すでに大体出来上がっていたので暗かろうが相手が誰か分からなかろうと大して問題にならず盛り上がっていたのだが。仏壇に点っていた蝋燭の仄かな明かりを頼りに宴会というのも、風情がある。早くに亡くなった祖母が孫娘の嫁ぐ日の宴会に参加したかったのかも知れない。花嫁の勤務先の社長が中学の同級生でびっくりしたり、そこの家の猫の躾がなっちょらなくて酔ってちょっかいを出したところ激しく噛み付かれたりしたのはまた別のハナシ。いでで。
2003.09.06
花火見納め。

高校の学園祭の模擬店で金魚掬いをやったことがあるのだが、これが馬鹿あたりで非常に繁盛した。ワシの高校は受験を気にしてか、学園祭は夏休み前にやっていた。その前はクラス対抗戦があって、7月は期末試験が終わるとクラス対抗戦をやりつつ学園祭の準備を行い、学園祭が終われば夏休み、と非常に濃い月間であった。さて、金魚掬いは非常に繁盛したのだが、あの金魚入りビニール袋は意外と邪魔である。そんなわけで、捨てられた金魚も多かった。あちこちの目立たない物陰にビニール袋がぶら下げられていたらしい。そして学園祭が終わればすぐに夏休みでしばらく学校は無人となる。・・・夏休み明けに校内のいたるところから無残な姿になった捨て金魚の遺骸が発見されたのであった。南無。
2003.09.05
サーバの空きが回ってこない。帰れない。

12年ほど前、インターネットが広く世間に普及する前夜。まだWebは存在しておらず、インターネットのコミュニティはメイリングリストやnewsがメインだった。ひとしきり有効な情報が飛び交った後はそれをまとめてFAQを作るというのが風習としてあったように思う。メイルやnewsは情報が散逸してしまうので、そうやって情報を一極化しておくのは重要だったのである。DQMLではDQ5やFF5、RS2などいくつかのゲームについてかなり細かいFAQが作成されたし、18きっぷMLでは18きっぷに関する結構な分量のFAQが作られた。ワシもそこそこの分量のテキストを投稿した。青春の無駄遣いである。今は誰でもWebで情報を広く公開できるし、ゲームは発売と同時に詳細な攻略本が発売されるので、こういった情報を取りまとめることにどれだけ意味があるのかは分からん。しかし、そうやってワイワイ馬鹿話に花を咲かせつつなにかをまとめる作業というのは、まるで学園祭前に会誌かなにかをつくっているような生産的な気分になれたのが懐かしい。そういえば、家の近所の高校で明日から学園祭のようだ。
2003.09.04
一日ガム噛んでたらアゴが痛い。

電気を熱に変換する調理器具は基本的に電力を喰う。朝飯を作るときにオーブンでパンを焼きながら電子レンジでお茶を温めたりすると、ブレーカが落ちたりする。ワシのPCは台所のコンセントから電源を取っているので、余波で電源が落ちていた。というわけで、PCによる予約録画が実行されていなかったりするのだが、録画内容がアレなのであまり騒ぐわけにもいかなかったり。ブレーカのスイッチには電磁石がついている。商用電源の電圧は一定なので、使用電力が増えると電流が増える。通常はバネの力で電磁石は上の方にあるのだが、電流が流れすぎると電磁石がバネの力に打ち勝って下に吸い寄せられる。このときスイッチが切れる。電磁石が下に落ちるため、これをブレーカが落ちる、と呼ぶ。物理的に落下するので、OSが落ちるの落ちるとはちょっとニュアンスが違う。
2003.09.03
帰りの電車がスプラッシュマウンテンみたいだった。乗ったことないけど。

入社したての新人時代、日報を書かされていた。最初は律儀に前の晩に書いていたが、そのうち勤めにもやや慣れてくるとだんだん生来の横着の虫が出てきて、早起きして出社前にえいやっ、と書きなぐるようになってきた。あたりまえだが、ボールペンの手書き文書である。寝起きのボケた頭で書いているものだから、書き間違える事が多かった。たとえば「今日は」と書くつもりを「今日に」と書いてしまう。一から書きなおす時間はないので、書き間違いを強引に書き間違えでないように文脈を操作することを行っていた。「今日は閑だった」と書きたいところを間違えて「今日に」と書き初めてしまったので「今日に至るまで」となんとか文章を繋ぐのである。こんな調子で書き終えた日報はなんだか妙に読みにくい。今考えれば、修正液のひとつも準備しておけば済んだ話だろうが。
2003.09.02
嵌る。

今年になってから農作物が盗まれるという戦時中みたいなニュースを良くきく。今時ホームレスだって喰うに困ることはないから、はやり金目当ての犯行なのだろうが、なんとも効率の悪いことだと思う。どんな農作物もそれなりの知識と販売チャネルがないと、換金できないからだ。もたもたしていると腐る。冗談で実家に夜中にこっそり稲刈りされないように気をつけろと云っておいたが、米ほど盗んだ後が面倒なものもない。まず刈り入れて、乾燥させ、脱穀し、選別し、精米してようやく店頭に並べられる状態になるのだが、それぞれの工程で結構値の張る専用装置が必要である。工程をサボると腐るし、美味くない。結局盗んだ農作物は自己消費、しきれずに腐らしてしまうというのがオチのような気もするが。
2003.09.01
夢中夢を見たような気がする。

かつて地見屋という稼業があったらしい。読んで字の如し、地面を見て金を稼ぐ、つまり拾得物集めである。自販機の釣銭なども探すのだという。信じがたいことだが、昭和の頃には年収400万が可能だったという。たしかに駅の券売機のあたりで1円玉が落ちているのはたまに見かけるが、年収400万といったら毎日1万円以上を拾い集めなければならない。どこにそんなものが落ちているのやら。もう10年以上前のことだが、福島競馬場での出来事である。オッズモニタの前をうろうろしていたら、前に立っていたおっちゃんが何か落とした。手に拾ってみると、これから出走するレースの馬券であった。落とし主に届けようとしたころには、場内はひどい混雑だったのですぐに見失ってしまった。はて、と処置に困っていると、その馬券は見事的中馬券となって結構な金額となった。不幸な事故だったということにして、そのおっちゃんには悪いと思いつつ、帰り道にそれで結構豪勢な飯を喰ったのであった。
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