雑記 【雑記topへ】
2003.05.31
雨の中を徒歩で古本屋。

古本屋で掘り出し物を探すことを、背取ないしは競取(せどり)と云う。この安く仕入れた本を、欲しがっている人や古本屋に転売して利鞘を得る。つまり、読むために本を買うのではなく、仲買として本を買うのである。読書が趣味のワシからするとなんか不純な感じがするが。かつてはこの背取りを専門とする背取師という人種が居たという。まるで押井の立喰師のようだが、せどりという単語は広辞苑あたりにはちゃんと載っているので本当のことらしい。いやもちろん、立喰も辞書には載っているが。最近はインターネットや大手チェーン古本屋の普及で大した予備知識がなくても、簡単に背取ができるようになった。たまに古本屋の100円コーナーで高価買取リストだかヤフオク高騰リストだかをながめて背取をしている人間を見かける。実は苦労する割に儲からないのだけど。本は暗いおもちゃである、といったのは足穂だったか。
2003.05.30
シフトJISが嫌いになった。くそ。

♪リブルとラブルでバシシ、といえば今から20年前に出た名作、リブルラブルである。独特なゲーム内容と軽快な音楽もいいが、やはりレバー2本で操作するというのが印象深い。チェンジャーでリブルとラブルが入れ替わったりすると、右で動かしているのがどっちだかこんらがらがって訳が分からなくなっていたりしたものだ。コレ以前にもレバー2本というゲームは幾つかあった。ビル登りゲーという妙な分野をつくったクレイジークライマー。ネームランキングである名前を入れるとクレジットが増えるらしい。対戦格闘ゲームの祖?、空手道。7段までは開始直後の飛び蹴り。攻撃がボタンではなくレバーに振り当てられていたスフィンクス、などなど。アサルトビデオ。ナムコのアイスホッケーゲーム、フェイスオフは開発段階ではレバーが3本あったらしい。テスト時に3本目のレバーを手以外の方法で操作する人間が多いため3本目のレバーはなくなったというが、なんだ手以外の方法って。足か口かスタンドか、それともノーブ(削
2003.05.29
避難訓練で階段21階分を歩かされる。なんだか泥縄なタイミングだ。

むかし、ペントミノのパズルを持っていた。ペントミノは5つの正方形が繋がった形で、全部で12種類ある。これを長方形の盤面にきっちり収まるようにするというオーソドックスなパズルである。ワシがもっていたのはちょっと違っていて、5つの六角形が繋がった形をしていた。正方形の場合よりパタン数が多く、ピースは全部で20種類くらいあった。これを平行四辺形型の盤面にきっちり収めるのであるが、入手して早々に解答をなくした。おかげで綺麗に入れ物に収めることが出来ずに、しばらく盤の上にピースを山積みでしまってあった。ある日、偶然にもきっちり収まった。おおと喜びつつ、忘れんうちに解答をメモっておくか、と書き写している最中にひっくり返した。そして二度と復元できなかった。さっぱりである。なお、正方形4つのテトリスをテトロミノ、5つをペントミノ、6つをヘキサミノと呼び、3つをトリミノ、2つをドミノ、1つをモノミノと呼ぶ。ドミノはもちろん並べて倒したりするやつである。
2003.05.28
振替輸送でいつもより電車混みまくり、朝っぱらから消耗す。

ワシら世代が初めて触った携帯ゲーム機といえば、ゲームウォッチである。ワシはマンホールを持っていた。穴が4つあいている道路を通行人が落っこちないように蓋をするというもの。穴の開いた道路を全く足元を見ずに歩いてあまつさえマンホールに突っ込む通行人など、設定に無理があるが、ゲームセンターあらしでこのゲームを扱ったときの無茶苦茶な設定にくらべればマシであろう。下水道で液晶代わりのゴキブリがスクリーンをうごめいてゲーム画面になっているというもの。民明書房も真っ青である。ゲームウォッチは理不尽なハマリはなかったため、スピードが一定のAゲームは慣れてしまえばいくらでも続いた。実際、カウンタを4回転くらいさせたことがある。ところが、Bゲームは段々スピードが上がっていくため、途中からはビートマニアばりの連打を要求された。集中力がいるモードだった。それはそうと、なぜかゲームウォッチシリーズのパッケージの点数はすべて528点だったのが記憶に残っている。
2003.05.27
大根1本100円。

今から17年前の今日、ファミコン用ドラゴンクエストが発売されている。まだシリーズ化は未定だったと見えて、1はつかないただのドラゴンクエストである。容量は512k、単位はビットなのですなわち64kbyte。そこそこボリュームのあるストーリをこの容量に押し込んだものだから、涙ぐましい省メモリコーディングをしている。ファミコンのハードの制約のため、ひらがなは一応すべて使えたが、カタカナは半分程度しか使えなかった。ドラクエの呪文が妙なのは、使えないカタカナが多かったためである。さらにRPGなので台詞が多いのだが、この台詞には圧縮をかけて容量を稼いでいる。全く同じ台詞は少ないが、文頭や語尾といった文節単位で似ている台詞は多い。これを利用して、よく使う云い回しの文節を辞書化しておき、台詞はこの辞書の文節の組み合わせで表現している。辞書を使った圧縮、いわゆるLZW法である。ファミコン時代のドラクエの人物の口調がみんな似ているのはこういう理由による。あの台詞自体、なるべく短く完結な文になるように言い回しにかなり気をつかったらしい。これと関係あるか知らんが、メイルに慣れていない人のメイルはなんとなくドラクエ口調である。
2003.05.26
ATMが混んでて困る。コンデンス。

今から20年前の今日、日本海中部地震がおきている。発生時刻は11:59:58、ほぼ正午であった。この地震は津波が凄かった。地震発生から数分で10mクラスの津波が日本海側に押し寄せている。日本海側は大きな地震が少ないので津波に対する対応が遅れたとも云われ、この津波で100人が亡くなっている。海から離れた場所にいながら、ポロロッカばりの津波の河川遡行にあって亡くなった人もいた。地震発生時に車に乗っていたため、地震に気付かずに浜に下りてしまった遠足の児童がまとまって亡くなったというのもある。痛ましい話である。そんなわけで、今日は秋田県の県民防災の日である。しかしなんでわざわざ今日を狙って震度6なんつー地震が起きるかね。
2003.05.25
怠惰な一日。タイダルウェーブ。

よくある怖い話にこういうのがある。冬山で遭難し真っ暗な山小屋で夜明かしをするのだが、眠ると凍死してしまいかねない。そこで4人で部屋の四隅に座って、となりの隅にいる人間の所まで行ってそいつを起こすというのをやるのである。起こした人間と起こされた人間は入れ替わり、起こされた人間はまた隣の隅に行ってそこに座っている人間を起こす。これを順繰りに繰り返すと定期的に起きて歩くので眠気覚ましになる、というもの。しかしよく考えると、これは四隅に座る人間と歩いている人間とで5人必要である。朝になってからそのことに気付いた4人は、じゃあ5人目は誰だったんだ、いうのがオチである。4人のうちだれかが茶目っ気を出して一人で2人分歩けば、実行可能である。起こされたら、部屋を対角線で突っ切って他の人間を起こして、今度は逆周りに一つ戻るのである。でもまあ、4人で徹夜するのなら普通は徹マンか。
2003.05.24
今週もダーマを見逃してしまった。

経済産業省がセキュリティ甲子園とかいう鼻から牛乳が出そうなイベントを開くらしい。ハッカーの甲子園だとか。本気か。先に相手サーバを潰したほうの勝ちという電脳棒倒しである。メディアで自己主張するようなヤツは真のハッカーとは云えない、とどこかで読んだ気もするが、こんなイベントで活躍したら公安にマークされそうである。そもそもハックではなくクラックではないのか、とか云い出すと宗教論争じみてくるので割愛。ハッカーはシステム内部に侵入できるくらいコンピュータに精通した人間を指す言葉として使われるが、元はUnix文化の中で生まれた言葉でコンピュータに詳しい人間に与えられる称号の一つである。ハッカーが最上位職というわけではなく、さらに上級職もある。グルとウィザードである。グルは教祖ないしは指導者、ウィザードは魔術師。高度に発達した科学は魔術と区別が付かない、というやつか。なお、このサーバのドメイン名はグルだが、これはこのグルとは全く関係がない。魔法陣グルグル、のグルである(本当)。
2003.05.23
豊洲で晩飯。

SFのヒューゴ賞とネビュラ賞をまとめて取ったニューロマンサーが出版されたのは今から19年近く前のこと。日本語訳は2年後。スプロール三部作の皮切りにして、サイバーパンクの金字塔である。大学のとき友人に小野というのがいたのだが、仙台でオノセンダイというジャンク屋でも開業してくれんかなあ、などと思ったものだ。ところが作者のギブスンはこの小説を書いた当時、コンピュータにほとんど触ったことがなかったらしい。あのハッキング描写はすべて完全に想像の産物とのこと。一説にはアップルのリンゴマークからインスピレーションを得たとか。まだ存在しない近未来の物語だから出来た荒業であるが、リンゴマーク一つからベストセラーを書き上げたのは、いまさらワシが云うほどのことでもないがやはり大したものである。海浜幕張はチバ・シティの夢を見るか。どうでもいいが、ニューロマンサーで検索したら、ワシの会社の頁が出てきて驚いた。
2003.05.22
読み終わった本と同じ本が本棚にあった。未読が50冊もあると忘れる。

ノートパソコンで一番の問題となるのは電源である。色々な素材が電池材料として実験され着実に電池は長持ちするようになってきているが、半日ぶっ続けで使えるといったタフなものはなかなかない。ところで、動いている物体が止まるとき運動エネルギーは別のエネルギーに変換されて放出される。自動車などはこれをブレーキパッドの摩擦熱に変換してしまうのだが、電車は回生ブレーキという方法を使っている。これはモータを発電機として回すことにより運動エネルギーを電気に換えてエネルギーを回収するというものである。もちろんこの方が電力が少なくて済む。ノートパソコンでもこれに似た技術が研究されているらしい。キーを引っぱたくエネルギーを使って発電を行うというもの。効果は微妙だと思うが、なかなか面白い発想だ。すでに携帯電話の緊急充電用の手回し式発電機なんかもあることだし、実用化される日が来るのかもしれない。ないかも知れんけど。ワシ的には貧乏揺すりで発電するデバイスが開発されると助かる。
2003.05.21
古巣から電話。

今の住居に引っ越してきたのは油断するとまだ雪が降る季節だった。持ち込んだガスストーブで凌いでいた。その後、暖かくなって不要となったストーブを押入れに仕舞おうとした、のだ、が。・・・外れん。引っ張ったり引っ張ったり引っ張ったりしてみたのだが、ガス栓からホースがうまく外れてくれん。幸いガス栓は押入れのすぐ近くにあったので、不恰好を承知でホースがつなぎっぱなしのままストーブを押入れに放り込んだ。押入れからガスホースが這い出て元栓に繋がっていた。そんな状態で一年経過。あるとき来客の一人がこの押入れからはみ出しているガスホースに目をとめた。訳を話すと、こうするんですよ、といってあっさりガス栓からホースを外した。おおー、とワシは初めて火を見た原始人なみの反応をしてしまう。分かってしまえば、なんで気づかなかったのか不思議なほど簡単に外せるものであった。寸足らずである。その後全くガスストーブを使っていないのは、また元栓が外れなくなるのが怖いわけではなく、エアコンが活躍しているから、ということにしておく。
2003.05.20
寝違えてなんや知らんが尻が痛い。

大宮から池袋を回って大崎に繋がるのは埼京線だが、これは通称である。正式には、大宮〜赤羽は東北本線、赤羽〜池袋は赤羽線、池袋〜大崎は山手線である。ここに限らず、別路線として敷設された線路をまたぐ運転を行うため便宜上通称で呼ばれる路線は少なくない。山手線や京浜東北線などもそう。山手線は田端〜品川でそもそも環状でなく残りは東北本線と東海道線、京浜東北線にいたっては東北本線と東海道本線と根岸線であって実体がない。それはともかく、話は赤羽線である。この路線、池袋のほうが標高が高く、全路線が赤羽に向かってなだらかな下り坂となっている。ある深夜、保線用のトロッコがこの下り坂を滑り降り、池袋から赤羽までの5キロを滑走したことがあったらしい。幸い事故はなかったが、目撃者によると、踏切をなんだか黒っぽいものが過ぎていったかと思うと、汗だくの保線区員が走ってきた、とのこと。赤羽駅が高架になるずーっと以前の話である。
2003.05.19
もう梅雨か。

以前すんでいたマンションの最寄の呑み屋はどういうわけかオカマバーだった。そこから順番にテレクラ、エロビデオ屋、ラブホテル、焼肉屋とその一角だけなんとも濃い並びだった。そのバーのオネェチャンだかオニィサンだかは、たまに盛装して夜遅く駅前でチラシを配っていた。その駅は改札の中からも外が見渡せるようになっているのだが、人気のまばらな駅前にそういっためかしこんだ一団が張っていると目を惹く。あまり気にせず改札を出て近寄ってみて、そこに立っているきらびやかな一団がなんだかエラくガタイがいいことにはじめて気が付く。はて、と思って顔をそちらに向けると、女装したジョゼフ・ジョースターみたいなのにぶっとい声で、よろしくねぇ、とかチラシを手渡される。深夜にこれである。心臓に悪い。その店の宣伝活動がいつも夜遅くだったのは、もしかしたら自主規制していたのかもしれない。
2003.05.18
風呂場の網戸を破壊してしまう。散髪。

痛みの国際単位ハナゲというのがある。鼻毛を引っこ抜いた時の痛さを痛さの単位量として痛さを定量化しようというもの。タンスに足の小指をぶつけたら10ハナゲで、駅の階段を踏み外して転んだら100ハナゲで、出産時は1キロハナゲで、10キロハナゲで即死だとか、まあそんな感じ。キロハナゲクラスの痛みを喰らったらとても数値化するような余裕はないだろうけど。もちろん、この単位は嘘っぱちである。痛みの感じ方は個人差があるのはもちろんだが、人間の感覚器はたいてい非線形であるためこんなに綺麗に数値化できない。例えば、音量を表すデシベル、揺れを表すマグニチュード、星の光度を現す等級なんかは物理量の対数をとったものである。個人差が出やすい感覚的な現象の評価は、実はそれだけで論文が書けるくらい面倒なテーマだったりする。
2003.05.17
妙な夢を見た気がする。

使っている素子を共通化できて安くなるのか、1台のコンピュータでは2台の異なるコンピュータの機能をもたす試みがあった。いわゆる下位互換が多かった。例えばPC88の NEW ON 1 コマンドによるN80-BASICモード。PC6001mkII以降もブート時にモードが選べた。P6シリーズはシリーズが進むとBASICインタプリタの機能拡張に伴って動作が遅くなっていったので、いつも初代P6モードで使っていたものだが。極めつけはPC98とPC88を統合したPC98DO。RPGとエロゲー専用機か。なんだかNECばかりだが、MEGADRIVEとIBMPCが必然性もなくくっついたTERADRIVEというものもあった。どうもこの手のマシンは器用貧乏という印象があり、イマイチ感が拭えない。この手のPCが売れたという話はあまり聞かなかったので、やはり素直に2台別々に買う人間が多かったと見える。独立した機能が一つになっていると片方が壊れたときの処置に困るから、まあ順当といえば順当かもしれない。ビデオが壊れかけた部屋のビデオ内蔵テレビを見るたびつくづく思う。
2003.05.16
一日ハマる(スゴロク風に)。

大昔の日本語には色を表す言葉が4つしかなかった。白黒赤青の4色である。なんだか森博嗣の小説の題名みたいである。では木の葉は何色といったのかというと、青葉というくらいで青である。これに限らず、すべての色を4つのどれかで強引に表現していたのである。証拠がある。白い黒い赤い青いの4つだけが「い」で終わる。これはこれ以外の緑だの紫といった色を示す言葉はあとから日本語に仕様追加されたことを示している。黄色いが例外だが、黄いとはいわない。黄色が微妙な立場なのにもおそらく理由がある。陰陽五行説である。これはありとあらゆる事象を5つに分類して考えるという理論である。四季や四方位といったものまで5つに分けるのだが、5つ目は四季なら土用、方位なら中央、といった具合で少々こじつけが苦しい。色だと、先の4色に黄を加えた五色であるが、黒白赤青黄のうち、この無理のある5つ目に対応する色が黄なのである。そんなわけで黄の扱いが他の4つとちょっと違ったため、こんなずれが生じたものと思われる。

From リーダ
>「茶色い」の立場は?

あれ?
2003.05.15
雨の日は眠い、というのは大野安之のゆめのかよいじ、だったか。

大学には単位合わせのためとしか思えない、履修するほうも講義するほうも大して気合の入らない講義というのがある。ワシが履修した応用数学がそうだった。教室はやたら広かったが、席が埋まったのは最初の2〜3回で、そのうち教室はすかすかの過疎状態となった。この授業に限らず必修でない科目は万事そんな調子だったが。ワシの大学ではとあるサークルが発行する鬼仏表という冊子が大っぴらに売られてた。教官ごとの講義の単位の取得難易度を一覧表にしたもので、学生はこの表をみて楽そうな教官を求めて年2回サバイバルな履修届け合戦を繰り広げるのであった。さて、この応用数学のランキングは非常に仏、出席はとらない、テストを受ければ結果にかかわらず大体単位がもらえる、という前評判だった。そんなことを知ってか知らずか、ある週、100席はある教室に10人ほどしかいない学生に向かって教官が、ボソリと来週試験でもするかなあ、と呟いた。果たしてその次の週、教室には普段の10倍以上の幽霊学生が大挙して押しかけた。立ち見が出る騒ぎである、というかどうやって立ったまま試験受けるつもりだ。教官は教室に入るなり、おおと呻いて後ずさり、試験の遅延を宣言してコピーセンターに走ったのであった。一匹見たら30匹というものあながち嘘ではない。
2003.05.14
傘盗まれた。うがー。

最近のシステム管理者はrootでもmuleを使うらしく、たまに/etc/に~の付いたファイルが転がっていることがある。見ていてなんだか違和感があるというか、馴染めない。今はリソースが潤沢だからrootでmuleのような重いソフトを使って構わんのだろうが。このごろはあまり聞かなくなったが、昔はディスクが丸ごと死んで/usr/local/binがマウントできない事態もなくはなかった。そんなときmuleが使えないからシステム修復ができないでは拙かろう。コンピュータに限らず、標準でないソフトに依存しすぎるのはよくない傾向である。そういう人間はそのソフトがない環境で潰しがきかない。少なくとも環境構築に時間がかかる。どんなヘボいマシンにも入っているような標準コマンドは確かに無骨で使いにくいものが多いが、こういったことを踏まえて標準コマンドで一通りの作業が出来るようにしておくのも無意味なことでない。だからという訳ではないが、最近はメモ帳でコーディングしていたりする。
2003.05.13
蕨と独活を喰う。

suicaはどこかに入場フラグを持っているようで、入場と出場を交互に行わないとエラーになる。キセル対策で色々とチェックが厳しくなっているためだ。終電間際、駅にドタドタ駆けつけると高架には電車が来た音。何人かで団子状に連なって改札を抜けようとする。知り合いが改札にsuicaをかざすもうまく定期を読み取ってくれない。気が急いているので再度定期をかざしながらも体は改札を抜けつつある。そこにワシが定期をかざす。ワシの定期が反応して改札が開いて、知り合いが入場する。しかし知り合いの定期はまだ反応していなかったので、改札には一人しか入れずワシが止められる。再度、ワシの定期をかざしてもエラーである。すでに電車はホームに入っているようだ。駅員を呼んでいる閑はない。ワタワタと知り合いの定期を借りてなんとか入場し、エスカレータを駆け上がって電車に駆け込んだのがドアの閉まる数秒前。ふう。明日こそ早く帰る。帰ろう、ではなく、帰る。
2003.05.12
6回目の献血。

大っぴらに仕事はサボれてジュースも飲めるし粗品ももらえる、というわけで今年も職場の献血に。理由が小市民すぎるな。池袋の献血ルームは日本一サービスがよいことで有名である。普通の粗品に加えて、以前は図書券がもらえたとのこと。今は当局の指導により換金性のあるものはくれなくなったが、それでもパンやジュースが食べ放題となっている。よくホームレスがやってきては食い物目当てに献血をしていくのだとか。現代の売血か。ほんの40年ほど前のことだが血は換金できた。無職や日雇いの労務者が度を越えた売血を行い、体を壊したり死んだり、そういった状態の人間から採血した血液が肝炎の温床になっていたりと社会問題となった。海外の要人に輸血したら肝炎にさせてしまったなんてとんでもない事件もあったらしい。そういった背景から現在の献血制度が出来たとのこと。それはそうと、職場の何人かが仕事で去年上海に一月ほど滞在したという理由で献血を断られたとのこと。献血もさせてもらえないほど不健康なのか、とエラくしょげていた。
2003.05.11
辛ラミョンひっくり返す。大惨事。匂いが取れん。

深夜の地震は比較的大きな地震だったが、新聞によると怪我人は3人。窓を開けようとして布団につまづいて転んだだの、慌てて2段ベッドから落っこちて骨折ったとか、そんなのばっかり。おまえらサザエさんか。とはいえ、地震があったら、家からうかつに飛び出すなだとか、机の下にもぐりこめだとか、窓を開けろだとか、竹やぶに逃げ込めとか、ワンルームマンションの浴室に逃げ込めなどというのはいざとなるとなかなか反応できないものだ。今から20年ほど昔にワシの田舎を襲った日本海中部地震は昼間だったが、それからしばらく余震が続いた。夜に机に向かっているときに震度4の余震があって、机の隣の本棚から本がバラバラと散らばるのをなすすべもなく固まって眺めていたのを思い出す。寝ている間の余震でベッドの上においてあった小さな本棚が顔面に落っこちてきたときは星が見えた。
2003.05.10
小手指駅前散策。

最近、サラ金のCMが目に付く、というか目に余る。CMの影響力は恐ろしいもので、金がないことを嘆く親に向かって小さな子供が無邪気に「じゃあ借りようよ」と云うだとか嘆かわしい会話が為されているとか。金がない状態で金を借りている訳だから、どう転んでも借金が生活を圧迫する。とりあえず利子だけ払って元金の返済を先延ばしにすることをジャンプと云うが、こんなことを繰り返しているうち気が付けば借りた金額の倍以上払ったなんてアホらしいことも案外あるらしい。なおこういった浅慮の輩が最後に流れ着くのは、最近ワイドショーなどで話題の闇金。10日で1割利子が付くことからトイチといったりする。トイチは並のサラ金の12倍の利率。こういうのに手を出してしまうのは切羽詰って冷静な判断が出来なくなっている人間が多いので、こんな無茶な利息でも有難がって借りてしまうらしい。貸す業者も業者だが、借りるほうもどうにかしている。なお、最近はトイチは可愛いほうで、トサン、トゴ、トナナなんてのが普通で、トトというのもあるらしい。ちなみに借金を借金で返す愚行を自転車操業というが、これは指数関数であるのである時点から一気に破綻する。足るを知る、というか自分の身の丈にあった生活をすべきなのだろう、という当たり前のことをいいながら、古本5冊衝動買い。
2003.05.09
疲れた。tired将門。

なんちゃらと云ってみるテスト、という云い回しはパソコン通信の時代からあったと思う。なんちゃらに含まれる主張をテストと宣言することで逃げ道を作っている。主張が通ったらそれはそれでよし、もし反論されたら、いやテストだから本気でそういっている訳でないです、本気にしないでください、と逃げを打てるのである。古くからのコンピュータ関係のコミュニティの慣習として言いだしっぺの法則がある。例えばこういったことをやりたい、と一番に云いだした人間が、じゃあお前がやりゃあいいじゃん、と責任を押し付けられる現象のこと。そういった面倒を避けるため、一番名乗りをあいまいにするために出てきた表現だと聞いたことがある。主張はすれども責任は取らないという、甘えた修辞法である。と云ってみるテスト。
2003.05.08
陰摩羅鬼の瑕が今日発売だというデマがあったらしい。

ブザーは電磁石とバネを組み合わせている。スイッチが入ると、電磁石により鉄片が引き寄せられる。この鉄片自体が電気回路の一部であるため、引き寄せられて回路が寸断される。バネにより鉄片が戻って、再び回路が構成され電磁石が鉄片を引き寄せる。以下繰り返し。これがエラい勢いで繰り返されるため、電磁石と鉄片がぶつかる音が間隙なく繋がってブーと聞こえるのである。よく出来た仕組みだと思う。初めてこの回路の仕組みを知って感動して、鉄釘にエナメル線をグルグルまきつけてブザーを作ろうとしたくらいである。しかし当初思ったとおりにはついに動かず、モータで鉄片をジャカジャカ弾き飛ばすという非常にやかましく無骨なブザーになった。せっかく作ったのだから活用しようと、玄関に仕込んで扉が動いたらブザーが鳴るようにしておいた。来客を知らせると同時に来客がその音にぶったまげたため、家人の不評を買ってあっという間に引退させられてしまったが。
2003.05.07
コンビニに寄る気力すら。

叔母一家は娘が遠方に嫁いでしまって今は夫婦二人暮しである。娘がいなくなってから、叔母の家にはコリー犬がいる。この犬が非常に賢いと親戚内で評判である。親戚のチビ助どもにちょっかい出されても吠えない噛まない凄まない。叔母夫妻が出掛けるときは、自ら車の助手席にすすんで乗って、道中おとなしく座っているとのこと。この犬はワシの実家にも来た事もあるのだが、1時間以上車の中でじーっとしているという。小さい頃から慣らしたのもあるだろうが、たいしたものである。さらに、いつもは素直に車に乗り込むこの犬も獣医に行く日だけは頑として車に乗ってくれなくて、叔母を困らせるらしい。夫妻の会話から察しているようだとか。飛車丸。そうえいば、ワシの家にいた初代の犬は車が大の苦手で、死んだ前の日に獣医に連れて行くときにお前ホントに死に掛けてるのかというくらい車の中でジタバタ暴れていたものだが、あれは獣医が厭だったのかもしれない。
2003.05.06
カウンタ直す。すでに過去に数度壊れてるからあの数字は結構いい加減。

東大の院生が700台あまりのコンピュータを接続して指令塔なしの協調システムを作ったというニュースがあった。互いに相手の状態を通信しあい、閑なコンピュータに仕事を振り分けたり、壊れたコンピュータを動的にシステムから切り離すことなどが特徴だそうだ。指令塔となるノードが存在しなく、動的に接続構成が変わるシステム、となるとなんだかwinnyのようだ。単一のCPUを高速化していく方向はそろそろ限界が見えてきているので、いずれコンピュータは複数のCPUが協調作業を行うような方向に向かっていくだろう。ネットワーク越しに見も知らぬ相手とCPU資源のリースをしたりするOSが登場したりするのかも。しかし、個人でそんな大量のCPUパワー何に使うのやら、と思ったが、中学のころ、ギガという単位をはじめて聞いたてそんな超大容量の媒体にいったい何を記録したらいいのだろうと思ったものだから、そのうちやっぱり何かの使い道が見つかるのだろう。真っ先にエロゲーの高精度あたりから始まりそうな予感があったりなかったり。ゆめりあ。
2003.05.05
カウンタ壊れた。自作だしな。

ルービックキューブにはまっていたのは小学5年の頃の話。はまった、とは云うものの小学生が自力で解法を思い付く訳もなく、ただ闇雲の全然揃っていないキューブをガシャガシャと廻していただけで、運がよければ2面くらい揃ったかも知れない、といった程度。解法を知るのは入手後半年ほど経ってからであった。しかし、ワシのキューブは解法を知る前に全面が揃ったことがある。あまりにも揃わないキューブに業を煮やし、何を血迷ったかシールをすべて引っぺがし揃うように貼りなおしたのである。我ながらもうアホかと。もちろん、半日もすればまた配列はぐしゃぐしゃになってしまうので、また貼りなおす。何回か繰り返しているうちに、とうとうシールが付かなくなって所々が黒いキューブとなっていた。すべりをよくするためキューブの隙間にミシン油を落としたりと色々いじくり倒したため、ある大会に参加したときに壊れてしまった。今考えると、白の面のセンターにマークが入っていなかったので、パチモンだったのだと思う。なお、どんな状態のルービックキューブも最長18手で完成状態に復元できる、と予想されているとのこと。
2003.05.04
今日は祝日ではない。

昭和23年(1948)に「国民の祝日に関する法律」が制定された。国民の祝日は年間で14日あるが厳密には今日はこれには含まれない。この法律で、前日および翌日が国民の祝日である日は休日とする、と規定されているため今日は休日である。振り替え休日などと同じ扱いである。この決まりを活用するためには、次の親王の誕生が祝日のあたりになればいいのか。理想は5/1。先の決まりを額面どおり適用すると4/30と5/2が休日となり、何もしなくても7連休となる。と思ったが、今度の親王が即位するころにはワシは墓の下だろうが。なお、今年からハッピーマンデーが拡大されて、成人の日と体育の日に加えて、海の日と敬老の日も第n月曜日に変更されている。レジャーを中心とした消費の拡大と休息が目的だとか。毎年カレンダーの赤丸の場所が変更されて、システム屋やカレンダー屋は大変である。それを見越してかワシの会社のカレンダーには祝日の記載がない。これはこれで意外と不便。
2003.05.03
汐留駅に初上陸の予定。→ 新橋から歩いたんで未達成。

後から自分でも持て余すことが多いので遠出をしても自分用の土産はあまり買わないのだが、一つだけ例外がある。Tシャツである。飾ったり仕舞っておかずにどんどん着る。旅行中に着替えが尽きて、旅先の土産屋で買った地名入りシャツを着て凌いだことが少なからずある。旅行から戻ると普段着のシャツのローテーションに放り込むのだが、こういったシャツはあまりモノがよくないのかそのうち首の辺りがだらーんとしてきて、ほどなく廃棄処分となる。今まで結構買ったと思っていたシャツもほとんど捨てられており、今手元にあるのは古い順にマカオ土産、ロンドン土産、エジンバラ土産、台湾土産の4枚だけである。海外土産なのだが、惜しげもなく着ているので、買った順にいずれ雑巾になる予定。
2003.05.02
連休の谷間なら閑であって欲しいものだ。ひー。

波は媒体がないと伝わらない。真空だと音が聞こえない、というやつである。光も波であるのでなんからの媒体が存在すると考えられたことがある。これがエーテルである。この宇宙はエーテルという観測できない何かに満ちており、光はこのエーテルを揺らして伝わってくると考えられたのである。これは相対性理論により100年ほど前にその存在を否定されている。SFなどの小道具としてたまに見かけるが、物理学の用語としてのエーテルはすでに死語である。ところが、PCの世界でこの言葉は生き残っている。IEEE802.3規格、すなわちイーサネットである。1973年にXeroxでパソコン同士を接続するネットワークシステムが開発されたが、その信号ケーブルを信号を伝える媒体ということでエーテルと呼ぶことにしたらしい。エーテルはイーサとも発音する。当時のスピードは3Mbps足らず。現在策定中の光ファイバの10Gbpsに比べると1/3000でしかない。なお、研究室レベルでは最近は数Tbpsというなんだかよく分からん世界で信号が飛び交っているとのこと。
2003.05.01
S波って地震のことじゃないの。スカラー? 防御力は上がりそうだが。

まだ秋田新幹線がなく、急行津軽があった頃の話。仙台からワシの田舎まで乗り換えなしで走る唯一の列車が津軽で、列車交換のためかワシの実家の最寄にある無人駅飯詰にも止まってくれたので、帰省によく使っていた。いつだったかこの列車で帰省したときのこと。津軽の下りは午前4時頃に仙台発で午前7時頃に飯詰着である。時間が中途半端なのであまり眠れず、そのときも欠伸まじりの寝ぼけマナコでホームに降り立った。降りたのはワシ一人だった。・・・なにやらバサバサと音がする。ふと足元を見ると、死にかけた蛾が力なくホームでうごめいていた。これが異常にデカかった。週刊誌を広げたくらいのサイズがあったと思う。列車が去って静かになったホームで思わず、うわー、と声が出た。あまりの大きさに気味が悪くなって、見なかったことにしてそそくさと駅を離れたが、もしかしたら寝ぼけていたのかも知れない。この数ヵ月後に急行津軽は廃止になり、その後津軽の走っていたルートの山形〜新庄のゲージが変更されてしまった。583が同じルートを走ることは二度とない。東北本線が寸断されたので八甲田も同様か。
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