雑記 【雑記topへ】
2003.03.31
元デスマーチ、今やぬるま湯マーチ、今日が最終日。

入社前にもらった研修の手引きには、当日持参する物として筆記用具、着替え、洗面用具といった当たり前のものに加えて、湯呑み、パジャマ、サンダルが載っていた。今思えば、もっていかなくても研修生活に困るようなものでもないし、それなりの代替品でよかったのだろう。会社側が生活に役立つものを気を利かして載せていたのだと思う。ところが当時のワシは右も左も分からない新社会人。のっけからしくじりがあってはまずかろう、とこの字句をクソ真面目に解釈して、新品でしかもそれなりの値段の湯飲みとパジャマとサンダルを購入、上京用のバッグに放り込んだ。それからの研修生活でパジャマとサンダルはそれなりに活躍の場もあり、サンダルは現在も現役だが、ついに湯呑みの出番はなかった。部屋でお茶でも飲めというつもりだったのだろうか。数度の引越しを経ても捨てた記憶も取り出した記憶もないので、今でもワシの部屋のどこかに未使用で新品の湯呑みが眠っているはずである。
2003.03.30
ジブリ美術館の外だけ見る。トトロ、デカっ。

トランプにダウトという遊びがある。1から順番に数字を読み上げながら手札からその数字を伏せて出す。手札に該当する数字がなくても適当に嘘のカードを出す。そのカードが嘘だと思えばダウトと云って伏せたカードを検分する。嘘なら出した人間が、本当ならダウトと云った人間が山のカードを引き受ける。早く手札がなくなったら勝ちという遊びである。残り3人くらいになると手札に同じ数字が4枚並んで簡単に嘘を見抜けるために、全然手札が減らなくなって長引いたりする。2人でやると疲れる上につまらない。小さい頃、ワシはこの遊びの必勝法を編み出していた。1〜13までをすべて1枚づつそろえるのである。13人で遊んでいなければ、全く嘘をつかずに札を出し切ることができる。嘘をつかないのでダウトをかけられても大丈夫。これは素晴らしい作戦だと自画自賛していたのだが、当然配られた手札には抜けた数字がある。抜けた数字の札を集めるため、序盤から欲しい数字に片っ端にダウトをかけていた。このゲームは初めは誰も嘘をつかないので、ワシの手元には欲しいカード以上に欲しくないカードももりもり集まるのであった。周囲からはワシはこのゲームがひどく下手であると評価されていたようだ。下手な考え休むに似たり。せつなーい人間。
2003.03.29
大泉アニメフェスティバルにぶつかる。駅前商店街におジャ魔女の等身大フィギュアが並んでいる。大泉といえば東映か。なぜか主催は練馬区。

ワシの語彙の問題かも知れないが、散髪のとき仕上がり髪型の説明に手こずる。要領を得ない説明をしてしまって、店員に問詰められたりしたこともある。以前は、住んでいたマンションの目の前がいきつけの床屋だったので、いつも通りで、済んでいた。学生時代も似たような具合で行きつけの床屋で適当にやってもらっていたのでそんなに苦労しなかった。近頃通っている床屋は客が多いためとてもこちらのことを覚えてくれていないので、毎度毎度説明しなおしである。最近、編み出した方法。免許証の顔写真を示して、これくらい。ちょうど免許更新日に散髪をしていたので、こざっぱりした状態の写真がいつも財布の中に入っているのであった。つーことで、本日、散髪および髭剃り。
2003.03.28
上着替えたら、携帯とバス券忘れた。

初期のファミコンRPGで名前が4文字しか入らなかったためそれ以来ずーっと主人公の名前をオシイマにしているのは押井守。こんなエピソードがあるくらいなので云うまでもなく結構なゲームマニアで、例えばAVALONの人名やパト2のスクランブルシーンのコードネームなどはすべてWizから借用していた。さて、Wizシリーズの忍者はなぜか軽装になればなるほど防御力が上がる。なにやら開発スタッフの日本文化理解に誤解があるような気もするが。究極の軽装は云うまでもなく何も着ていない状態、つまり素っ裸である。南青山アドベンチャーへのオマージュである南新宿アドベンチャーのクライマックスシーンは忍者の一団(もちろん男である)と戦うのだが、当然のように全員素っ裸であり、つくづくこのゲームがテキストアドベンチャーでよかったなあと思ったものである。戦って戦って戦いまくるランボーが素肌をさらけ出した軽装、というかランニング一丁なのは彼が忍者なのからかも知れない。小説AVALONは積読中。
2003.03.27
片頭痛でまた睡眠不足。

秩父鉄道から新聞紙ほどもあるポスター状の切符が発売されるらしい。曰く、日本最大の切符だそうだ。なんじゃこりゃ、と思ったらここの会社は話題つくりのためか日本一なんとかな切符を過去に3回売り出しており、今回で4回目なのだという。ちなみに過去の日本一は、日本一長い巻物切符、日本一重い真鍮製SLモデル切符、日本一豪華な屋台ミニチュア切符。どれにしても実際に使うのが激しく面倒くさそうである。売る側にしてみれば買ったきり使わずに死蔵してもらうのが一番ありがたい訳であるが、こんな物好きな切符を買い求めるのは九割がたテツであり、そういった人間は大抵未使用でコレクションしてくれるので商売する側にしれみればテツさま様というところであろう。まあ、どの趣味の世界もいっしょだろうが、テツの興味対象の細分化が激しく同じ鉄道趣味でありながら分野によっては全く興味が湧かなかったりする。乗る、撮る、切符や駅スタンプを集める、といった比較的分かりやすい趣味から、チャイムや走行音の録音、車両採寸、運輸省答申チェック、妄想路線作成とワシから見ても偏った趣味まで色々。ワシの好きな廃線歩きはややマイナー派だが、外野から見りゃ全部同じ穴の狢か。狸穴。ちなみに切符あつめは守備範囲外なのでこの切符は買わない。
2003.03.26
昼飯喰いそこねる。

中学以来音信不通で現在何をしてるか全く知らんが、今一緒にいたらもしかして連れ立ってアキバあたりに繰り出していたかも知れない感じの知り合いがいた。英語の教科書に出てきたアリスのハンプティ・ダンプティに似ている、だったかどうかは忘れたが、あだ名はハンプ。そのうち省略化が進み、プ、となんだかよく分からん呼ばれ方をしていた。いつぞやそいつが入院したことがあった。見舞いに行ったときに飽きたからといってもらった雑誌がベーシックマガジンだった。創刊準備号だったと思う。当時まだ数誌しかなかったパソコン雑誌はどれも1000円くらいだったが、ベーマガだけは安かった。300円である。そんなわけでこれ以来10年近く毎月ベーマガを購読していた。掲載されることはなかったが、プログラムやイラストなどを投稿してみたりと随分若気の至りもした。邪魔になって捨てた段ボール数箱分の古ベーマガはもしかしたらそれなりの値がついたのかもしれない。そのベーマガが来月で休刊となる。そういえばベーマガの親雑誌のマイコンの親雑誌のラジオの製作も随分前に月刊誌としては休刊済みだという。動きの激しいコンピュータ事情を紙媒体で伝えるのは難しい御時世である。アサルトビデオ。
2003.03.25
早くも傘忘れた。使用回数2回。

こだわりの店で、秘伝のタレを創業以来一回も容器を空にせずに少なくなるたびにどんどん注ぎ足して使い続けるようなことがある、らしい。タレの底に10年前の虫の死骸や20年前のネズミの骨が沈んでいるとかいうのは後藤寿庵のギャグだが、やっぱり不衛生なイメージがある。ところが数字で検証すると実はそうでもない。例えば18kgのタレを考える。この中にはおよそ6x10^26個の水分子が含まれる。日にタレを半分使って減った分を注ぎ足しているとすると、一日目が終わった時点でタレのうち50%が開業時のもの。二日目には50%^2=25%が開業時のもの、三日目には50%^3=12.5%、以下同文。日に5割づつ注ぎ足していると、87日目にタレに含まれるすべての水分子が入れ替わる計算になる。全水分子の平均注ぎ足し日はわずか2日前のものでしかない(Σn*0.5^n)。日に5%とチビチビ使ったとしてもやっぱり3年ほどでタレの水分子は総とっかえとなる。この場合の平均は380日。一般に日にx使うとして、平均x/(1-x)^2。というわけで、創業以来同じタレを使っているという謳い文句にはそれほど意味はないことになる。タレを入れてある容器はこまめに洗ってほしい、ということで。
2003.03.24
風邪ぶり返す。うー。

ゆうきまさみの究極超人あ〜るの舞台である春風高校は東京都練馬区にあるらしい。あの漫画、実はかなりの登場人物が実在の人物をモデルに描かれている。たわばセンパイ(とまとあき)や鳥坂センパイ、校長の柳昇(春風亭柳昇、ドラマCDは本人が出演)や文芸部の伊藤くん(伊藤和典)や美術部の高田さん(高田明美)や兵頭真(兵頭まこ)や生徒会長の西園寺まりい(川村万梨阿)や刑事(当時のサンデーの担当者斎藤)などもすべてモデルが存在する。あのマッドサイエンティスト成原成行にもモデルがいるというから、濃い交友関係である。春風高校の用務員であり光画部OBの毒島さんにもモデルがいる。天本英世である。あ〜るのある回の表紙は毒島さんが立喰い蕎麦をすする絵なのだが、これはその頃撮影された押井守の映画、紅い眼鏡に登場する天本英世が演じる伝説の立喰い師月見の銀二の扮装である。赤い眼鏡の脚本が伊藤和典であったり、映画の一部を伊藤和典の実家の山形の映画館で撮影しただとか、立喰いのモブシーンにゆうきまさみがエキストラ出演していたりとここらへん色々繋がりが錯綜している。仮面ライダーの地獄大使を演じた潮健児に続き、死神博士を演じたその天本英世も亡くなった。合掌。
2003.03.23
ディズニーリゾートライン完乗。

しゃべるパソコンPC6001mkIIに搭載されていた合成音声機能は、調音結合などの補完処理が全くない非常に原始的な音声だった。BASICのコマンドはtalk。これが棒読みもいいところで、例えばポートピア連続殺人事件などはたまに台詞を音声でしゃべるのだが、BGMのないゲームのくせに唐突に喋るのでびっくりはするのだが、緊迫感はかけらもなかった。睡眠学習と称して古典の助動詞の活用形を喋らせるプログラムを作って声をヘッドホンに流しながら寝たことがあるが、抑揚のほとんどない合成音声は催眠効果こそあれ学習効果は全くなかったものである。チャペルウェディングの外人神父のちょっとたどたどしい日本語が、ずーっと何かに似ていると思っていたが、ようやく思い当たった。P6ののっぺりとした合成音声だ。どうでもいいが、アーメンと聞くとアンデルセン牧師がブチ切れた目つきで銃剣振り回して暴れている光景が思い浮かんで、なんだかなあ。
2003.03.22
戦争のおかげでダーマが放送されない。

典型的な都市伝説に、耳のピアスの穴から出てきた正体不明の糸を何気なく引っ張って千切ったら失明してしまうというのがある。千切るのは本人ではなく、本人はなんで電気消したのと無邪気に聞いてきたりする。鎬紅昇の紐切りじゃあるまい、そんなところを視神経が経由している訳はない。ところが、ピアスの穴を開けたばかりでまだ穴の内部に皮が出来かけている状態でピアスを付け外しすると、穴の内部の皮が裏返しに細い管状になってピアスの穴からひょろんと糸のように飛び出して見えることがあるらしい。これがこの都市伝説の元ネタとなっていると思われる。
2003.03.21
HDDがパンク。録画ファイルが25時間分、20G。見切れん。

データ圧縮はランレングスやスライド辞書やハフマン符号などの圧縮手法を組み合わせるのが普通だが、最近はブロックソーティングというテクニックがトレンドらしい。この手法は正確には圧縮アルゴリズムではなく可逆並べ替えアルゴリズムなのだが、この処理を行うとデータがより圧縮が効くように並び変わるというもの。アルゴリズムの本質は単純でそのくせ効果は絶大となかなか筋のよいアルゴリズムである。ところでこのアルゴリズムを直接的に実装すると、入力ファイルの二乗のメモリを要する。awkでチョいチョいと実装してみたところ、4kの文字列の処理に1Gもメモリをアロケートしたのでびっくりした。なお、情報論の祖、シャノンによってデータ圧縮の論理限界の存在が証明されているので、今後どれだけ理論が発達しても現行のツールの数倍の圧縮性能をもつツールは現れないはずである。ブロックソーティングを使ったgcaやbzipは確かにgzipやlhaより圧縮率は高いが、高々数%程度の話である。
2003.03.20
風邪が治らんと思ったら、この洟は花粉か。んがー。

高校の頃、バス通学者の間ではなぜか停車ボタンを押すことはカッコ悪いことだという認識がされていた。高校前のバス停のアナウンスがあってもしばらく誰も停車ボタンを押さない。高校前のバス停が見えてきてようやく誰かが根負けして停車ボタンを押す、というチキンレースじみたことが日々繰り返されていた。我慢比べが度を超え、ついに誰も停車ボタンを押さなかったために高校生が満載のバスが高校前を素通りするという訳の分からん事態まで発生した。つくづく阿呆である。ワシは混雑を嫌って早い時間のバスを使うようにしたためそんな騒ぎとも無縁となったが。まだ薄暗い時間帯のこの便は利用者が全路線を通じてワシ一人ということも珍しくなく、ほどなく運転手に顔と降りるバス停を覚えられ、走行中はバス停のアナウンスを止めてもらって高校前に着いたら起こしてもらうという重役待遇で通学するようになった。しかし、高校に着くのがべらぼうに早かったため、暖房も入っていない教室でコートを着たまま震えていたりもした。最近バスを使うようになったが、会社前のバス停の停車ボタンを押すのをちょっとだけ躊躇する。
2003.03.19
気分はもう戦争。

たまにウェブ日記に日常を赤裸々に書き綴っているのを見る。ウェブ日記は誰でも参照可能、そうとは意図せずに見も知らぬ相手に個人情報を渡していることになる。プロファイルをすると色々分かってしまう。例えば、立ち回り先から住所を推定したり、何か高価な買い物をしたとか、行動予定から留守の日を知ったり。空巣に入ってくれと云わんばかりである。そういった情報は書かない、もしくはダミーの偽情報を紛れ込ませたりする自衛策が必要なのかもしれない。まあ、ほとんど知り合いしか見ていないこの頁では杞憂だが。杞憂は杞の国の人が空が落ちてくるのを心配したことに由来する言葉だが、そこからほとんど無意識に北斗の拳が連想されるのはどういうことだ。
2003.03.18
本社の役員用会議室に行った。国連安保理みたいだった。

大学の学祭でワシが責任者でヤキソバの屋台を出したことがある。それはいいのだが、ずぶの素人集団でやったものだから利益だのなんだのがひどくいい加減で、このままではひどい赤字になることが判明したのは、実際に客が来始めてからだった。こりゃイカン、とばかりにヤキソバの水増し工作が行われた。ヤキソバを客に売り出す傍ら試行錯誤を繰り返し、最終的になんだか異様にモヤシの多いヤキソバになった。それでも店の場所が幸いしてかこのインチキくさいヤキソバもそこそこ売れた。しかし、所詮は素人の集団。何をどう間違えたのか、祭がおわってみればなぜかキロ単位のモヤシが残っていたのであった。誰だ買い出し担当者。その後、モヤシの消費のために、モヤシのたっぷり入ったお好み焼きやモヤシのたっぷり入った鍋などを肴にしたモヤシづくしの宴会が数度行われた。モヤシハラスメントと云うかなんというか、ほとんど罰ゲームのようななんだか投げやりで殺伐とした飲み会だった。いまだにモヤシを見るとそのときのことを思い出す。ところで、責任者のワシがその屋台の収支決算をサボり、売り上げを適当にロッカーに放り込んだまま忘れていたのはここだけのヒミツである。
2003.03.17
3年使った100円傘についに穴が開く。

広島県に三段峡という渓谷がある。ここに正月に例の3人組で出かけたことがある。メインは三段峡ではなく、ワシと某氏の可部線の乗りつぶし。単純に路線を往復すると時間が折り合わんので片道は高速バスを使った。そこまでして出かけた渓谷は真冬なので雪もりもりでもちろん観光どころではなく、しかも雨で無茶苦茶寒く、すぐに逃げ帰ってきたものだ。その帰り道、広島駅で買った1000円の傘をしばらく愛用していた。その傘も随分前になくした。なくした瞬間を明確に覚えている。浅草線から東西線に乗り換えるとき手すりに掛けっ放しに置いてきたのだ。電車を降りてすぐに気が付いて振り返ったが、ドアはすでに閉まっていた。ああー、と喘ぎながら愛用の傘を見送ったのであった。以来、本当に愛用している傘は失くすのが怖くて部屋の倉庫にしまわれていたりする。そんなわけで100円傘の後釜はやっぱり100円傘の予定。
2003.03.16
いつのまにか体重元通り。

初めてアーケードでクリアしたゲームはSEGAのスペースハリヤー。ベーマガに紹介された美しい画面に心を奪われるがしばらくは地元では遊べず悶々としていた。結局、初プレイは修学旅行中の京都で、旅行中の貴重な自由時間の何割かをゲーセンで過ごしていた。仙台のダイエーのゲームコーナーにはスペハリのムービング筐体が置いてあり、ちょくちょくプレイしていたものだ。まさにワシがプレイ中にそのムービング筐体が壊れて元に戻らなくなってしまい、気まずい思いをしたものだ。店員になんか調子悪いんですけど、と申告したところ、それが下っ端の店員だったようで、筐体のフタを開けて修理しようとしてさらに事態を悪化させてしまい、ワシが見ている前で先輩店員に怒鳴られ始めてさらに気まずい思いをしてしまったものだ。当時のワシは今より10kg以上軽かったので、ワシの体重のせいではないと思うのだが。
2003.03.15
今週もダーマ&グレッグに井上瑤が出ていた。随分前に収録してたんだなあ。55000hit。

風邪で寝込んだときに採血したのだが、その結果を聞きに医者に出かけた。すでに風邪は大体治ったので、気休めといえば気休め。で、1時間待たされて、週末にまた来いと云っていた医者本人が、何しに来たの、みたいな態度で出迎えてくれた。ああ検査結果ね、異常なし。これでおしまい。わざわざ呼びつけておいてそんなあっさり終わらせんでも。1分足らずの診察代は220円。
2003.03.14
いつのまにか西武線がダイヤ改正しとるな。

2/14にチョコを送ってお返しに3/14にマシュマロだかなんだかを送るというのは今では当たり前の習慣のようになっているが、これらの起源は浅い。戦後の菓子業界の販促キャンペーンとして始まった習慣である。これに目くじらをたててそんな企業の思惑になんぞ乗ってやるものか、といきり立つのは簡単だが、そういう論理を振り回すと例えば七五三なんかもやらなくていいことになってしまう。11/15の七五三は、武家社会における子供の成長を祝うものであって江戸時代からある風習だが、今のように晴れ着で着飾るようになったのはこれまた呉服業界の販促キャンペーンであって割と最近の習慣である。婚約指輪は宝石業界の販促で、クリスマスは玩具業界の販促などなどエトセトラケセラセラベネズエラ。とかまあ起源がどうとかいっても煙たがられるだけなので、適当に迎合しとこう。
2003.03.13
3kg痩せた。

最近はオンライン株式トレードやらSOHOなんかでPCを使って金を稼ぐ手段が出来た。まあワシもそうやってキーボードを叩いて喰っている一員といえば一員。また、宅配ピザや出前などで部屋から一歩で出ないで食事をするのも可能である。銀行なんかも大抵はオンラインで片がつく。金も稼げるし飯も喰えるし決済もできる。その気になれば部屋から一歩も出ずに生活が成り立ってしまうことになる。自活した引篭もりである。とはいえ、部屋から外に出るといっても現実の我々も広い世界のほんの一部分しか立ち回れないないわけで、立ち回れない世界の外は伝聞でしか存在を確認できない。外出はしているが実際に触れることのできる現実世界が有限であるという意味からは、世界が閉じている引篭もりとあまり変わらんような気もする。世界が10インチ足らずの液晶画面というもは少々狭すぎるが。それはそうと、ノートPCでもないと寝込んだとき閑でしょうがないのう。
2003.03.12
風邪につき三回休み。

アルヨ、というと漫画によく出てくる似非中国人の使う日本語の定番だが、中国人と仕事をしていてもそんなベタな台詞は聞いたことがない。とはいえ、ややこしい日本語を覚えられない中国人向けに、肯定文は「ある」否定文は「ない」を文末につければそれなりの意味になるという強引な教え方があったらしく、何とかアルヨ、という言い回しは全くの創作というわけでもない。(体調不良によりネタ帳からそのまま転記。よってオチなし)
2003.03.11
風邪につき二回休み。

ポコペン、とはケロロ軍曹が征服をねらっている星のことではなく、てんでおハナシにならない、だめ、という意味。ちゃんと辞書に載っている単語である。元々は中国語のプゥコゥペンで、元金を下回る、の意。今の日本経済みたいなものである。たしかにおハナシにならない。(体調不良によりネタ帳からそのまま転記。よってオチなし)
2003.03.10
風邪につき一回休み。

語学学校の講師はおしなべてテンションが高い。慣れない外国語にへどもどしている生徒から発言を引き出すために、人一倍ハイテンションで教室内の雰囲気を盛り上げなければならないからだ。最初は戸惑うがそのうち慣れる。そういったテンションの高さが外国語に付き物と思えるようになって、それなりに発言ができるようになる。NHKハングル講座の兼若先生を見よ。(体調不良によりネタ帳からそのまま転記。よってオチなし)
2003.03.09
Freecell100連勝でまたもやストップ。#617に4連敗。難しいぞ。

ある漫画家が言葉狩りだかなんだかそういったテーマで朝まで討論会に出演したことがあるという。そのときの体験談をゴーマニズムに描いていた。海千山千の論客に囲まれロクに発言することができなかったようである。ところで、断筆中だった筒井康隆も一緒に出演していたというのだが、そこでツツイが「士農工商SF屋」と言う発言をしたらしい。これは文壇におけるSF作家の地位の低さを自嘲した言葉で、氏のエッセイでもたまに見かけるフレーズである。何を勘違いしたのかこの漫画家、ツツイは士農工商エタヒニンという言葉を知らんのだな、ととんでもない感想を述べていた。いくらなんでもそんなバカなことを云うはずがないと思い、何度も読み直したがやっぱり本気でそう思っているとしか思えんかった。ダイジョウブデスカ。
2003.03.08
風邪悪化。

最初のバイトはコンビニのレジ打ち。おかげで買い物の袋詰めがワシの隠れた特技である。夜から深夜のシフトで勤務していたのだが、地下鉄の駅前の店のためかそこそこ繁盛していた。いつも仕事が終わる午前1時まで結構忙しかった。中には訳の分からん客も多かった。一番困ったのはこんな酔っ払いオヤジ。「弁当温めますか」「頼む」・・・チーン「はい、おまたせしました」。オヤジ、手渡された弁当をおもむろに広げて、立喰い蕎麦よろしくカウンターで喰い始めた。オヤジの後ろにはレジ待ちの客がずらりと並んでいるのに、である。どけ(意訳)と云っても酔っているものだから全然動かん。押しのけるわけにもいかず、そのままいないつもりで対処したが、とにかくこういった厚顔な真似はよくない。
2003.03.07
なんか雪降っとらんか。

大学2年。火曜日は必修科目が集中していており、午後は実験だった。実験はレポート提出があるのだが、このレポートは数回提出をサボると簡単に留年が確定するという科目だった。そんなわけでほとんどの人間は午前中の必修科目をさぼってレポート作成をしていたようだ。そのため、朝一の講義は教室はガラガラのスカスカでいつも数人しかいない有様だった。ところがこの朝一の科目の教授がえらく厳しかった。中間試験は平均点が30点そこそこ。中間と期末の合計点が6割未満は単位がもらえないなので、中間試験で20点以下の人間はその時点で不可が確定し、しかもそれが必修科目なので留年も確定する。杓子定規に不可判定を行いクラスの半数以上を留年させかけたが、さすがに教務から救済を指示されたとのことで、期末試験は120点満点となった。ほとんど救済になっていないような気もするが。案の定ワシのクラスは全クラス中最多の留年者を輩出することになった。そんなことよりその厳しかった教授が望月望という回文な名前だったことのほうが印象深い。
2003.03.06
3/1放映のダーマ&グレッグに井上瑤が出ていた。

初めてのRPG(らしきもの)に触れたのは中学1年。I/Oの投稿プログラムのポケコン用の洞窟探検のゲームである。そのポケコンはメモリが1500byteほどだった。1.5kといえばワシの雑記二日分しかない。たったこれだけのメモリに迷路と戦闘のプログラムをよく押し込んだものだが、当時まだそういったゲームに全く免疫のないワシには何が面白いのかほとんど理解できなかった。理解できなかったが理解できないなりにリストを解析し、ついにはリバースで自作のゲームまで作った。この頃はパソコン雑誌をなけなしの小遣いで買っていたのでこれくらいじっくりと読んでいたのである。そこまでして作ったゲームだったが、やっぱり楽しめなかったのだが。ファンタジーな世界観や成長を楽しむゲームシステムになじむのはこの2年後にブラックオニキスが登場するまで待たなければならなかった。まだドラクエはもちろんファミコンすら発売されていない頃の話である。
2003.03.05
天気がよいと目が痒い。風が吹けば桶が転がる。

東京の地下には12路線の地下鉄がある。池袋〜渋谷の13番目が目下建造中である。この13号線は例外だが、残る路線はすべて皇居をかすめて通る。東西線や有楽町線に至ってはお濠の地下に駅がある。そこまでギリギリに接近していながら決して皇居の地下は走らない。どの路線も皇居を迂回して通っている。皇居の地下を走らすと色々問題があるのだろうし、もしかしたら地図に載っていない地下施設があるのかも知れない。ところで、スイングバイという技術がある。スイングバイは人工衛星が天体の重力を利用して無燃料で加速する技術。地下鉄の電車は皇居を使ってスイングバイをして加速しているのだ、という冗談もある。路線が直接目に見えないため地下鉄は都市伝説的な噂の温床となっているようだ。実際、事情を知らない人間が見たら不思議に思う地下建造物は多い。例えば有楽町線豊洲駅の使われていないホーム。有楽町線沿線にある自衛隊とからめて噂されることがあるようだが、あれは有楽町線支線建造計画の名残である。あそこから分岐して野田市に向かう予定だったらしい。東京アンダーグラウンド。
2003.03.04
FreeCell、483連勝でストップ。

未来放浪ガルディーンは、日本一仕事をしないSF作家火浦功の代表作。親の仇を果たさんとする亡国の王子(実は王女。CV:田中真弓)の冒険譚と思わせておいて、実はいつも通りのスチャラカな話である。いきなり第一話で敵討ちを果たしているし。その後は火浦功らしく当然のように外伝ばかりが続いている。もちろん本編は未完。このガルディーンは実は機動警察パトレイバーのダミー企画だったのだという。そのため、ガルディーンのイラストやメカデザイン等は軒並みヘッドギアの面子である。ダミー企画ながら、10年ほど前にCDドラマ化もされた。このドラマのスタッフがむやみに豪勢で、声優に宇宙戦艦ヤマトの経験者が何人かいた。ゲストの納谷悟朗を潜水艦船長に仕立てて、ドラマ内でヤマトごっこをしていたりしていた。役名もそのまんまオキタ。この声優陣は実はガンダムの経験者も多く、次のCDドラマが出るならばガンダムごっこをやろうとか云っていた記憶がある。ヤマト・マーベリック役の富山敬、ガルディーン役の塩沢兼人に続き、シャラ=シャール・酒姫役の井上瑤が亡くなった今となってはもう二度と実現はしないだろうが。合掌。
2003.03.03
バス待ちでずぶ濡れになる。台風か?

3/3は上巳の節句とも云う。1/7の人日の節句、5/5の端午の節句、7/7の七夕の節句、9/9の重陽の節句とあわせて五節句の一つに数えられる。なんだか日付にゾロ目が多いのは妙な感じであるが、これがクロネッカーのデルタδijとなんか関係あったらトンデモである。五節句のうち、3/3と5/5と7/7は毎年必ず曜日が同じになる。それぞれ9週間づつ離れている。実はゾロ目の日の曜日は集中しやすい。4/4と6/6と8/8と10/10と12/12の偶数ゾロ目の月は2月以外はすべて同じ曜日になる。ちょっと面白い。それはそうと、桃の節句と五言絶句は似ている。
2003.03.02
温泉卵つくり器を買った。

「ここでインド人を右に」というのは誤植の多かったゲーム攻略誌ゲーメストでも伝説に残る大誤植である。インド人→ハンドル。あるレースゲームの解説記事でのことである。こういう腹がよじれそうな誤植は、手書き原稿が無茶苦茶汚かったためにおこったらしい。それにしてもなんでこんな訳の分からん誤植が校正チェックをかいくぐって世に出てしまったかは謎といえば謎である。一説には校正をやっているのが日本人ではなかったためとまで云われていた。大昔のパソコン雑誌にはプログラムリストが掲載されていたのだが、これに誤植があると悲劇であった。まだ自力でロクにデバグなんぞできないころにこれに引っ掛かってエラい苦労したことがある。翌月号に訂正記事がでていたのだが、今思えばこうやって翌月号も買わすための策略だったのかもしれない。
2003.03.01
ダーマ&グレッグ第5期放送開始。めでたい。

地球は大きく分けて、ワシらが住んでいる地表付近の地殻、その内側にあるマントル、中心部にある内部コア、外部コアの4つの部分からなる。地殻の厚さはせいぜい数十キロで地球のスケールから見るとわずか1%ほどしかない。その殻の中はマントルが詰まっている。マントルが地表に顔を出すと溶岩となり、火山となる。日本は世界でもダントツに火山の多い国であり、同時に温泉も多い。マントルの奥にあるコアはマントルに含まれる比重の重い金属からなる固体と考えられている。超高温高圧の世界である。もちろんマントルの奥は計測装置が入り込めるような世界ではないのだが、スイカの中身を叩いて音でチェックするようにして、地球の裏側の地震の伝わり方を解析することにより地球の内部の様子を知ることができる。地球は薄い殻に包まれた熱いドロドロの中身をもつ球体なのである。つまりタコ焼きみたいなもんである。
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