雑記 【雑記topへ】
2002.11.30
今日はあったかいのう。

久しぶりに市立図書館に出かけた。只で閑つぶしができるだけあって大盛況。蔵書検索の端末の前も大行列である。1Fの児童書コーナーも大騒ぎであった。なんとなく児童書のコーナーを見てみた。子供向けの本なので、図版が多く、活字が大きく、薄い本なのだが、よくよく見ると内容が意外と濃い。手にしたのは鉄道関係の本だったのだが、列車の形式はもちろんかなり詳しい路線図や構内配線図、果てはトンネルのブロックの組み方の説明までしてあって、とても小学生向けの本に見えん。ワシの本棚にあるその手の書籍にも載ってないような細かい記述が満載で驚いた。あやうく借りかけた。そんなこととは全く無関係に秋好事件を借りる。通勤電車で読もうと思っていたのだが、版がデカくてバッグに入りきらん。はて。
2002.11.29
五年ぶりの電話にちょっと戸惑う。

「栗」と「粟」。どっちも喰えるが、字としては断然「栗」がメジャーである。「粟」は五穀のひとつなのだが、字としてはいまいち認知度が低い。おかげで苗字を読み間違われるのは日常茶飯事。さらにワシの名も少々ひねった読み方をするので、初対面でフルネームを正しく読んでくれた人間はほとんどいない。ちなみにワシの苗字で検索をかけると、石川県の粟津温泉が死ぬほど引っかかる。このあいだ全国の駅弁なんとかという番組で粟津温泉が栗津温泉になっていたのには失笑だったが。数年前、物好きにもわざわざ石川県の粟津駅まで出かけたこともある。そこらへんじゅうにワシの苗字の看板が出ており、なんだか妙な気分になったものだ。なお、私鉄にも同名の駅があり、こちらは滋賀県。こちらにも見物に出かけたことがある。こちらは無人駅で駅前もガランとしており、むなしく路線を往復してきた記憶がある。
2002.11.28
半年振りにヤフオクを利用する。

エンターテイナーとチゴイネルワイゼン。PC6601に標準添付してきたデモにこの2曲があった。自分のパソコンで聞いたはじめてDTM(おおげさな)だった。これはフロッピーを突っ込んだまま電源を入れれば、自動的に音楽が鳴るので誰でもこのデモを見るとこができた。寝ているワシの横で当時小学生の弟がパソコンを適当にいじり大音量でこの曲が始まってたたき起こされる、ということがしばしばあった。PSG3音とファミコン並の音源ながら、自由に音をいじれるというのが面白く、狂ったようにMMLを打ちまくったものだ。MMLを打ち込みまくるうち、何を勘違いしたのか自分に作曲センスがあるように錯覚し、何とかのテーマ曲の応募に投稿しようとしたこともあった。もちろん聞けた代物ではなかったが。適当に作ったいろんな音楽の典型的なフレーズをベースにランダムなコードを自動生成して永久に適当な音楽を流すプログラムの音楽のほうがまともだったくらい。電話の保留音でエンターテイナーが流れるたびに、そんなことをふと思い出す。
2002.11.27
とかいってたら、ファイナルクエストもドラゴンファンタジーもENIXが商標とってますな。

ワシの田舎は雪深い。多いときには2m近く雪が積もる。雪がクッションになるため、冬場には普段はやらないような無茶な遊びができる。雪中ラグビーもそのひとつ。倒されても怪我をしにくいので、無茶な倒し方になる。熱くなってきてそのうち喧嘩になったりするのだが、田舎の遊びは大抵そんな感じなのであった。小学校の頃はもっと原始的で無茶苦茶な遊びが流行った。2階からの飛び降り。助走をつけて校舎の2階の窓から飛び出して、雪原に落ちる。これだけである。もちろん先生や女子には内緒。除雪をしていない雪原は柔らかいので怪我もせず着地できるのだが、足掛かりがないので身動きが取りにくい。雪原をぬけるために、雪の中を泳ぐことになる。全身雪まみれのずぶ濡れになる遊びであった。全く何が楽しかったのやら。
2002.11.26
ファイナルクエスト乃至はドラゴンファンタジー。もうすでにありそうなゲーム名だな。

コーディングをしていると、ごく稀に何かが降りてくることがある。こんぐらがってどうしようもなかったプログラムが、突然結び目がほどけるようにするりと解けて、答えが直感できることがあるのだ。まるで自分でない誰かがやってきて問題を解いてくれたような感覚におちいる。至福の瞬間である。年に一度あるかないかの経験である。最も思い出深いのは大学最後の年の秋。ちょうど今頃である。年明けが修論〆切だというのに、まだ研究の方向性が決まっていなかった。卒業が危うくなる少々まずい状況であった。そんなある晩、何かが来た。これで論文が書ける、と確信した。すぐさま大学の研究室に走り、徹夜でプログラムを書き上げた。そのまましばらく研究室に泊り込み、ほとんど寝ずにシミュレーションを繰り返した。今までで最も馬力の出ていた日々だった。脳内麻薬でも出ていたのかも知れん。最近は、結び目は結び目でもゴルディアスの結び目のように力技で叩き切らんとちっとも解けん問題ばっかりなのだが。
2002.11.25
悪寒がひどいが帰れん。ひー。

ぼちぼち年賀状の準備の時期である。昔、年賀状の仕分けのバイトをしようとしたことがある。申し込んだ時点で年賀状の方は定員に達しており、小包の部門に回された。目の前のコンベアに流れる荷物から自分の担当の区域の宛先のものを拾って荷車に載せる。これだけの仕事なのだが、ちょうどお歳暮の時期。とんでもない量の荷物が昼夜を問わずじゃんじゃん運び込まれてくる。お歳暮の定番、新巻鮭はそんなに重くないのでまだいいのだが、難儀したのはみかん箱や鉢植えの木。重い。腰にくる。結構重労働だった。よく、宅配便の箱に足型がついていた、某社の宅配は荷物の扱いが悪い、とか聞くが、荷物仕分け経験者にしてみれば割とうなづける。大量の荷物を仕分けをしなければならないので、どうしても荷物の扱いもぞんざいになりがちである。間違って仕分けられた荷物を正しい場所に投げ込むわ、蹴り込むわ、もうやりたい放題。仕分け場では絶えず新巻鮭が宙を舞っていた。そういえば、2週間あまりのバイトの間に目の前を通過した新巻鮭はおそらく1万本以上。アラスカの大自然にいるより、鮭を多く見た日々であった。みんな死んでたけど。
2002.11.24
エアコン初稼動。

外食のとき、よく閑つぶしに店頭においてある就職情報冊子を眺めている。適当に読み流せばいいものを、結構まじめに勤務内容や給料などを見ている。もし自分が無職だったらどの職に就くか、をシミュレートしてしまうのだろう。バイト専門誌なのでワシの得意分野であるところのIT系技術職があまり載っていないせいもあろうが、この冊子に載っている程度のバイトではかなり頑張っても喰っていけない。フリーターは何喰ってるんだ。そういえば、転職して境遇がよくなるというのは難しいと聞く。なんでも、七五三の法則というのがあって、転職後の収入はよくて前職の7割、普通5割、下手すりゃ3割、なのだという。転職しても、青い鳥なんかどこにもいないらしい。電車の中吊りで転職専門誌の広告の横に、会社にしがみつく方法の特集をしている週刊誌の広告が並んでいたりする。なんとも世知辛い。こんなことを呑気に語れるワシの足元がどれくらい磐石なのかは不明。砂上の楼のような気もするが、下手に確かめようとして足踏みしたら崩れるかも知れん。
2002.11.23
家庭内で風邪が流行っている。おもにワシ以外。

再びYBBの話。USB接続のTAが、LAN接続のモデムになったのは前述の通りだが、これが一長一短。長所。USB接続のTAで通信をしているとUSB信号が混線するのか、USB接続のマウスがおかしくなっていたのが解消された。マウスにさわってもいないのにカーソルがあらぬ方向に動いたり、まったく反応しなくなったりしていたのである。短所。LANの口に通信状態を示すインジケータがあるのだが、これがちらついて気になる。寝るとき、部屋の灯かりを消した後に、妙にピカピカと光っていてどうにも落ち着かない。寝るときくらいPCを落とせばいい話だが、ワシのPCは録画デッキでもあるので、録画が動く深夜帯は電源をおとせなかったりするのである。尤も、夜のPC廻りはHDDアクセスランプやモデムのインジケータなどが常時点滅しているので、少しくらい発光ダイオードが増えたところでさしたる問題ではないのかも知れんが。しかし、短所も長所も結局使っているPCがヘボいだけのような。
2002.11.22
語呂がいい日付のような、そうでもないような。

よくよく思い出してみれば、初めてスクラッチからちゃんと遊べるゲームを作ったのは中学2年のことだ。PB-100用マスターマインドである。たった400byteほどのプログラムだったが、そもそもそれくらいしかメモリがなかった。おまけに当時はマスターマインドという名前を知らなかったので、なんだかよく分からんタイトルをつけていたと思う。しかもPB-100は借り物だった。プログラミングもストイックなことこの上ない。机上コーディングである。ノートにBASICのリストをあーでもないこーでもないと、脳内シミュレートしながらポリポリ書いた。友人のポケコンを頼み込んで一晩借りて入力、デバックといった開発手順をふんでいた。そのときのプログラムはカシオのポケコンプログラミングコンテストに入選して雑誌に載ったりもした。後日、その友人のポケコンを紛失してしまい、蒼くなって雑誌の売ります買いますコーナーで同機種を買ったなんてこともあった。昔から粗忽で迂闊でうっかりである。
2002.11.21
YBBは2.5Mでした。

ようやくモデムを受け取って繋いでみたら、意外と簡単に繋がった。ところでこのモデムがいままで使っていたTAに比べてデザインがイマイチで、なによりデカい。うまく物陰に隠せない。これがかなり不評を買う。深夜いきなりの配線改良工事をおっぱじめる。尤も、PC廻りのケーブルはそれはもう大変なことになっているし、どのアダプタがどこにつながっているかよく分からんような状態。電話線は棚の裏を這わせているので、ちょっとやそっとじゃ配線を引っ張り出せない。とても小一時間でどうこうできそうな気配が無いので、配線整理はあきらめて寝てしまう。そのうち暇をみつけて配線整理工事をする必要があるな。しばらくは暇がみつからない可能性も高いが。とりあえず、配線をいじるとノイズが減ってADSLが早くなるという噂に期待しておこう。
2002.11.20
丸二日TV消し忘れてた。外部入力になっていたので気付かんかった。

17年前に初めて買ったパソコン、PC6601には本当にロクなゲームが出ていなかった。88を買うのだったと思ったのも後の祭り、XanaduやHydelideなどを羨ましく眺めていたものだ。その後も全然発売されないゲームについに痺れを切らしとうとう自らゲームの作成に取り掛かった。Xanaduの劣化コピーみたいなゲームになる予定だった。よっぽど遊びたかったと見える。まずBASICでドットエディタを作って、ポチポチとドットを打ちはじめた。家を建てるのに設計図をかかずにいきなり柱を削りだすような感じで、無計画に画面デザインに要りそうなドット絵を手当たりしだいに描いた。そんなドット絵を200パタンくらい作った。5mm方眼を貼り合わせて、100x100の全体マップも描いた。ハンドアセンブルで表示ルーチンも書いた。敵のいない無人の洞窟を主人公がぎこちなくトテトテ歩くだけの動作確認のプログラムを作るまで半年かかった。で、そこで飽きた。結局名づけられることもなかったため、そのゲームとしか呼びようのないそのゲームがワシのプログラミングの原点だった、のかも知れない。そういや、無謀にもゼビウスも作ろうとしたなあ。これもドット絵で力尽きたけど。
2002.11.19
YBBが開通したらしいのだが、忙しくてモデムが受け取れない。

困ったことに静電気体質である。この季節は怖くて金属にまともに触れない。ドアノブあたりはもう必ずと云っていいほどスパークが飛ぶ。けっこう痛い。そんなわけで最近はドアノブをいきなり掴まずに、まずドアに手の甲で触れてからあらためてドアノブを握るようにしている。手の甲からでも火花は飛ぶが、指先よりはまだ痛くないのである。職場は絨毯敷きなので、歩くだけで帯電しまくりである。ドアノブで放電して安心していたら、直後トイレで再びパチンとかなったりするので油断できん。しかも水道の栓が絶縁体で栓を捻った時ではなく、流水に手を突っ込んだ時にパチンとかなる。これは驚く。幸い、まだPCを静電気で破壊したことはないが、そんなこともそう遠い日ではあるまい。PC静電気保険とかあったらいいのに。
2002.11.18
ただいま独居中。もちろん部屋は散らかり放題。

入社間もないころ通勤経路がいっしょだった友人と会社帰りにちょくちょく呑み歩いていた。当時は東西線をつかっていたので、東西線全駅制覇とかいって、毎回東西線の違う駅で呑んでみた。確かアン肝騒ぎもこのときの一連の飲み会の一つ。葛西あたりは呑み屋に困ることはなかったのだが、一番難儀したのは木場。地名からしてわかるように、材木置き場ばかりで、ほとんど店らしい店もない。東西線の地上部は地下鉄開業後に発展したため駅前が栄えているが、地下部は土地事情からもともと栄えている町の外れのほうを通っていることが多く、駅前があまり栄えていないことがあるのだ。すきっ腹をかかえて小一時間うろついて入った場末の呑み屋は当然大外れで、かなり悲しい気分になったものだ。現在の通勤経路上で一番呑み屋に困るのはおそらく西所沢駅。最寄り駅である。田舎住まいであることよ。
2002.11.17
打ち合わせだというので出勤したら相手が居なかった。一体どうしろと。

仕事で中国の人から .xls ファイルをもらった。日本語が微妙におかしいのはまあご愛嬌だが、ファイルの中身はなんだかむやみにややこしい作りになっていた。見た目はそんなに問題はないのだが、よく見るとセルを妙に細かく設定してあって不必要にセルを連結していたりいる。1つのセルに書けばいいのに2行のセルを連結してあったり、かと思えば文章を途中で切って二つのセルに書いてあったりと、記述が全然統一されておらん。理解に苦しむというか、背中がむず痒くなるというか。そんな彼らは仲間内ではもちろん母国語で仕事をしているのだが、これがほとんど怒号に近い勢い。うるさいを通り越して、少々怖い。日本語でワシらと話すときのおっとりとした物腰とのギャップが激しい。別に仲間内で喧嘩しているわけではないのだろうけど。中国人には音声の調節機能がない、という冗談を思い出した。
2002.11.16
朝5時に寝たら、6時に電話で叩き起こされる。

喰い放題のすし屋でのこと。ここは一回に20カンの寿司が頼める。4人で4回頼んだので、その時点で一人20カン喰っていたことになる。ビールも頼んでいたので、みな結構いい感じに満腹だった。さて、喰い放題だというが、一番高そうなネタだけ20カン頼むことはできるのだろうか、と極めて小市民的発想で雲丹だけ20カン頼んでみた。酔っていたのかもしれない。やってきた雲丹の軍艦巻き20カンの行列はなかなか視覚的にインパクトがあった。ところで、みな結構いい感じに満腹なのであった。ワシは酔うと胃袋が莫迦になって、いやしいことにいくらでも喰えてしまう。誰も手をつけないのをいいことに、20カンの雲丹を一人で平らげてしまった。すでに20カンの寿司が腹に入った状態からよくも喰ったと思う。やっぱり酔っていたのだろう。さらにこの後にも幾つか追加で頼み、最終的には60カンほど喰った。これは単に喰い意地が張っているで済ましていいのかな。
2002.11.15
コインロッカーが見つからずに困る。

初めて買ったパソコン、PC6601には標準でコロニーオデッセイというアドベンチャーゲームが付属していた。今の携帯の液晶にも劣るVRAMながら当時の水準からすれば結構きれいなグラフィックだったが、1枚絵を出すのに40秒も待たせることがあって、これは当時の水準からしてもエラく遅かった。誘拐された恋人を助けるために6つの世界を股にかけての大冒険なのであるが、謎解きに脈絡がなくて難儀した。ノーヒントで南極のペンギンの卵の中の次の世界へのワープ装置を探し出したりしなければならなかった。break eggはダメで、break eggshellが正解という融通の無さ。まあ、このころのアドベンチャーゲームはどれもこんな感じだったのだが。そんなそこはかとなくクソゲーの薫りのするこのゲームで一番楽しめたのは、ある場面で遊べるオセロ。ただし、勝ったらその場面はクリアで、負けたら即ゲームオーバー。どっちにしろ2回はできない上、その場面は初めてのセーブポイントの前にあった。なので、オセロをやりたいときは一枚40秒のCGを見ながら最初からそこまでゲームを進めなければならなかった。おかげでそこまでは、目をつぶっても進めるようになった。小学生だった弟もすらすらと進めるようになっていた。でも、ゲームそのものは解いていなかったりする。このころのゲームは難しすぎて解けないのは普通のことだったのである。
2002.11.14
今日はパチンコの日で埼玉県民の日。さいたまさいたまー。

三菱重工の国内エアコン工場がなくなると報じられていた。ほとんど飾り物と化している我が家のエアコンがビーバーエアコンである。馬鹿映画、裸の銃を持つ男の2と1/2に、踏み台に登って荷物を取ろうとしている女性の足元に立ったドレビン警部が上を見上げて、"Nice beaver" とつぶやくシーンがある。直後、女性がビーバーの剥製を持って踏み台を降りてくるのだが、これのどこらへんが面白いかを解説すると、シモ話になるので省略。新聞ネタでもう一つ。ずいぶん前からガタガタやっている任天堂のファイアーエムブレムに似たゲームを任天堂が訴えていた件の判決が出たとのこと。任天堂の敗訴であるが、新聞の見出しが「ゲームソフトの類似認めず」。ルイージが不憫だ。
2002.11.13
設計書に「メインフレーム (主な骨組み?)」と書いてあった。タスケテー。

台湾に行ったとき、朝食のバイキングにあった点心のエビシュウマイが美味くて、朝っぱらから50個くらい食べてバイキングの大皿を空っぽにしたことがある。歯止めがきかないというか、喰い意地が張っているというか。いつぞや友人と居酒屋で呑み明かしたときのことである。のんびりとアン肝をつまみに日本酒を呑んでいた。ちょこちょことおかわりを頼むのだが、酔ってきて面倒になってきてつまみは全部アン肝に統一してしまった。ひたすらアン肝と日本酒を交互に注文していた。一晩かけて20皿くらいアン肝を喰い、ついに店に今日はもうアン肝ありませんと云わしめた。阿呆である。このときのアン肝がずらりと並んだレシートは結構笑えた。確かに好物だが、こだわりすぎ。帰宅後、大量のアン肝はむなしく吐瀉されてしまった。あたりまえだが限度を超えて喰ってはいかんのであった。スイカと云い、進歩のないワシである。その友人はもう東京にはいない。もちろんこの呑みのせいではないが。
2002.11.12
丁稚奉公はじまる。今年はもう職場の自分の席に座れない。

仕事は子請け孫請け丸投げ体質で、中間マージンが激しい。忙しくなると夜間突貫作業あり。職場は不定で、客の都合であっちだったりこっちだったり。お呼びがかからないととことん閑なくせに、忙しいときはもう無茶苦茶に忙しくなる。自分が作ったモノが、全体のどこらへんでどう使われるかなんてさっぱりわからなかったりする。そもそも全体が出来上がるころには次の職場で違う仕事をしているので見届けようがなかったりもする。なんだか土建屋のことのように見えるが、ワシの稼業のことである。ディジタルドカタ、デジドカなどと卑称する人もいるそうな。ということは将来、IT土建族議員なんての現れたりするのかもしれない。票田はおもに2ch、とかだったらかなり厭。本当にありえそうなのが、さらに厭。
2002.11.11
殴ったら人殺せそうなくらい、ゴミ袋が重い。

あるグループに誕生日が同じ人間がいる確率が50%を超えるのは22人のとき。意外と少なく思える。もちろん自分と同じ誕生日の人間がいる確立は一人当たり1/365で50%を超えるのは183人のときであるが、だれでもいいから同じ誕生日のペアとするとこんなに少なくなる。この確率は40人で90%を超える。つまり、学校のクラス程度の集団に同じ誕生日の人間がいないほうが珍しいのである。高校のときワシと同じ誕生日の双子がいたが、これはやや珍しいのかも知れん。午前零時を跨いで生まれたため、誕生日が違う双子というのも世の中にはいるらしい。そういえば、大学の友人に双子の兄貴の方がいたのだが、そいつの弟も隣のクラスにいた。弟の方とは面識がなかったので、合同授業などで誤認して声をかけては勝手に混乱していたものだ。その友人がベロベロに酔っ払ってウチの研究室をトイレと間違えて大変なことをしかけたりしたのはまた別の話である。
2002.11.10
電池を買いに新宿まで出かける。

ふたたびカボチャを割る。ワシの実家産のこのカボチャ、いつぞやはカナヅチで叩き割ったくらい頑丈なカボチャである。ベランダの床に叩きつけてみるが、案の定、ボヨンと弾む。以下略で、ようやく二つに割ったところ、なにやら様子がおかしい。なんと、カボチャ内部で種が発芽していた。種の塊の中に、鉛筆ほどもあるぶっといモヤシのような若芽がいくつも生えていた。マングローブは種が木から落ちる前に発芽し、ある程度根が育ってから落ちて地面に突き刺さって育つという。たしかに発芽に光は不要だが、カボチャの中のような気密環境でよく芽吹いたものだ。このまま放っておけばどんな状態になっていたのか少々興味深い。そんなんでも喰ったらやっぱりカボチャであった。
2002.11.09
出勤のついでにデジカメ回収。52000hit。

隅田川のほとりのとあるビルには野良アヒルがいる。それも1羽ではなく4羽ほど。住人が餌を与えるものだから棲み付いてしまったという。餌をやったことのある人間に聞いた。そのビルが昔の職場だったのだとかなんとか。野良、といえば犬山モンキーセンタで野良孔雀を見たことがある。10年ほど前の話である。モンキーセンタはサル専門の動物園なのだが、なぜかサルのいない柵の中にぽつんと孔雀がいた。あれ、サル以外もいるんだ、くらいにしか思わなかったが、よく見ればそこは檻ではなく柵なので天井がない。孔雀は鳥である。当然飛ぶ。見ているうちに孔雀はバッサバッさと飛び立って、人間の歩く通路を平然と闊歩していた。非常に驚いた。驚いたのだが、誰に話しても信用してもらえない。いや、ホントなんだってば。
2002.11.08
会社のエレベータにレシートで折られた折鶴が置いてあった。ちょっと和む。

カボチャの苗をカラスにつつかれてダメにされた父がキれて、カボチャを植える場所に片っ端にスイカを植えたことがあった。普段の倍以上のスイカの苗を植えたことになる。西瓜と南瓜、似ていないこともない。ところがこの年は大変暑くスイカが大豊作となった。ひと夏で100個以上のスイカが収穫された。いくら喰っても全然追いつかん。さながら物置はスイカ倉庫のような有様。ワシは .jnethackrcに OPTIONS=fruit:スイカ、と書いてあるくらいスイカが好きだが、さすがにこのときは喰い飽きた。小さい頃からの念願だった、一玉占有して一人で一気に全部喰う、を試したら腹壊した。腹いっぱい喰わないからこそ好物なのかもしれない。
2002.11.07
過負荷状態。ケフカはFFVI

馬鹿は馬と鹿の区別もつかない足りない奴が語源、といわれるが、実は諸説あってはっきりしない。まさか本当に鹿と馬を間違えたハンターがいるとは思わんかったが。馬鹿は日本オリジナルの当て字で本来は莫迦。この単語は中国語だがこちらも梵語の愚を意味するmohaへの当て字らしい。そういえば、日光(にっこう)は古くは二荒と書き、そもそもの地名は「ふたら」。白馬(はくば)も元々は代馬と書き「しろうま」だったという。長年使われて当て字が当て字を呼び、違う単語や語源と結びついて、もとの意味がどんどんぼやけていくことがよくある。最近インターネットのテキスト文化を見ているとそう思う。2ch語とか。
2002.11.06
京葉線。朝は暑くて、夜は寒い。なぞなぞみたいだな。

そういえば収容局の交換機の改造が終わったのか、IからAへの同番移行が可能になったと知らせがあった。入居時にあまり深く考えずにISDN契約をしてしまったのだが、アナログに移行すると電話番号が変わると云われていたのがようやく解消された。電話番号の変更に抵抗勢力があったのである。ようやくADSLへの道がひらけたことになる。尤も帯域を増やしたところで何をするわけでもないのだが、支払いを減らすことが主目的。線管によると線路長2300mで損失38dB。4Mbpsでれば御の字だが、それでも今の50倍速。ホントに何に使うんだか。で、どこのプロバイダがいいのか思案中だったりする。・・・こんなことを考えているのは、もちろん仕事がメタクソに忙しいからである。忙しいときほど現実逃避で何かを始めてしまう。そういえば修理が終わったデジカメはいつになったら取りにいけるのやら。
2002.11.05
職場で堂々とイヤホンかけて(半ば公認)、ひたすらワープロの日。らんららん。

ずいぶん昔のことなのでとうにタイトルは忘れたが、とにかくYs系のアクションゲームがあった。ゲームを進めていくとそのうち裏の世界というのがでてくる。ありがちである。しかしこのゲームは先進的なことにその奥にさらに裏の世界があった。裏の裏の世界である。これは表の世界とはまた違う世界。さらに裏の裏の裏の世界まであった。プログラム的にはそんなに大したことをしているわけではないのだが、なんとなくゲームの世界の広がりを感じさせる巧い設定だな、と思った記憶がある。このころのゲームの世界は狭かった。ワシが中学のとき作ったポケコン用のRPGのマップは10x10しかなかった。受けを狙ったのではなく、本当にそれくらいしかメモリがなかったのである。最近のPCはリソースが潤沢なのでそういった心配はないのだろうが、それだけ自由だとかえってゲームが作りにくいような気がする。限られたメモリとかいった制約があるほうがゲームは作りやすいような気もする。作りやすいというか、作る気になれる。
2002.11.04
仕事。莫迦ばっか。

本当かどうかは知らんが、クラッキングの手法のひとつにサラミスライスというのがあるらしい。人の口座の小数点以下のわずかな金額を盗み出すことを大量に行うことにより、目立たずに金銭を不正獲得するというもの。1円(それともセント?)以下という薄っぺらさがサラミの薄切りらしい。アメリカ人のセンスはよく分からん。でもよく考えると、日本国民全員から1円づつもらえたらそれだけで1億円だなあ、と空想している小学生と同じレベルだ。そう思いながら、時間で同じことができたらなあ、と夢想する薄暗い無人の職場のワシ。やっぱり小学生レベルか。腹減った。
2002.11.03
入間航空祭に行く。飛んで飛んで飛んで回って回って回る〜(一部略)。

入間の自衛隊基地の最寄り駅は稲荷山公園で、この駅は基地の敷地のど真ん中にある。西武池袋線は所沢から飯能までほとんど一直線の路線なのだが、この稲荷山公園駅付近だけ妙にカーブしている。まるで作為的にルートを変更したかのようである。この路線は地下鉄有楽町線に直通運転をしている。おなじく有楽町線に直通運転をしている路線に東武東上線がある。この路線にある朝霞駅には朝霞駐屯地がある。地下鉄有楽町線の市ヶ谷駅には云うまでも無く市ヶ谷駐屯地がある。国の中枢、永田町も有楽町線である。これは有事の際、入間や朝霞や市ヶ谷から速やかに永田町に部隊を搬送するためであり、そのために永田町駅には戦車が昇降できる巨大エレベータが極秘に建造されている、などという噂がある。よく出来た与太である。
2002.11.02
最近CLIEでエンドレスでらんラン乱が流れつづけていたりする。中毒性の高い曲であることよ。らんらんらん。

ストレス発散のつもりで近所のスポーツジムに行ってみた。階段踏みを30分、ルームランナーを30分、自転車を1時間、ベンチプレスとかいった筋力トレーニングを適当に小一時間。あっという間に体重が1kg落ちた。とかやっていたら、非常に腹が減ったので晩飯は喰い放題の店で結局±ゼロ。むしろ体重増加。台無しである。そういえば、昔職場で体重を気にしている知り合い二人が、ジムに行くたびにデカくなって帰ってくる、ということが続いた。汗をかくとビールが美味いだとかで、ジムの帰りに焼肉で乾杯していたらしい。それはそうと、今日行ったジムはコナミのグループ企業であるエグザス。X∀Xと綴る。正確にはXの上に点があってロゴはこんな感じ。
・ ・
X∀X
そんなわけで運動中、頭の中にこいつ(・∀・)イイ!!が現れて困る。
2002.11.01
ヘルシングのテレカが当たる。

よく間違った意味で使われることで有名な諺、情けは人のためならず。情けはいずれめぐりめぐって自分に戻ってくるから人には優しくしておけ、という意。その人の為にならないから情けをかけてはならない、という意味ではない。これの表裏の関係にある諺に、人を呪わば穴二つ、といのがある。ここでいう穴とは墓穴のことである。人を呪うと自分にも呪力が跳ね返ってくるから、相手と自分のために二つの墓穴を用意しておけという意味。人を悪く言うものではない、という戒めである。そんなことを呟いて暴走を自戒する日々。しんどいのう。
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