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2002.10.31
Trick or Treat。

電車の網棚にやたらとデカい紙袋がのっていた。結構立派な紙袋で、引き出物のような感じ。電車は進み、いつしか乗客はほとんど降りてしまった。それでも紙袋は無人の座席の上の網棚にある。昔つきあっていた相手の結婚式に招待されてムカついた女性が、腹いせに駅のホームのゴミ箱に引き出物をぶちまける、なんて話を聞いたことがあるが、もしかしたらそういった恨みのこもった遺失物なのかもしれない。さすがに流石に中をのぞきはしなかったが。終点で乗客をすっかり吐き出した無人の電車はその紙袋を乗せたまま回送されていった。不思議なのはこれが通勤ラッシュ激しい平日の朝の光景だったということ。終点では空くこの電車も始めのほうはとんでもなく混む。よくデカい紙袋よく持ち込んだな。それだけ恨みが深いということか(勝手な妄想)。

今月買った古本。15冊1775円(税込み)。
2002.10.30
実は日本シリーズ第5戦のチケットを入手していたのだが。

ワシの母校には、嘘か出まかせか知らんけど、いくつかまことしとやかに語り継がれている噂があった。勉強のしすぎでどうにかなったというのが多かった。そのくせ学校の七不思議みたいな話はあまり聞かなかったが。ワシが聞いたのでは、教師の車のミラーにペタペタと生肉を貼り付けたのがいる、自転車置き場の自転車を片っ端に木の上の枝に引っ掛けたのがいる、などなど。なんというかもうちょっとまともなおかしくなりよう(?)がありそうな気もするが、いかにワシの母校らしいユニークなおかしくなりかたでもある。ただし、ワシが在学中の3年間にそんな奇行は見たことがないので、都市伝説の類なのかもしれない。というか高校内伝説。
2002.10.29
朝っぱらからヘリがにぎやか。近くの西武ドームの取材らしい。

気の早いことに今日の日本シリーズ第3戦の入場行列が、昨日の朝から出来ていたらしい。今朝はこのあたりはかなり冷え込んだ。とてもではないが、寝袋があっても野宿はしたくない温度である。そんなわけで、今朝のニュースでは入場待ち行列とは名ばかりの、並んでいることを示す無人のレジャーシートの列が空撮に映っていたのであった。人間は寒さに負けて、どこか屋根のあるところに避難しているらしい。ということは、夜中にこっそり球場前に忍び込んで無人のレジャーシートを並べ替えるイタズラが出来そうだ。空撮を意識してナスカの地上絵でも書くか。そういえば校庭にドデカい「9」の字型に並んだ机、なんて愉快犯がいたのう。
2002.10.28
今年2回目のデスマーチ開始。

学生時代のアパートの風呂はガスで沸かす方式だった。お湯が適温になったら自動的に火を消してくれるとか保温してくれるとかいったインテリジェントな機能はついていない比較的古いタイプ。さて、ある日風呂を沸かした。湧き上がるまでは30分。ゲームしてんだかTV見てたんだか忘れたが、そのうちうとうとと眠り込んでしまった。4時間経過。うとうとというか完全に熟睡である。起きた瞬間、何がなんだか分からなくなった。部屋の中に霞がかかっていたのだ。4時間も湧かされた風呂の蒸気が部屋中に立ち込めていたのである。わー、と慌てて風呂場に飛び込んでガスを止める。もちろんエラいことになっていた。風呂場はサウナみたいな高温蒸気充満で、湯船の湯は触ることもできないほどに煮えたぎっていた。風呂桶に水が残っていたからいいものの、危うく火事を出すところであった。よく風呂釜が変形しなかったものだ。湯が煮えて配管の奥の湯泥が剥がれたとみえて、湯船には何だか黒っぽいものが大量に浮いている。湯がまともな温度に冷めるまで半日以上かかったが、あまりの汚さに結局入浴せずに排水。この一回だけでガス代は2000円くらいかかったと思う。高い風呂掃除である。
2002.10.27
みんゴル2やってます。

客商売において恐るべき客はクレームをつけてくる客ではない。胸のうちに不満を抱えたまま何も云わずに去り、二度と戻ってこない客である。サイレント・クレーマーという。何か不満足な点があったとき、実際に店側に文句を云うのはわずか4%で、のこる96%は文句を云わず、そのうち6割はその店を見限ってしまうのだという統計があった。要は、もう来ねぇよウワワーン、である。まあ、客引きの嘘八百な煽り文句を真に受けてしまったワシも悪いのだが、いらっしゃいませも云わん応対の悪い古本屋にはもう二度と行かんわ。そんな腹立たしい状態で行った別の古本屋でヒラコーのコヨーテを発見する。うひょー、といっぺんに腹立たしさが吹っ飛んだのであった。
2002.10.26
今度は目覚ましの秒針が取れていた。カランカラン。ああもう。

時計は精密機械であり、過去に分解したはいいが復元できなかったり致命傷を与えてしまって二度と動かなくなってしまったものがある。そんな不吉なことを思い出しつつ、時計を分解して修理する。最近秒針の挙動が怪しかったのはなんのことはない、秒針が駆動軸から半ば抜け落ちていたためにずれて動いていたため。ついに外れ落ちてしまったと見える。ちゃんと嵌めなおしてみたところ、何の問題もなく普通に動くようになった。角を矯めて牛を殺す、にならず幸いであった。新しいのを買うとか実家に死蔵してある時計を持ってくるとか騒いでいたが、そもそも時計はほとんど壊れていなかったわけである。なんだかネズミの嫁入りみたいな話である。
2002.10.25
目覚ましは電池を入れ替えたら動いた。なんじゃい。

ちょっと前に交通博物館に行ったときのこと。ここは鉄向けな骨太な展示も多いが、山手線運転シミュレータとかNゲージジオラマといった一般受けする展示もある。そんなわけで意外と小さな子供連れの家族で賑わっている。いい大人のワシは昔の時刻表だの路線図をみてええわ〜とか呟いていたが、小さい子供に人気がある展示はやはり模型モノ。あるジオラマはもちろん模型そのものには触れないのだが、手前にパネルがあって列車の運行を操作できるようになっている。大受けである。興奮気味のお子様が押し合いへし合いしながらいじって遊んでいる。パネルから離れたがらない子供が駄々をこねていたりする。母親に「お兄ちゃんなんだから、なんちゃら君にもやらせてあげなさい」と諭された小学低学年くらいの子供が、泣きながら「なんちゃら君みたいな小さな子供には、これはまだ難しいからダメなの」と訴えている。小さな子供はおまえだ。
2002.10.24
目覚まし時計、鳴らず。

結構デカい音がしていたこの目覚まし時計の音にもすっかり馴染んでしまい、耳元でジャンジャン鳴っていてもかろうじて目が覚める程度。目覚ましは1時間鳴り続けると止まる。平気で鳴り止むまで寝ている。目覚ましをかけておきながら遅刻するようなことが多くなり、さすがにこれはイカンと、今度はラジカセのタイマーオン機能を使うことにした。時間になると大音響でCDがかかるようにした。音楽なものだから音が耳に馴染んでしまい、半覚醒状態で音楽を聴いてしまい、結局また寝る。最後の曲がなり終わってしばらくしてふと我に返りうわ、と跳ね起きたりしていた。学生時代に友人の間で広まっていた方法に、TVのタイマーオンを使うというのがあった。あらかじめボリュームを上げて砂の嵐のchにあわせておくのである。うるさいのもさることながら、近所への迷惑を考えるとうかうか寝ていられない。それなりに効いた。最近のTVは砂の嵐の音がしないのでこの手は使えないけれど。そんなワシでも携帯のバイブには弱い。寝坊すると洒落にならんときはこれをよく使う。ただしかなり驚くので、時間前に自発的に起きてしまったりもする。
2002.10.23
偏頭痛で寝不足。

まだファミコンなどが世に出る前。ワシが小さい頃の遊びは外が基本で、釣りはほとんど必修だった。実家の裏の田んぼの用水路でいくらでも魚が釣れたのである。大して巧いわけでもないのに道具にこだわって、訳も分からずに釣り道具を色々そろえたりもした。用水路で何を釣りあげるつもりだったのやら。子供の遊びなので竿はそこらへんの竹林から切り出してきた粗末な竹竿。小学生にはこれで十分だったが、幼心にカーボンロッドの釣竿にあこがれていた。そんなある日、近くのディスカウントでカーボンロッドの竿が特売に出された。子供にギリギリ手が出せる金額。かなり悩んだ末に、とうとう買った。今思えばそんなに安い竿がまともな物な訳がないような気もするが。予算は本当にギリギリで帰りのバス賃が足りなくなって、親に迎えに来てもらった気がする。もちろん、別に道具を変えたからといって釣果が変わる訳ではないのだが、そこはそれ。あの竿どこいっちゃったんかねえ。
2002.10.22
デスマーチの影がひたひたと。

乗り潰しで名松線に乗ったときのことである。残暑厳しい時期だった。名松線は松阪から山に向かうローカル線。終点の伊勢奥津で2時間ほど呆っとしなければならない予定だった。そして辿り着いた伊勢奥津は見事に鄙びた無人駅で、駅前に商店の一軒もない。あたりは山深く、繁る青葉と紺碧の空が目に滲みる。暑かった。田舎の昼下がり、あたりを歩いている人間は全くいない。蝉の声だけがひたすらうるさく。近くの河原でのんびりしたり、なんとなく近所を散歩して時間を潰していた。余所者が気になったのだろう、ある茶屋の店先で店主の婆さんに呼び止められた。こんなところに何しに来たの、と。乗り潰し、とは云えず、山を見に来ましたとか答えた。こんな田舎まで物好きだねえ、みたいに会話が始まり店先に招き入れられ茶と菓子をご馳走になった。他愛もない世間話を1時間くらい話し込んだと思う。田舎の人情が身に滲みた。もう8年も前のことになる。あの刀自は今でも元気だろうか。話し込みすぎて2時間に1本しかない汽車を逃してしまい、2時間の待ち時間に痺れを切らし、線路沿いをとぼとぼと歩いたのもいい思い出である。
2002.10.21
船橋駅から南船橋駅まで歩く。

ギネスブックの早食いのコーナー。ビール1リットル1.3秒だの、ドーナツ144個3分(直後に死亡)だとかどうにかしている世界記録がずらりとならぶ中に、異色の項目がある。「自転車」。洗浄したタイヤ、ホイール、フレームなどを粉砕して、それを喰うのである。殻つき卵やガムや生きた蟻といった、一般には喰えないとされるものの早食い記録は阿呆な競争心を煽るとして、ギネスブックに載せないことになっているのだが、これはあまりにもバカバカしすぎて真似するような人間がおらんだろうということで特別に載っている。ちなみに記録は2週間。どういう風に排泄したかは知らんが、しばらくは飛行機に乗る際の金属探知機に盛大に引っかかったと思われる。おまけに胃袋で酸と金属が反応して水素が発生していたはずである。焼肉屋なんかでうっかりげっぷをしたら大惨事である。
2002.10.20
茗荷谷駅から江戸川橋駅まで歩く。

デジカメだが、一昨年に買ってからほどなくして電源廻りが不調になった。全く使えないほど致命的な故障ではないので、だまし騙し使っていたが、ついに耐え切れなくなった。電池が突然切れるのである。フルチャージで残量90分とか出ている電池が数分ないし数十分使うとゼロになってしまい強制シャットオフされてしまう。残り時間が漸近的に減っていけばまだ納得もできるが、あるとき不連続的に唐突にゼロになってしまうのである。表示がおかしいだけかと思ったが、一旦ゼロと表示されたら最後、今さっき充電を完了したばかりだろうがなんだろうが全く電源が入らなくなる。国内ならかさ張る充電ケーブルを我慢して持ち歩けばまだなんとかなるが、海外で電池が切れるとかなり悲しい。悲しかった。サポートに電話で聞いてメンテもしてみたが一向に事態は改善されず、ついにドック入りとなった。ところで、今日受験した情処の話題に触れたがらないのはもちろんひどいことになってしまったからである。
2002.10.19
情処対策。詰込むが、詰らん。

すでに退職されたようだが、ソニーに友寄という人がいた。円周率の暗唱の世界記録保持者である。その桁数、実に4万桁。この人の暗記術のすごいところは、円周率にランダムアクセスできるところ。たとえば15151桁目は、と聞かれると数秒で回答をするのである。ちなみにこの桁は1。氏が初めて世界記録を樹立したときの桁数である。ワシは小学生のころ、円周率100桁の暗唱を特技としていた。やなガキである。今やってみたら69桁までしか思い出せなかったが、これは丸暗記で覚えているからであり、もちろん何桁目なんて数えないと分からない。氏の著作によると、4万桁もの数字列を以下の方法で覚えているらしい。まず、円周率を10桁に区切る。10桁の数字をさらに2〜4桁に区切り、それぞれを語呂あわせで単語に置き換える。インデックスの4桁の数字も単語に置き換える。これらの単語を使ってちょっとしたストーリーのある短文を作る。この文を覚えるのである。暗唱はこれらの文章をデコードしながら行われる。そのため暗唱速度はけっこうのんびりしている。ランダムアクセスの時はインデックスの単語から文章を検索するのである。他にもいくつか記憶術を齧ってみたが、どうもこういったイメージによる連想記憶が有効のようだ。でも、ウチの業界の用語は略語も正式名称も、さらにその意味も覚えにくかったりするから性質が悪い、と思う。やっぱり暗記パンを。
2002.10.18
下期も週6本チェック。2G/週ペースでHDDが減っていく。

トイレから出ようとしたら、ガッシャーンと音がした。トイレの出口のあたりに、クリップやガチャ玉が大量に散乱していた。慌てふためくお姉ちゃんが、すいませんすいません、と謝りながら、必死に拾い集めている。文具の入った箱を運んでいて、ひっくり返したらしい。通りかがった人も手伝っている。これが全部トイレの出口なので、トイレから出るに出れん。手伝おうにも、たった今用を済ましたばかりで、なんか気まずい。結局、何も見なかったような顔をして立ち去った。立場が逆ならセクハラになるのかも知れん。
2002.10.17
すんげー眠い。

先日の結婚式での一コマ。結婚式は神前式で最後に両家親族一同でかための盃として一斉に神酒を呑む。ところで、ウチの方の親族がやたらに多かった。新郎から5親等のやや遠いワシら一家は椅子もなし。椅子の後ろの立見席での参列である。そんな人数なものだから、全員に神酒が行き渡るのに暫くかかってしまった。ふと見ると目の前の爺さんがなにやら窮屈そうにして盃を隠している。何してんだ、と思ったら、神酒を注がれるなりつい呑んでしまったらしいのだ。隣にいた配偶者と思われる婆さんにさかんに小言をもらっていた。空の盃を誤魔化そうとしているのだが、後ろに立つワシらには丸見えである。こんなんだから、ウチの田舎は呑んべいだらけだと思われてしまうのだろう。
2002.10.16
休みてー。

それは大学一年の期末試験の日だった。アナクロなことにウチの大学にはいわゆる活動家が実在しており、よく知らなかったがワシが住んでいたボロ学生寮にもいたらしい。しかもワシの部屋からたった4部屋隣。全部で100室以上あった寮なので、隣近所には知らん住人もいたが、活動家がいるとは予想外であった。で、なんか知らんが、その活動家が住んでいる部屋に家宅捜査が入ったことがあった。この年は年号が変わった年で、天皇に関する祭礼の妨害を未然に阻止するという名目であちこちで強引な捜査がやられていて、これもその一つだったと思う。ところで、大学の学生寮は大学構内であり、大学構内に警察が踏み込むためには捜査令状が要る。捜査令状見せろと寮長と機動隊とで大揉めになり、それが寮内放送で流されるに至り、ことは寮生vs官憲という対立の様相を呈した。出て行けだのなんだのとエラい騒ぎになった。らしい。ワシは試験をうけるため、早々に抜け出していた。あとできいたら、機動隊が実力行使で寮の出入り口を閉鎖してしまい、寮生は試験に出掛けることが出来なくなり、騒ぎはさらにエスカレートしたのだと云う。しかし、朝起きたら部屋の前が機動隊に占拠されていた、なんて経験は二度とないだろうなあ。もちろん、したくないけど。
2002.10.15
とんぼ返り。

高校の学園祭である。ワシは幾つかの部に所属していて、それぞれそれなりに活動に参加していたので、準備期間は訳が分からんくらい忙しかった。理工部でパソコンデモのプログラムやCGを学校に半ば泊り込みで書き、文芸部の会誌に原稿を書いて、新聞部の編集作業を手伝い、クラスの出し物の企画もやった。忙しい合間を縫って応援団として甲子園予選の応援に出掛け、ついでに学園祭前夜祭で大食い大会に出たりした。なかなかうる☆2な生活をしていた。学園祭本番のときはSF同好会のOVA上映会をみながら居眠りしてたり。かくして学園祭は終わったが、寝不足ハイでいまいち気分に収まりがつかない。同じようなハイテンションな知合いが何人か集まり、打ち上げとして打ち上げ花火を上げることになった。なんでそうなったのかはさっぱり思い出せんが、都合よくそこにロケット花火を持参していた人間がいたのも謎である。勢いで、部室長屋の窓から裏山に向けて水平に一斉発射した。ところが、学園祭の片付けも終わりすっかり終わってほとんど無人の校舎に、この花火がとんでもなく響いた。祭りの余韻に興奮していたワシらが一発で青ざめる大音響であった。間違いなく職員室まで聞こえた。こりゃマズい、と蜘蛛の仔を散らすように散会、一目散に逃げ帰ったのであった。ワシの思い出にはバカバカしいのが多いが、若い時分の思い出は誰もそんなものではないのだろうか。それともやっぱりワシだけか。
2002.10.14
秋田で白ネクタイ。

さて、里帰りの恒例で犬でも洗うか、と思ったところ、犬はすでに綺麗になっていた。はて。犬小屋は小屋の片隅にあるのだが、米の収穫作業の際に邪魔になったのでしばらく外に出しておかれた。ついでに首輪を外してそのあたりを勝手に散歩させていた。ところで、この犬、昔やった病気の関係で目が悪い。どうも、近くの側溝の幅を読み違えて飛び越え損ねて泥だらけの側溝にまともに頭から突っ込んだらしい。発見されたとき、犬は顔面泥だらけで血を流してひゃんひゃん吠えていたという。仕方なく洗濯されたとのことであった。小型犬でいつもせわしなくパタパタ走り回っているから忘れがちだが、こいつも10歳だからすっかり老犬だな。
2002.10.13
横浜で黒ネクタイ。

斎場は新築のビルで、看板がなければただのオフィスビルと見間違うような建物。祭壇のある部屋は以外に狭く50人くらいしか座れないがないが、そのかわりロビーにある畳ほどもある液晶モニタで葬儀の始終を部屋の外に中継している。田舎の葬儀になれたワシには目新しいものばかりである。この調子でいくと、ワシが死ぬ頃にはインターネット中継による電子葬なんてのがあるのかもしれない。もちろん香典はクレジット決済。位牌には故人の諸々のデータが書かれた不揮発メモリを納める。焼香はUSB接続の抹香デバイス。なんだかサイバーである。近くにはちょっと前までアザラシのタマちゃんがきゅいきゅい云っていた帷子川が流れていた。鳴き声は勝手な想像だけど。
2002.10.12
とりあえず散髪。

実用には全く役に立たないプログラムのお遊びに不動点プログラムというのがある。不動点とは数学的には、f(x)=xをみたすxのことで、ある操作を行っても変化しない点のこと。不動点プログラムとは、実行すると自分自身のソースを出力するようなプログラムのこと。ソースのサイズが小さいほど良い解とされる。簡単そうに聞こえるが、実装はかなり面倒。c言語の不動点プログラムには有名な実装が幾つかあり、gcc のソースに数本添付されている。c言語での不動点プログラムはすでに長短平易難解な数十種類が知られているらしい。戯れに Java で同様のプログラムを組んでみた。cをJavaに移植するだけ、と思いきやかなり苦労した。結局3時間もかかってしまった。あまりスマートではない。おまけに、もっと短いプログラムがあることが分かり、ちょっと悲しい。

public class j{public static void main(String[] x) {String a="public class j{public static void main(String[] x) {String a=";String z=";char q=34;System.out.println(a+q+a+q+';'+'S'+'t'+'r'+'i'+'n'+'g'+' '+'z'+'='+q+z+q+z);}}";char q=34;System.out.println(a+q+a+q+';'+'S'+'t'+'r'+'i'+'n'+'g'+' '+'z'+'='+q+z+q+z);}}
2002.10.11
礼服に黒ネクタイと白ネクタイ抱えて1300km移動予定。ハードな週末の予感。

あまりにもファミコンに熱中するため、ついに親に本体を隠されたことがある。家中探し回って見つけ出して遊んでいたところを見つかり、また隠された。また探し出した。いたちごっごである。しまいには、見つけたことを親に気付かせないために、家人が寝静まる深夜に隠し場所からファミコンを取り出て明け方まで遊び、再び隠し場所に戻す、といった偽装までしていた。隠し場所を移されないように、である。そしてもちろん授業中に寝ていた。なんだかエネルギーの使い方を間違えている。こんな莫迦はワシだけかとおもったら、親の弾圧と戦いながらファミコンに情熱を傾けていた人間は結構多いらしい。ワシもいずれ弾圧する側になるのかもしれない。とか云いながら、いっしょに探してたりして。しかも主に自分のために。
2002.10.10
今度のノーベル賞の人は出身大学が学科までワシと一緒である。そういや、安達先生の講義とってたなあ。

アナログ電話の方式にはトーンとパルスがある。トーンは特定の音で電話番号を表し、パルスは信号のオンオフの回数で電話番号を表す。電話のフックを押しても信号はオンオフされるので、電話回線のフックをガチャガチャやるだけで電話はかかる。黒電話にイタズラしているうちに「110」にかかってしまい、肝を冷やしたチビッこも多いとか。110は特殊な逆探知をかけているので、切ってもすぐにコールバックしてくる。イタズラでないことを確認する意味もあるし、犯罪が進行中で電話を強制的に切られたりすることもあるためである。あまり知られていないが11からはじまる3桁番号は110〜119まですべて使われている。一番かけやすい「111」はNTTの電話試験台に繋がる。電話がなくてもに電話線をチャッチャッチャっと3回短絡して電話をかけられるのだとかなんとか。トーン方式の電話も原理は同じで、音さえ出せれば電話機の番号を押さなくても電話をかけることが出来る。プッシュ音は特定周波数の正弦波を2つ重ねたものなので、人間にはまず発声できないが、そういった機能を持った電子手帳があった。IBMのCHIPCARDとか。住所録を開いて受話器に近づけてピポパポピと電話番号を鳴らすのである。ここらへんの真偽をめぐり、学生時代に大揉めしたりしたのも随分昔の話だ。
2002.10.09
寝坊しまひた。

カミオカンデは岐阜県の神岡鉱山の跡地の地下1000mに作られた水の陽子崩壊観測を目的とした施設である。陽子は原子の核を構成する非常に安定した素粒子で、他の素粒子に変化することはないとされていた。ところが最新の量子理論で陽子の崩壊が予言された。ただし予想寿命がべらぼうに長い。10^32年である。宇宙の寿命が尽きてしまう。ただし、素粒子の崩壊は確率現象なので、10^32個の陽子があれば1年に1つくらいは崩壊が観測できる筈である。それを実験検証しようというのがカミオカンデなのである。10^32個の陽子を含む水は大体3000トン。カミオカンデは3000トンの水をたたえた水槽を気長に観測し続けていた。少し前からはその10倍の容量をもつスーパーカミオカンデが稼動している。いまだに陽子の崩壊現象は観測されていない。カミオカンデが一躍有名になったのは、1987年2月のニュートリノ観測によって。ニュートリノは非常に観測しづらい素粒子で、地球くらいは簡単に素通りしてしまうのだが、それがこのカミオカンデによって12個観測された。16万光年離れたマゼラン星雲の超新星から大量放出されたニュートリノが地球に到達したのだと考えられている。かつてこの地で神岡鉱山の鉱石を運んでいた神岡線は現在、3セクの神岡鉄道として細々と存続している。カミオカンデの見学ツアーでもやらんかのう、と思ったが、カミオカンデは人手不足により見学には応じてないとのこと。残念。なんでも、スーパーカミオカンデの後継としてハイパーカミオカンデが構想中らしい。なんだか安直なネーミングである。その次はウルトラカミオカンデか、アルティメットカミオカンデか、それともファイナルカミオカンデか。
2002.10.08
健康診断は異常なし。はて。

莫迦な昔話をひとつ。中学の通学路はほとんど全く車が走っていなかった。そんなわけで車に注意を払う必要があまりなかった。その日、自転車を漕ぎながら漫画を読んでいた。ハンドルの真ん中に雑誌を広げてそれを見ながらペダルを踏んでいたのだ。前方不注意どころの騒ぎではない、そもそも前を全く見ていない。そんなわけなので、いつもは止まっていない場所に車が駐車していたのに、ぶつかる瞬間まで全く気がついていなかった。ぶつかった。ところで、そのころの通学用自転車はフレームのサドルの前、ペダルを踏む腿の間にやたらとデカい変則ギアがついているのが流行っていた。ぶつかって、慣性でサドルから尻が前に飛び出した。ギアのシフトレバーに股間が引っかかった。チンタラ走っていたので、転んだことによる怪我はなかったのだが、しばらくその場にから動けなかった。思い出しただけでなんちゅうか、縮む。金太、負けるな。
2002.10.07
頭痛がひどくて一睡も出来ん。

その昔、眠れないコーヒーという名前の飲料があった。カフェインが通常の何倍だとかのもはや飲料というより薬品と呼ぶべきようなコーヒーだった。眠くならない、のではなく、寝れない、のである。血迷ってこのコーヒーを2本飲んだところ、本当に寝れなくなった。夜更かしする用事が終わって寝ようとしたが全然寝付けない。眠いのだが、布団に横になって目を閉じていても一向に眠りにおちないのである。ちょっとうとうとしたかと思ってもすぐに目が覚めてしまう。何でか知らんが、最後には足が攣った。一晩まんじりともせずに朝を迎えた。翌日は胃が荒れて食欲はないわ、体はクタクタだわ、もう散々であった。そんなコーヒーだったので、案の定、すぐに店頭から消えた。以来、徹夜のときはコーヒーではなく1000円くらいの健康ドリンクを飲むことにしている。さすがに最近はそういった用事はない。ゲームで徹夜なんてとてもとても。
2002.10.06
去年の秋の情処は午前で落ちた可能性が高くなった。

自分でも間の抜けたことだと思うが、計算間違いが多い。もはや粗忽うっかりのレベルを超えている。パソコンや電卓ばかり使っていて自力で計算する機会が減ったため、そういった神経回路が腐ってしまったのではないかと疑わしくなるが、別に今に始まったことではない。いまだに思い出すたび笑うしかないが、高校の模試でこんな間違いが余白に残っていた。「5-4 = 9」。小学生以下である。20世紀を代表する数学者であるヒルベルトも計算が苦手で、論文に点在する計算間違いを探すのが面白いと云われたりもしたらしいが。今日のノートから「4x2^3 = 48」という間違いが発見された。そういえば春の情処でも「1.2+2+1.6 = 3.0」なんて間違いをしていた。冗談抜きに老化現象なのではないかと思う。泥縄だがマグロの目玉でも喰うか。
2002.10.05
ついに鉄人定食が完全再現されていた。あの量は絶対喰えん。

優勝謝恩なんとかで、西武球場の外野席が入場無料になっていた。たまたま通りがかったので、入場してみた。もちろんエラい人出である。それこそ立錐の余地もないほどの大混雑。陣取った場所が西武の私設応援団の真っ只中だったため、そのうち感化されて、かっとばせーなどと喚いていたり。西武の選手なんて全然知らんかったけど。初めて生でみたプロ野球は西武球場だった。中学の修学旅行だったが、そのときの宿は都内。今思えば、随分と遠出したものである。OBが試合に出るから、との説明だったが、多分セのチケットを確保できなかったのだろうと思う。観客もあんまりおらず、まだ天井のなかった西武球場はあたりに建物がないせいもあって、なんだかひたすら広々として見えた。なお、プロ野球観戦の2回目も3回目も西武球場で、4回目はまだない。試合後、西武の選手が引退するダイエーの秋山選手を胴上げしていた。漢だと思った。
2002.10.04
情処の過去問探す。

どこぞの統計によると、近頃の大学生は小学生より自学時間が短いらしい。確かに大学時代にまともに部屋で勉強した記憶はないので、まあその通りかも知れん。普段からそんな調子なので期末の試験前はもうしっちゃかめっちゃか。友人を頼りに手当たり次第に過去問を集めては解いたり、コピーを集めただけでなんとなく安心してしまって見もしなかったりして、単位を拾い集めていた。過去問やノートのコピーだけで毎回数千円使っていた。部屋の隅には過去問と書かれたダンボールが山積みだった。でも、実際に使うのはその1割程度。コピー100枚なんて一晩二晩徹夜したくらいで覚えきれるわけがないのである。・・・友人がある科目のノートのコピーを持っていた。おお、それもコピーさせてくれ、と借りるてみる。内容はともかく、なんだか見たことのある文字だ、って、これワシのノートじゃん。どこから出回ったのか知らんが、ワシのノートも流出していた。ワシごときのノートが重宝がられているようでは、やっぱり大学生は勉強していなかったのかも知れない。自筆のノートの内容をすっかり忘れていたワシも同罪。
2002.10.03
録画APがコケていた。あらら。

ワシの実家の居間には無闇にデカい魚拓がかかっている。ジイ様が死ぬちょっと前に釣り上げた80cmほどの鯉の魚拓である。庭の堀に泳がそうにもデカすぎて堀に収まりきらず、結局家人の胃袋に収まってしまった。なんでも釣り上げるのに2時間かかったという。2時間も暴れていた鯉も鯉だが、80過ぎてたジイ様もよくぞしつこく2時間も竿を放さなかったものだ。今、実家の堀に泳いでいる鯉はすべてジイ様の釣果。家に来てから数年経つが、いまだにピンピンしている。たまに水面に飛んできた虫を捕食するために飛び跳ねて、派手な水音をたてて家人を驚かしたりする。ある朝、堀の傍らで死んでいた鯉を見つけたときも驚いた。勢いよく飛び跳ねて堀から飛び出してしまったらしい。一昔前のFRISKのCMみたいである。
2002.10.02
なんでこんなに暑いんだ。

ワシの田舎の東北は寒いイメージがあるが、台風が来るとフェーン現象で異常に暑くなることある。空は曇りなのに38℃とかになる。そんな天気では2階のワシの部屋はサウナも同然。とても自分の部屋にはおれずに、比較的涼しかった1階の客間にパソコン一式を持ち込んでそこでゴロゴロしていたものだ。ちなみに70年前に山形で記録された40.8℃という風呂の湯みたいな日本最高気温記録もフェーン現象によるもの。フェーン現象とは、湿った空気が山沿いに上昇して雨を降らせて、乾いた空気となって下降してくると最初より気温が上昇しているという現象。カルノーな話である。
2002.10.01
呑んでるうちに台風がどっか行ってしまった。

未だ、というか今だからもう見れないのか知らんが、台風に備えて窓に板を打ちつけてある家を見たことがない。あれは台風が来るという漫画的な記号にすぎないのだろうか。ところで、ワシの田舎では冬場は雪に備えて窓を板で防護する。雪囲いと云う。雪の降らない地域の人間には信じ難いようだが、雪が降る前にこれをやらんと雪の重みでガラスが割れるのだ。ということは、台風の強烈な地域ではやっぱり台風がやってくると、それに備えて窓を板で補強するのだろう。それで、すべての出入り口を頑丈に閉鎖してしまって家に入れなくて困ったりするのだろう。そんなふうに困ってみたいとちょっとだけ思う。
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