雑記 【雑記topへ】
2002.09.30
いまさらだが、恋愛ディストーション3巻のカバーの下はどうしちゃったんでしょう。

間抜けな食品会社が間違って8月31日の賞味期限を9月31日として印刷してしまって、ちょっとした騒ぎになったという。9月30日ならまだしも9月31日と印刷されてしまうのはどういうことだ。まさかカレンダーチェックしてない、2月31日とか印刷出来ちゃうシステムなのか。しかし、こういった日付の処理は一見単純そうで、奥が深い。GNU calはカレンダーを表示する、というきわめてシンプルな機能のプログラムであるのにかかわらず、ソースのサイズは1Mを超えている。雑記生成用スクリプトの曜日判定の参考に、と思って一度読んでみたがその量に挫折したので覚えている。

今月買った古本。5冊525円(税込み)。
2002.09.29
アルビノの曼珠沙華を見た。

巾着田に今年も行った。ゆったり流れる高麗川沿いに血のように赤い曼珠沙華が咲き乱れている。曼珠沙華はサンスクリットで天上の華の意。群生地のすぐ横を流れる高麗川の河原におりて水切りをしてみたり。母の実家のすぐ裏が河原だったので、小さい頃よくそこで川遊びをしていた。水切りは最も基本的な水辺の遊びである。石を水面で弾むようにうまく投げこむ。うまくいくと数段は水を切る。空気と水の比重が違うことと、石の水面への入射角とでこういう現象がおきる。比重の違う媒質の境目なら別に水と空気でなくてもこの現象は起きる。例えば大気圏と真空の境目。大気圏に突入する宇宙船は入射角が浅すぎると大気圏にバウンドして弾かれてしまうのである。かといって入射角が深すぎると今度は大気との摩擦熱で燃え尽きて流れ星になってしまうとのこと。無事に地上に降下できる入射角は1°もないときいたことがある。何事もどんぶり勘定なワシは宇宙のチリになるだろうな。
2002.09.28
定期券を買った。

ワシの会社は通勤費は完全申告方式である。通勤経路を総務に申告して、通勤経路の妥当性をチェックした後にその額が支給される。ところが噂ではこの通勤路のチェックがすこぶる甘いらしい。チェックすべき電車通勤の社員があまりにも多いため、ほとんどノーチェック状態で、何をどう申告してもそのまま通ってしまうというのだ。それをきいた友人が、身を挺してその証明に乗り出した。寮から職場までの経路を駅すぱーとで検索し、その中からわざわざ首都圏屈指の高額運賃路線である東葉高速鉄道を使う経路を通勤路として申請した。通勤費はそれまで使っていた経路の倍以上になった。実際の経路は変えていないので、この申請が通れば通勤費の差額が丸儲けである。果たして申請は無事通ってしまい、通勤費は倍以上支給されることになりかけた。友人はすぐさま申請を取り消した。なぜなら、こういうことをして得た差額は横領ななるからである。それはそうと、いつの間にか定期代が値上がりしていて手持ちが足りなくなってしまって昼飯が喰えなくなったのはかなり悲しいことであった。
2002.09.27
本棚整理してるつもりが、つい読み耽ってしまう。

見た目が格好いい、という理由で買ったスライド式本棚であるが、部屋の床が本の重みに負けて撓んでいるのかどうにも具合が悪い。下に板を敷いて高さを調整したのだが、本棚が微妙に斜めに立っている。そのためスライド式の全面の棚がいつも勝手に右側に流れる。奥の棚の本をいじっているとするするーっと手前の棚がずれてきて手が挟まれる。いつぞやは頭も挟まれた。痛みを感じるほどの勢いがついていないがの幸いか。ここに限らずあちこちにガタの来ている部屋なので、注意して生活しないといけない場所がある。居間の隅に観葉植物や使っていない屑篭をおいてあるのは、一見インテリアでもあるが、そのあたりにある床が抜けそうになっている場所にうかつに近づかないようにするのが主目的だったりする。
2002.09.26
鉄人ラーメンを再現している頁を見た。麺7玉に具が2kg。

趣味と実益を兼ねて、友人の試験勉強を手伝っていたことがある。高校2年のことだ。しばしば行われる数学の小テストの試験範囲を土曜日に深夜ラジオを聞きながら適当に解いて友人に渡していた。そんなことが半年ばかり続いた。当時、ワシにとって数学の問題はパズルを解くような感覚だったのであまり苦ではなかった。友人もさすがに恐縮したのか、最後にラーメンを奢ってくれた。ただし店とメニューはそいつの逆指名であった。出てきたのは、地獄ラーメン大盛り。スープがラー油で真っ赤である。大盛りなのは大喰らいのワシには有難いのだが、なんだか形容しがたいほど滅茶苦茶に辛いラーメンなのであった。なんで教えてやったのにこんな目にあうのだと、エラく憤慨しながらも、ちゃんと全部平らげてしまったあたりがいやしい。ひたすら辛かった。今思えば、もしかしてワシは虐められていた、のか?
2002.09.25
会社の創立記念で物まねディナーショウ。なんでだ。

入社して初めて入った独身寮は古かった。こまめに改装してはいたらしいが、あちこちガタがきていた。その一つが部屋のドア。長年の使用によりどこかが擦り減ったのか知らんが、むやみやたらとたて付けがよい。ちょっと力を入れてドアを閉めるとバターンととんでもないデカい音がした。ワシの部屋のドアに限った話ではなく、そこらへんじゅうでドタンバタンとかなり五月蝿かった。それに業を煮やした知り合いが、自分の部屋のドアの周りに消音用にスポンジテープを貼った。確かにドアの開閉は静かになった。ところが、スポンジテープを貼るときに何かの拍子に粘着面の接着剤がはみ出てしまったらしい。この接着剤が恐ろしく強力だった。拭き取ったにもかかわらず粘着力は抜群で、閉めるとドアがドア枠に貼りついてしまって、今度はなかなか開かないドアになってしまった。冗談抜きにドアに体当たりを喰らわさないと開かないのである。そのためそいつが出掛けるときは寝ていてもすぐ気がついた。結局かえって五月蝿くなっていた。
2002.09.24
的を得たら、射る物がなくなってしまう。

受験に神頼みは付き物。大学受験のときの話である。ワシが行っていた高校では忙しい(と周りで思っているだけで実はそうでもない)受験生の変わりに先生が出向いて祈祷だかを受けた有難いお守りを全員に配布していた。家人や親戚も何かの折に必勝祈願のお守りを買ってくる。腫れ物に触るがごとしである。そのうちお札やらお守りが溜まってきた。これだけそろえば中には喧嘩する神さんもいるのではなかろうか、という量である。縁起物だけに無下にもできず、保管に困り、机の天井のワシの頭上辺りに釘をうちつけてそこに片っ端にぶら下げ始めた。神棚のようにとにかく上のほうにあれば礼を欠くまいと思ったらしい。ところで、ワシの机は西の窓に面しており、夕方には西日が燦々と照りつけとても机に向かってられない場所にあった。毎日強い西日を浴びてお守りの袋が段々風化してきた。ついにお守りの紐が千切れて雨あられと机に向かっているワシに降り注いできたことがある。もう罰当たりなんだかなんだか。幸い受験は失敗しなかったのが、そのお守り群をどう処分したかは忘れた。正月飾りと一緒に神社で燃したんだっけか。
2002.09.23
おはぎとぼたもち。萩と牡丹。

いつの間にか西武が地味に優勝していたおかげで、所沢では祝勝セール真っ盛りである。そこらへんじゅうで松崎しげるの西武球団歌が流れており、刷り込まれそうだ。噂によると、優勝できなかったダイエーが一番お得な西武優勝セールをやっていたらしい。無節操だな。まあ、古本屋やファーストフードといった、お前は関係ないだろといった店まで祝勝セールをしているからいいのかも知れない。おかげでBOOKOFFで一昨年からずーっと探していた本が思いがけず格安で入手できた。有難き。探していた本は、ウロボロスの偽書。先に続編のウロボロスの基礎知識を買ってしまっていたのだ。これに限らず、1巻がないけどいずれ買えるかと思って安易にシリーズの途中から買ってしまったはいいものの、なかなか1巻が見つからないため、いつまでたっても読めない本が何冊か本棚に眠っている。もちろん欠けている巻を注文すればいいだけの話なのだが、そうすることはなんとなく負けである、と思っているあたりが我ながら変なこだわりである。
2002.09.22
雨。前回の東京ゲームショウも雨。某氏曰く、ワシが雨男とのこと。

少し前に東京ゲームショウのチケットをもらった。ワシが作ったPalmのゲームを展示したいというのに、いいよ、と同意したら送られてきたもの。アマチュアゲーム開発者の横のつながりを広げるためのボランティア団体だとか。で、出掛けてみたところ、華々しいゲームの展覧会の片隅にワシの作ったゲームが本当に展示されていた。壁にはデカデカと開発者一覧が展示されており、面映いことにワシの名もある。ついでにスタッフに挨拶してみたりする。元ネタがあるまったくオリジナルでないゲームだが、公開時期が早かったためそこそこ知名度のあるゲームなのだとか。ところで、その開発者一覧に森巧尚さんの名前が。20年前にパソコンをいじっていれば、いやでも見た名前だ。ベーマガなどに毎月のようにゲームを載せていた常連プログラマーである。彼のプログラムはずいぶん打ち込んだ。ずいぶん勉強になった。子供の頃、雲の上の人だと思っていた人とおなじ場所に名前が並んだことは非常に感慨深い。
2002.09.21
秋山瑞人スレにワシの文章のコピペが。

落ちる夢をみたところ、本当にベッドから落ちていたことがある。ベッドから落ちた衝撃で目を覚ますのだが、現実にベッドから落ちる前にすでに夢の中では落ちる夢になっているような気がする。おそらくリアルタイムに夢を見ているのではないのだろう。起きたときに頭の中にある断片的なイメージが脈絡のあるように組み立てられて記憶され、それをあたかもリアルタイムに見たと思い込むのだろう。でなければ夢と現実世界の因果関係の逆転がうまく説明できない。落ちる夢を見てからベッドから落ちたのではなく、ベッドから落ちたという現象があるからこそ落ちる夢を見るのだろう。夢や大脳生理はまだまだ未知のことが多く、人体最後のフロンティアであると同時にトンでもオカルトの温床になっていたりもする。ESPの冬。幽霊の春。そして、UFOの夏。
2002.09.20
51000hitかな。

所沢駅前の本屋にでかけたところ、非常に混雑している。早ければ今日にも西武のリーグ優勝が決まるとかで、応援団が鳴り物をならして街頭TVに齧りついている。ここは昭和30年代か。どうやら今日の西武の試合は本拠地の西武ドームではなく、千葉マリンスタジアムらしい。現地にいけなかった応援団が駅前に集結しているらしい。所沢から海浜幕張は乗換え2回、たかが100分である。やかましいから現地行ってくれ。しかし、通りではそこらじゅうで西武の試合の中継ラジオが流れている。さすが西武の本拠地だけあって、すでにお祭り騒ぎである。結局優勝は明日以降に縺れ込んだようだ。で、駅前の躁な騒ぎに巻き込まれ、目的の本を買うのをすっかり忘れていたりする。
2002.09.19
小料理屋コリオリ。

かつて、ICDQ(International Conference of Discussion Quark)という学会があった。ゲームを学術的に議論するための先駆的な学会で、インターネット上で交流のあった有志により立ち上げられた。普通の学会と同じく論文募集をfjに流し、論文を募集。特別招待公演も行われた。恥ずかしながらワシも発表した。本業の研究とは接点がなかったため、修論の業績一覧からは抹消されているが、LaTeXのソースにはコメントアウトされたそのときの論文が載っている。学会の名誉幹事には人工知能の大家である甘利先生がいた。・・・こう書くと格好良いが、実はインターネット上でゲーム情報交換をしていたdq-ml(DragonQuest-MailingList)でOFF会をやるときにでっち上げた学会である。ただ宴会をやるだけでは詰らんので、学会の打ち上げの形式をとるために作り上げた学会である。とはいえ北陸先端大や大阪大で発表自体は本当にやったし、ワシも本当に論文を書いた。甘利先生も内情を知ってか知らずしてか本当に許諾をしていた。洒落の分かる先生である。まだwwwがメジャーになる前の昔話である。暖めていたけど、結局発表できなかったネタもある。もちろん暖めすぎたので腐っている。
2002.09.18
頭痛い。

バファリンの半分はやさしさで出来ている。昔見た馬鹿映画の台詞に、新発売ビール、値段も美味さも1/2、というのがあったが、なんだか効き目も半分のような気がして、思わず倍呑みたくなる。ところで半分で出来ているといえば比翼鳥である。山海経に出てくる伝説の鳥で、翼が一つしかないため単独では飛べず、雌雄が番いになってはじめて飛べるという鳥である。中国では瑞獣とされる。男女の愛情の深い様を示す言葉、比翼連理はこれに由来する。連理は2本の木がいつしか絡み合い1本の木となってしまっていることで、こちらは実存する現象。白楽天の詩に「在天願作比翼鳥 在地願為連理枝」というのがある。「天に在っては願わくは比翼の鳥と作(な)らん 地に在っては願わくは連理の枝と為らん」。国語の教師の結婚招待状にこの言葉を書いて送り返したことがあるが、意味分からんと言われたときは少々悲しかった。
2002.09.17
鉄人定食(の一部である鉄人餃子)を再現している頁を見た。ココイチの1.3kgカレーよりしんどいらしい。

何かの罰ゲームで、ココイチの1.3kgカレーに挑戦した、というかさせられたことがある。夏のある日、大学の研究室で晩飯を喰いに出掛けたときのことである。挑戦すること自体はまあよしとして、これがかなり恥ずかしい。専用の時計が目の前に置かれて、では始めてください、と店員に大声で開始を宣言されるため、店中の注目を浴びるのだ。馬鹿を見つめる周囲の醒めた目が痛い。丼飯4〜5杯分のうず高く盛られた飯に、大皿にたぷたぷに注がれたルー。喰っても喰っても全然減らん。んがー。制限時間20分、2/3ほど喰ったところで無念のギブアップであった。今思えば、若気の至り、汗顔の至り、である。熱いカレーを一気に喰ったため、本当に汗だくになったし。
2002.09.16
録画ファイル2Gほど消費。

塩が湿気てしまった場合、電子レンジで加熱して水分を飛ばすとよい。留守番の昼飯に炒飯を作っていたら、顆粒のはずの鶏ガラスープの元が湿気って餅のようになっていた。上記の豆知識を思い出してあまり深く考えずにビンをレンジに入れて加熱する。大変なことになった。レンジから熱々のビンを取り出すと、水分を含んだスープの元が溶けてドロドロの水飴のようになっている。スプーンで掬ってみたが、とてもさっきと同じものに見えない、つーか喰えるのか、コレ。どうしたらいいか分からず放置。しばらくして冷めたビンの中には絶望的にカチンカチンに固まったスープの元、だったものが入っている。割り箸を突っ込んだら箸が折れた。ビンを落として割ったことにして隠匿廃棄処分とする。
2002.09.15
ひばりが丘の回転寿司に行った。

この回転寿司は関西では有名なチェーン回転寿司屋。最近、東京進出を果たし、毎朝通勤電車から眺めているこの店は関東第2号店にあたる。1号店は半年ほど前にTVで寿司戦争とか紹介されていた。店に辿り着いてみれば、案の定、ものすごい混雑である。待ち行列は50組、1時間待ちである。寿司喰ってる人間より入り口で待ってる人間のほうが多い。困ったことにあたりには閑を潰せそうな場所がほとんどない。駐車場の片隅に喫茶店でも作れば寿司以上に儲かりそうだ。近くの古本屋でしばらく立ち読みしてたりするが、閑を持て余した家族連れが買う気も無いのに続々と古本屋にやってきて、騒々しいことこの上なし。ワシもその一人。しばらく待って喰った寿司は空腹もあってそこそこ美味かったが、こんなに大繁盛するほどにも思えない。浦安でよく行っていた店のほうが美味かったような。TVの魔力は恐ろしい、とかいってるワシも結局TVに釣られてやってきたクチなのだが。
2002.09.14
OFFな呑み。

昨日新宿で行われた物凄い人数でキャッチについていくOFF、は300人を超える人間が集まり暴動数歩手前くらいだったらしいが、こっちは4人でのんびり。呑み自体は午後11時には終わったが、帰り道にファミレスで駄弁ってたりしたので帰宅は午前3時。この深夜に犬の散歩をしている人がいた。その後もガタガタやっていて寝損ねて、白々と明ける空を眺めて寝る。もらったCD-Rはもちろん放置。
2002.09.13
13日の金曜日ですな。

初めて創作を書いたのは中学3年のときだ。無知で無謀で無茶なことに、なにかの賞に応募しようと考えていた。初めて書いた小説がまともな体裁になるわけも無く、原稿用紙30枚くらいで収拾がつかなくなって放棄された。当時は画期的だと思っていたが、今思えば陳腐な狂言誘拐の話だったと思う。その数年後、高校の時はSF同好会や文芸部の会誌に載せる小説をいくつか書いていた。学生向けのコンクールにも応募したが掠りもしなかった。冗談で一緒に応募した俳句(5分で5首をでっち上げた)が何とか賞を取ったのには笑ったが。そんなわけで昔は筆で飯を喰うことを夢想していたこともあったのであった。パトレイバーの映画に感化されて、当時流行っていた13日の金曜日に発症するウイルスを題材に学園パニック小説を書こうとしたことを思い出した。実際に原稿用紙10枚くらいは書いたのだが、もちろん未完だし、どんな話にするつもりだったかも今となってはすべて闇の中である。
2002.09.12
そろそろタオルケットだけじゃ寒いな。

中学の時だったか部活の研究で、午前3時と午前4時に水槽の酸素濃度を測定したことがある。夏休みのことだったが、ワシの田舎は夏といえども明け方は結構冷え込む。暖を取るために毛布を担いで学校に向かった。水槽は中庭の一角にあったのだが、何か出そうな雰囲気バリバリの暗がりで非常に落ち着かない状態で午前3時の測定を片付けた。中学校近辺の唯一の灯である校門前の街灯まで逃げ戻り、そこで毛布にくるまり午前4時を待った。・・・体が暖まったせいだろうか、いつしかうつらうつらとなり、ついに地べたに横になって寝てしまった。目覚ましで午前4時に起きるまで、全く車は通らなかったようだ。目覚ましがなったとき、車道のど真ん中に大の字になって寝ていたから。田舎とはいえ、よく轢かれなかったな。
2002.09.11
ふくらはぎが筋肉痛。

一昨日の渓谷歩きがいまごろ足に来た。ふくらはぎが痛い。なのに入館証を忘れて出掛けて、愉快なワシ。朝っぱらから疲労困憊息ぜいぜい。忘れ物をとりに走るなど小学生並みである。ところで、筋肉痛は大抵朝起きたときに気がつくが、では、寝なければどうなるか。もちろんちゃんと筋肉痛になる。今から9年前、わざわざ金沢から仙台に駅伝に参加するためだけにやってきて、ドタバタと走った後、徹マンをした某氏がそう云っていた。足だるい眠い。
2002.09.10
新刊発売日にあわせて、イリヤの空UFOの夏1〜3を一気まとめ読み。

あまり熱心な読者でなかったので詳細は忘れたが、ウルフガイシリーズのどれかで人気のある脇役が死ぬ話があった。その死を悼む熱烈な読者から、殺すな、生き返らせろ、死ぬ話自体をなかったことにしろ、という内容の手紙が作者に随分届いたらしい。これらの要求に対して、作者は反論の小説を書いている。大筋は同じだが、その脇役が死なない話である。これが大して面白くなかった。作者曰く、ファンの恫喝に応じてファンの望む話を書けばこのような駄作になる、面白い話は作者ですら完全に制御できないものだ、ファンがどうこうできるものではない、と一蹴している。だから、イリヤが悲劇的で絶望的な雰囲気を孕んで終局に雪崩れ込みつつあっても、一介の読者は座して黙して待つしかないのである。買え。
今日の論旨 : 電撃つながりで、あずまんがの枠でアニメ化せんかねえ。
2002.09.09
川原湯温泉。

吾妻線で日本一短い鉄道トンネルを抜けてすぐの川原湯温泉駅から歩いて数分で吾妻渓谷に至る。先日、鉄道跡のため遊歩道が平坦な抱返り渓谷を歩いたばかりなので舐めていた。遊歩道とは名ばかりの山道である。アップダウンが激しい。所々ぬかるんでいる。おまけに駅でもらった地図が微妙に間違っていて混乱する。結局2kmほどの渓谷を1時間ほどかけて歩く。もう汗だくである。ふうはあ云いながら車道を戻って、川原湯温泉の公衆浴場に浸かる。熱い。この一帯は数年後にダムの底に沈む運命にある。もう随分前に決まったことだ。それを見越して、あたりには新しい建物が全くない。昭和40年くらいで時代が止まっているようだ。今日歩いた渓谷の道はダムの底ではなく、ダムの壁の中に消えるらしい。蝉時雨にまじり、遠くで重機の音がしていた。
2002.09.08
新座のパスタ屋に行った。

何の準備も無いまま適当に新座を観光してみようと思い立った。とりあえず駅に行ってみたが。武蔵野線は元々貨物線であり、旅客扱いを始めたのもわずか30年前。そのためか駅前は呆れるくらい何もない。駅から徒歩1分でぶどう狩りができる始末である。初めての場所では、コンビニで地図を立ち読みしてあたりの地理情報を得るのがワシのいつもの放浪パターンであるが、コンビニもろくに見当たらない。駅前の観光図に散策路紹介がしてあるが、まともに歩くととんでもなく遠そうなので、適当に近くの立教大学を見学してみる。ミスターの母校だとかなんとか。構内をぶらぶらしていたら、学生に体育館の場所を聞かれた。ヒゲありのワシが学生にみえるようなら、眼科行ったほうがいいと思う。
2002.09.07
今年最後の花火は西武園ゆうえんち。小雨。

遊園地のコーヒーカップ。あれは危険な乗り物である。・・・大学のサークルでどこかに出掛けたときである。バス停横の公園にコーヒーカップが1つだけおいてあった。バス待ちの閑をもてあまし、何を考えたか野郎数人でコーヒーカップに乗り込んだ。最初はのんびりと廻っていたが、そのうち誰かが思いっきり廻しだした。それがきっかけとなりコーヒーカップの限界に挑戦とか喚きながら、乗っていた数人で全力でカップを廻しだした。するとどうなるか。回転により生じたものすごい遠心力により、全員背もたれにぴったりと押し付けられてしまった。腕も持ち上がられない。つまり、減速ができない。ハル・クレメントもびっくりである。おまけにカップはなかなか止まらないのである。夏空の下、人気のない公園の片隅で、とめてくれ〜、と絶叫しながらくるくる廻る野郎満載のコーヒーカップ。地獄絵図である。当然ながら全員メタクソに目を廻した。やはりあれは危険な乗り物である。
2002.09.06
雨降り、アメンボ、アメフラシ(特に意味はない)。

湧き水と云えば、ウチの実家の近くに六郷湧水群がある。名水100選にも選ばれていた。名水100選は環境庁が昭和60年に全国800箇所あまりの河川や湧水から、水質や生活密着度や来歴を元に選出したもの。一応、東京都内でも選ばれている場所があったりする。そういえば、先日、地方の食事みたいな番組で、六郷の湧き水を飯にぶっ掛けただけの料理(?)が紹介されていたが、いくらなんでも田舎を嘗めすぎであろう。まあ、真夏の昼飯に喰ったりするが。さて、水自慢らしく流し素麺を売りにしている店があった。通学に使っていたバスがこの町を通るのだが、店に最寄のバス停の案内にあわせて流し素麺の宣伝をいつもしていた。猛吹雪の真冬の日にもやっていた。凍らずにちゃんと流れていたのだろうか。
2002.09.05
腹が。

帰り道、側溝から水が溢れて道路が水浸しになっているのに遭遇する。朝は溢れていなかったし、夕方もそんなことにはなっていなかったと云う。最近雨は降っていないはずだが、どこから流れ込んだのやら。どこかの銭湯の底でも抜けたか、温泉でも湧いたか。ところで、温泉法という法律が存在する。そこらへんの井戸水で沸かした風呂を温泉として商売するのを防ぐためか。その法律での温泉の定義は25℃以上、もしくは規定値を超えた溶存物質がある地下水、とある。つまり冷たくても、成分が規定をみたしている湧き水は温泉なのである。実際、適温になるように湧き出した源泉を沸かしなおしている温泉は多い。・・・夜半に雨が振り出した。雨が降る前からあふれ出すとはせっかちな側溝だ。
2002.09.04
銀座一丁目と東銀座は地下で繋がっていないのか。

長続きしたバイトにゲーセンの店番がある。GAME CORNER ROMという小さな店だった。客が10人もいれば大繁盛といった小さい店だったのでとにかく閑だった。たまに詰まったコインを直したりする程度で、あとは概ね呆っとしていた。店舗の片隅にあるカウンターの中に引っ込んで、雑誌を見たりTVを観たりしていた。そのうち未読の小説をもちこんで、バイトの度に1冊づつ読むようになったくらい閑だった。唯一忙しかったのは、スト2入荷直後。入荷して1週間で前月分の店舗全体の売り上げと同じくらい1台で稼いだ超人気ゲームだったが、格闘ゲームなのでプレイが荒い。みな力の限りボタンを叩く。感圧ボタン採用の初代ストリートファイターじゃあるまい、そんなに叩かんでもいいのだがとにかく叩く。そんなわけで、ボタンがあっという間に壊れる。叩きすぎてボタンの底が抜けてしまうのだ。毎日、14あるボタンのどれかが必ず壊れていた。毎日直していた。1年後、このバイトは事故で怪我をして止めざるを得なかったのだが、最後に餞別として半ば嘘っぱちの給与証明(この金額が休業補償として保険金に上乗せされる)を社長から作ってもらった。でも、今はもう潰れてない。
2002.09.03
ドラえもん-110歳の誕生日。

で、きつかったバイトである。友人から紹介されたとある電気屋で働いていたときのことである。隣県の呑み屋の電飾取り付け工事に向かったが、何故かワシが運転。社長は隣で弁当喰ってた。配線工事のため、這いつくばらんと入れない狭いゴミだらけの天井裏に飯抜き休憩抜きで12時間居続けさせられた。ちなみに真夏のことである。熱気で朦朧としながら、ネズミのように天井裏をゴソゴソと這い回った。拘束18時間実働14時間。死ぬる。夜9時になってようやく天井から降りて、ケバ目の姉ちゃんが支度する控え室でカツ丼を喰った。これで1万くらいしか貰っていない。これ以外にも色々あって、社長の面も名前もとうに忘れたが、その電気屋のあった仙台の福田町を仙石線で通る度に不快になる。
2002.09.02
久しぶりにPCに触った。

今までで一番楽だったバイトは、大学の情報教育センタのチューター。コンピュータを使った授業の補助で、困った学生の相談に乗ってあげるのが仕事だったのだが、そういった人間が別室に常に待機していることがあまり知られていないようで滅多に客がこなかった。一日に一人でも相談がくれば多い方という楽っぷりで、2年で10件くらいしか相談を受けていない。閑暇だった。そのくせ、日本語がほとんど話せない留学生に動的計画法のプログラムの質問をされたことがある。卒論がどうのこうの。3時間ほど板書とボディランゲージを駆使して、エラい苦労して説明した覚えがある。
2002.09.01
カルフールに行った。でけー。ルを抜いたらカフー。

高校時代、雪がドカスカ降る冬はバスでの通学だった。ワシの実家はバスターミナルのある駅前からはずれたあたりにあって、高校もバスターミナルのある駅前からはずれたあたりにあった。素直にバスの定期を作るとどちらの町の駅前にもかからない。ところがバス料金はワシの家から高校まで行っても、駅から駅まで行っても同じだった。そんなわけで同じ金額で駅前に出れる定期を作ることが可能だった。が、バスの定期の約款で自宅最寄と学校最寄のバス停同士でなければ定期は作れないとなっていた。そこで駅前に住む友人から名前と住所を借りて、駅前から高校までの定期を作っていた。そんなことを繰り返すうちに、段々悪乗りをしだす。ついに偽名を使うようになった。はじめは田中一郎とか大人しいものだったが、そのうち成原成行とか一発でバレそうな名前を使い出した。結局バレた様子はなかったが、しかしなんでそんなことに拘ったのか、さっぱり思いだせん。
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