雑記 【雑記topへ】
2002.07.31
職場の机でラムネを飲む。

中学の真冬のある日、帰れなくなったことがある。雪国ではじゃんじゃん景気良く積もる雪を毎日毎日除雪するのだが、これを一冬繰り返すと道路の両脇に小高い雪の壁ができあがる。ひどいときには高さが2mちかくにもなり、道路から道路の外側の景色が見えなくなる。おまけにカチンカチンに凍っているのでちょっとやそっと小突いたくらいでは全く崩れない。・・・どういったわけかワゴン車が横転し、両脇が雪の壁で挟まれた道路をぴったりと綺麗にふさぐ形で立ち往生していたのである。道路わきの雪の壁は高さ2m。乗り越えようにも足掛かりがないので、簡単には登れない。車の向こう側にも人がいるようだが、やはり困り果てている模様。そのうち短い日も暮れてきた。天気は良かったのだが、なにしろ寒い。途方に暮れて寒さを凌ぐために足踏みしたりしながら、小一時間。ようやく重機で車を立て直したのだが、よもや通学路で遭難しかけるとは思わなんだ。

今月買った古本。7冊735円(税込み)。
2002.07.30
「パスポート持ってない人は速やかに取得するように」との通達がある。んー?

刃物で刺された場合、刃物を無理に引き抜くと傷口からの大出血によりショック死を起こすことがあるという。そんなシチュエーションにはなりたくないが、そういった場合は刃物を付きたてたまま医者にいくのが最善なのだという。ところで、聞いた話である。電柱を運んでいるトラックの後ろをタンクローリーが走っていたという。ある信号でタンクローリーが止まりきれずにトラックに追突した。綺麗にトラックの荷台の電柱がタンクに刺さった。トラックが動いて電柱が抜けると、タンクからじゃぼじゃぼと石油が零れ落ちたという。道路はしばらく通行止めになったという。関連があるように見えて実は脈絡がない。眠いからである。
2002.07.29
なんか暑いな。

修学旅行といえば、お楽しみは夜である。夜更かししてタバコなどのちょっとしたヤンチャを楽しむ場である。そこらへんは引率の先生連中も了解済みで、しょっちゅう部屋を巡回してくる。大騒ぎを繰り広げているところを巡回に踏み込まれた瞬間の一斉の必死の寝たふりやヤバい物の隠匿は凄まじい勢いでなされる。あの瞬発力を何かに利用できないものか。たとえば、水泳競技。スタート地点で駄弁っているところを、風紀の先生に一喝されてスタート。ものすごい勢いで飛び込む。でも思わず寝たふりするから溺れる人間続出。
2002.07.28
昨日の後遺症で終日寝こける。

東北駅弁の旅、とかいう番組を見る。が、突っ込み所満載の内容に倒れそうになる。例えば、新幹線の停車中にホームで駅弁を買う(無理)、つばさにのったのに仙台に着く(つばさは山形行き)、仙台から仙山線にのって一瞬で米沢に着く(乗り換えが要る)、米沢から盛岡を経由して気仙沼に簡単に行く(多分丸一日かかる)、701系なのにボックス席で駅弁喰ってる(701系はオールロング車両)、などなど。大食い選手権予選ですかってくらい大量に駅弁喰ってるし。3〜4日のロケを切り貼りしていかにも1日で旅行しましたっていうふうに編集しているせいだろう。結局、駅弁より鉄道旅行の考証の甘さばかりが気になってしまった。で、何の脈絡もなく番組には全く出てこなかった北上駅の駅そばが喰いたくなった。学生時代、帰省の度に喰っていたところである。
2002.07.27
暑い。水分摂取3リットル。

第24回隅田川花火大会に出かけてみたが。1回目。開始1時間ほど前に陣取った場所からは高速の高架が邪魔で花火がほとんど見えないことに気が付いて早々に移動。高架の反対側の通路にしゃがみこんで花火を見ていたら警備の人間に邪魔だと追い出される。このとき扇子を落としたらしい。その後、たらたらと堤防沿いに歩きながら花火を見る。花火が終わってようやく扇子が無いことに気が付く。ありゃ。さっきしゃがみこんでいた辺りに行くとこの人ごみにも関わらず、拾われることも無く扇子がポツンと落ちていた。2回目。その2時間後。混みまくる地下鉄を乗り継いで、池袋のファミレスで一休み。終電なので帰るか、と駅に向かう途中でポケットに扇子がないことに気が付く。泡喰って店に戻ってみれば見事に忘れ物として届けられていたのであった。歩き疲れたせいか、粗忽もいつもの倍。
2002.07.26
晴れた。

解説篇。
「け」「く」「め」「め」。
「け」は「喰え」の略で「召し上がれ」。「く」は「喰う」で「いただきます」。「め」は「美味いか」の略で「美味しいですか?」。最後の「め」は「美味い」で「美味しいです」。イヤ、ホントにこういう会話してます、ウチの田舎。

「えっぺだばでげね、べっこだばやんか、んがだってんでねがしゃ」。
「えっぺ」は「一杯」、「だば」は「では」、「でげね」は「できない」。この文脈では「満足できない」といったニュアンス。「べっこ」は「少し」、「だば」は既出、「やんか」は「嫌だ」。「んが」は「あなた」、「だって」は「も」、「んでねが」は「そうではないですか」、「しゃ」はあまり意味のない語尾。以上で「一杯では満足できません、少しでは嫌です、あなたもそうではないですか」となる。酒の席でもっと酒呑ませろと喚いているものと思われる。
2002.07.25
雨降り。

最近アイス分が足りないのか、アイスをよく喰っている。氷の融解熱でカロリーが消費されるため、意外と太らない。なんでも、ものによっては摂取カロリーが氷を溶かすカロリーを下回るため、喰えば喰うほど痩せるらしい。まあその前に間違いなく腹を壊すが。そんなわけで、雪山で遭難した場合でも、体力の消耗を避けるため、直接雪を喰ってはいけないらしい。融かしてお湯にしてして飲むのだという。ところで氷で思い出すのは、究極超人あ〜るに出てくるカレーフラッペである。鳥坂はこれで寝込んでしまうのがその回のオチなのだが、すでにビールのアイスや枝豆のアイス、秋刀魚のアイスなども存在するし(いずれも結構美味い)、最近は冷やしカレーもあるくらいだから案外そういった食い物が店頭に並ぶ日がくるのかもしれない。と思ったが、台湾で喰った豚足アイスは心底不味かったなあ。ガリガリ。
2002.07.24
今日読んだ本の前作を2年前のちょうど今日に読んでいた。

ワシの行っていた高校は熱心なことに夏休みが始まってからもしばらくは演習がメインの夏期講習があった。北国でも暑いものは暑い。いつも汗だくで講習を受けていたものだ。ところで、数学では指名ではなく自主的にやりたい人間に黒板に書かせる方式で演習をやっていた。あるとき数学が得意だったワシと友人と二人で共謀し、有無を云わせぬスピードでどんどん板書して数人分の問題を二人ですべて回答して教室の3面の黒板をすべて埋めてしまったことがある。回答機会の減少に予習してこなかった連中には好評だったが、先生にはいまいち不評であった。そりゃそうか。
2002.07.23
ふたりの北東北フリーきっぷを買う。って、恥ずかしいネーミングだな。

伊奈かっぺいによると、東北人は口の中に雪が入ってこないように口を極力開けないようにして話すと云う。すなわち、言葉を省略をして口をほとんど開けずに早口で会話するという。確かにその傾向はある。そんなわけで他所の人間には心底何を云ってるのか分からんとか。方言丸出しオヤジへのインタビューで字幕が入ったりするくらいだし。有名な東北弁の会話に「どさ」「ゆさ」がある。標準語では「どこへ行きますか」「銭湯に行きます」となる。これより短い会話もある。「け」「く」「め」「め」。ちゃんとこれで会話が成立する。ところで、上々颱風が秋田の公演で、歌詞に秋田の方言を使ったことがある。このときの歌はアルバムに収録されているのだが、歌詞の内容を解説しているファンサイトでそこの部分の意味が分からずに悩んでいるのを見たことがある。「えっぺだばでげね、べっこだばやんか、んがだってんでねがしゃ」。呑んべの多い秋田らしい歌詞である。
2002.07.22
高校野球。ワシの母校は3回戦止まりとのこと。

高校で3年間応援団をしていた、というかさせられていた。ワシの在校中は、毎年ベスト16以上になっていた。ベスト8くらいにもなると全校応援でバスを連ねて大応援団が編成されるが、一回戦のあたりだと応援もかなりショボい。応援団とブラバンあわせて40名程度である。この人数で炎天下に2時間以上も騒ぎ続けなければならない。試合が終わることには学生服は塩まみれであった。なまじ強いのも困りもので、弱小校相手にものすごい一方的な展開になったことである。コールドゲームが成立する5回までに30点くらい取った。イニング数は半分なのに並みの試合の倍の時間がかかった。そのうち応援団がへばってきて、自分の高校に向かってもういいから早く終われと野次を飛ばす始末であった。それでも手を抜かないあたりが高校生球児というか。で、そんなことはどうでもいいのだが、ベスト4になったワシの代の野球部の主将がその相貌に反して実は筋金入りのアニメオタクだったのは余り知られていない。
2002.07.21
結局徹夜でPCいじり。

徹夜明けのハイテンションのまま、何を血迷ったかサイクリングに出かける。今日は府中街道を南下し、東京競馬場まで。今日、ここでの競走はない。はずなのだが、その確信が揺らぐほど場外馬券を買い求める人々が多い。暑い。洒落で新聞も見ずに100円だけ複勝馬券を買ってみたが、当然のごとく外れ。10年前から続いている連続複勝馬券外れ記録を更新した。何故かワシが複勝を買うと、それが本命馬であっても着外に敗れることが続いている。複勝は最も当たりやすい馬券である。運が良くないのは自覚しているが、ここまで続かんでも、というくらい続いていて、しかも現在も続行中である。もう20連敗くらいはしている。某氏と一緒に競馬に嵌っていたころ、ワシが複勝で買った馬があまりにも負けるため、某氏に自分が買う馬だけは買ってくれるな、と云われていたものである。ところで、カンカン照りの中を自転車を漕いでいたものだから、もちろん真っ赤に焼けて痛い。
2002.07.20
マックでクジを引いたらビッグマックが当たった。

備忘録を兼ねたSOTEC APC380R1の解体記録。まず、飾りの足をはずす。何故かここだけ6角レンチ。ネジ4本。次に両側の銀色のプラスティックの飾り板を奥へとスライドさせてはずす。片側につきネジ2本、両側で4本。次に上底と下底の青色の鉄製の飾り板を外す。奥の方を軸にして宝箱のように持ち上げる。ネジは上底5本、下底6本。さらに前面のプラスティックの飾り板を外す。ネジは2本。はめ込み式になっているので、爪を折らないように注意。ここまで分解してようやく内部が露出する。次。向かって右側にある細長い電源ユニットを外す。3つの電源コネクタを外すと本体から外せる。マザーに電源を供給しているコネクタはかなり強固に繋がっているので、ドライバでこじ開ける。ネジは2本。なお電源ユニットの下にはメモリソケットが隠れている。次。前面の電源スイッチのついたシャーシを外す。ネジ5本。まず、USBや電源などの信号線である16pinほどのケーブルをソケットから外しておく。ここに限らずあらゆるケーブルには全く余裕がないため、先に外しておかないとケーブルが破損する恐れがある。このシャーシは上部が別のシャーシに爪で引っ掛けてあるので爪の部分を持ち上げて外す。マイナスドライバを楔にして力で引き抜く。次。CD、FDD、HDDが一体搭載されたドライブユニットを外す。ネジは6本。まず、4pinの音声ケーブルとIDEのコネクタを2本、さらにその影にあるFDDのコネクタを外す。コネクタはフィルムなので折り曲げないように慎重に。ドライブユニットは左側の側面で本体のシャーシに爪で引っ掛けてある。ちょうどその爪を外すように押せる穴があるので、そこを押さえつけて、ドライブユニット全体を外す。手前側に引き抜く。これでマザーボードが露出する。HDDはドライブユニットの中層に横向きに入っている。ネジ4本で固定されている。HDDから電源、IDEケーブルを外してからネジを外し、HDDを交換する。ここまで所要時間1時間。外したネジは38本。外したHDDはST340823A。緩衝材なのか、ドライブ全体に黒いゴムのベルトがまきついていた。おまえは宮本か。
2002.07.19
2ヶ月ぶりに職場に出てみれば、机が回覧物で埋まっていた。

FM-7にUOOTOYというゲームがあった。もう20年近く前のゲームである。当時の貧弱なパソコンのグラフィックの制限からくるなんだか脈絡の無い障害物を避けながらブロックの足場をくみ上げて、ゴールを目指す1画面のアクションゲームであるが、全100面というボリュームと、適当な難易度が遊びやすかった。嵌った。この頃は難しいほどゲームとして高級であるとメーカもユーザも信じており、アクションに限らず無茶苦茶な難易度のゲームが多かった。そんな中このUOOTOYは、今でこそ当たり前な簡単な面から始まって徐々に難易度が上がっていくといった合理的な面構成だった。これがやる気を削がなかった。ところでこのゲーム、ワシらが知らなかっただけかも知れないが、セーブが出来なかった。全100面である。時間の都合で後半の面は見たことがなかった。ある土曜日、数名の物好きで決死隊を組織、交代で全100面のクリアに挑戦した。もちろんワシもその一人。正午に始まったこの挑戦、100面をクリアしたのは完全に夜になってからだった。大騒ぎして喜んだ。全くもって馬鹿馬鹿しいが、あのときの清清しさはなんか青春だったような気がする。なんか間違っているような気もするが。
2002.07.18
ついにデスマーチ離脱。2ヶ月で書いたコード36000行(新記録)。

パソコンのキーボードでゲームをする場合、上下左右の移動にはテンキーかカーソルキーが振り当てられる。キーが十字に配置されているのがここだけだからだ。当然操作は右手で行う。一方コンシューマ機ではファミコンの時代から移動用のパッドは左側と相場が決まっている。この違いはパソコンとコンシューマの両方で激しくゲームをする人間には非常に問題である。と思ったが素直にPCにパッド繋げりゃいいだけのハナシでもある。しかし慣れとは怖いもので、いつしかキーボードで波動拳とか出せるようになっていたりするのだが。カセットビジョンのコントローラには左右のレバーしかなかったため、モンスターマンションというゲームは上下移動をレバーの横にならぶボタンに振り分けていた。おかげで、簡単なゲームなのに異常に操作に苦労するという代物であった。それでも最後には永久にループするほど遊べるようになった。つくづく慣れとは恐ろしい。
2002.07.17
逝かれPCからデータをサルベージ。

部屋の娯楽PCのHDDは30Gは使っていた。うち、捨てたくないデータが20G。ほとんどがTVの未視聴の録画ファイル。一方、データの退避に使う予定の会社の仕事用ノートPCのHDDの空きは15G。この5Gの差が結構悩ましい。とか思いながら要らんデータをちびちびと削る日々。PCを弄りだして20余年の間に、自分で作ったデータはせいぜい10M足らず。それをFDに吸い上げて残りはいずれ縁があったらまた手に入ると割り切って初期化してしまうのも有りなのだろうけど。なんだかPCを乗り換えたり、HDDが壊れるたびに同じことを云っているような。
2002.07.16
部屋のPCが壊れた。壊した、ではない。

最近、挙動の怪しかった部屋のPCがとうとう致命的におかしくなった。起動しない。野比家のTVに倣い、試しにひっぱたいてみたが事態は変わらず。立ち上がりジングルをならした直後にフリーズする。セーフモードで起動してもすぐ落ちる。HDDが逝ったか。さすが悪評高いSOTECと思ったが、HDDはseagete製である。起動もしないレベルの致命的なトラブルは今回が初めてである。丸一年ほとんど無停止運転で動かしてたいしたトラブルがなかったというのは、過去に組んだ自作機より安定している。ワシの腕のせいかもしれんが。ともかく、HDDを換装すれば大丈夫そうだ。最大の問題はこのPCが致命的にバラしにくいこと。以前、メモリ増設を試みたところ、メモリソケットに辿り着くまでに23本のネジをはずして箱根細工のような部品の取り外しに3時間もかかっている。HDDはさらにその奥にある。週末に一日がかりで解体することになりそうだ。それはそうと深夜番組を録画できなくて困ったナリよ。
2002.07.15
昨日の部長の名前をgoogleで叩いてみたら、どこぞで劇団員をやっているようだ。

今日は中元である。お中元の中元である。中国の道教では1月を上元、7月を中元、10月を下元と呼び、それぞれ15日には供物をして身の穢れをはらう三元節という風習がある。これが日本に渡り、お盆と重なる中元だけが一般に広がった。これとは別個の、お盆の供え物のお下がりを食べる風習と一緒になって、いつしかこの日に贈り物を贈る習慣ができたという。これに対し、お歳暮は正月に先祖の霊が帰ってくるという魂祭りという神道の行事が元になっている。贈り物をするという行動は一緒だが、起源は道教と神道。尤も、こういった生活習慣はいろんな起源の風習が融合した無節操なものなので驚くには値しないが。
2002.07.14
温故知新なことに、ナムコクラシック2にはまっている。なんで今頃。

高校の新聞部の部長から聞いた話である。小学生だったある日、帰りに知り合いの子に出会ったという。しばらく学校を休んでいた子で、そのせいか元気がなく、話しかけても全く精彩がない。別れてから、なにか胸騒ぎがして振り返ったがその子は見えなくなっていた。・・・実は、その子はそのときすでにこの世にいなかった。母親が一家数人を殺して茶箱の中に死体を隠したという殺人事件の被害者だった。25年ほど前のことである。全国版のニュースでも大きく報道されたひどい事件だった。部長がその子にあったのは、まだ事件が発覚する前のことなのだという。部長が一体何を見たのかはわからない。すべては夏の夜の夢。
2002.07.13
棺桶までの一里塚。すなわち誕生日。

西洋で13日の金曜日は不吉な日とされる。これは13人目の弟子であるところのユダの裏切りによりキリストが金曜日に処刑されたからとする説や、ユリウス暦1307年10月13日にテンプル騎士団がローマ教会から弾圧を受けて解体されたためとする説などがある。風水では13は縁起の良い数だったりするが。曜日は7種類しかないので、当然ながら13日の金曜日はそれほど珍しい現象ではない。少なくとも毎年必ず13日の金曜日はあるし、当たり年だと年に3回もある(証明略)。ジェイソンも大忙しである。ところで今日は木曜日である。本当は金曜日の7月13日に書きたかったが、つぎに今日が金曜日となるのは5年後。なので、忘れんうちにここに書いておく。そういえば13日の金曜日に発症するウイルスなんかもあったのう。
2002.07.12
泉岳寺から田町まで歩いた。

近所の出来たばかりの焼肉屋に行った。すっかり内装が変わっており、昔の趣は全く感じられない。とにかく喰う。職場近くの系列店でコツコツ貯めたポイントを使ったのでほとんど只メシであった。ところで、この店、火を使うだけあって空調がやけくそに涼しい、を通り越し寒い。入店後、しばらく焼肉用の七輪で暖をとるような状態に。
2002.07.11
PCいじりながら昏倒。目が覚めたら朝。

ワシがいた大学のサークルには道楽に血道をあげすぎて、学業がおろそかになる人間がいた。結構いた。留年くらいはまだ呑気なほうで、留年しすぎて除籍になる人間も毎年何人かいた。除籍がかかった試験の日にバイトしていたなんて剛の者も。ワシの一つ上の世代の打ち立てた留年率5割という記録はしばらく破られまい。ワシの世代の筆頭株(なにのだ)だったK。留年したあたりから音信不通になった。いつの間にか全然見かけなくなった。同じ学部にいる人間も全然見かけんという。そのうち、雪の日にどこぞを自転車で疾走している彼を見ただとかいう目撃談が噂されるようになった。それまでの所業ともあいまっていつしか、都市伝説化してしまった。妖怪扱いである。最後に所在を確認したのは8年前。戯れでTOTASを叩いたところ、まだ仙台に住んでいたようだ。そんな彼も今日で33歳の筈だ。今もどこかを自転車で走っているのだろうか。
2002.07.10
台風だってのに、終電。

大学の夏休みに仙台の七夕の清掃のバイトをしたことがある。東北三大まつりの一つ、仙台の七夕はとんでもない人出。ゴミがそこらへんじゅうに捨てられて、とんでもなく汚れるアーケードを人気の絶えた夜中にアーケードを掃き清めるというもの。単純労働であるが、アーケードはのべ3kmくらいあるので意外と重労働である。午前1時から午前4時くらいまでかかる。・・・その日は大型台風が仙台を直撃。七夕まつりどころの騒ぎでない。風に吹っ飛ばされそうになりながらバイトを始める。天井付きのアーケードなのだが、横から雨がなぐりつけてくる。足元には雨水が流れ込んでくる。天井があるので雨具なんて準備していない。掃除をはじめてまもなくパンツまでずぶ濡れである。掃いてるそばからゴミは飛んでくるし、もう大変であった。仕事の終わった午前4時には暴風は最高潮。とてもじゃないが自転車では帰れっこない。で、どうしたかというと、近くの吉野家で飯を喰ってから朝までそこで寝ていた。目が覚めたら台風一過の朝の通勤ラッシュ。少々気恥ずかしい思いをして、帰宅したのであった。
2002.07.09
少林サッカー鑑賞す。大いに笑う。ありゃカーンでも止められんわ。

免許の更新。年間走行距離が100キロにも満たない見事なペーパードライバーであるが、ありがたいことにこれでもゴールド免許である。よく知らんかったが、最近かなり大々的な道交法の改正があったらしい。色々変わっていた中のひとつ。誕生日の前1ヶ月だった更新期間が、誕生日の前後1ヶ月づつに延長された。つまり、もう1ヶ月更新期間があるのであった。今週中に更新せにゃならんと慌てたのが莫迦みたいである。がー。好天猛暑の中を自転車で警察まで出かけたものだから、更新手続きをとるころには汗だく。2ヶ月放ったらかしだったヒゲはさすがに落としたが、かなり暑苦しい顔が5年間免許に掲載されることになった。
2002.07.08
呆ーっとしていたら、mvとrmを間違えた。泣く。

小さいころ、犬に襲われたことがある。笑い話ではない。首輪を千切って脱走してきた隣の家の飼い犬に突然飛び掛られたのだ。仰向けに転がされて、その上にのしかかられた。この犬がただの雑種のくせにやたらとデカい犬で、冗談抜きで喰われるかと思った。命からがら逃げ出したのだが、当然のように追いかけられた。勢いづいたのか逃げるワシを追って、犬は車道に飛び出した。そこに通りがかった車にまともに結構な勢いでぶち当たった。犬は派手に飛ばされた。飛びつかれてからここまであっという間に出来事で、ワシも驚いたが、いきなりぶつかってこられた運転手も仰天であろう。ところが魂消たことに、犬はムクリと起き上がると、何事も無かったように平然と再びワシを追ってきたのである。なんで平気なんだー、と喚きながら再び逃げた。後日のハナシでは、飼い主もそんな事故があったとは全然知らないようで、本当に怪我ひとつしなかったようだ。車に轢かれても平気な犬が近くにいることは恐怖だった。今思うと単にジャレ付かれただけのような気がしないこともないが。
2002.07.07
暑くて目が覚めた。うー。

よく日本三大なんとかというのがあるが、もちろん七夕にもある。七夕と云えば仙台と平塚が有名である。そういえば、平塚で使った七夕飾りを仙台で使い廻しているとか聞いたことがあるな。ところで、3つ目が思いつかない。ちょっと調べてみたら、これが仙台と平塚は全部いっしょだが3つ目が幾つもある。というより、あちこちで我が七夕祭りこそ3番目と自称している。なんのことはない、他の名所にかこつけた地元の宣伝である。この手の三大なんとかは観光の宣伝に使われることが多い。もっとも、那覇の守礼門、札幌の時計台、高知のはりまや橋からなる期待はずれな観光名所である日本三大がっかりといったなんとも不名誉な三大でも、諸説あったりするから、なかなか謎である。

どこかで見つけた、日本三大の法則

日本三大の第一法則
・日本三大の一つを名乗るのは、一番でも二番でもなく三番以降である

日本三大の第二法則
・日本三大の一つを名乗るもの同士、他の二つは一致する

日本三大の第三法則
・自称でもなく、誰かの勘違いの場合がある

日本三大の第三法則
・三番は複数なければならない
2002.07.06
晩飯喰いながら熟睡してしまった。

処分したつもりのアイテムを発見。押入れをかき回していたら、引越し以来ほとんど手付かずのダンボール箱が出てきた。箱のラベルは「円盤」と「Y!」。「円盤」はCDやPSのソフト、DVDなど。未開封のソフトが5本もでてきた。押入れをかき回していたのは、PSのゼビウスを探すためだったのだが、押入れの奥に押し込んであったナムコミュージアムのデカい箱に辿り着けずに、結局その手前で見つけたナムコアンソロジーのKing&Kingsなんかをはじめる。ヒマな学生時代のヒマを随分注ぎ込んだなつかしのゲームである。いまさらオリジナルモードはかったるくてやってられんが。なお、「Y!」は見つかったら揉めそうな濃い目のグッズ類満載。ヤフオクで売っぱらうつもりの品々だったのだろう。自分で梱包しておいて、だろうもなにもないが。
2002.07.05
昼飯喰ってたら、ウチの会社の悪口を云っているのがいた。周りに納期前で殺気立っているウチの会社の人間が何人いたと思う?

殺気立った職場は現在、最後の試験工程。試験で殺気立ってみたり徹夜してみたり、まるで学生だ。最近、時間に関する処理のチェックのため、端末の時計をずらしている人間が多い。そんな状態でメイルを出すと、過去や未来からメイルがやってくる。時間順にソートしても全然到着順に並ばん。でも、殺気立ってるから誰もいちいちそんなことを気にしていられない。何かが切れる日は近い。
2002.07.04
汐留の高層ビル群がシオサイトという名前になった。ということは近くにアンドアジェネシスが。

ナムコの名作ゼビウスはコナミの横スクロールシューティング、スクランブルに対抗して企画された。当初は実在の戦闘機や戦車が出てくるシューティングだったらしい。遠藤雅伸が独力ですべてを作り上げたような感があるが、彼がこのプロジェクトに入った時点ではこういった企画だったようだ。彼が、すべてのキャラクターを書き直してドットをうち、コーディングし、さらにバックストーリーであるところのファーラウドを書いたのは確かだが。不可解なゼビ語のアイデアは上層部からはひどく嫌われ一蹴されたというが、このゼビ語やファーラウドがゼビウスのカリスマ的人気の一因となったのは確かだろう。なお、ゼビ語でガスト・ノッチといえば、絶好調。へなちょこゲーマーだったワシには16面が限界でした。
2002.07.03
システム管理資格を得た。芽出度い。

TVの改変期である。最近はTV以外の娯楽が多くなったため、よほど面白い番組でなければ視聴者を留めておくことが難しくなった。そのため、以前は半年や1年続いていたドラマも基本は3ヶ月。放映回数が長いというだけで視聴者が敬遠することがあるからだと云う。そんなわけで、最近始まったと思った番組がもう最終回なんてことがよくある。4月から見ている番組4本のうち1つくらいは13回で終わるものと思って、今晩からさらに1本チェック番組を増やしたら、実は全部26回だったため、週5本視聴体制に。娯楽PCのHDDの空きはもう1Gを切り、仕事PCにも数時間分のファイルが転がっていたりする。ヒマ呉れヒマー。電車内で録画を視聴できるデバイスが欲しくなったりならなかったり。
2002.07.02
記録更新 362lines/query。もうなにがなにやら。

昔のコンピュータはなにかと制限が多かったときの名残か、言語仕様が貧弱なほどコーディングに燃えてしまう。普通の言語なら大抵の機能はそろっているが、たとえばマクロだのスクリプトだのSQLなどの特殊な環境だと言語仕様が簡単もしくは特化しているため、実装時に機能不足に悩むことがある。そこをない知恵を絞って回避し、思ったとおりに動くものを作る。その過程が楽しい。もちろんプログラミングの目的は思ったとおりに動くものを作ることだから、どのような仕組みで動いても関係ない。実装レベルでのこだわりは白線からはみださずに歩くとか青いものに触れ続けなければならないとかいった下校時の小学生並みのこだわりでしかない。しかしそんなこだわりが新技術の源になっているのもまた事実。志は高く、仕事ははかどらず。
2002.07.01
隣席が空いたので、机散らかし放題。

しばらく改装工事をしていた最寄のファミレスが新装開店するらしい。改装前はしゃぶしゃぶ喰い放題や肉料理がメインで少々野暮っい感じの店であった。なので、肉以外のメニューを増やしてよりファミレスっぽく小洒落た風になると希望込みで思っていたのだが、期待を裏切り今度は焼肉屋になる模様。さらにくどくなってる。ところで、はじめの一歩にこの店が出ていた。ちょっと前の連載で、真柴(兄)と板垣が話しているところを一歩と真柴(妹)がとなりで聞き耳をたてていた場所である。ファミレスの遠景がこの店にそっくりで、店の名前も同じだった。このファミレスは全部で20店ほどしかない少々マイナーなチェーン店。少なくとも同スタジオがある足立区からは最寄である。ちょうど西武球場への道中にあるので、野球観戦のついでにここで食事をして資料写真でもとったのかもしれない。かもしれないが、根拠はない。
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