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2002.05.31
あんまり寝てない。

ニュースもロクに見ていないので忘れていたが、W杯が始まったらしい。そういえば、前回のW杯のときも仕事が火を吹いており、まったく試合を見れなかった。その頃にまともに見ていた番組は電波少年くらい。当時の企画は懸賞生活とアフリカヒッチハイクであった。ところでこの企画に感化されて懸賞をはじめた人間が多いという。それはそうと、実際に雑誌の懸賞に送られてくるハガキは発行部数のせいぜい数%らしい。発行部数の少ない雑誌だと懸賞ハガキが数百通ということもあるという。これくらいだとアンケートに完全に目が通せる。懸賞とアンケート内容は無関係と云いながらも、抽選をする側も人の子。何も書かれていないものよりは意見が書いてあるもの、貶されたものよりは褒められたものを選びたくなるともいう。そんなわけで、ハガキにはなにかしら意見を書いたほうが当選確率が上がるというのは、懸賞マニアでは常識らしい。本当はどうかは知らない。

今月買った古本。6冊315円(税込み)。
2002.05.30
帰り、山手線が不通になっていた。

地上の環状線が止まったため、地下の環状線に輸送振り替えの人間が大勢つめかけていた、と云うワシもその一人。大江戸線は夜になると運転本数が少なくなる。おまけに、そもそも車両自体が狭い。よって、どえらい混雑であった。まあ、東西線通勤経験者にしてみれば、まだ余裕があるが。今までで最もシンドかった混雑は 1995.5.2 の夜行急行能登。GWのラッシュで自由席の通路どころかデッキにすら立ち入れず、指定席の通路に導かれた。もちろん鮨詰めである。午前0時ころ上野を発って、翌朝金沢に着くまで数時間まったく身動きのとれない状態で、通路にへたり込むことすらできなかった。これはキツかった。金沢に着くなり一日寝てしまって、なんのための夜行なのやらであった。つーことで、眠いです。
2002.05.29
風邪薬飲んだら眠くて眠くて眠くて。

職場のトイレには有線がながれている。それはいいのだが、どうも選曲があやしい。たまにマンボなど流れている。トイレでテンションあげてどうしろというのだ。まあ、個室で居眠りしないようにとの配慮なのかもしれんが。ところでマンボ好塚と云えば編集王にでてきた漫画家の名前である。同漫画に登場するベニー八木山は元仙台人にはえらく受けたものだ(仙台の八木山と云うところにベニーランドというローカルなレジャーランドがある)。疲れているので散漫なまま終わる。
2002.05.28
プログラムを3000行書き終えたと思ったら、2000行ほど追加が。芸は身を滅ぼす(曲垣剛)。

今の職場には同姓がいる。近くに同姓がいるというのは中学以来の経験である。中学までは同姓がいたので名前で呼ばれていたが、高校以降は全校で一人しかいない苗字だったので、いつも姓で呼ばれていた。そんなわけで、ワシでないほうへの呼びかけにいちいち振り返ってしまう。そちらの人は要職にあって打ち合わせなどで名前が頻出する。つられて毎回反応してしまって、なんだか落ち着かない。助っ人で一時期だけいる人間がそんなに呼ばれる訳はないと分かってはいるのだが。
2002.05.27
また TBS-i かよ。地上波使ってくれ。

そろそろ暑くなってきて、ワシの寝相もどんどん激しくなってきた。らしい。自慢にもならんが寝相が悪い。布団を蹴飛ばすなんてのは序の口で、敷き布団から落っこちて畳の上でぐーがー寝ていたりするようだ。自覚症状はほとんどないが。今は羽毛布団1枚なのでそういうことはないが、実家にいたころ、冬場にタオルケットと毛布と掛け布団の3枚をかけて寝ると、朝にはいつも毛布だけがどこかにいってしまっていた。器用なことに、真ん中の1枚だけを蹴り飛ばしてしまうのだ。ロフトベッドで7年寝ていて、一度も転げ落ちなかったのが不思議なくらいである。小さいころ、寝ぼけて2段ベッド(上)から落っこちたような気もするが。
2002.05.26
職場で仕事してます。

ところで今年も部屋の前の原っぱに異常に発育のよい雑草がいる。去年、あまりに巨大になったため思わず記念写真まで撮ってしまった雑草と同じ場所に同じ品種が生えているように見える。てっきり一年草だとばかり思っていたが、根でも残っていたか、それとも種でも散っていたか。GWにはほとんど姿が見えなかったのが、もう1mちかくまで伸びている。最近元気のない部屋のユッカの鉢植えにもその元気を分けてもらいたいものである。もしかしたら、根元になにか養分の多い物体でも埋まっているのかもしれない。美しい桜の根元みたいに。
2002.05.25
部屋で仕事してます。

近くのゴミ捨て場に積み上げられた雑誌の山が崩されていた、というか漁られていた。成人雑誌でもあったか。1時間おきくらいにその前を3回通ったのだが、通るたびにだんだんと雑誌が減っていた。みんな物好きな。そういえば去年引っ越しで古雑誌100冊をゴミ捨て場に10往復くらいして捨てたときのことだ。ほんの30分くらいしてから再びゴミを捨てにいったところ、雑誌だけがすべてなくなっていた。どこかの古紙回収業者が回収していったのだろうが、表通りから奥まったところにあるゴミ捨て場に捨てられた雑誌をすぐに回収していくその手際のよさにちょっと驚いたことがある。竹竿屋みたいに巡回しているのだろうか。ちなみにゴミ捨て場から勝手にゴミを持ち去ると占有離脱物横領。犯罪である。
2002.05.24
風呂で熟睡。溺れかける。

週末である。ストレス抜きに呑みに出かけようということになった。しかし、仕事が落ち着いたのは23:00。当然ながら近所の呑み屋はのきなみ店仕舞いしているし、終電も近い。なのだが、参加者は全員いろいろ鬱積していて、是が非でも呑む、呑んで愚痴る、と決意を固くしていたような状態だったので、無理矢理呑み屋を探して、乾杯だけする。ほんの30分ほどで解散。ストレスは溜まったような抜けたような。ただただ眠い。
2002.05.23
電車で本を開いても、内容が頭に入ってこない。

帰りの電車にて。通路にしゃがみこんでいるオヤジがいた。したたか酔って立っていられなくなったようだ。しばらくすると、床にじかに座り込んでしまった。そのまま舟を漕ぎ出し、とうとう体を横にしてしまった。さらにしばらくしてワシが降りるころに見たら、さらに寛いだ体勢になっている。通路のど真ん中に大の字で高鼾である。無論スーツはグシャグシャ。車内に乗客はまだ多いのに、行儀というか寝相悪いな。まったくもって邪魔である。いや、空いていればやってもいいというわけではないが。すでに夜も遅く、もう反対方向の電車はない。どこまで行くつもりか知らんが、乗り過ごして乗るタクシーよりホテルに泊まったほうが安そうだ。そこらへんの判断がつかんあたりが、酔っている証拠なのだが。
2002.05.22
仕事PCでTMPGEncを動かしている。

www.zakzak.co.jpより。

郵政民営化関連法案でも、野中広務元幹事長から「物事は独裁者で決められるものではない」と“協力白紙宣言”を突きつけられたばかの首相だけに、「ついにヤケクソになった」(自民党筋)との声も。

わはは。ら抜け、ならぬ、り抜けである。って、ワザとやっとりゃあせんかい。17:00の出来事であるが、すぐに訂正されてしまった。残念。
2002.05.21
スキャンディスク(完全チェック)をやたら繰り返している。

帰りの電車にて。つり革に掴まって立ったままうとうとしているサマーセーターの女性がいた。ふとみるとつり革に伸びる手のわきの下が少しほつれていて、穴から肌が見えている。本人からは見えない場所なので気がついていないのだろう。教えてあげたいが、誤解を招きかねんなあ、と思って見なかったことにしておく。・・・電車は一向に空かず、その女性は相変わらず立ったままうとうとしてはフラフラしている。しばらくしてから再び見たら、わきの下のほつれは結構大きくなっていた。体が揺れて服が引き攣れて、穴が拡がったようだ。もう見てらんない。だれかこういったときにスマートに注意するを教えてください、と思いながら電車をおりた。
2002.05.20
FF11とFFIIは見た目が似ている。

FFIIといえばのばらである。プレイヤーの成長に限界がなく、どこまでも青天井に強くできた。HPの表示最大値は999だったが、内部的にはそれより遥かに大きい数値まで成長可能だった。閑な学生時代にこつこつとレベル上げをしたところ、推定HP1万程度にまで成長。ラスボスを含むあらゆる敵を瞬殺できた。FFをこよなく愛していた寮の同居人に、世界観が壊れるから止めてくれ、と頼まれたりもした。ちなみにファイナルファンタジーのファイナルは、これが売れなかったら会社がヤバいぜ、崖っぷちだぜ、という意味のファイナル。DQIIIとFFI(ともに1988年冬発売)のヒットをうけて、似たようなRPGが大量に発売された。良作も多かったが、結局2大タイトルしか残らなかったのは謎といえば謎である。
2002.05.19
10年ぶりくらいに竹馬に乗った。

多摩湖自転車道は多摩湖から西武新宿線沿いに武蔵野市まで延びている。およそ15km。GWに走ったのは全体の1/3程度だったので、残りを走ってみる。途中、小平ふるさと村、という古い茅葺の農家を保存している公園があった。古い農機具や玩具とかが展示してある。かつて実家で実際に稼動していた農機具もいくつかあった。それにしても家の造りがなんとなく懐かしい。ワシが小さいころには近所にまだこういった茅葺の屋敷がいくつかあったものだ。パンフレットを見ると、これらの建物は江戸時代末期のものだという。まあ、ワシの田舎に江戸時代の建物が建っていたわけではないだろうが。
2002.05.18
散髪。48000hit。

PCを持ち帰ったついでに、仕事PCになぜか大量に蓄積されている非仕事ファイルを部屋の娯楽PCに転送することにする。クロスのLANケーブルを引っ張り出して、しばらく設定に苦しんでなんとか繋げる。当初の予定通り、仕事PC→娯楽PCとファイルを転送する。ところが、娯楽PCの調子があやしい。HDDに空きがあるのに、ディスクフルとかエラーが出る。はて、と思って娯楽PCにスキャンディスクをかけたところ、「物理的障害のおそれがあります」などという不穏なメッセージが出る。こりゃイカン、と娯楽PCから録画ファイルや絵や音楽と10Gばかり仕事用PCに一旦退避させる。仕事PCから非仕事ファイルをなくすつもりが、あらん限りの非仕事ファイルが詰め込まれるという本末転倒な事態になる。どうしてだ。
2002.05.17
デスパレードマーチ。

慌しいことに、今度は職場の引越しである。実は引越し寸前の職場に放り込まれたのだった。とはいえ私物はほとんど持ち込んでいないので、ノートPCを含めて紙袋1つに納まってしまう。週末に紙袋を部屋に持ち帰り、月曜日に次の職場に持って行けばワシの引越しは完了である。持ち帰ってみて再確認したが、このノートは本当に軽い。これなら毎日携帯しても苦にならなさそうだ。通勤電車内で、溜まりつつあるHDD録画を鑑賞しようか知らん、と思ってしまうあたり、テクノロジー活用のベクトルが少々歪んでいる。
2002.05.16
はやくも一杯いっぱいですよ。ひー。

PCが新しくなったついでに壁紙を新しくした。それまで数年使ってきた、Nerv印の黒背景に赤の極太ゴシックの極秘マークの壁紙を、これに変えた。なんだかドリンクを飲まんでも馬力が出そうだ。そのうち男塾と戦いそうである。民明書房に解説があるかもしれない。まだ慣れていないため、うかつにウインドウを最小化して魂消たり脱力したりすることもあるが。しかし洒落の分かる製薬会社である。
2002.05.15
4年ぶりのデスマーチ。

いきなり別のグループの救援に回ることになる。それもかなり急な話で、新しく支給されたPCの設定を移動中の電車の中でしなければならないほどである。なんとも因果な稼業であることよ。それはいいのだが、今回の出張中にそれまで使っていたPCは他部署に供出されることになっている。旧PC内部にはかなり怪しげなファイルがある。いばれる話ではないが、かなり大量にある。小一時間かけてドタバタとデータ移行したのだが、旧PCからヤバいデータを漏れなく消せたかが気になる。かなり気になる。トロージャンウイルスでも送り込みたくなるくらいに気になる。でも送っても受信するマシンはこのノートPCだ。なんだか、ままならない。
2002.05.14
3年ぶりの献血。

合法的に仕事をサボれれてジュースも飲めるので、職場に回ってくる献血には欠かさず参加することにしている。ワシの血管はぶっとくて針を刺しやすいらしい。いつも看護婦さんに助かるわー、みたいなことを云われる。へー、と思うが、ささやかな長所である。呑み会の話題にすらならない。そもそも今日は酒を呑んではいけないらしいが。いつも献血した後に思うのは、今日は風呂に入ってもいいのかどうかということ。針つながりで、予防接種とごっちゃになっている。
2002.05.13
10日ぶりの職場。

ワシの携帯電話のメモリの先頭には「あ」という名前が入っている。電話番号は「0」。もちろんどこにも繋がらない。携帯を入れたバッグを握り締めているうちに、ボタンが押されて勝手にメモリの先頭の人間に電話がかかってしまうことがしょっちゅうあったので、それに対する防御策である。メモリの先頭にあったため、しばしばこの被害にあっていた友人が、最近携帯電話を解約したらしい。んー、ワシのせいじゃないよな。
2002.05.12
TEKKEN FORCE、ようやくクリア。

研修でドタバタしていてすっかり忘れていて、そのまま忘れていても全然困らなく、むしろ忘れたままのほうが幸せだったのかもしれないが、何の因果か今年も夏のサクラ鑑賞が決定した。特に誰のファンと云う訳でもないのに、これでもう5年目。つくづく物好きである。ただ、いまだにゲームはやったことがないので、バックストーリーは全然分かっていなかったりする。
2002.05.11
風呂掃除をした。

昨日、研修の終わり間際の休憩時間に講師が、こんなの知ってる、といっておもむろにフラッシュムービーを動かし出した。・・・知る人ぞ知る、MUNEO HOUSE であった。なんだかなあ。メイルで回ってきたものらしく、どういったいきさつでこういった曲が出来たのかとかは全く知らない模様。思わず、このムーブメントの発祥の地、2chがどうとか喚いて小1時間問い詰めたくなったが、大人なので知らん顔に努める。多分、あれはある種の人間の燻りだしだったのだろう。
2002.05.10
永井一郎の誕生日と塩沢兼人の命日は同じ。すなわち今日。

西所沢駅で西武池袋線から西武狭山線が分岐する。西武狭山線は短い路線で、普段はガラガラの電車がいったりきたりのローカル線の佇まい。レールは単線で、いつもは3番ホームしか使っていない。ところで、西武狭山線の終点は西武球場前駅であるため、西武ドームで野球がある日に限り、池袋から直通の電車が出る。この列車は交換の都合で、西所沢駅で4番ホームに停まる。この4番ホームは西武球場前行き直通電車専用のホームで、臨時便のない日は照明も点けず連絡階段も柵があって入れない。毎日見ていながら、一度も足を踏み入れたことのないちょっとした幻のホームであった。そこに今日初めて降り立った。・・・改札が思いっきり遠い。やっぱり幻のままでいいや。
2002.05.09
研修3日目。

今日初めて気がついたが、研修所のジュースの自販機の値段が非常に安い。缶も500mlのペットも気前よく一律50円である。思わずうれしくなって、大して喉も乾いていないのに2本も買ってしまった。ところでコーラは250mlの缶も350mlの缶も同じく120円。これから類推すると、ジュースの製造原価はほとんど只ではないか、という予想がある。あの値段は容器と自販機の費用ではないかというのだ。なんかまんまとのせられて騙されたような気分になる。その後、たかがジュース2本でこんな気分にならねばならんのだ、と哀しくなる。小市民と云うのも憚られるほど問題が小さい。
2002.05.08
水天宮前で初めて降りた。半蔵門線完乗?

最近はどうか知らんが、昔のスキーはメンテが悪いとスキーの裏側に雪がこびりついた。もちろんスキーが全然滑らなくなって困る。小学生のころ、ウチの郷里ではこのこびりついた雪をゴッパと呼んでいた。ような気もするが、自分でも段々自信がなくなってきた。しょせん、スキーの裏についた雪である。正式な言葉があるわけではないので、あちこちでめいめい勝手な名称を開発してはそう呼んでいた。そのため、同じ地方でも色々な呼び方がされていた。その一つがゴッパという言葉だったのだと思う。そういえば、極北に棲むイヌイトの言葉には雪を示す言葉がやたら多いというが、実情はこんなものかもしれない。
2002.05.07
Gradiusのサントラ聞いて懐かしさに身悶える。

今日からしばらく研修である。てっきり端末を使った演習中心と思っていたが、実際は座学と議論中心の演習の研修であった。今回は初級編をすっ飛ばして上級編を受講したのだが、結構ハイレベルでそんなに手を抜けない。それはそうともちろん、最大の敵は睡魔である。説明用のプロジェクタのため室内の照明は暗め。寝ごろである。マイクロスリープ(自覚症状のない数秒程度の睡眠)しまくりであった。ぐう。
2002.05.06
西武球場のフリマに行った。MEGA-CDが置いてあった。ちょっとだけ欲しかった。

それはそうと、いつのまにか西武球場に天井ができていた。今日はやたらといい天気で、こういう日は天井が無いほうがいいのになあ、と天井を見上げてみたり。ところで、この西武ドームには壁がない。ザルを引っくり返してかぶせてるようなものである。よって、外が寒い日はドーム内も寒く、外が暑い日はドーム内は蒸し風呂と非常に自然的である。去年のGWにここに来たときはあまりの寒さに耐えかねて、途中で逃げ帰った。あれはホントに寒かった。ドームの中に靄がかかっていたくらい。
2002.05.05
八国山緑地を歩く。歩こ〜歩こ〜。

調べてみたらトトロの森の八国山緑地には、遊歩道と呼べるほど立派ではないが、ちゃんと散歩できる路があった。ので、歩く。今日はほとんど真夏日にちかい夏日。暑い。強い陽射しを避けて森の木陰で涼んでいると完全に真夏の趣き。聞こえるのがセミではなくウグイスの声というのが妙に違和感であるが。
2002.05.04
大涌谷は大荒れ。濃霧で視界3m。台風並の強風。ぐわー。

箱根町から桃源台まで船、桃源台から大涌谷までロープウェイ、大涌谷から早雲山まで代行バス、早雲山から強羅までケーブルカー、強羅から箱根湯本まで箱根登山鉄道、箱根湯本から新宿まで小田急、と交通機関グランドスラム。とにかく、遠い。登山鉄道で関東圏では珍しいスイッチバックを体験できる、と一人で興奮していたら、車内はとんでもない混雑。さすがGWである。それでも、スイッチバックと上下交換が同時に体験できたりして中々楽しかった。この鉄道は紫陽花のライトアップが有名なので、その時期にまた来てみたいものだ。ただし、このあたりは第1回新関東の駅100選スタンプラリーの経路には全く含まれていないのでモチベーションは低い。今年のスタンプラリーはあまり触手が動かんけど。
2002.05.03
箱根神社。なんか最近GWは毎年神社を詣でている。

泊まったホテルのすぐ横は箱根駅伝の往路ゴール地点兼復路スタート地点であった。なんの変哲も無い駐車場への道なのであるが、ちゃんと記念碑が建っている。そこからちょっと離れた場所には歴代の優勝校の記された記念碑がある。それも3つもある。それぞれ20年おきくらいに建立されたらしい。この調子では何年か後にはこのあたりは記念碑だらけで、墓地のようになってしまうかもしれない。
2002.05.02
大涌温泉。鉄鼠でも出そうな山奥である。

小田急の特急の後部展望台に乗った。最近、住民と国と裁判騒ぎにまで発展した曰くつきの高架がよく見える。東西に走る線路の高架化は南北に走る線路の高架化より調整が難しいと云う。日陰のでき方がちがうからだ。東西方向に高架が建つと、その影になってしまう家にはほとんど陽があたらなくなってしまう。南北方向なら少なくとも午前か午後のどちらかは陽があたる。そんなわけで日照権を盾に高架化に反対する地元住民と鉄道会社(および都。普通高架化は公共事業扱いである)の対立は激しいらしい。そんなことお構いなしに、活線工事などに萌えていたりしていたのだけど。
2002.05.01
OURSLiteがもうすぐ休刊になるらしい。

「Give me four」「二つで充分ですよ」というのは映画ブレードランナーの屋台での有名なやりとりである。ハリソンフォードは大食漢じゃのう、とか思っていたが、ある時期からベトナムの麺料理であるフォーと数字の4を掛けた言葉遊びだと確信していた。ところが調べてみると、誰もそんな指摘はしていない。なんでそう思いこんだんだか。うどん4杯だとか(これは明らかに違う)、どんぶりにエビを4尾のっけろ、だとか諸説あるが結局は不明。はてはて。
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