雑記 【雑記topへ】
2002.02.28
今月買った古本。10冊1102円(税込み)。

天藤真の全集を集めている。最近、本屋に並ぶ出版物はインフレ的に多いが、書籍全体の売上は昔からそれほど伸びてはおらず、そのためどこの出版社も返本が多いという。その損失の穴埋めするために次から次へと新刊を出さざるを得ない自転車操業的な状況にあるらしい。そんなわけで、古典や名作と云えども売れない本はあっという間に絶版になる。おまけに全集というのは途中まで買う人間はいても、途中から買い始める人間はあまりいないので、版元でもそれを見越して巻が進むたび、発行部数を徐々に減らしていくと云う。そんな訳で一旦買い逃した全集の抜けが中々埋まらない。数軒の古本屋を定期的に廻っているが、全然見つからん。ヤフオクにも滅多に出てこない。全部揃う日はいつのことやら。
2002.02.27
夜市で現地ヒットソング集のつもりで買ったCDは演歌集であった。しょぼん。

台湾の写真を整理したところ、妙に喰い物の写真が多い。半分くらいが飯もしくは喰い物に吶喊する我々の写真である。いつもの友人たちと海外旅行をすると飯喰ってるか、乗り物に乗ってるか、さもなければ観光や買物でひたすら歩いてるかのどれかなのだが、ゆっくり座れるのは飯のときだけ。そんなわけで、どうしても飯どきの写真が多くなるようだ。故宮博物館は展示物を見て廻るのに夢中で、写真を撮るのをすっかり忘れており、申し訳程度に入り口付近の写真があるのみ。ワシ的メインだった光華商場にいたっては買物に熱中するあまりまったく写真が残っていない。そのくせ、そこいらじゅうにあった動画式歩行者用信号は丁寧にも動画を撮ってあったりする。撮影基準が自分でもよく分からん。
2002.02.26
休み開けは忙しいの法則。

ラスプーチンと呼ばれる人物をニュースで聞いた。ラスプーチンと云えば、ロマノフ王朝のロシアの怪僧である。呪術や占いで宮廷に名を馳せたが、出る杭はうたれる。最後は暗殺されたのだが、なかなか死ななかったことでも有名。まず、毒入りケーキを平らげたのだが、ちっとも死ぬ気配がない。今度は銃。数発の銃弾に倒れたところをタコ殴りにされるが、一向に死なない。処分に困ったのか、最後は冬の川に放りこまれるのだが、氷の隙間に沈む前に胸の前で十字を切ったと云う。結局、死因は溺死であったと云われている。なんともしぶとい。こう呼ばれる人物は官僚とのこと。ものすごく往生際が悪そうである。
2002.02.25
軽く木柵線を乗り潰して、帰国。

帰国までは各自自由行動。月曜日は博物館は軒並み休みで、百貨店は11時にならんと開かん。時間をもてあましついMRT木柵線を終点の台北動物園まで往復してみた。木柵線はゆりかもめのような高架を運転手無しの車が走る新交通方式。ホテル近くの忠孝復興駅近辺は非常に栄えているが、終点付近は宅地開発も進んでおらずなんとも田舎な風景。高架のすぐ横に畑があったりする。空港へ向かう高速道路など、ホントに必要なのか、単に高いことろに道路作りたいだけじゃないのか、ってくらい高架である。もちろん高架の下には何もない。つくづく高架の好きな国である。最後に免税で頼まれ土産を大量に購入し、帰国。で、案の定、台北から羽田より羽田から所沢の方が時間がかかった。
2002.02.24
孫文記念館と光華商場に行った。

天気予報によると、この冬一番の冷え込みだという。朝の気温12℃。ワシには春みたいな陽気だ。孫文記念館はヤケクソにデカかった。衛兵の守る孫文の銅像も。衛兵交代式はイギリスより簡潔でよろしい。建物の外の広場では法輪功の集会で延々と読経が流れており、なんとも異空間。光華商場は台湾の秋葉原であり、店の広さも売ってるものも客層もほとんど秋葉。パチ物が意外に少ないなあ、といいつつもCD20枚ほど購入。友人連中はワシ以上にCDを買っており、一行の荷物検査をした日には円盤が200枚以上出てきたことだろう。後、龍山寺を経由して夜市をハシゴ。夜市はどこも無茶苦茶活気があって毎日が縁日で楽しげだが、とてもゆっくり買物などできないほどの混雑で体力を消耗する。呆としていると流れに押されてすぐに仲間とはぐれてしまう。
2002.02.23
故宮博物館と士林夜市に行った。

故宮博物館には翡翠で作った豚の角煮と白菜があった。なんだか物凄く貴重なものらしい。確かに見事な細工だが、もうちょっと他に彫るべきものがあるような気もする。翡翠を彫刻しないで売り飛ばしても豚や白菜なんて幾らでも買えるだろうに。・・・腹が減った状態で観光すれば、こんなもんである。
2002.02.22
つーことで、台湾行ってきます。

力の入っていない渡航記録。格安パックツアーのお約束、入国するなりの免税店。店舗の片隅には免税店のウェブサイトを示した端末が数台。買物もせずに2chなどをみて時間を潰す。いきなりダメ振りを発揮しつつ旅行が始まる。ホテルに荷物を置いて、晩飯は何とか夜市。友人の頼んだ臭豆腐という喰い物に鼻が曲がる。ホントに臭い。ハングルで鼻が曲がるまで呑むと云えば、酒を思いっきり飲むことだが、そんなわけでビールを呑んで誤魔化す。全家便利商店(ファミマ)でビールを買い足してホテルでも呑む。それにしても、ビールが安い。1本28元(110円)。
2002.02.21
のどがすっきりせんので、のど飴を大量摂取してみる。(゚甘゚)

始めての海外旅行のとき、一瞬だけパスポートを見失った。セキュリティボックスに保管していたとばかり思っていたのだが、そこになかったのだ。本人より廻りの友人連中が蒼ざめたのが印象的だった。パスポートはバックの外からも見える目立つ場所にに無造作に突っ込まれていたのだった。以来、少しは用心するようになってパスポートは常に携帯することにした。のはいいのだが、常に肌身離さず持参しているものだから、パスポートが物凄い勢いでグシャグシャになるのであった。磨耗して擦り切れたり、背綴じがが壊れて分解しても効力があるのか知らん。
2002.02.20
目覚ましが鳴らなかったことに対する驚きの声で目が醒める。もちろん目覚ましより遥かに大音声。うお。

ウチの目覚ましであるが、今年で15年目ともなると、さすがにガタがきている。なにせ昭和63年購入である。最近、秒針の挙動があやしい。1秒ごとの針の刻みが全く一定でない。よくみると、15秒くらいで秒針が真下を向く。それはもう凄い勢いで針が動く、というか、落ちる。フリーフォール状態である。一気に下を向いて位置エネルギーを使い果たすと、そこから今度は45秒かかってのんびりと真上まで戻る。一見無茶苦茶な動きをしているが、秒針一周はちゃんと60秒なので、なんとか時計としての機能は果たしている。
2002.02.19
パスネットがあたった。有難や。

電車で西武ライオンズファンクラブ入会の案内の吊広告を見ていた男女の会話。「これって入会すると松崎しげるのCDもらえるだぜ」「なんで? そんなのどこにも書いてないよ」「とにかくもらえるんだよ」と男が自慢気に話している。お陰でこちらまでなんで、と思ってしまい自分で調べてしまう。西武の球団歌を唄っているらしい。そういやコブラの声優なんてものやってたな、この人。CMソングなどのCDに収録されない曲が多いため唄っても唄っても全然CDの印税が入らん、と嘆いているのをどっかで聞いた憶えがある。
2002.02.18
大バグ、小バグ。

ギネスブックによると史上最も高くついた間違いというのは、アポロか何かのロケットの制御プログラムで、.と,を1文字間違えただけで何百億だかがパアになったという。マーフィーの法則ではないが、プログラムのバグというのはここ一番で悪い方向に働くようだ。第1次世界大戦中、戦闘機乗りの間でエンジントラブルはグレムリンと云う妖精が引き起こすと信じられていた。以来、ハードトラブルは何か得体の知れない生き物が中に潜りこんで悪さをすると考えられるようになった。これがバグの概念の始まりらしい。コンピュータ登場以前にも、TVの中にバグがいる、といった使われ方をされてきた言葉らしい。黎明期のコンピュータがリレースイッチに虫が挟まって誤動作をおこしたからバグ、というのはあまりにも出来すぎである。この他にもケーブルを虫が齧って誤動作とか、初期のコンピュータは現実の虫との戦いだったと思われるエピソードが多い。除虫菊でも撒きゃいいのに。殺虫剤片手に、まさしくデバグ。
2002.02.17
なぜかクレオパトラフォーチュンにはまる。

学生時代、近所の小さなゲーセンでバイトをしていた。職場はアパートから徒歩5分。いつも早めに着いてしまうので、閑潰しに入荷したばかりのCOLUMNSを1プレイしてからバイトについていた。そんなことを毎日繰り返しているうちにどんどん上達し、ついに店のハイスコアを塗り替えるまでになった。プレイ時間も長くなり、とてもバイト前のちょっとした閑潰しにはできなくなった。余所のゲーセンで延々とプレイしているとまわりにギャラリーがついたものだ。ゲーメストのスコア集計にも載り、一時は本気で日本一を目指したこともある。若気の至りもここに極まる、って感じ。結局、1ヶ月だけ仙台で一番になった程度だったけど。
2002.02.16
で、今日は休日出勤。

住民が各々手に長い青々とした竹竿を持って集まる。二手に分かれて向かい合い、力の限り相手を竹竿で殴る。殴る。殴る。一応敵味方はあるのだが、そんな些細なことは抜きである。当るを幸い、手当たり次第殴りまくりである。興奮して前に進むと、今度は後ろにいる味方からも殴られる。無茶苦茶である。これはもちろん実在する祭りである。実家の近くで300年以上続けられてきた奇祭、竹打ちである。夕べ行われた筈である。もちろん片方が勝つと米が豊作で、他方が勝つと米が値上がりする。どっちが勝ってもめでたい。でも殴り合い。
2002.02.15
ようやく腹復調かと思えば、今度は喉がガラガラ。うがあ。

デフレである。スパイラルである。なにせ頭が悪いので物価が安くなると単純に嬉しくなるのだが、どうもこのままデフレが進むと色々都合が悪いらしく、早急なデフレ対策が必要なのだそうだ。そんなニュースを聞いて真っ先に思い浮かべたのが、じゃあマックと吉野家は値上げしてしまうのだなあ、ということ。なんか間違っている上にスケールの小ささに泣けてくる。
2002.02.14
やっぱり腹は不調。うーうー。

高校卒業間際の冬。ほとんど登校の必要もなくなっていたが、バスの定期が残っていたのをいいことに、ときおり高校に出かけては友人たちと気晴らしに図書館で駄弁っていたものだ。駄弁る相手がいなければ、図書館の倉庫に内密に大量にもちこまれたマンガを読み散らかしたり。受験で情緒不安定な時期に逃げ込める場所があるのは精神的にラクだったのだと思う。連日押しかけてくるダメ受験生どもの相手をしていた司書さんこそいい迷惑だったろうが。日々そうやって図書館にたむろする面子の中で、ワシと彼女だけが皆と帰る方向が逆だった。自然と二人で学校に行き来するようになった。彼女にはすでに付き合っている相手がおり、まあそういった艶っぽい展開は全くなかった訳だが、それでも義理チョコはもらった。いかにもウケ狙いの女性のヌードのパッケージのチョコで、二人で大いに馬鹿笑いした記憶がある。性別を超えた友達だった。もう二度と会うことはないのだろうけど。
2002.02.13
あいかわらず腹は不調だし頭も痛い。

創刊号から惰性でなんとなく買いつづけてきたYKOursLiteが、次号から平綴じになってついでに少々値上がりするらしい。どうりで読者プレゼントがなくなったりとバタバタしていた訳だ。ところで、雑誌の判型が変わるのは休刊前の悪あがきであることが多く、結局そのまま潰れる雑誌も多いらしい。あまりよい前兆ではないのだとか。確かによく見ればいまや読みたいと思うマンガもほとんどなくなってしまっている。購読を止めてもいいかもしれない。とりあえず、もう少し付き合ってみるか。なにせ抽選テレカ2枚分の恩があるから。
2002.02.12
腹壊して、一回休み。4連休目。

朝、3駅電車に乗ったところで吐気に耐えきれなくなり部屋に帰る。ひとしきりゲーゲーやって一日寝て過ごす。結局、固形物は全く摂取できず。一体何に中ったのやら。
2002.02.11
新宿御苑に行ったら、もう桜が咲いていた。

ヨドバシのポイントがそろそろ切れそうなので何か買っておくかと、ゲーム・ミュージック館へ。知らない新譜が山積でどこから手をつけるべきか混乱する。結局全然新譜ではないCDを購入。時間も財源も有限だし、ある情報を所有することと、ある情報がどこに存在しているかを知っていることには、本質的な違いはないのだ。縁があれば、そのうちどこかで視聴できるだろう。もちろん、交換ソフトで手に入れるという意味ではない。
2002.02.10
両隣家が留守なのをいいことに、家を揺るがし足踏みDDR。

家庭内DDRブーム再燃につき、アペンディックスディスクを買ってみることにした。で、ファミ屋に辿りつくと、普段の5倍くらい自転車がとまっている。何事?と思ったら、XBOXによるゲーム大会が開催されていた。そういえば、実機が稼動しているのは始めてみたな。最近TVのCMでもチョロチョロ見かけるようになってきた。しかし、セガがハードから撤退して空いたマイナーハードの座にすっぽりと収まりそうな気がするのは何故だろう。XBOXのXに、MSXのXの轍を感じてしまう。尤も、XBOXを買う世代のほとんどはMSXを知らないのだろうけど。
2002.02.09
友人の結婚式に行ったら、司会が岩田光央だった。結婚記念日は6/13(本人談)。

某氏と連れ立って結婚式の会場を目指す。時間を読み違えて異様に早く着いてしまい、喫茶店で時間を潰して再度会場に行く、というのを2セット繰り返してしまう。ようやく入った会場だが、妙にせせこましいというか結婚式向けで無いような建物だ。なんでも、この建物は黒柳徹子の私邸だったものを改造して作った迎賓館らしい。式をあげた中庭は元々プールだった場所で、披露宴をやった部屋はダイニングだったのだと云う。平気で60人座れてますけど。これがホントの徹子の部屋、とは思っても口に出さないのが大人というものであろう。
2002.02.08
今年の春はシス管(初)に挑戦。

昨日は東京オペラシティに出張。数年前もたびたびこのビルに出張してきては地下のとんかつ屋に行ったものだ。ところでこのとんかつ屋、席に着いて注文を済ますと、いきなり胡麻が小型の擂り鉢に入って出てくる。一見お通しのようであるが、もちろんこのまま喰うものではない。薬味である。とんかつが供されるまで、この胡麻を擂って閑を潰す。そんな訳で、店が混んでいるときなど無闇に念入りな擂り胡麻ができてしまう。もしくは、ハナシが長続きしない相手と入ってしまったときなども。このとんかつ屋の海外支店だったら、林檎でも磨かされるのかね。
2002.02.07
TRに京極堂。ほう。

札幌から夜行のおおぞらに乗り、翌朝の釧路で根室本線の快速列車に乗り換え根室に至る。駅前から出ている2時間に1本ほどしかない納沙布岬行きのバスに30分ほど揺られると、そこが日本の最東端、納沙布岬である。かつてはバス路線沿いに開拓鉄道があったというが、痕跡は全く残っていない。ふきっ晒しの寒々しい空き地が広がる岬の突端には灯台があり、その先には鉛色の太平洋がだらりと広がる。水平線の手前に見えるちっぽけな島が貝殻島で、ここから先はロシアである。たまにこれ見よがしにロシアの巡視艇が視界を横切っていく。ここが日本で一番国境を実感できる場所だ。日本最東端到達記録に挑戦し、灯台の柵をのりこえ冬の海に落っこちそうになりながら崖を下りて波打ち際に立ったのは8年前の冬。今日は北方領土の日である。
2002.02.06
いきつけのパン屋で傷害事件があったらしい。おちおちパンも買えんなあ。散髪。

古本屋で新書を漁っていたら、三歳くらいの子供連れの夫婦がやってきた。子供はきゃいきゃい騒ぎながらそこら中の棚から本を払い落として、大騒ぎ。しばらく親が小声で叱りながら後を追い掛け回していた。しばらくしてようやく落ち着いた子供を絵本のコーナーに連れて行き、好きな絵本を買わせようとしているようだ。ところで、この古本屋は児童書とアダルトコーナーが何の仕切りもなく隣り合わせに並んでいる。子供が選んだのは見事なアダルトビデオ。知っててやってるんなら将来大物だよ、おまえ。苦笑いしながら諭す父親、とうとう大声で怒り出した母親、おっぱいがどうのこうのとごねる子供。さらなる大騒ぎに発展。微笑ましくも、やかましく、ええい頼むから外でやってくれ。
2002.02.05
冗談抜きに床が抜けそうなのでDDRの足踏みコントローラ撤去。安普請なことよ。

本名にかすりもしない渾名は冷静に考えるとえらい意味だったりする。こういうのは小さいころに子供らしい率直さで名付けられてしまったものがそのまま引き継がれていることが多い。無邪気な素直さは虚飾がないだけに残酷だ。大人が知らん人間からベンキとかゲロとかゲバ(いずれも高校時代の友人の渾名である)とか呼ばれたら喧嘩になると思う。そういえば、結婚式の2次会で招待客のフルネームを思い出せずに、とうとう渾名のまま名簿に載せたこともあった。「ハゲ(旧姓なんとか)」。これが妙齢の女性だったりするから油断ならん。
2002.02.04
いきなり家庭内DDRブーム到来す。床を踏み抜く日も近い。

中学の時の友人が自作パソコンを作っていた。もう20年も前のことである。初めて聞いたときはTK-80でも作る気かと思ったが、どうもそうではなく、自分で回路から設計するつもりだったようだ。中学卒業までには完成させてみせると息巻いていたが、高校になっても出来たと云うハナシは聞かなかったので遂に完成はしなかったのだろう。ワシがコンピュータの動作原理を理解したのは大学になってからのことなので、彼がどの程度のコンピュータを自作しようとしていたのかはともかく、大したものだと思う。そんな彼だが、近所の池田珍味という乾物屋の息子に似ているというだけの理由で「イケチン」と呼ばれていた。本名にかすりもしない渾名である。しかし何で珍味屋。
2002.02.03
瑞巌寺が元々天台宗というのは初耳であった。現在は臨済宗。

それはそうと第24回松島牡蠣祭りです。牡蠣雑炊おいしゅうございました。牡蠣の殻焼きおいしゅうございました。3回も並んでしまいました。牡蠣鍋おいしゅうございました。海鮮焼きは冷めてました。冷めたサザエはエラく固かったです。牡蠣のフリッターは旨くなかったです。牡蠣メシおいしゅうございました。牡蠣汁おいしゅうございました。牡蠣蕎麦はボリューム有り過ぎで、もう何も喰えなくなりました。ちなみに来週は広島の宮島でも牡蠣祭りがあるようです。日本三景がらみで対抗意識を燃やしている天橋立は牡蠣の産地ではないので、なんだかよく分からないイベントをやるらしいです。おわり。
2002.02.02
1年振りの仙台。10年振りの長町南。20年振りの瑞鳳殿。

仙台地下鉄長町南駅前がとんでもなく拓けていて魂消る。駅前の工場がそっくり巨大なデパートに化けていた。学生時代に世話になったラーメン屋や鹿野セブンイレブンは消滅。そのくせワシが住んでいた有朋寮はしぶとく残っていた。その荒れっぷりに予想通りの反応をしてもらって、満足でもあり悲しくもあり。しかし我ながらよくこんなあばら屋に住んでいたものだ。初めて寮を見たときは、あまりのボロさに無意識のうちに廃屋と思いこみ、そこが寮であることをしばらく認識できなかったくらいである。一応学生が住んでいるようだが、遠からず東大駒場寮のように強制執行で取り壊されることになるのだろう。まあ、その前に自然倒壊しても不思議ではないが。なにせ危険構造物の指定を受けているとのウワサもあったくらいだし。
2002.02.01
また風呂で寝てた。

仙台の温泉を調べて見つかった温泉になんか聞き覚えがあると思ったら昔棲んでいたアパートの目の前にあった旅館であった。元仙台市民の観光案内に過度の期待をかけられており、どうしようかと思案中だったりする。松島で五大堂や瑞巌寺を見る。瑞鳳殿を見る。秋保温泉まで足を伸ばす。牛タンを喰う。水時計前で待ち合わせる。国分町で呑む。研究室の行き付けの呑み屋の教授の名前のボトルを勝手に呑む。天下一品ラーメンを喰う。研究室で麻雀をする。研究室のソファで寝る。いつの間にか学生時代の行動パタンになってしまった。
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