雑記 【雑記topへ】
2001.07.31
業者が部屋の前の原っぱを刈ってから一月が経過した。あまりにも派手に成長したので記念に写真まで撮ってしまった雑草の根元のあたりから、見覚えのある葉っぱがものすごい勢いで成長している。先週、気が付いた時はまだ地べたに広がる葉っぱだけだったのが、すでに50cmくらいの高さまで成長している。全く雑草はしぶとい。
2001.07.30
最近、妙なメイルが来ると思えば、どうやらウイルスの影響らしい。SirCam。このウイルスはメイル周りの制御をのっとり、My Document配下の任意の文書を添付ファイルとして、アドレス帳の任意のあて先に勝手に送付するらしい。この添付ファイルにウイルスが取り付いているため、ファイルを開くと文書が立ち上がりつつ、裏で感染する。ちょっと解析してみたところ、添付ファイルの先頭217FFhがウイルスのバイナリで、その後ろに文書が連なる。添付ファイルは*.lnkとか*.batというWIN上で実行に関連付けられている拡張子に偽装しているため、ファイルを開くといきなりプログラムとして実行される。ここでシステムを汚染し、自分自身をシステム内にコピーすると、バイナリコードを消し去り、いかにも通常の文書のようなふりをしてWordを立ち上げる、といった仕組みらしい。巧妙だこと。つーことで、My Document配下に恥ずかしいWordファイルを置いている人間は要注意か。
今日までに受け取った文書。どこぞの会社の資材注文フォーム。某商工会の会議開催周知。某商工会の議事録。
2001.07.29
千と千尋の神隠し、鑑賞す。鑑賞中に思ったコト。竹本テツ。紅。阿修羅湯。真名。鷲っ鼻ドーラ。チャダ。スス渡り。あびゅうきょ。白竜。ナーガ。呪詛返し。チェンジリング。銀河鉄道。竜宮城。
2001.07.28
#17/27 東武日光(東武)
#18/27 土合(JR)
カミさん側の慶事につき、ワシは置き去り。公認で放浪500km。
2001.07.27
#16/27 多摩センター(多摩モノレール)
そういえば、TDLの駅前のモノレールが今日開業したようだ。最寄り駅の舞浜駅と物理的に接続しておらず、完全に独立した路線なのだが、一応パスネットが使えるらしい。なんでも参議院選のドンパチのさなか、運輸大臣御自らが開業式典に参じたとか。
2001.07.26
実はこの間やってきたカミさんの友人が、ワシ個人に土産をもってきてくれていた。まあ貸与であるが。以前ワシがぐちゃぐちゃにしてしまったルービックリベンジである。
リベンジ、つーことで、その手のサイトを見て思案投げ首で1時間ばかりいじり倒す。4=(1+2+1)であることに気が付いて、センターとエッジを2個ずつまとめて動かせば、ルービックキューブの解法に還元できることを知る。ルービックキューブなら手が解法を覚えているので、あとは簡単であった。しかし、久しぶりに頭使ったわ。
なお、調べたところ、4^3のリベンジの上に5^3というルービックプロフェッショナル、というものも存在するらしい。6^3の写真も見つけて、こんなのもあるのかぁ、と驚いていたら、実はルービックキューブを8つ積み上げた冗談写真であった。わはは。
ちなみに、HUDSONはそのテの人間には有名な機関車の名前である。C62萌えー。
2001.07.25
朝、踏み切りの遮断棒に思い切り突っ込まれている車を見かける。突っ込んだのは寧ろ車のほうなのだが。
2001.07.24
ついに情処がウェブページから申し込めるようになったらしいので、申し込む。ありがたいことに合否もメイルで伝えてくれるようになっていた。これで、受験番号を忘れたから合否が分からん、などといういい訳が使えなくなるわけである。
2001.07.23
週明け早々、週末の出勤が他律的に決定していた。では、この切符はどうなるのだ。くそ。
TR4。圧死x14、犬、転落死x2。遂にラス面到達。
2001.07.22
銀座に出掛ける。暑いので昼飯はかき氷。晩飯は素麺。なのに夏痩せの気配なし。
TR4。転落死x5、落石。
2001.07.21
海外にはサプライズパーティという風習がある。パーティの主役にパーティの準備を悟られないようにして主役を驚かす、というもの。
カミさんの友人が2人遊びに来る。女同士ごゆっくり、と呑気に構えていた。そこにワシの友人から電話。実は、カミさんの友人とワシの友人が示し合わせて計4人で遊びに来る。ということが我が家に伝わっていない事が友人到着40分前に判明。驚いた。靴の匂いにオドイーター。パーティのホストが驚くのもサプライズパーティか。
つーことで、ブリテン土産配布など行う。たいしたことない土産で済まぬ。実は帰国後に土産の数を数えてみたら親戚など配るには員数があわんことが判明して、慌てて海外通販で土産を追加購入しているくらいなのだ。もっと派手に買ってくるんだったなあ。
TR4。棘x5、転落死x2。
2001.07.20
今年の海の日も仕事。
#15/27 西武秩父(西武)
今日は日本のマックの30歳の誕生日らしい。日本第1号店舗は世界的には1800号でしかないとか。当時の素ハンバーガーは80円で、平日に限れば今(65円)より高かったことになる。
TR4。転落死x4。
2001.07.19
FFX発売。なんとなく購入するも、年内に解き終わる気がまったくしない。というか、解き終われる気がしない。いよいよ宮下病も重篤か。とりあえず開封してOPを見てみた。これ、ムービーじゃないのか・・・。

※ 宮下病・・・ある人間が、買うゲーム買うゲームを途中で放り出し、ほとんど解き終わらないことから、ゲームを解き終われない症状をこう呼ぶ。一部でのみ通用。
2001.07.18
このクソ暑いさなかに風呂抜きは色々問題があるので、銭湯に行くか。ところが夕刻、再び何事も無かったかのようにガスが使えるようになったらしい。どういうことですか。こう不定愁訴ではオチオチ風呂にも浸かれんので、ガス屋を呼んで原因究明を図るべし。ということでガス屋にボイラーをオーバーホールしてもらうことにする。ボイラーが暴走したら弟切草だ。
2001.07.17
仕事はいきなり山積みで、今年も海の日は仕事になりそうな塩梅。
風呂再び不調。夕べは普通に使えた。もちろん元栓なんぞいじっていない。何故だ。というか、このクソ暑い日に風呂に入れん、と云うのは拷問だぞ。ヤケクソで水風呂を浴びる。明日は銭湯か。
2001.07.16
休み。時差修正のため、一日寝て過ごす。
TR4。転落死x3。
2001.07.15
留守中のメイル、113通。留守中のi-modeメイル、50通。読むべきメイルは10通。そういえば時間がなくて結局SPAMは探せんかった。ハロッズでSPAM買おうとするのもどうかと思うが。
時差のせいでやたら眠い。やたら暑いのは時差とは関係ないと思われ。いつの間に梅雨明けしたのやら。
2001.07.14
帰ってきたので更新再開。空白の時間は適当に補完予定。
#13/27 成田空港(京成)
#14/27 成田空港(JR)
時差のおかげでやたら一日が短い。
2001.07.13
13日の金曜日に0x20歳に。
推定41000hit。

とうとう今日が帰着日である。5泊したホテルをチェックアウトする。飛行機は夜なので、日帰りでCambridgeを目指す。
Cambridgeは世界に名立たるCambridge大学を擁する学園都市。ノーベル賞受賞者を多数輩出していることでも有名。適度に田舎で適度に観光できる街らしい。Kings cross駅から特急電車で45分の道のりである。Cambridge駅は市街地からかなり離れた場所にあり、駅前はそんなに栄えていない。タクシーで市街地の旅行者向け案内所へと向かう。ここでまたも俄か大雨。さっきまで陽がさしていたのにである。案内所に着いたものの、まだ開店前。強まる雨を避けて入り口の軒下で震える。
案内所で観光地図をもらって歩き出す。通りを一つ抜けるとそこがKings college。Cambridge大学は30幾つからなる大学施設の集合体であり、この建物はその一つにして、最も有名なものだとか。写真でも撮っとくか。ところが更に雨足が強くなってきた。傘無しではどうにもならないほど。大学向かいの土産物屋に逃げ込む。
雨があがると、急ぎ足でQueens college、Trinity collegeとハシゴ。このあたりを流れるクム川ぞいに大学がポコポコと立ち並んでいるので、軽く辺りを散歩しただけで幾らでも大学を幾つも見学できてしまう。建物は相変わらず古めかしく立派だが、Londonほど建物が建てこんでもおらずスケールも大きくなくて、わりとのんびり。
クム川といえば、櫂を使って川を舟で下る遊び、パンティングが有名である。案内所で舟遊びがやってみたい、といったら紹介してくれた場所に行ってみた。が、どうも、舟に船頭がいるわけではなく、漕ぐのは自分であるらしい。見た目、流れも緩やかな小川であるが、ひっくり返って川に嵌ったら堪らんので、乗るのは断念する。船乗りの練習するほどの時間もない。かわりに川沿いをタラタラ散歩しながら、どこぞの学生達がキャイキャイと大騒ぎしながら船を操るのを眺めていた。
さて、そろそろ時間である。これでイギリス観光はすべておしまい、である。名残惜しいが帰ることにする。ここから駅まではおよそ2km。タクシーを拾って帰る予定だった。のだが・・・。Kings collegeの前でしばらく立っていたが一向にタクシーが通らない。しょうがないので地元の人にタクシーどこで拾えますか、と聞いてその場所に行ってみたけど、これも来ない。はて。
結局タクシーを捕まえることは出来ず、泣きそうになりながら駅まで徒歩で帰ったのであった。最終日でかなり疲れているところに、電車の時間に追われて急いで歩いたため、険悪な雰囲気が漂ったり。
Kings cross駅から地下鉄でホテルに戻る。Cambridgeからの帰りの電車を1本ずらしたので、時間の余裕がほとんどなくなってしまった。ホテルの近くのマックで15分ほど慌しく休んで、荷物を整えロビーで旅行代理店のバスを待つ。夕方の渋滞に巻き込まれたりもしたが、時間通りイギリスを19:15に発つ。疲れのせいか、機内はほどんど寝倒して気がつけば昼の成田であった。
2001.07.12
続いてロンドン観光。一発目はBaker Street駅近くのMadame Tussaud蝋人形館。ところでBaker Streetといえば221b番地。駅前にはホームズの銅像があって、ホームズの格好をした探偵がホームズ記念館のチラシを配っているのであった。御目当ての蝋人形はリアル過ぎて気持ち悪いくらいであった。
お次はLondon Tower。ここで処刑された人間は多く、何百年に渡って幽霊譚が絶えないという。傍らにはTower Bridgeが聳える。聳える、と呼ぶしかない大きさの塔を持つ橋である。カメラに収まりきらん。London Towerはロンドン随一の観光名所で、入り口には呆れるくらいの行列ができている。並ぶ気がしないので、土産にガイドブックなどを買って、塔の外堀をぐるりと一周散歩してとっとと退散する。今度はタクシーでBritish Museumへ向かう。タクシーに乗るや、スコールのような激しいにわか雨が降り出す。今回の旅行は傘をもってきていなかったので助かった。
British Museumは大英帝国が略奪の限りを尽くした成果の博物館。本場より展示が充実しており、例えばエジプトものはカイロ博物館より充実しているとか。展示物は無数にあり、通路を歩くだけで1日、まともに見学しようものなら1週間はかかると云われる。しかも保有物のごくごく一部しか陳列されていないという。古代エジプトと古代インドの展示室(これだけで10部屋くらいある)を軽く流しただけで3時間もかかってしまった。疲れた。
夕方、再びBurberryとHarrodsで買い物。Harrodsと云えばクマ。(゚Д゚)クマー
2001.07.11
ロンドン観光の日。まずはホテル前のHigh Street Kenginton駅からCircle LineでWestminster駅を目指す。ようやく地下鉄の仕組みがわかったので、もう間違えない。駅を出るとそこは父なるテムズの流れ。夏目漱石が倫敦塔で述べた通り濁った流れだ。川上には民謡でおなじみのLondon橋が見える。ここがBig Benで有名な国会議事堂の前になる。Big Benは高さ92m。建物の内部には1000の部屋があるという。これもデカい。イギリス人は巨人族か。何か知らんが無茶苦茶風が強い。
次は国会議事堂から程近いWestminster Abbeyを目指す。さすがにヘルシングの国だけあってそこらへん宗教施設だらけである。これもデカい。イギリス歴代の王の即位式はここでやるのだとか。結構混んでいるうえ、次に行くBakingham Palaceの衛兵交代式がどうしても見たいと云うので、中の見学は省略する。
Westminster Abbeyから通りを西に向かう。このあたりは日本なら丸ノ内に相当する場所で、あたりば延々とビジネス街が続く。とはいえ立ち並ぶのは古めかしい石造りの建物であるあたり、歴史を偲ばせる。通りを一本ずれるとかなり広い公園があり、これを横切るとBakingham Palaceである。警官が公園内を馬に乗って警邏していたりする。衛兵交代式まではまだ1時間あるのだが、すでにBakingham Palaceの前のQueen's Squareは結構混雑している。あいかわらず日本人は殆ど見かけない。乱立するビデオカメラは軒並みSONYだったりするが。鋼鉄の柵の向こうには赤の上着、黒の独特な帽子の衛兵が真面目な顔で直立不動で宮殿の入り口に4人立っている。たまに芝居掛かった所作でもって歩哨をしている。そのうち同じ格好の衛兵が建物の奥からゾロゾロ出てきて、音楽演奏したり整列したり行軍したりなんやかんやして1時間近く掛かって衛兵交代式。なげーよ。
その後、Thomas PinkとFortnum MasonとBurberryとHarrodsをハシゴ。Fortnum Masonでアフタヌーンティ。間隙を縫って、Natural Historial Museum。晩飯はFish&Chips。
2001.07.10
慌しいことにEdinbrughは今日で終わり。こんな面白い街ならもっと滞在すべきだったと悔いたりもするが、そういうツアーなのでどうにもならない。午後にはLondonに引き返すことになる。朝食をすまし、ホテルを出る。なお、この日の朝食は旅行中唯一イングリッシュブレックファーストでなかった。スコティッシュブレックファーストと云うらしい。恐れ入ることにイングリッシュブレックファーストは5回とも全く寸分違わぬメニューであり、これではイギリス人が忍耐強いものうなづけるというものであった。
店が開く時間まで街の外れにあるCarlton Hillという丘でのんびりする。ところが驟雨にたたられる。特に建物もない丘の天辺なので、雨宿りする場所がなくて往生する。丘の麓のデパートに逃げ込んだが、雨は10分ほどであがり、そのうち日が差してくる始末。いつもこんな天気らしい。地元の人々は少々の雨には全く動ぜずに傘もささずに平然と歩いていたりする。
その後、スコッチウイスキーとキルトの店で土産を買って、ハギスとチーズの店を眺めているうち、気がつけば電車の時間であった。日本には無くなってしまったBurger Kingでワッパーを買って、電車に乗りこむ。乗り込もうとした。Edinbrugh駅は19番ホームまであるこれもデカい駅なのだが、Londonからの列車は19番、London行きの列車は1番線という豪快な作りをしており、乗り場を間違えてエライ目にあう。そもそもEdinbrugh駅自体が街で一番低い場所にあってトランク引きずって階段上り下りするだけでかなり難儀なのだ。おまけに帰りも電車はしっかり1時間止まりやがった。やっぱり牛か?
2001.07.09
Edinbrughへの移動日。Kings cross駅を8:00出発。Kings cross駅は北方面へのターミナル駅で、性格的に上野駅みたいなものであるが、これまたデカくて呆れる。この国の建物はすべからくデカい。乗った列車はGNER(Great North East Rail。イギリスの国鉄は民営分割されて25ほどの私鉄となっている。その一つ)のFlying scotsmanという特急。Londonを出て30分もするとあたりはひたすら原野と羊と牛しか見えない田園地帯。道中、車窓から見た民家より羊の数の方が絶対多いと思える風景が続く。列車は軽快にすっ飛ばして行く。目的地までは600km以上あるのだが、これを4時間半で走る。新幹線に匹敵する速さである。まあ、Edinbrugh手前でしっかり1時間の足留めを喰らったけど(原因はアナウンスを聞き取れず不明。線路に牛でも寝てたか?)。なおガイドによると、この国の鉄道のダイヤはアテにならんとのこと。
Edinbrughのbrughは城塞を意味するゲール語で、EdinbrughはEdinbrugh castleを中心とした城下町である。RPGに出てくる城下町のイメージそのままの町である。街の中心地の高台に街を見下ろす形でEdinbrugh Castleが聳え、そのまわりには教会やパブや商店が並び立つ。歴史を感じさせる恐ろしく古びた建物は風景に馴染み、とても現代の街とは思えない。街はアップダウンが激しく、街のあちこちに立体交差の道路がある。大通りに面する建物の片隅にCloseとよばれる抜け道が口を開けており、これが意外な場所に通じており、街中を散策するだけで十分楽しい。街を散策し、教会と城を見学して、土産物屋を数軒覗いたところで夜になる。この時期のこの国は日没時間が20:00を過ぎるため、時間の感覚が非常に混乱する。まだ明るいうちに晩飯を喰って、ギネスで酔っ払う。スコットランド名物のハギスは意外とイケた。
2001.07.08
Bath観光の日。あらかじめ日本で申し込んでおいた日帰りバスツアーである。Bathは風呂の意であるが、その語源となった古代の湯治場でもある。出発地のVictoria Coach Stationに9:00集合。ホテル最寄駅High Street Kengintonからは地下鉄Circle Lineで30分ほどの予定であるが、いきなり電車を間違う。あとで判明するのだが、London地下鉄は同じホームに違う路線の列車(同じ路線でも分岐が多いため行き先が違ったりする)がやってくるため、行き先案内をしっかり見ていないとハマるのであった。そんなわけでCircle LineのつもりでDistrict Lineに乗って違う駅に連れていかれる。半ばパニックになりながらも行ったり来たりバタバタしながらなんとか時間通りに集合場所に到着。Coach Stationはバスターミナルのことであった。ところで集合場所でも全然日本人を見かけん。申し込んだのが日本語のサイトだったので全くそんなことは考えていなかったが、実は申し込んだツアーは現地向けツアー。バスに乗りこんでみれば、車内に東洋人は我々2人きりで、ガイドは英語。勘弁してくれ。
BathはLondonから高速で2時間あまり。集合時間とかを聞き逃したら適わんと英語のガイドに耳を傾ける。気が抜けん。おかげでLondonの歴史に詳しくなってしまった。結局、集合時間なんかは目的地でバスを降りるときに教えてもらえるのであった。Bathの目玉のBath Roman Museumへ行く。ローマ時代というから2000年前の銭湯の跡地である。さすがに入浴はできない。25mプールほどもある野外浴場を2階建ての回廊がぐるりを取り囲んでいる。かつてはこれらの建物をすっぽりと覆い隠す石造りのドームが建っていたという。スケールのデカさに眩暈がする。この史跡以外にも数百年前の建物、などがそこらじゅうに目白押しでその内にいちいち驚いていられなくなったくらいである。このMuseumの売店では石鹸が山ほど売られていた。温泉饅頭はなかった。
Bathの次はStonehengeに向かう。今から4000年に建てられたという謎の環状巨石群である。1000年ほどかけて複数の文明により建設されたらしい。神殿だの寺院だの天文観測所だの諸説あるらしいが、詳細は不明。あたりは見渡す限り民家一つない原野の真っ只中。入場料を払って石に近寄るのだが、そんなことしなくても近くの道路から丸見えの場所にある。近年までは石を触れたらしいが、遊歩道から眺めるのみだった。これまたデカい。
Londonに戻った後は、パブで晩飯を喰おうと思ったのだが、適当の入った店は夜は酒しか出ない店であった。
2001.07.07
7:00起床。
12:00成田発。
23:00(現地時間15:00)London Heathow Airport着。
26:00(18:00)ホテル。
27:00(19:00)外出、3kmほど歩く(まだバスの乗り方を知らない)。
30:00(22:00)晩飯。
32:00(24:00)就寝。なんとも長い1日である。
はじめて見るLondonの町並みは、煤けて黒ずんだ石造りの建物がどこまでも延々と連なり見飽きない。移動中の車窓から街の風景に半ば呆けて魅入っていた。
2001.07.06
一週間の休みの辻褄あわせですったもんだ。
2001.07.05
レイモンド・E・フィースト「フェアリー・テール(下)」読了。
絵描く。
2001.07.04
散髪。数年来通っていた独身寮の目の前の床屋は引っ越したらさすがに遠くなってしまった。池袋駅構内の所要時間10分で1000円というのがウリの床屋に行ってみる。剃毛、洗髪を省略してあっという間に刈り終わる。単に切るだけなら、これでもいいな。
2001.07.03
今月から始まった第8期トレダビはいきなり絶不調で、118200位/118500人という惨憺たる成績。いっそ最下位でも狙うか。
レイモンド・E・フィースト「フェアリー・テール(上)」読了。
2001.07.02
そういえば、4年ほど休止していた南部縦貫鉄道(野辺地〜七戸)がとうとう先日の株主総会で正式に廃止を決定したらしい。南部縦貫、の名が示す通り、南部地方を縦貫する計画だったらしい。末期は、七戸に新幹線駅が出来ることに一縷の望みを託していたが、遂に休止から復活をすることはなかった。いまだかつて経営不振による休止から復活した鉄道は無い、というジンクスは破れなかったようだ。合掌。
2001.07.01
部屋の目の前の林に常駐している烏がやかましい。烏も暑いのか知らんが、鬱陶しいことこの上ない。しかも午前4時ころからギャーギャーである。散弾銃でもぶっ放したくなるほど、心地よい目覚めの毎日。うがー。
TR4。射殺、転落死x2。最終ステージ、エジプト篇突入。
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