計算機たち 【私記Topへ】
過去にいじった計算機たち。赤は引退済み。
APC380R1
(AFINA PC)
【縁起】2001.5購入。
【逸話】悪名高いSOTEC製のせいか、妙にクセのあるマシンで、飼い馴らすのに苦労する。現在進行形で苦労中。
【末路】現役。しばらくリプレースの予定はない。
CLIE
(PEG-S700)
【縁起】2001.4 購入。
【逸話】sony製palmOS搭載PDA、その弐。今度は液晶見やすい。
【末路】とりあえずいつでも携帯。音楽再生機としてだが。
CLIE
(PEG-S500)
【縁起】2000.9 購入。
【逸話】sony製palmOS搭載PDA。液晶見づらいッス。ジョグシャトルのAPIが分からん。
【末路】2001.5 ヤフオクで叩き売る。
自作 VII世代目
(K6-2-350)
【縁起】2000.1 購入。
【逸話】いまごろK6-2というのも何なのだが、HDD交換のついでに安かったので買う。
【末路】2001.4 筐体のデカさが不評を買い、引退。パーツにバラしてヤフオク行き。
Mobile Gear
for DoCoMo
【縁起】1999.8 購入。
【逸話】小さいマシン欲しい病。現時点での最適解。おそらくしばらく最適解であり続ける。すでに市場から消えたマシンだったが、PocketBSDやりたさに、あやしげなインターネット通販を利用して入手。PocketBSDは非常に具合がいい。Unix使いなら買え。旅行の帰路に放浪記を打ったり、出先でページ更新したりと非常に便利。
【末路】2001.3 ヤフオクで叩き売る。
Ruputer
MP110GM
【縁起】1999.6 購入。
【逸話】ヨドバシ開店セールにて衝動買い。
【末路】1999.10 案の定、全く使わないのでfj経由で売却。
Mebious
PC-335
【縁起】1998.8 購入。
【逸話】fj.fleamarket.compを利用。B4ノート(4kg)、P5-90、SVGA、64M、800M、CDROMで70k。
【末路】ずいぶん前から弟がJRAの電話投票なんとかを当てたのでなんかパソコン呉れ呉れとせがまれていたので実家に置いてきた。
MobioNX 【縁起】1998.8 購入。
【逸話】小さいマシン欲しい病。mobioのSTNモデルが値崩れを起こしているとの情報に秋葉を探すが手後れ。入手困難と知るや、確固たる目的がある訳でもないのに無性に欲しくなる。TWOTOPの通販ページの特売を見て、ノータイムで注文。はじめてのインターネット通販。
【末路】2001.3 ヤフオクで叩き売る。
自作 VI世代目
(K6-233)
【縁起】1998.4 購入。
【逸話】先代のマザー焼失をうけて購入。マザーはSP97-V。目下83x3で250MHz駆動中。このころのCPU相場はアズキ相場より先が見えずにいつなにを買うかに悩んだ。いや、悩むだけで、高くても結局買うんだけど。
1998.11 ようやく3Dなビデオカードも買う。
1999.4 なんか動作が不安定になってきたので定格の233MHzに戻す。
【末路】2000.1 CPUだけfj経由で売り飛ばす。秋葉の中古屋にもちこむべきだったと後悔。
自作 V世代目
(MediaGX-180)
【縁起】1998.2 購入。
【逸話】それまでのP5-90マシンの不調を受けて、半ば冗談で買う。緊急中継ぎとして仕立てたので、当初からパフォーマンスは度外視、安さだけで選ぶ。こいつを買ったA-Masterはもう無い。栄枯盛衰諸行無常五月三日無用長物。
【末路】1998.4 ボード増設作業中の事故により爆発(嘘)炎上(本当、電源の切り忘れ)。廃棄処分。わずか2ヶ月の短命内閣。南無。
PalmPilot Pro 【縁起】1997.8 購入。
【逸話】それまで愛用していた電子手帳RX-20の紛失により購入。素直にザウルスにしないあたり天の邪鬼である。小さいマシン欲しい病に対する当時の最適解。いくつかあるPalm系mlでは熱心な人々が日夜新たなソフトの開発に盛り上がっているが、最近の私のPalmには自作のテストプログラム以外の新しいソフトはインストールされていなかったりする。
1999.5 ナからPalmIIIを借用するが、死蔵。1999.10 返却。
【末路】2000.9 後継機CLIE購入により引退、死蔵。
2001.2 引越しのついでにヤフオクで売却。
VW-200 【縁起】1996.9 購入。
【逸話】2代目ChipCard。小さいマシン欲しい病の一環。一応コーディングもできるものの、あまりにもプリミティブすぎて使いこなせず。電池交換も面倒だったし。結局ゲーム1本作ったっきり。
【末路】1999.11 fj経由で手放す。
Libretto20
(後に30)
【縁起】1996.5 購入。
【逸話】小さいマシン欲しい病発病。発売直後にとびつく。支払いにはFMVの売却益を充当。これを期に部屋にLANを引く。しばらくは旅行携帯用マシンとして活躍。自転車で房総半島を一周したときの地図もこいつであった。その後、純正バージョンアップサービスで30相当に育つが、やはり力不足。
【末路】mobio購入後、なんとなくFreeBSD2.2.6のPAOをインストール。
1999.8 PocketBSDがあるから、要らん。fj経由で売却。
自作 IV世代目
(P5-90)
【縁起】1996.3 購入。
【逸話】秋葉のいつものショップで売ってた。店長「P5-75って広告してるけど、実はこの中に3つだけ当たりのP5-90入ってるよ」ワシ「当たり呉れ」卑怯な常連も居たものである。もちろんその店に入るまでPC一式を買うつもりは毛頭なかった。CPU、マザー、ビデオカード、ケース、電源をカートにくくりつけて根性で持ち帰り、駅の階段で死にそうになる。当初120MHzにクロックアップして使っていたが、夏になって熱暴走多発。おとなしく100MHzで。
【末路】ある日調子が悪くなったので引退。多分不調なのはマザーだけだろうが、未確認。おそらくそのうち燃えないゴミ行き。
2000.3 部屋のガラクタ一式と一緒に下取りに出したら、CPU/MBとも一応有価で引き取ってもらえた。
FMV-BIBLO-5133 【縁起】1996.1 購入。
【逸話】職場でFMVを1000台ほど納入するのに相乗りさせてもらう。市価の7割ほどだった。ちなみに購入の意志決定までの時間は15秒(笑)。何も考えずに注文したので、資金調達に困る。結局、弟の有馬馬券で充当。
【末路】1996.3 全く使わずに友人に転売。転売差益は黒PSに。
自作 III世代目
(5x86-100)
【縁起】1995.12 購入。
【逸話】ASCIIの記事につられ、衝動的にVL/I486SV2GX4とまとめて購入。120MHzにクロップアップして使用していたが、クロックアップは初体験でけっこうビクビクしていた。
【末路】1996.7 に友人の結婚祝いでこいつで組んだマシンを3万円で納入するが、そのうち出戻る。FreeBSDマシンとすべく組み立てるが、組み立て途中で2年以上放置。
1999.10 メモリとビデオカードとセットで半ば冗談でfjで売ります、と云ったらホントに売れて驚き桃の木ブリキに狸。
自作 II世代目
(486DX2)
【縁起】1995.7 購入。
【逸話】ASCII DOS/V ISSUE の創刊号についてきたGhost in the Shellの予告aviを快適に見たいが為だけにCPUを換装。
【末路】下取り10円。
自作 I世代目
(486SX33)
【縁起】1995.4 起動。
【逸話】秋葉の某ショップの友人から3000円で受け取ったパーツを核としたマシン。そのパーツでPCを組み上げると、AT修羅道に引きずり込まれて、パーツを換装しまくり、気付けば最初のパーツ一式は余剰パーツとなって再び誰かを陥れるために貰われていくのだとか。曰く呪いのパーツなのだそうだ。見事に引きずり込まれる。ケースとキーボードとモニタとFDDはこのときから替わらず。
【末路】売っぱらう。CPUは300円、MBは10円だった。
PC-486NAUX 【縁起】1994.7 購入。
【逸話】PC-286のキーボードが壊れたので購入。重さ3kgもあるゴツいノートなのだけど、調子に乗って持ち歩きまくる。勢い余って研修センターの計算機室にウイルスをバラまく(笑)。
【末路】デジカメ画像整理用マシンとして現役。
1999.8 壊す。引退。
2001.2 引越しのついでに叩き売る。
PC-286VG 【縁起】1990.10 購入。
【逸話】夏休みに2つのバイトを掛け持ちして買う。大学の後半の閑をすべてささげたゲーム機兼通信機。本体を買ってすぐに、モデム(1200bps)、メモリ(2M)、HDD(40M)を買う、ちなみに当時はこの3点で10万円也。パソコン通信に激しく嵌り、よせばいいのにCGを描いてネットに公開することを覚えて若気の至りを増やす。このページの扉絵はほとんどこの時のCGである。ちなみにこいつが第一号。草の根BBSのCGボードのSIGなんぞも。CG描きが嵩じてPASCALを覚えて画像処理のプログラム書きに精を出す。ブレンゼンハムとかラプラシアンとか結構真面目に勉強もしたが、ポリゴンの行列演算の前に屈する。大学院に進んでからはUnixに嵌り、ほとんど触らなくなる。
【末路】モデム、HDD、本体、モニタとそれぞれ後輩に貰われていった。
PC-8801MA 【縁起】1988.7 購入。
【逸話】「このパソコンはあら不思議、これで私も作曲家」と斎藤由貴がCMをやっていたマシン。知らんか。注文した翌日に一段と安くなった後継機PC-8801MA2が発表されあえぐ。大学前半の閑をすべてささげたゲーム機。SORCERIANに嵌って内部解析に心血を注ぐ。おかげで、Z80のコードを16進のままで理解できるようになる。コピープロテクト技術も覚える。相変わらずゲームミュージックのMMLは打ち込みまくる。
【末路】286に乗り換えるときに、叩き売る。2万くらいになったような気がする。
PC-6601 【縁起】1985.4 購入。
【逸話】PC-6001系としてPC-6001mk2だのPC-6601だのPC-6601SRだの色々出ていたが、フロッピーにつられて血迷う。高校時代の3年間でキーボードがイカれるくらい使い倒す。ゲームミュージックに嵌り、100曲くらいMMLで打ち込む。320x200x4しかない狭い画面でCGもやった。当時はマウスなんてなかったから、方眼紙に描いた絵から目で座標を拾って、Lineで描いて、Paintで塗るのだ。買ったソフトは、ポートピア連続殺人事件、デゼニランド、サラダの国のトマト姫、野球狂くらいで、あとはひたすらベーマガやI/Oのリストを打ち込んでいた。しゃべる陳さん麻雀(I/O掲載)は32kほどあったマシン語ダンプを1月がかりで打った。そういう時代だったのだ。
【末路】高校卒業以来、しばらく実家に死蔵してあったが、数年前親が勝手に近所の子供に呉れてやったらしい。よりによってそんな骨董品、と思ったが存外喜ばれたらしい。信じられん。
前史 初めてパソコンに触れたのは、小6。PC-8001。痺れた。小学生が欲しがるにはとんでもなく高価なおもちゃたっだので、当然しばらくは買い与えられることもなく、仕方なく近くの電気屋の店頭のデモ機を日参していじり倒す。が、ついには、電気屋から学校に苦情が入る(笑)。
主にいじり倒したマシン。PC-8001 PC-8001mkIISR PC-8801 PC-9801 X1 JR-100 JR-200 MZ-80B MZ-1200 PB-100など。全部近くの電器屋の店頭展示品だったりするところがアレだが。
そういえば、他人のPB-100を使ってCASIOのプログラムコンテストに申し込んだら、入選したこともあった。原稿料はカード型ラジオだった。

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