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放浪記
その無軌道な足跡の数々


2001.05.14 小樽交通記念館と手宮線

1994.03.22に小樽を訪ねた。

大学最後の放浪は北海道。真冬日の吹雪の日に旭川の近くにある旧神居古潭駅跡を訪れて遭難しかけたりもしたが、廃線歩きにはまだ目覚めていない頃の話。函館、札幌、稚内、旭川、網走、釧路、根室、小樽と適当にフラフラ1週間ばかり道内をうろついた。流氷を肉眼で見たかったのだが、結局見れず終い。そして最後に立ち寄った街が小樽であった。折角なので丸1日を観光に費やした憶えがある。ヤロー一人でオルゴール館だのガラス工房に行ったりしてそこそこ満喫したのだが、小樽交通記念館には行けなかった。改装工事の最中で入れなかったのだ。爾来数年。いずれ行ってやる、と執念深く思っていたので、行く。仕事は午後からなので、午前中に戻ってくれば大丈夫。

小樽9:08。今日も暑い。平日なのだが、駅前にはガイドブック片手の観光客が結構多い。スーツ姿の浮くこと。

小樽と云えば、運河だのガラス細工だの石原裕次郎だので、すっかり観光名所化しているが、古くは北海道の入り口であった。北海道に初めて鉄道が敷かれたのは明治13年。小樽と札幌を結んだ幌内鉄道、後の手宮線である。小樽港にはかつて巨大な桟橋があり、そこに陸揚げされた貨物は列車に乗せられて道内に散っていったのだという。時代は移り、現在、桟橋は撤去され、手宮線も廃止されている。桟橋はかすかに海面に橋脚跡が見えるのみで、まったく痕跡を留めていない。桟橋に連なる手宮駅はそのまま小樽交通記念館となり、その広大なヤードは公園に整備されており、多くの列車が静態保存されている。この手宮線の廃止は昭和60年。廃止からすでに15年以上たっているが、驚くべきことに手宮線はレールがほとんどそのまま放置されている。レールが残っている廃線は全国的にもかなり珍しい。なんでも小樽市がJR北海道から手宮線跡を一部買い上げ、いずれ公園として整備する計画があるらしい。

駅前から能天気なデザインの市内循環観光バスに乗って、交通記念館を目指す。およそ10分。開店まもないためか、客は少な目。かつての一大ターミナルを潰して作った記念館だけに、やたら広い。圧巻は広い構内に所狭しと鎮座する静態保存の車両の数々。懐かしい車両が何編成も無造作に並んでいる。まるで車両基地である。一部の車両は動態保存されているらしく、休日には構内を数百mではあるが、運転するらしい。

交通記念館の保存車両群のレールの合流する部分をさらに進むと、公道に出る。無論、柵があり、道路の上のレールはアスファルトに埋め戻されている。そのさきの草むらの中に錆びついたレールが覗く。手宮線跡である。レールの間に木が生えていたりして、廃止からの年月を偲ばせる。

【手宮線跡を歩く】


手宮線は小樽駅の隣の南小樽駅から現在の小樽の市街地を真っ直ぐに横切っていた。廃止後の現在もレールが撤去されることもなく、そのままの形で残されている。少々草生しているが、散歩には悪くない。車道に面する線路跡は駐車場として使われているようだ。

小樽駅前の大きな通りと交差する踏み切り跡は、警報機もそのままのこり、道路の線路もそのままで、傍らに廃止済みの案内看板がなければ現役路線と思ってしまうかもしれない。手宮線の歴史を綴った看板が掲げられていた。

とにかく、7年越しの小樽交通記念館訪問終了。

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