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放浪記
その無軌道な足跡の数々


2001.05.13 夕張の旅

新千歳空港 11:55着。5月だというのに、フェーン現象でやたら暑い。

何の因果か突然の北海道出張が命ぜられた。会社の金で北海道に行くのが初めてならば、札幌に空路で行くのも初めてで、札幌へ行くのは学生以来の7年ぶりとなる。久々の遠出である。週始めの出張だったので前日の日曜に現地入りしてどこか乗ろう、と思ったのだが、案の定、綿密な計画を組み上げるヒマもないままに出発の朝を迎えた。

所沢から羽田は遠い。飛んでる時間の方がはるかに短い。羽田でハンコハンコと走り回ったり。

北海道の心残りは、留萌線、富良野線、石勝線、根室本線の4路線。新千歳空港に一番近いのは石勝線の夕張支線である。かつて夕張地方に広がる多くの炭坑の炭鉱輸送を支えた路線であり、現在は石炭産業の斜陽によりその使命を終えたローカル線である。

まずは新千歳空港から南千歳に向かう。南千歳駅は千歳線と石勝線の交わる道央と道東を結ぶ要衝の駅であるのだが、駅の周りには見事に何もない。新しい駅だからなあ。昼飯を喰おうと思ったが、立ち喰い蕎麦すらないので荷物をコインロッカーに放りこんでどこかに移動することにする。夕張に向かう列車までは2時間もあるので、とりあえず隣の千歳駅に向かい駅前で適当にメシを済ます。南千歳から千歳に向かう途中で路線は高架に掛け上がり以後札幌までひたすら高架である。千歳駅駅前ではGWも終わって久しいのに桜が咲いていた。

14:23。千歳発夕張行の列車が出る。千歳駅は比較的新しい高架の駅で、一見京葉線のような雰囲気であるが、やってくるのは電車ではなく気動車。南千歳までは線路脇に高速道が望めたりするのだが、南千歳を越えて石勝線に入るといきなり車窓に原野や牧場が広がりエラく長閑な雰囲気となる。石勝線は昭和56年に開通した北海道で一番新しい路線で、駅間が無茶苦茶長いことでも有名。夕張線として古くから有った南千歳〜新夕張はそうでもないが、新たに開通した部分の新夕張から新得までは90kmの間に駅が3つしかない。日本で一番離れた駅はここにある(二番目もここだけど)。南千歳〜追分も17km離れている。十分長い。

新夕張。国鉄当時は紅葉山駅という名前でもう少し北側にあったらしい。石勝線の開通にあわせ、駅は移設され名前も新夕張と変わり、線名も夕張線から石勝線となった。駅前のだだっ広い駐車場の片隅に錆びついた紅葉山駅当時の駅名票が立っている。石勝線の本線はここから目前に立ちふさがる十勝山地をトンネルで突っ切り、人も殆ど住まぬ山を走りぬけて道東に至る。石勝線の夕張支線はここから北に逸れ、夕張川沿いに夕張駅を目指す。すでに夕張市に入っているのだが、車窓からそんな気配は微塵も感じさせぬ田舎っぷりにまったりする。駅前の生協で晩飯にする予定の弁当を買ったけど、箸を貰い損ねて非常に悲しくなる。

【紅葉山(1901年から1981年まで)の駅名票】


夕張は石炭の町として栄えた。多くの炭坑を抱え、かなり賑わったという。途中の清水沢駅や鹿ノ谷駅はやたらヤードが広く、これは廃止された鉱山鉄道が乗り入れていた貨物ヤードの跡である。なお、今日日珍しいことにこの区間はタブレット閉塞。終点の夕張は新しい小さな駅舎であるが、これは10年ほど前に出来た3代目の駅舎。国鉄時代の初代の駅舎はさらに1.3km奥のテーマパーク、石炭の歴史村の駐車場に現役当時の姿のまま残っているという。ついでなので、テーマパークには用はないがタクシーで石炭の歴史村まで行ってみる。うお、雪残ってら。

歴史村は南側を除いた三方をボタ山に囲まれた擂り鉢の底にある。すでに夕方でテーマパークはほとんど店仕舞いしており、あたりはガランとしている。暮れつつある陽射しとあいまって、なんとも哀愁漂う。あたりがガランと感じるのも無理のない話で、このテーマパークは2500台分の広大な駐車場を供えている。もちろんガラガラのスカスカである。このヤケクソに広い駐車場は丸ごと初代夕張駅の貨物ヤードの跡地なのだそうだ。ホントに広い。ここから西側には北海道炭礦汽船夕張鉱業所福住人車、50km離れた野幌まで延びていた夕張鉄道、東のシューパロ湖方面に至る三菱鉱業大夕張鉄道とその先につながる主夕張森林鉄道とやたらと鉄路が延びていたらしいが、もちろんすべて廃止されている。駐車場の西側にある歴史村の管理事務所が初代夕張駅で、ホームや駅名票がそのまま残っている。廃止されてから16年たっているが、現役の駅そのままである。しかしホームが長い。古い駅の証左だ。

【初代夕張駅(1892年から1985年まで)の駅跡】


ここから旧夕張線跡は市によって20キロほどサイクリングロードに整備されている。歴史村の外れにあるレンタル屋もすでに閉店していたので、ロードを歩く。路面からはバラストや枕木がきれいに撤去されて舗装されており鉄道を偲ばせるものは少ないが、橋桁は鉄道時代のままであった。ヤマを偲ばせる古びた寄宿舎群が時折目に付く。途中の市役所のあたりだけ路盤跡が大きく削られており、サイクリングロードも妙なカーブを描いている。ここが2代目の夕張駅跡か。その後もサイクリングロードは車道とよりそうようにして現在の夕張駅に向かって延びている。夕張駅を越えても、車窓からしばらくサイクリングロードが見える。そのうち途中の鹿ノ谷駅から山の中に消える。これは夕張鉄道の跡であり、この先には3段スイッチバックのサイクリングロードがあると云う。途中で跨いだ夕張川の上流には主夕張森林鉄道の橋梁がほとんど撤去されることも無くひっそりと残っているらしい。数年のうちにダムの底に沈む予定だという。

【旧国鉄夕張線跡】


かつての花形産業であり黒いダイヤとまで云われた石炭産業の一翼を担った夕張。昭和52年までに炭坑はすべて閉山され、いまや夕張はメロンと映画の町として知られるようになった。この支線もいつまで現役でいられるのだろうかと思いつつ夕張を後にした。




某氏からの指令を受けて追分駅で一時間以上公衆電話と格闘したり、うっかり某公演のSS席が取れてしまって喘いだり、南千歳まで戻ってみたら千歳線が信号故障でエラい事になっていて札幌がやたら遠かったりしたのはまた別の話。以上、夕張の旅。

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