【放浪記Topへ】
放浪記
その無軌道な足跡の数々


2000.12.16 城崎日帰り強行軍
※あなたの健康を著しく害するおそれがあるので、真似しないで下さい。


珍しく英会話が休みで、久々に二日丸々フリーな週末になりそうであった。ということで今世紀最後、というほど仰々しいものでもないが、ちょっと放浪してみるかと、ヤフーオークションで金曜夜のながらの指定券を落札してみた。このところ平日はクソ忙しくてゆっくり時刻表を眺める閑もなかったが、ながらに乗りこんでしまえば予定を組む時間はたっぷりあるさ、と全くの無計画状態での金曜日。

・・・(中略)・・・

夕刻、気がつけば、なぜか土日は出勤ということになっていた。あー、くそ、指定券どうすんだよ。去年の春、はやぶさの指定を取ったときに続いて、何故に厭がらせのように指定を取った週末に限って仕事を入れてくれるのだ、と、キれて暴れ出しかねん精神状態。この日は友人との忘年会だったので、とりあえず退社。腹いせにドカスカ呑む。

3時間後の忘年会終了後、酔った勢いのヤケクソで東京駅に向かう。無論、ながらに乗るためである。皺寄せで明日以降の辻褄合わせの尻拭いがエラいことになりそうだが構うものか、頑張れ明日のワシ。漢たるもの初志貫徹。見る前に飛べ。酔っ払いを乗せたながらは深夜23:43東京駅を発つ。

翌朝。寝呆けつつも半ば条件反射で大垣、米原で乗り換えて、道中ぐうがあ寝倒して、気がつけば10:14の姫路である。ここまできて今更ながらようやく冷静になって、己の行動の無茶さ加減を悔いたりもするが、いまさら引っ込みつかん。とりあえず姫路駅名物のえきそば(蕎麦とは違う喰い物。戦後の蕎麦粉の供給不足の折に開発された蕎麦粉を全く使っていない麺)を啜りながら今後の予定を考える。姫路からだと姫新線と播但線が未乗なので、どちらかを乗ってみることになるのだが、姫新線の終点の新見は新幹線駅から遠く東京に戻るのがかなり面倒そうなので、播但線の方を乗ることにする。こっちの終点の和田山なら大阪まで2時間程度である。時刻表を見ると、播但線の次の列車まで小一時間あるので、駅から1kmほどのところにある世界文化遺産の姫路城を拝むことにする。駅の南側に残骸を晒す姫路市営モノレール跡はまたの機会に。あっというまに潰れたモノレール線で、姫路市はすぐにでも撤去したいらしいが、不況の折ではなかなか予算も出んだろうからしばらくは壊されんだろう。

姫路駅の北口から真っ直ぐ歩いて10分ほどで姫路城である。別名、白鷺城。見栄えが良いことから、多くの時代劇に登場していたりする。海外からの観光客が多いのか、看板に英語表記が目立つ。駅から延びてきた道路は濠にぶつかって、T字路となっている。そのつきあたりに大手門があって、その奥が城である。

【姫路城】


なんか知らんが、城の敷地内にある公園で近くの小学校がマラソン大会をやっていた。応援父兄に閑を持て余した出番待ち暴走小学生軍団で、公園内は蜂の巣に熱湯をかけたような大騒ぎである。落ち着ける居場所なし。とほほ。早々に退散。

姫路駅に戻ると31番線から播但線のワインレッドの電車が発車するところであった。播但線は地方交通線ながら、途中の寺前までは電化されているし、姫路市内は高架化されていると結構立派な路線。学校の下校時間にあたったのか、車内もけっこうな賑わいを見せている。通学買い物の足として繁盛しているようだ。姫路駅を出た列車は姫路城を中心に反時計回りに廻りこみ北へ向かう。2駅くらいは車窓に姫路城が見え続ける。

まもなく沿線から都市近郊路線の雰囲気は消えて、山際の原っぱの中を進む。車内からは乗客の姿も消え、いよいよローカル線じみてきた。途中、交換設備の有る駅で何度か右側に進み、対面式ホームで右側のドアが開く。鉄道は原則左側通行である。播但線は特急が走っているので、列車交換の関係だろうが、どうにも落ち着かない。

1時間ほどで終点の寺前。電化区間はここまでで、ここからは和田山行きの汽車に乗りかえることになる。1時間に1本の列車めがけて高校生が大挙して乱入してきて車内がたちまちやかましくなる。寺前を過ぎると駅間が露骨に長くなり、景色は田んぼしか見えなくなって長閑である。

さて、そろそろ和田山からの行動を考えよう。和田山から素直に東京に帰ってもいいが、ゆうべの大酒の後遺症で少々汗臭いので、どこかで温泉に漬かるかと時刻表をひっくり返す。悩むまでも無く和田山から数駅先の城崎行きが決定する。温泉街で有名な城崎は、やたら外湯があって、旅の汗をお手軽に流せる。なんでも、浴衣で下駄をカラコロならし外湯めぐりをするのが通なのだとか。たしか7つほど外湯があって、全部入ったら記念にしゃもじがもらえたような気がする。学生時代、某氏と九州に向かう道中に城崎に立ち寄ったのはもう7年も前の話か。ヤロー二人(双方ともヒゲ有)で町外れのロープウェイで山に登って大したコトのない展望に大いにがっかりした記憶が蘇ってきたりする。

和田山からは山陰本線。豊岡で宮津線が分岐していくのを眺める。ゆったり流れる円山川を車窓に眺める。駅前に廃墟ホテルの建つ無人駅、玄武洞を眺める。車内で酔っ払いオヤジが玄武ってなんじゃい、とか云ってるのを聞いて思わず薀蓄を垂れたくなるのを耐える。北を守護する亀の霊獣で、明石散人によるとモデルはすっぽん。玄武洞をすぎるとまもなく城崎駅である。冬の暗い曇り空の下、駅から伸びる通りは土産物屋と観光客で結構賑わっていた。

【城崎駅】


数年前の極めていい加減な記憶を頼りに、適当に歩き出す。つまり当てずっぽうである。外湯が多いだけ有って適当に歩いてもすぐに温泉が見つかった。城崎の町を縦断する大谷川のたもとにある地蔵湯。川沿いに歩けば他の温泉も幾つかあるようだが、面倒なのでこれで善し。入る。入湯料500円にタオル150円。タオルには城崎の外湯の地図入りである。慰安旅行のような年配組みにグループ旅行の若い連中と意外に込んでいる。温泉はやや熱めだが、疲れた体にはそれも心地よし。ふう。善い塩梅である。旅ゆかばぁ〜♪。

はあ、さっぱり、さっぱりぃ。

温泉からあがると、駅に戻りつつ関西弁の客で賑わう土産物屋を覗く。値引き交渉で大騒ぎしている客がいたりして、なんともしたたか。カニカニと騒がしいが、城崎のカニは北海道産だとの噂も聞くな。観光客を当込んだ土産屋にはあまりいい印象がないので、冷やかすだけに留める。なお、「冷やかす」とは江戸時代の紙漉職人が古紙を水に融かしている間、暇つぶしに遊郭を遊ぶ気も無いのにぶらついたをの、女郎が蔑んでふやかし職人と呼んだのが語源だとか。まあ、城崎くんだりまで来て全くの手ぶらで帰るのもなんなので、竹輪セットとカニ味噌を購入。

時間は午後3時。今日中に東京に戻るためには次の特急北近畿に乗らなければならない。1時間半の慌しい滞在ではあるが、城崎の温泉はおまけなので、素直に帰ることにする。駅前のテキ屋から買った焼きたての竹輪をかじり、駅弁のカニ飯をパク付きつつ帰還。城崎発新大阪着の北近畿は福知山から福知山線に入る。以前、加古川線〜福知山線と乗ったため長らく乗り残していた福知山〜谷川を乗車して福知山線も完乗し、未練が一つ減る。

新大阪からは間合い運用の700系のひかり。東京22:30。そのまま職場に出向いて、本当に徹夜で仕事。うー、なにしてんだか。土産の竹輪セットは岳父に好評だったらしい。

以上。城崎日帰りの旅。

【放浪記Topへ】