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放浪記
その無軌道な足跡の数々


2000.11.03 馬鹿と煙
※デジカメをコインロッカーに放り込んでたんで画像無し。銀塩写真ならあるが、スキャナがない。

ついこの間まで暑い暑いとうめいていたような気もするが、気がつけばもう11月。朝晩めっきり冷え込み、半袖も箪笥の奥にしまいこんで久しい。すっかり秋である。そんなわけで、紅葉見物に出掛けることにした。11月3日は晴れの特異日として有名で、統計上晴れることが多いとのこと。目的地は首都圏からでも日帰り圏の谷川岳。併せて久々に近くの土合駅と湯檜曽ループも堪能する目算である、というかこっちがメインか。遭難者が多いことでも有名な谷川岳であるが、中腹にスキー場がある関係か意外に交通網が整備されており、谷川岳ロープウェイを利用すれば、ほとんど歩くこともなく、普段着手ぶらのままお手軽に山頂のかなり近くまでいける。実際、山頂近くで厚底ブーツを見かけたぞ。なお、ロープウェイの営業免許は鉄道と同じ部類であり、ロープウェイの乗車場もれっきとした「駅」である。このことからロープウェイを鉄道とみなす流儀(何のだ)もある、つまり乗り潰し対象とする人間もいる。

11/3。前日の雨は一応上がったが、空は暗く曇り気温も低く、そのうち雪でも降りかねん雰囲気。晴れの特異日どころの話ではない。とはいえ、出掛けてしまったものは仕方ない、と空を恨めしげに見上げながらの出発。遠く谷川連峰が靄に霞む。

ところが、日ごろの行いだろうか。水上まで行くと青空がチラホラと覗け出す。善し。

【薀蓄】
谷川連邦は群馬県と新潟県の県境にそびえる2000m級の山々が連なる山脈。ここを超えて新潟側に抜けるには、上越線上り線の清水トンネル(9702m)、上越線下り線の新清水トンネル(13500m)、上越新幹線の大清水トンネル(22221m)、関越自動車道の関越トンネル(10926m)の長いトンネルのいずれかを通り抜けねばならない。トンネルの長さは、そのままトンネル掘削技術の変遷を示しており、清水トンネルが一番古い。これが川端康成の雪国の冒頭の国境の長いトンネルである。

東京と新潟を最初につないだのは信越線であったが、途中に難所の碓氷峠があったため、輸送能力に限界があった。これを解消すべく計画されたのが上越線である。大正11年のことである。当初は谷川岳を一気に20kmのトンネルでぶち抜く計画だったようだが、なにせ大正期のことで技術がおいつかず、泣く泣く10kmのトンネルに短縮された。山の中腹まで上ってからトンネルに入ってトンネルの距離を短く済ますことにしたのだ。その名残で群馬側の湯檜曽付近に珍しいループトンネルを作らざるを得なくなった。湯檜曽ループである。直径804mのループトンネルで、1周で45mの高さを稼ぐ。8年の工期をかけて清水トンネルは昭和6年に開通し、新潟までの距離をそれまでの信越線ルートとくらべ100kmほど短縮することとなった。

ところが、昭和30年代に入って輸送需要は増加の一途をたどり、単線である上越線の輸送量は限界となりつつあった。そこで複線化が検討され、それまでの清水トンネルのルートを上り線として、新たに下り線をトンネルで新設することになった。このトンネルが新清水トンネルである。清水トンネルから36年、技術は向上しより長いトンネルを掘ることが可能となっていた。清水トンネルからずいぶん離れた場所により長いトンネルが掘られた。湯檜曽駅手前で上り線と下り線は分岐し、下り線はまもなく新清水トンネルに入る。上り線は土合までは地上である。そのため湯檜曽と土合の下りホームは地下にあり、土合はにいたっては下りホームが地下82mにある始末である。日本一上りと下りのホームの標高差のある駅である。この新清水トンネルは4年の工期で、昭和42年に開通している。清水トンネルのわずか半分の期間である。

まだ続く。新清水トンネルが完成して5年後に着工された上越新幹線のための大清水トンネルは、昭和55年に8年の工期の末に開通している。このトンネルは上毛高原から越後湯沢までの1駅区間をほぼカバーする長大トンネルで、海底トンネルを除いた地上トンネルとしては世界最長を誇る。高速車両を走らすためのカーブや勾配といった様々な制約を守らねばならない中、清水トンネルの1/3の期間での開通であった。半世紀でトンネル掘削技術はここまで進んだのだった。それまでは新潟と東京を結ぶ大動脈として特急がバンバン走ったりした上越線であったが、上越新幹線の開通後はその役目をゆずり、水上〜越後湯沢の清水トンネルをくぐる普通列車は現在は一日にわずか5便しかなく、特急も一部の夜行を残すのみである。
【/薀蓄】

上越線の湯檜曽、土合は群馬県の駅だが、管轄は新潟。水上が事実上の県境の駅となる。そのため、水上から土合方面に抜ける普通列車は絶望的に少なく、運転間隔は2時間半に1本といった感じ。線路と平行して走るバス路線は1時間に1本なので、水上から谷川岳ロープウェイ駅まではバスで移動するのが普通のようだ。だが、天邪鬼にも水上から谷川岳ロープウェイ駅までを無理にJRで移動することにする。そもそも、土合の下りホームに降りないことには今回の旅の意義が半減である。休日にだけ走る臨時で水上を後にする。この臨時がなければ、谷川岳ロープウェイか土合駅のどちらかを諦めなければならないところであった。

水上を出ると列車はまもなく新清水トンネルに潜る。すぐに湯檜曽駅。さらに進んで下車駅の土合駅である。降りる。薄暗いホーム。寒々しくもこうこうと点る照明。意外に降車客は多かった。恐ろしく長い地上への階段を見上げて感嘆の声をあげている人間もちらほら。ここから地表までは階段486段、ビル25階相当、時間にして15分。ちなみに、土合駅の無人の改札口には「下りホームは列車到着10分前で改札を打ち切ります」と張り紙がされている。で、久々に上ってみたら、バテた。462段のぼると、階段は国道291号線をまたぐ連絡通路となって、ここでようやく外の明りが見える。土合駅の地下をぜいぜい云いながら登っているうち、すっかり空は晴れ上がっていた。

半ば廃墟と化した休業中のドライブインがある土合駅前を抜け、国道291号線に出る。この道を道なりに歩けば谷川岳ロープウェイ駅にたどり着く、らしい。大雑把な地図しか見てなかったのでいまいち確信が持てないまま、たらたらと歩き出す。小春日和の日差しが心地よい。そろそろ色づきつつある山々の風景に癒される。道路の横を流れる澄んだ渓流は利根川の源流。

舗装されているとは云え、結構な山道である。道端に建物もほとんどない。たまに観光バスが登っていくのでこの先に何かあるのは間違いないのだが、山の中だけあって道路の先が見渡せない。曲がり角を抜けて視界が広がるたびに、木々の向こうに見える建造物を見ては、あれがロープウェイの駅か? とはやるが、肝心のゴンドラが見えない。カーブの度にいくどか落胆したに、谷川岳ロープウェイ駅に到着。ロープウェイは尾根と尾根の谷間に掛かっており、駅は山の陰に隠れて、かなり近づかないと見えない場所であった。JRの時刻表には徒歩15分とあったのだが、結局30分ほどかかって到着。谷川岳ロープウェイ駅は標高750mである。

駅には観光バスが次々と横付けされている。森閑とした山並みとは裏腹に、駅のあたりは大繁盛である。次から次へと改札へと人が流れていく。谷川岳ロープウェイは世界トップクラスのスピードと運搬能力を持つとのことで、ゴンドラ待ちの行列はどんどん捌けている。そんなわけでほとんど待つことなくロープウェイに乗り込む。ゴンドラの扉はスキー板を格納できるようになったスキー場仕様。気の早いことに、山頂近くの天神平ではスキー場開きが行なわれたらしく、すでに人口降雪機により一部ゲレンデで滑走可能らしい。

ロープウェイは約2kmを10分の空中散歩。この2kmで一気に標高1321mまで登る。とても自力で登る気になれないような斜面が遥か下に見下ろせる。便利なものだ。道中はとんでもなく地面から離れた上空を行く。紅葉の進む山々が遠くまで見渡せ、景色が非常に善い。のはいいが、足元の見晴らしもよすぎて、なんとも尻のすわりが悪い。どうにも高い場所は苦手である。

山腹の天神平駅からみえるゲレンデは確かに一部白く染まっている。辺りは見渡す限り山また山、いまだ紅葉真っ盛りで、日差しも暖かいのに、なんとも妙な光景である。さて、ロープウェイは止まることなくじゃんじゃん人を運んでいる。よって、このあたりもえらい人出である。ここからはスキーのリフトでさらに169m登ることが出来る。ここまで来たからには、毒に皿。登る。小春日和のはずだが、このあたりまで登ってくるとさすがに風が冷たい。土合駅下りホームから登りまくりである。100m上昇すれば0.6度下がるというから、下界とは10度くらい気温が違うはずである。

リフトの降り場から向かって右側には尾根道が連なり、その先に谷川岳1977mが聳え立つ。周囲はすべて山。雲が眼下を行く。あいにく谷川岳の山頂は雲に隠れているが、それにしても絶景である。気合の入った格好のハイカーがぞろぞろと谷川岳に向かっていく。金で解決できるのはここまでである。簡単に標高1500m地点まできてしまったので、手ぶらでも谷川岳山頂にいけそうな気がしてしまう。しかし、高いところは気持ちが良い。馬鹿と煙というやつか。リフト近くで呆としていたら、シャッター押してください攻撃に悩まされたので、早々に退散する。

以上、高い所放浪。・・・土合駅が第4期関東の駅100選に選ばれたらしいので、来年また来るのか。

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