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放浪記
その無軌道な足跡の数々


1999.03.12 3月の旅 I

羽田空港6:55集合。逆算すると遅くとも東西線の始発3本目に乗らねばならない。さらに逆算すると5時前に起きなければならない。そんな早起きをする自信は全くなく、それならいっそ徹夜してしまえ、と居直って夜更かし。完徹とまでは行かぬものの、1時間くらい椅子の上でうたた寝したくらいだろうか。荷造りをしたり、ゲームをしたりしているうち夜が明けた。

今回は友人たちとぞろぞろと連れ立っての観光旅行。なぜ函館になったかはよく覚えていない。札幌に転勤していった友人を訪ねようとしたものの、中途半端に北海道にこだわりながら格安パックツアーにつられ北海道は北海道だが、札幌から遠く離れた場所になってしまったような。その友人には札幌から遠路はるばる函館まで馳せ参じてもらったという。なんとも本末転倒な感じ。

金属探知器のあたりで電子機器群(PHS/Palm/WS/MPMAN/POKECHU)を付けたり外したりバタバタ。搭乗。朝焼けの光の中、飛び立つは北へ。うぐ、気流があ。が、ゆれる機体も何のその、ぐーがー寝ていたら機内サービスうけそこねる。あれもう到着だよ。陸路になれた人間には反則的な速さである。函館空港の滑走路と平行に未成線戸井線の跡があると聞いていたが確認できず。太平洋側だけあって雪は少ないが、冷えこむ。

特に明確な目的があって目的地が函館になった訳ではないので、皆にここに行くのだあと云う渇望がない。自分だけの単行なら迷わず函館市内の路面電車に飛び込みとりあえず全部乗っとけ、とかするのだろうけど、そんなディープな楽しみを他人に押し付ける訳にもいかん。かなり個人的欲求からの提案であったのだが、函館駅近くに停泊されている青函連絡船メモリアルシップ摩周丸の見学を提案する。まずは軽く、ということで合意。船に向かう。

かつての北海道の入り口は青函連絡船の接岸する函館であった。青森側同様に不要となって引っぺがされた波止場への連絡線の跡。その片隅には函館本線0キロポストが佇む。

【明治35年開業 函館本線0キロポスト】


摩周丸に乗り込む。いきなり連絡船のスジだのなんだの濃い展示物が並ぶ。連れを忘れてすっかり堪能してしまう。青函連絡船の歴史を語る上で避けて通れない洞爺丸の事故の展示を厳粛な気分で眺めていると、元船員と思われる年配の男性がなにやら紐を片手にあらわれた。これが香具師顔負けの口達者。船乗りの基本であるところの紐の結び方をあれやこれやと教え込まれる。実はここで売られていた紐の結び方という小冊子の実演販売なのであるが、この冊子が100円。5人組みのわれわれ全員が買ってもたったの500円。全く割に合わない営業だとは思うのだが、得意げにさまざまな結び方を披露するオッちゃんをみているとそんな些細なことはどうでもよく感じられたり。延々と実演を受けて、もやい結びをマスターしてしまう。もやいとは船と船を繋ぎ止めるという意味で「舫い」とも書く。もやい結びとは片手でも簡単に結べ、思いっきり引っ張っても結び目はずれず解けず、そのくせ解こうと思えば簡単に解ける、という万能の結び方。・・・放っておけば延々と口上を続けそうなオッちゃんと別れ、となりの展示室へ。口上にのせられて友人の一人が紐と冊子を求めたのだが、歩きながら紐をいじっていた。そこへ別のオッちゃんが通りすがった。友人から紐を借りるとあれよあれよの間に友人の両手首を縛り上げてしまった。舞台に上げたお客をもてあそぶ奇術士さながらの淀み無さ。プロだねえ。さっきのオッちゃんと連携しての営業なら大した物だ。そんなハプニングなどもあり、青森側より格段に面白かったのあった。

トラピスチヌ修道院。函館駅からバスで片道1時間。ほんとにこのバスでいいのかと思うくらい時間がかかる。バス停からも遠いし。さらに傍若無人厚顔無知修学旅行団体に巻き込まれて非常に疲れる。

五稜郭。おお五茫星だ、陰陽五行説だ。え、違う?


翌日。雪国育ちにとって何が恥ずかしいかと云えば、雪道で転ぶ事ほど格好悪いことはないのだが、函館山で氷で滑って見事に転ぶ。くそ。

あまり乗り気でない友人たちを押し切って、北方民族博物館へ。衒学という話もあるが、この手の民俗モノの展示はかなり好みで、旅先で見かけるとじっくり眺めてしまう。網走の北方民俗資料館は半日かけてじっくり廻った。長万部の公民館の資料館も良かった。ここはアイヌ専門かと思えば、イヌイトだのヤクートなどの北方民族全般についての展示らしい。堪能する。三国通覧図説。赤蝦夷風説考。最上徳内。規模は小さいが、濃ゆい。


さらに翌日。オレ的今回の旅行のメイン。吉岡海底駅。

吉岡海底。昭和63年3月13日開業。海底駅は世界でもここと竜飛海底のみ。こちらの方が若干深い位置にあり、紛うかたなき世界一低い駅である。工事中に基地として使われていたスペースを観光用に駅として開放した場所で、同時に地上への脱出用の非常経路でもある。ここから地上まで1000段を超える階段が延々と連なっているが、普段は閉鎖している。よって、日本で唯一どこへも行けない駅でもある。

函館駅にポスターが貼ってあったし、去年のこの時期こういったイベント列車が走ったのは知っていたが、よもや自分がこんな能天気な列車に乗るとは夢にも思わなんだ。実物を拝んで、朝っぱらから腰が砕ける。渋い臙脂の機関車、くすんだ青の客車ともドラえもんだらけである。これが、ドラえもん海底列車か。しかし何故にドラ。車内も見事にドラだらけである。以前は海底駅見学なんて物好き客は少なくて、いつも海峡の指定車両はガラガラだったのだが、乗り込んでみれば結構な賑わっている。車内はドラ目当ての子供連れと純粋に海底駅を見に行く好事家と二層に分離されている。好事家もさらに物珍しいから行く人間と鉄道関連施設だから行く人間とに分けられると友人に指摘される。同行した5人中、私だけ後者なのだそうだ。反論できず、というか積極的に肯定。

【ドラえもん海底列車】


海峡は4路線を跨いで走る。函館本線、江差線、津軽海峡線、津軽線である。青森〜函館は最近できたばかりなので出来合いの路線を経由してつながっているのだ。函館を出ると列車は左手に函館湾を望みつつぐるりと湾を一周して西進する。以後、1時間ほど左手に海を望んだまま進む。やがて木古内へ。ここからが津軽海峡線で突然路盤が立派になる。ここまでの江差線とは乗り心地が全く違う。江差線と津軽海峡線は開通時期が50年違うからなあ。以前はここから松前線が延びていたが、第二次廃止対象路線ということで11年前になくなっている。江差線も松前線も似たような弩がつくローカル線だったのだが、江差線は廃止されなかった。木古内〜五稜郭の輸送密度は比較的多かったのだが、この路線は江差線であったため、江差線は廃止対象を免れたのである。現在、江差線の木古内の先の盲腸区間はどの駅も一日の利用客は百人以下。木古内〜五稜郭の1/10以下である。

高架が始まる。トンネルも多くなる。木古内から青函トンネル本体の前に9つのトンネルを通過する。このことを知らないと、ただのトンネルと青函トンネルを勘違いして拍子抜けすること請け合いである。知内に停車。!。北海道最後の駅にして、ほとんど列車が止まらない事で一部で有名な駅である。初めて停まったぞ、ここ。ちなみに利用客平均一日4人だそうだ。

ようやく青函トンネル本体に入る。長さ53.85km。最深部は水深140mの海底からさらに100m地下を通る。勾配は新幹線が走れる12‰。トンネル内は気温の変化がほとんど無くレールの伸縮を気にしなくてもよいため、52.27kmのスーパーロングレールを使っている。気温20℃、湿度80%は年間を通じてほとんど変化無し。

知内からおよそ15分で吉岡海底駅。トンネル内を結構な速度で走る。初の時速270kmを売りにしたのぞみが東海道新幹線に投入された事があったが、当時すでに上越新幹線の新清水トンネル内では時速280kmで新幹線が運転を行っていたことから分かるように、トンネル内は気象や騒音を考えなくていいのでかなり飛ばせるのだ。カルガモよろしくぞろぞろと下車。駅、と云ってもホームらしいホームもなく、非常に狭い。列車の走る本坑から元作業坑だったという通路に案内されてようやくまともに歩けるようになる。お子様おおはしゃぎ。あり難い事に、ここでドラ目当ての家族連れは海底駅の見学をすっ飛ばして海底ワールドのドラ広場へと案内。何見に来たんじゃ、勿体無い。海底駅目当てに残ったのは全体の2割ほどか。子供連れの喧騒が遠くへ去ると、いよいよ静かである。

過去に竜飛海底駅を一人で見学した事がある。その日唯一の見学客だった。おかげで、閑を持て余していた駅員さん(海底駅は無人。詰めている駅員は例えば木古内駅の駅員だったりする)とすっかり懇意になり、テツの匂いを感じたのか、普通は見せてくれないような場所まで見せてもらえたりした。竜飛も吉岡も大体構造はいっしょなので実は大体の見学の様子は知っていた。

地上へと連なる斜坑。陶製のアートメモリアル。世界一低い公衆トイレ。世界一低い自動販売機。世界一低い公衆電話、その名も竜宮テレホン。

【世界一低い公衆トイレ(笑)】


最後に海底ワールドと名づけられた空間へと進む。ドラえもん広場で妙なライティングがされていたり、なんだかなあ、な雰囲気。のび太の部屋だの空き地だののジオラマがあって、どこらへんが海底駅なのか理解に苦しむ。そういった華やいだ感じの広場の片隅には本来ここに展示されていたのであろう、トンネルにまつわる展示物が押し遣られている。ま、60kgレールとか津軽海峡の地質調査報告とかみて喜ぶのはそんなにいないか。

そして時間だ。海峡で再び函館駅に戻る。海底駅は滞在が管理された場所で、見学コースによって往復の利用列車が決まっている。駅を出る事前には頭数の確認があったりする。たしかにこんな場所に取り残されたら溜まらん。なお、今回の見学ルートは函館〜吉岡海底〜函館。担当した駅員がゾーン539の発券に悩み、指定券をとるのに結構時間がかかった。

帰り道、五稜郭手前で車窓から戸井線跡の築堤が見えた。いつか(略)。


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