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放浪記
その無軌道な足跡の数々


1998.08.29 福知山線旧線

18きっぷが余っていたので、いつものごとく何も考えずにどこかを目指そう。と思ったのは8/28の午後のことだった。

8月最後の週末はのんびりと北上してきた台風#4の影響で北日本を中心に各地で大荒れとなった。8/28夜の時点でJRの不通区間は、東海道本線(三島付近)、中央本線(塩山付近)、上越線(水上付近)、東北本線(黒磯以北)、水郡線(全線)、これに加えて東北地方は数えるのが面倒なほど派手に止まっていた。東京付近はそんなに降らなかったので甘く考えていたが、なんでも本当に鉄道史上最高記録の降雨となったらしい。JRでは安全運転のための基準を設けていて、1)1時間の雨量、2)12時間以上連続して降った雨量の2つの値、どちらかが基準値を超えれば運転抑止となるのだが、そんなルール以前に路盤流出や土砂崩れ、冠水で不通になった区間も山ほどあったようだ。上越線の土合駅の上りホームは土砂に埋まったとも聞く。復旧は早くても10月になるとか。・・・これらの情報はすべて後日仕入れたもので、8/28夜時点では実は全く知らずに、能天気にも品川駅からの大垣行き臨時に乗ろうとしていたのであった。品川駅#7ホームには「ながら、大垣行き臨時、運行中止」の張り紙が。よくみりゃ銀河だのえちごだのあさかぜだの北陸だのと夜行は軒並み中止となっている。ここにきてようやく事態の深刻さに気がついたのであった。

天邪鬼なもので、関東圏から在来線での脱出が無理とわかった途端に是が非でも遠出したくなった。と云う訳で翌朝、始発の新幹線で西を目指す。

京都駅で下車。駅舎が立て替えられてから初めての京都駅である。噂には聞いていたが、みょうちきりんな建物である。これなら不評を買い捲っているもの頷けよう。JR西日本・ポケモンラリーきっぷ購入。って、18きっぷ使うんじゃなかったのかよ。

廻った順に、
京都駅ミュウツー。トゲピー。
高槻駅リザードン。
大阪駅フシギダネ。フシギバナ。
弁天町駅前の交通科学博物館ピカチュウ。思わずじっくり見学してしまう。
天王寺駅プクリン。
京橋駅ウインディ。
大阪天満宮駅ゴルダック。
北新地駅ミュウ。
海老江駅スターミー。
尼崎駅カイリュー。
芦屋駅ライチュウ。
三ノ宮駅ゼニガメ。シードラ。

気合いを入れて廻ったら、ゴール認定受付時間の遥か前にスタンプを揃えきってしまい途方にくれる。以上、おまけ。
ここからが今回の旅のメインである。大阪から通称宝塚線、本名福知山線にのって生瀬を目指す。私はこの通称路線名というのが好きでない。なんか本籍詐称みたいなイメージがするからかも知れない。生瀬で人の良さような初老の駅員に18きっぷに日付を入れてもらって、ついでに団扇までもらって駅を出る。静かな山々を無視して高速道路の高架が上空をどどーんと突っ切っていた。

福知山線、明治32年開通。電化を機に武庫川沿いを走っていた生瀬〜武田尾はほとんどがトンネル化された新線へと切り替えられた。昭和61年8月のことである。

駅前の道路に沿って進むと、いかにもと云った石垣が続く。旧線はこの石垣の上を走っていたらしい。もちろん夏真っ盛りで草ぼうぼうなので素直に道路を歩く。しばらく行くと道路は隣町へと大きく西へとカーブしていく。線路跡はここで道路と交差し、人里はなれた武庫川の河岸を目指している。草むらに続く線路跡の傍らにはこんな看板がたっている。深夜に電車の屋根に登って感電する馬鹿がいるこの御時世にあっては妥当なところだろう。ここから7kmばかり本当にまわりに何もない川っぺりの道が続く。橋もある。決して安全な道ではないので、それなりの準備をせよ、という意味でも必要な看板だろう。

【なにやら不穏なメッセージが】


少しの間はバラストも枕木も何の変哲もない小路が続く。

【武庫川の渓谷へと続く】


間もなく武庫川の河岸に出る。線路跡は渓谷の遊歩道として利用されているようだ。渓谷の見所や謂れを説明する看板が見える。武庫川の流れは豪快で涼しげだ。線路跡の枕木のあたりは栄養がいいのか、下草が景気よく茂っておりで枕木はすっかり埋もれてしまい、人間はそのわきのわずかなスペースを歩かざるを得ない状態。バラストも見えず、あまり線路跡らしくない。ところどころに見える速度制限の標識がここが線路跡であることを示しているが。

【制限60キロ】


しばらく行くと、トンネルがある。ここを訪れるなら懐中電灯は必須、と事前に聞いていたので小さいサパイバル用のライトは持参していのだが、おずおずとトンネルに入り込んで、もっと強力な電灯をもってくるべきだったなあ、と思った頃にはもう右も左も鼻をつままれてもわからない真っ暗闇。トンネルが曲がっているため、出入り口(豆知識:トンネルには出と入の区別がある)から差し込む光も中までは届かず、トンネルの中央部は真の暗闇である。光が入ってこないので目が慣れても何も見えない。足元は枕木にバラスト、漏水した水溜まりで歩きにくいことこの上ない。トンネルのカーブに気づかず、壁に擦りぶつかること数度。X-FILEとかのその手のことが頭の中を駆け巡って情緒不安定になる。荷物をおっ放り出して駆け出したくなる気分を押さえつけ、そろそろとおっかなびっくり進む。10分と潜っていなかっただろうが、恐ろしく長く感じられた。曇天で涼しいくらいなのに、妙な汗がじっとりとにじむ。一人でくる所じゃないなあ。

真っ暗闇のトンネルはこのあとも4つほどあった。精神的にひどく消耗した。

【かつての撮影名所】


【武庫川を渡るトラス橋 このトンネルも長かった】


二つ目のこれまた真っ暗なトンネルを抜けるとトラス橋が見える。ここだけではないが、橋本体には柵がしてあって入れない。代わりに現役時代は保線夫が歩いたであろう、橋の脇のキャットウォークを渡る。狭い。トラス橋を渡り川の左岸から右岸にたどりつくころにはまやもや厭な感じの汗をかいていたのであった。

さらに2つトンネルを抜けると、上流の方に民家が見える。細い舗装道路が右の山々の隙間から伸びてきて、最後のガーター橋をくぐってそのまま線路跡と並走する。やがて線路跡はその道路に吸い込まれて消える。その道路も間もなく行き止まりとなる。このあたりに旧武田尾駅があったというが、痕跡はなし。見上げれば、武田尾第1トンネルと武田尾第2トンネルとを結ぶ鉄橋の上に現在の武田尾駅が見える。特急電車が一瞬だけ姿をみせ、そのままトンネルの中に消えていく。武庫川の渓流の景観と時間。・・・多分これは無責任な外野のつまらない感傷なのだろう。

道路と一体となった廃線跡は武田尾駅で行き止まりになるが、そこから遊歩道となってまだ続いている。が、それも500mほど。次のトンネルは照明があるものの、トンネル半ばに頑丈な柵がしつらえてあって、これ以上は進めないようになっている。行き止まりになったトンネルの側壁に待避所のような小さな穴がある。そこを抜けると武田尾温泉へと道が連なっている。厭な汗を流すべく外湯をあびて、武田尾駅を*登り*、大阪に向かう。2時間かかって歩いた旧線跡7kmをわずか6分で通過したのであった。


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