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放浪記
その無軌道な足跡の数々


1997.07.19 奥羽本線 SL見物

私の故郷である秋田に新幹線こまちがやってきたのは1997.03.23。開通記念キャンペーンのテーマは「秋田花マル」。元々は「秋田はなまる」だったのだけど、「秋田は訛る」と読めるから急遽変更になったとかなんとか(笑)。

イベント列車でD51-498が走ると聞いたのは2月、みどりの窓口で確認。当初は5.23だったはずなんだけど、いつの間にか7.19に変更になっていた。って5.23に指定とっちゃったぞ(笑)。仕方ないので5月に理由も無く大曲〜東京を往復してしまう。

7.19、晴れ。実家の裏の古四王神社の踏切りまでデジカメをぶらさげて、軽トラでスポキスポキと出掛ける。一応地元の人間しか知らないような場所を狙ったつもりだった。適当に出掛けたのでSL通過予定時間の一時間以上前に到着してしまう。もちろん一番乗り。しょうがないので701系の写真なんぞ撮ってしまう。QVだと一回シャッターを切るとjpg変換にちょっと時間がかかるので、疾走している列車相手では1回しかシャッターが切れそうに無くて、ちょっとがっかり。

そうこうしているうちにどこからともなく人が集まり始める。いつの間にか車が30台(!)も集まる盛況ぶり。そこらへんじゅう三脚とかでごった返す。彼方に黒い列車が見えたと思う間もなく、ガッシュガッシュと重低音を響かせ、黒煙を撒き散らし、大質量の鉄塊が走りくる。踏切りの遮断機越しなのに恐ろしく暑い。

【古四王神社付近にて】


さて、踏切りなのでSLはあっさりと過ぎ去ってしまった。折り返しは駅で待つことにする。4時間後、飯詰駅。高校時代さんざん駅前を通った駅のホームで待つ。太っ腹なことに、入場無料。と、云うか無人なので入場券が買えなくて待合室でウロウロしていたら、線路工夫のおっさんが入ってもいいよ、とのこと。田舎の人情が染みる。飯詰駅の思い出と云えば、5年前の正月に仙台に戻るため急行津軽を雪の降るホームで待ったが列車が全然来ない。無人駅なので問い合わる相手も居らず、小一時間も待ち、凍えそうになった。となりの大曲駅に電話したら、大館駅で事故が有り列車が大幅に遅れているとのこと。今となってはそれも笑い話、津軽もすでに廃止されて久しい。

さて、そのうちホームが混み出す。近所からサンダル履きで小さい子供たちを連れてきているような家族も多い。普通、イベント列車なんて走ろうものなら、沿線はカメラの陣取り合戦でどうも殺伐とするイメージがあるが、なんともここは呑気な感じである。傾きつつある日差しのなか、黒い鉄塊がホームに滑り込む。つい20年前は奥羽本線でも現役だったという。見るからに止まるのも動き出すのも大儀そうな重量感だ。冬場は蒸気の熱量が外気に喰われて動き出すのがさぞや大変だったことだろう。

【飯詰駅にて】


慌ただしい停車を終えて、デゴイチは大曲へと去った。人々は三々五々散っていったが、しばらくホームに残っていた。ここから50系客車が消えてすでに3年になるが、10年前と変わらないさびれたホームに立っていると向こうから客車がやってきそうな気配がした。

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