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放浪記
その無軌道な足跡の数々


1993.03.17 第2回18きっぷMLオフミ at 久大線

3/17
いっせへ氏より招請される。のこのこひっかかる(笑)。仙台から山形、米沢、新潟、東三条、弥彦、吉田(ここらへんが悲しい※1)、柏崎、直江津、富山経由で松任に至る。ところがいっせへ氏が到着時間を1時間かんちがいしてくれたので途方に暮れる。しょうがないので待合い室で旭化成陸上部の特番をぼーっと見ていた。
※1 もちろん乗り潰しのための遠回りである。この頃から本気でJR全線の乗り潰しを試みている。

3/18
正月に続いてまたもやjaist参り。あいかわらず辺鄙なとこである(失礼)。内装工事でどたばたしていたが、めげずに1日端末をいじくる。※2
※2 私はjaistとは全く関係ないのだが、終日端末をいじっていても誰にも誰何されなかった。はて?

3/19
未明金沢より出発。面倒なのでルートはいっせへ氏にのっかる。いったん京都で別れて、福知山で再会する。二人の未乗区間の喰い違いのせいである(笑)。以後しばらくいっせへ氏と同行する。よってスジはいっせへ氏と同じ。ここらへんはX-Mailinglist-Id:931あたりに詳しい。

3/20
軽く境港を往復したのち、松江から木次線へ入る(余談だが、松江でしょうがないものを拾得してしまう。以後私はそいつをかついで移動する羽目になる※3)。3段スイッチバックや、どでかいループ橋などが見れて快適な旅となる。備後落合で去年のモーニングが売られているのを発見してあえぐ。夜、岩徳線で移動中、同席したできあがった親父にからまれて困る。深夜、下関人道が夜間閉鎖されていて、ますます困る。悲しみに暮れて下関駅前で寝る。エラい寒い。
※3 当時世間を騒がせていた写真集Santa Feである(笑)。

3/21
これほど始発が待ち遠しい朝はなかった。綿密な計画byいっせへはもろくも崩れさる。筑豊線を回る計画が20円渡しに化けてしまう。若松から折尾に向う途中、二島なる駅でいっせへ氏が発作的に下車する。おそらく後発の客車に乗りたかったのでしょう(謎※4)。鳥栖から今回の旅のメインたるオフミ。単なる酒盛りとどこが違うかは不明。昨晩の無茶に酒が効いて豊後森以降は意識不明に陥いる。気がつきゃ熊本である。阿蘇はどっちだ?
※4 18きっぷのポスターをひっぺがそうとした。未遂(笑)。

3/22
まずは三角線。三角駅でいっせへ氏はまたも発作的な予定変更。駅前のフェリーに吸いこまれたようだ。突然一人になったので即興で予定をこさえ、佐世保から大村線で長崎に入る。ところで、みどりも赤いのね。平和公園は地下駐車場工事のため派手にほじくられてて非常に窮屈で詰まらない。腹いせに皿うどんを喰ってから博多に戻る。もちろん諌早までは北側まわりである。ホームでにちりんを待ちながら、まんがを見ていたらいっせへ氏に肩を叩かれ仰天する。世間は狭い。

3/23
太平洋から登る朝日はなかなか見物であった。偶然合流したいっせへ氏、福本氏※5に別れを告げ、宮崎からは志布志を目指す。さらに西鹿児島から枕崎を目指す。枕崎からの復路、なんか今朝のにちりんからずうっと同行してるのがいるなぁとか思ってたら同志(笑)であった。閑そうな車掌まで巻き込み鉄な話題で盛り上がる。今晩はつばめ。
※5 さめがめ(tty版)の作者である。

3/24
博多から門司港、門司、下関と効率の悪い乗り継ぎをしながら久し振りの本州上陸。そのころ、昨夜からの雨はいつしか雷を伴い、御丁寧にも新下関駅に落雷。新下関駅は停電。昨夜、つばめ車中で組んだ綿密な計画はわずか1時間足らずで瓦解。列車は行けない、車両は来ない、九州から出たから周遊券じゃ戻れないとなかなか困る。帰りも下関で足止めとはツいてない話である。結局復旧は1時間後。午後、雨の宮島で鹿をたわむれる。何か知らんが鹿に気に入られ、コートに歯型を3つほど貰う。夜、姫路から大阪発のきたぐにに連絡する最後の新快が、だけが来ない。ギリギリまで待つが、結局新幹線で新大阪まで行き、なんとかきたぐにを追い越す。

3/25
直江津で下車。9日振りのJR東日本である。もう仙台に着いたような気分である。長野行きのホームにたまるスキーかついだ家族連れをながめながら、一人長岡に向う。途中朝飯に日出谷の駅弁(11:00)、昼飯に喜多方ラーメン(12:00)を喰う。郡山で寝過したりもするが、なんとか仙台に帰還。しかし、明後日は帝都で宴会、さらにすぐさま名古屋で学会(聞くだけだけど)があったりするのであった。

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