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放浪記
その無軌道な足跡の数々


1993.01.04 金沢へ拉致さる(笑)

24日※1、クリスマスだと云うのに研究室で半熟英雄していたら、いっせい氏現わる。しばらくウダウダした後、26日深夜、二人で八甲田でお馬を見に船橋法典に向う。ここらへんは X-Mailinglist-Id:292 に詳しい。なお、もう一人とは私のことである。しかも、つきあいよく旅費込みで1万5千ほど浪費してくる。あああ、がらがらどんどんどん。財布が軽くなったので帰省は当然18きっぷとなる。今回は花輪線経由で帰省することにする。実家は大曲なので、ずいぶん遠回りのような気もするが、乗り潰し屋の悲しい性というやつである。朝まで麻雀して、いっせい氏が旅立つのを見送ってから出発。途中、鷹ノ巣でいっせい氏とすれちがったハズである※2。しかし、大曲に向かう人間と青森に向かう人間が鷹ノ巣ですれ違うのも妙な話である。
※1 1992年12月
※2 いっせい氏は仙山線から奥羽本線経由で帰った。

明けて'93年1月4日。仙台に戻る。実家の最寄り駅の無人駅の飯詰から出発。これが4日に渡る旅行の第一歩とは気づく由もなし。今度は気仙沼経由で仙台に向かう。まさかと思ったが、研究室にすでにいっせい氏は戻ってきていた。どこでどうなったかは定かではないが(説明困難(笑))※3、何故か金沢までの片道ドライブにかりだされる。我ながら意思弱し。深夜1時いっせいカーの助手席にほうりこまれ、金沢に向けて出発。仙台のアパートにいた時間、僅かに10分。
※3 単なる話し相手として連れ出されたのだと思う。

5日。午前10時金沢着。図らずも、正月の目標の1つであるJAIST参りをしてしまう。しかし何にも無いのう。ついでに、去年までウチの研究室にいた某教授を驚かす。なんか体調がよくない。いっせい氏から風邪もらったか?。(車中に10時間も一緒にいりゃ無理もないか)。あとは爆眠。

6日。体調悪し。喉痛い。やたら寒かったのは今思えば、ありゃ悪寒だったんだなぁ。とりあえず、松任を7:00に出る。どこから仙台に帰るかはこの時点で全く不明。とりあえず、富山でどっち{北陸|高山}に連絡するにも、えらく時間があいてしまったので、富山港線を往復してみる。8.1kmに10駅とはせわしない路線である。で、結局、ますずし(正月の目標その2)を土産に高山本線に入る。天気は上々。なかなかの景観である。ここらへんで、大垣夜行の決心をしたので、それにあわせた予定を組む。太多線と美濃赤坂くらいは押さえるつもりであった。予定では、高山に3時間半くらいいれるようなので、真面目に観光してみる。陣屋屋敷と飛騨の里つーとこにいく。飛騨の里の合掌造りあたりは珍しいものの、展示品の農具とかは実家にゴロゴロしてるのでちっともありがたみが湧かない(笑)。かわりといっちゃなんだが、そこかしこにあった説明の看板の英訳が結構笑えた。ところが、平日であることをすっかり忘れていたため、バス時刻を間違る。あてにしてたバスが平日運休だったので、しかたなく徒歩で駅に向かうことにする、、、つもりが今度は道を間違えてしまう。途方にくれていたら、乗るつもりの列車が目の前を通過。あああ、悲しい(涙)。結局、太多線と美濃赤坂は断念する。そんな訳で悲しい気分で大垣着、行列に加わる。いつしか雨まで降ってきていたりする。熱があるような気もする。ダルい。大垣夜行は思ったより空いていたのが救いであった。

7日。気がつくと川崎だった。只見線経由で帰りたかったが、どうも折り合いがつかないので房総一周に変更する。それに、只見線はオフミで乗れそうだし。4:42東京着。無人の構内をトボトボと一人淋しく地下4階の京葉線ホームに向かう、と思ったら他にももう一人いた。昨晩、大垣のホームで騒いでたねーちゃん(知り合いにそっくりだったんでたまたま憶えていた)であった。彼女は私の向かいのシートに座っていたが、そのうち熟睡してしまった。終点の蘇我に着いても一向に起きる気配がない。私は内房線に乗り換えるため、とっとこ反対のホームに移動したが、彼女は降りる気配がない。とか思って見ているうちに車両は降り返して東京に旅立ってしまった。御愁傷様である。さて、京葉線以降しばらく乗り潰し更新の旅になるが、大半が意識不明。昨日、高山でさんざん歩いたのが効いたらしい。不便な体質じゃ。で、京葉線、内房線、外房線、総武本線とまわって、上野でそばをすすって、水戸に向う。お目あては水郡線である。ボチボチ富山で買ったますずしの賞味期限がせまっていたので、研究室の面々が帰らないうちに仙台に着こうと、陽の高いうち(雨だったけど)に水郡線に入る。単線非電化倶楽部万歳(謎)※4。常陸太子で乗り換えたあたりで日が暮れる。外が見えなくてはしょうがないので雑誌に没頭する。ところが、福島に入って間もなく、ガンッ!、とエラい音と衝撃があって列車は急停車。雑誌に見いっていたので、派手にズルっこける。踏み切り事故(遮断機無しの踏み切りに侵入した車をはねとばした)である。列車事故なんて初体験であるので、窓から顔を出して野次馬と化す。車は用水路に{横|転}落。(しているような気がした、真っ暗だったんでいまいちよく分からんが)。救急車にパトカーまでやってきて結構な騒ぎになる。汗ダクで走り回る車掌が気の毒であった。もしかしたら報道されたか知らん(と思ったがやんごとなき御方のニュースに埋もれて、どっかにいってしまったようだ※5)。結局、40分の足止め。当然、以後の接続に重大な影響が出る。で、どうなったかといえば、郡山で30分、福島で59分途方に暮れて、よく乗る仙台22:58着に揺られて仙台に到着。仙台も雨。どうも大垣からずっと雨雲と一緒に北上してきたらしい。研究室には5人ほど人がいたので、ますずしはすぐに消えた。高山の野沢菜漬けは評判が悪かった。
※4 なんだ、これ? 自分でも思い出せん(笑)。
※5 御成婚だとかなんとか。

乗換17回、総乗車距離1454.8km(大曲→仙台を入れれば、23回の1764.9km)、喰ったメシが天ぷらそば8杯(飛騨そばはうまかった)にラーメン2杯、風邪のおまけつきの旅でした。

おまけ。
8日。アパートに戻ってみたらガスを止められていた。シクシク。

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